第180話 愛らしい配達人クマちゃんがお届けする愛らしいケーキの素晴らしいお味。

 リオは完璧なもこもこトレイを、南国の鳥のような男の前へ丁寧に置いた。

 新米ママリオちゃんの手で可愛くされてしまった子猫のようなクマちゃんは、何も考えていないようなつぶらな瞳で、派手で美しい男を見上げている。

 もこもこした口元が小さく動き、幼く愛らしい声が「クマちゃ、クマちゃ……」と言った。


『ウィルちゃ、どうぞ』と。


「…………」


 ウィルはいつも浮かべている穏やかな笑みを消し、愛らし過ぎるもこもこをそっと抱き上げた。

 シャラ――。

 腕の装飾品が美しい音を立てる。

 美麗な鳥のような彼が、腕の中の大人しいもこもこを、羽で擽るかのようにふわふわと撫でる。

 非常に抱き心地が良い。こんなに抱っこしやすい赤ちゃんクマちゃんは見たことが無い。

 

「……クマちゃんもケーキもとても愛らしいね。あまりの愛らしさに、少し動揺してしまったよ」


 黙ったままクマちゃんを愛でていたウィルが、ようやく口を開いた。

 もこもこを抱え、撫でたあとに気付いたが、先程の『どうぞ』は『凄く可愛いクマちゃんが来ましたよ。どうぞ抱っこしてみてください』の『どうぞ』ではなく、『クマちゃんの作った美味しいケーキを運んで来ましたよ。どうぞお食べ下さい』の『どうぞ』ではないだろうか。


『新・見るだけで元気が出る可愛いクマちゃんセット』は人の笑顔を消し去り、抱っこ以外の選択肢を奪うほど威力がある。 

 心臓は元気になるが、体から自由を奪う恐ろしいトレイだ。

 このもこもこを見て抱っこしない人間は、人間ではないだろう。

 ――彼は愛らし過ぎるもこもこを見ただけで選択肢どころか意識を奪われてしまった可哀相な死神へ視線を向けなかった。

 ウィルがもこもこの頬を指先で撫でると、「クマちゃ……」とクマちゃんの可愛い声が聞こえた。

 

『ウィルちゃ……』と、彼の名を呼んでいるようだ。

 もっと撫でて欲しいのだろう。

 装飾品が当たらないよう気を付けながら、もこもこの口元や頬を指の先でふわふわと愛でる。

 彼は猫の赤ちゃんのようなクマちゃんを見つめ、愛おしそうに目を細めた。


 何もしなくても愛らしいもこもこは、ふわふわの布でおくるみのように可愛らしく包まれていた。

 薄い水色の、可愛いおくるみクマちゃんである。

 包んだ布も包まれた白いもこもこも最高にふわふわで、ずっと抱えていたくなる。

 防寒のためだろうか。頭まで丁寧に布で巻かれ、見えているのはもこもこで真っ白なお顔だけだ。

 布がふわふわなせいか、巻き方がふわふわなせいか、窮屈そうには見えない。


 包んだ本人が言う通り、ヤバいと呟きたくなるほど完璧な、ふわふわなおくるみクマちゃんだった。



 我が子を完璧な姿におくるんでしまった新米ママリオちゃんが、ウィルの腕にすっぽりとおさまっているもこもこへ視線を向け、満足そうに頷いている。


「クマちゃんマジ可愛い」


 新米ママは南国の鳥からおくるみクマちゃんを受け取ると、崩れてもいない布をささっと整える。

 その姿は、まるで我が子の毛繕いをする母猫のようだった。

 かすれ声の母猫は「はい。これクマちゃんのヤバすぎるケーキ」とウィルにケーキ皿とスプーンを渡す。

 

「可愛らしすぎて食べるのが勿体無いのだけれど」


 ウィルは珍しく、少し困ったような表情で笑った。

 長いまつ毛を伏せ、テーブルに置いたクマちゃんそっくりのふわふわケーキを見つめている。 


「そーだけど味がマジでヤバいんだって。食べたら分かると思うけど、とにかくすげーヤバいかんじ」


 腕におくるんだ我が子を抱えている新米ママが、天才パティシエのケーキを、南国から飛んで来たかもしれないお客様へ宣伝する。


「君の言い方はどうかと思うけれど、ふわふわでとても美味しそうなお菓子だね」


 南国から飛んで来た鳥のようなお客様が、天才パティシエの助手へ冷たい視線を向けた。

 

 新米ママリオちゃんを雇ったケーキ屋はとにかくすげーヤバいことになるだろう。

 ご来店したお客様がエビのように帰っていきそうだ。


 ヤバい新米ママリオちゃんは、お兄さんが闇色の球体で用意してくれた新しいケーキ皿とスプーンを片手でトレイに載せ、空いている場所におくるみクマちゃんを「はいクマちゃんめっちゃ可愛いですねー」とおさめた。

 おくるまれたもこもこがトレイの上で「クマちゃ……」と呟いている。


『クマちゃ……』と。


 素晴らしい配達方法ですね、という意味のようだ。

 小さな肉球で大きなお皿を掴むのは大変だったらしい。

 おくるまれているもこもこは、トレイの上でリオを見上げ、運ばれるのを待っている。


「あー、可愛い。めっちゃ顔だけもこもこ」


 我が子の愛らしさに負けた新米ママはせっかくおさめたもこもこを抱き上げ、おくるみクマちゃんの頭にそっと頬を寄せた。

 

「やべー。くるんだクマちゃん罠すぎる」


 彼はもこもこを元の位置へ戻し、かすれた声で勝手なことをいうと「んじゃ最後リーダーね」と完璧に整えたトレイを持ち、魔王のような男のもとへ『可愛いクマちゃんセット』を運んだ。


「はいリーダー。すげー可愛いクマちゃんとクマちゃんのケーキ」


 もこもこした配達員を配達してきた金髪が、魔王の前に可愛いさを詰め込んだトレイを音を立てずに置き、隣にある自分の席へ戻った。


 無表情で無口な男は、トレイの上で彼を待つ愛らしいもこもこをすぐに抱き上げた。

 もこもこの可愛いお目目が、哺乳瓶でジュースを飲んでいるときのように楕円形になっている。

 大好きな彼に抱っこされて安心しているのだろう。

 ルークは切れ長の美しい瞳を微かに細め、もこもこを何度か撫でると、スプーンでケーキを掬い、そのまま口へ運んだ。


「えぇ……」


 隣の席から肯定的でないかすれ声が、小さく響いた。

 無神経な魔王は『可愛すぎて食べられない』という可愛らしい心は持っていないようだ。


「うめぇな」


 無駄に色気のある声の男が無表情のまま、いつものようにもこもこを褒める。


 腕の中のもこもこが、「クマちゃ、クマちゃ」と可愛らしい声で喜んでいる。

 彼が優しく口元を擽ると、クマちゃんのおくるみがもこもこもこもこと動いた。

 おくるみの中から出てきた可愛らしい肉球が、彼の長い指をムニ、と掴む。


「素晴らしいケーキだね。見た目も味も、こんなに素敵なケーキは食べたことがないよ。……これはどうやって作っているの?」


 ウィルは驚いたように口元を押さえ、天才パティシエのケーキを絶賛した。

 美味しい。なんて繊細な作りの、優しい味がするケーキなのだろう。

 丸いケーキの中に二種類のクリームが、綺麗な層に分かれて入っている。

 薄く焼いたケーキだったとしても、このような綺麗な丸型には出来ないのではないだろうか。

 ふわふわのスポンジでふわふわのクリームが包まれ、まるでおくるみされたクマちゃんのようだ。


「……これは……」


 目を覚ました死神が天才パティシエのケーキを食し驚愕している。

 自分でケーキを買うことなどないが、菓子に詳しくなくともこれが凄いものだと解る。

 見た目だけでも世界一愛らしいそれは、舌にのせると、ふわふわの柔らかいスポンジと優しいクリームの味、甘酸っぱいイチゴの味が混ざりあい、口の中で溶けるように消えた。

 幼い子供からご老人まで食べられそうな、癒しの力を持つもこもこらしい、幸せな味がする菓子だった。


「マジでヤバいよねクマちゃんのケーキ。絶対みんな感動するでしょ」


 リオは追加でお兄さんに出してもらったケーキを食べつつ言った。


 彼らが絶賛するようすを見ていた街の人間が、切なそうな瞳でクマちゃん達を見つめ『いいなぁ……』『美少女クマちゃんの手作りケーキ? どこで買えるの?』『酒場で販売してるのかな?』『感動するケーキ……だと……?』『え! あれクマちゃんの顔の形になってる! 凄い!』『食べたーい! すっごい可愛いし美味しそう……』とざわついている。



 ルークの魅惑的な指を味わっていたクマちゃんは、考えていた。

 大変だ。街の人たちはお腹が空いているようだ。

 空腹で大変な方たちは、大人気店の店長クマちゃんが助けなければならない。

 急いでお届けしたいが、今日の広場は広くなりすぎている。

 日によって広がり方が違うのだろう。

 配達が無理なら、ここで配るしかない。

 うむ。皆が『足がふらついてもう歩けない……』となる前に、クマちゃんのお菓子を取りに来てもらおう。

 クマちゃんは急いで仲間達に説明することにした。


 クマちゃんはみんなが空腹で倒れてしまう前に、ケーキを配ろうと思います、と。

 


 彼らがクマちゃんの美味し過ぎるケーキについて話し合っていると、ルークの腕のなかのおくるみクマちゃんが幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ……」と話し出した。


『死んじゃ、だめちゃ……』と。


 愛しい我が子の声に反応した新米ママは言った。

 

「ちょっとクマちゃん、ケーキ食ってるときに不吉なこと言うのやめて欲しいんだけど」と。

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