第175話 細かい男はリオちゃんだけ。

 胸元にちっちゃいクマちゃんを乗せ、優しくふわふわと撫でていたリオだったが、小さくなっても行動力のあるもこもこが動き出してしまった。

 彼の手をぬる――と抜け、坂を登り始める。


「どしたのクマちゃん。どこ行きたいの?」


 リオは小さくなってしまったもこもこに優しい声で尋ねた。

 もこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃ……」という。


『リオちゃ……』と。


 リオちゃんのところです、という意味のようだ。

 彼は一瞬『いや今歩いてるの俺の上だけど』と思ったが、子猫のような大きさのクマちゃんに厳しいことは言えない。

 もしかしたら『クマちゃ~ん、クマちゃ~ん』と泣いてしまうかもしれない。


 いつもリオの話を半分くらいしか聞いていないクマちゃんは、元の大きさの時も小さくなった今も、彼の言い方がきついくらいで泣いたりしない。

 見た目に騙されやすい男リオは、子もこもこは物凄く繊細な生き物だと勘違いしていた。

 甘えっこなのも寂しがり屋なのも変わらないが、『彼の話を凄く良く聞くクマちゃん』は『仕事中の犬よりも人間の指示に従ってくれる、心が大森林よりも広く、気まぐれでなく、真面目で和を乱さない、協調性のある猫』くらいありえない。

 猫という生き物が『何か御用ですか? なるほど――ごはんはまだですか』というくらい人間の話を聞かないのが当たり前のように、赤ちゃんクマちゃんは長くて区切りの無いかすれ声の彼の話を半分くらいしか聞かない。


 人間が『右へ進め』と言って『はい右!』と騎士のように従ってくれる生き物は犬だけだ。

 猫なら虚空を見つめるだろう。

 クマちゃんなら『クマちゃ……』と肉球付きのお手々を伸ばして抱っこをねだるはずだ。

 もこもこは良い子だが寂しがり屋なのだ。そんなに右へ行きたいなら一緒に連れて行ってあげればいい。


 ヨチヨチもこもこと動く愛らしい子もこもこが彼の首を踏んでいるが、非常に軽いもこもこに乗られても苦しくはなかった。


「クマちゃんそれ以上進んでも俺の顔しかないんだけど」


 両手でそっと子もこもこを支え、子もこもこの動きを手助けする。

「クマちゃ……」と一生懸命なちっちゃいクマちゃんは、彼の顎に両手の肉球をかけている。

 小さな肉球の感触が伝わった。

 彼は動揺を隠し「クマちゃんまさか俺の顔に乗ろうとしてないよね」と小さな声で尋ねた。

 もこもこも小さな声で「クマちゃ……」と言っている。


『リオちゃ……』と。


 彼は「えぇ……」と言いつつ、ちっちゃいもこもこに手を貸した。



 ウィル達は今後の仕事の話をしながら〈クマちゃんのお店〉の裏のドアを抜け、展望台の外へ出た。

 クマちゃんとリオは別荘か宮殿にいるだろうと予想した彼らの視線の先に、花畑でピクニック中の男達がいる。

 大きな敷物にふわふわのクッションで巣を作り寛いでいる、金髪とお兄さんだ。

 クマちゃんとゴリラちゃんはクッションの山の中だろうか、と思ったウィルだったが、


「おや? リオの顔に、とても愛らしい生き物が乗っているね」


金髪と白いふわふわを見た感想をルーク達に伝える。


 彼らに背を向けクッションに凭れている金髪は、空を見上げ、顔に真っ白なもこもこを乗せていた。

 新しい遊びなのだろう。仲良しな彼ららしい。

 かすれ声の巨人を倒した赤ちゃんクマちゃんごっこに違いない。


 何故かクマちゃんがいつもよりも小さいが、リオが慌てているようにも見えない。

 お兄さんもいつものように瞳を閉じている。

 体調が悪いわけではないのだろう。

 もこもこの魔力を探ってみる。

 いつも通り、弱々しい癒しの力を感じた。

 体が小さくなっても魔力量に変化がないなら、時間が経てば元の大きさに戻るのではないだろうか。

 


 長い脚を動かし、ルークが小さなもこもこへ近付く。

 魔王のような男は、リオの顔の上にいるうつ伏せの小さなクマちゃんへスッと手を伸ばし、優しく抱き上げた。

 大好きな彼に気付いたもこもこがキュ、と鳴く。

 もこもこは幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ」と甘え、彼はいつものように何も言わず、長い指先で小さなもこもこをくすぐっている。


「いやおかしいでしょ。『小せぇな』すら言わない理由なんなの。『何が起こったんだ!』って驚愕するでしょ普通」 

  

 クッションから起き上がったリオは、細かいことも細かくないことも気にしないにもほどがある魔王のような男を批判した。

 できれば『顔にクマ乗せたら苦しいだろ』と、顔を『クマちゃ』されたリオの心配もして欲しかったが、そんな男はルークではない。偽魔王だ。


「リオ。リーダーは『何が起こったんだ』とは言わないと思うのだけれど」


 小さくなっても最高に愛くるしいもこもこを優しい眼差しで見つめながら、リオの言葉のどうでもいい部分を否定する自由な南国の鳥男。

 

「いま大事なのそこじゃないから」


 リオは派手で吞気な男の言葉を斬り捨て、「クマちゃ、クマちゃ」と愛らしい声でルークを呼ぶ、小さなもこもこを愛でている無表情で無口で無神経な男へ、キッと視線を向けた。


「細けぇな」


 魔王のような男は金髪に視線を向けぬまま、低く色気のある声で答えた。

『うるせぇな』と言わないのは魔王的な優しさだろう。


 彼は小さくなったもこもこを心配しなかったわけではない。異変に気付いてすぐに魔力を使って調べていた。

 リオが気付かなかったのは、顔の上で『クマちゃ』しているもこもこだけに意識を集中していたせいだ。


「絶対細かくない。絶対細かくない……」


 美しい花畑にかすれた声の怨念が広がる。

 彼が言って欲しかった言葉は『細けぇな』ではなく『小せぇな』だ。

 かすれた怨念男は再び『細けぇな』と言われそうなことを考えている。

 繊細な金髪は、余計なことを言えば非道な魔王の言葉の槍で貫かれる、と本能的に察知し、一分ほど己の殻に閉じこもった。


「そういえば、何故クマちゃんは小さくなったの? ふたりでお菓子を作ると言っていたのではなかった?」


 ウィルは愛らしいもこもこが幸せそうに「クマちゃ、クマちゃ」とルークに甘えるようすを見守りつつ、もこもこがこれ以上小さくなってしまわぬよう、子もこもこちゃん化の原因を探る。


「あ、クマちゃんのお菓子マジで凄かった。クマちゃんマジ天才」


 もこもことの幸せな時間を思い出したリオが、優しい表情で、我が子を自慢するママのように笑った。

 

 ウィルが穏やかに「さすがクマちゃんだね」と頷き、新米ママリオちゃんの赤ちゃんクマちゃん自慢を聞いている。

 もこもこを褒めるときだけ口数が増える男も「すげぇな」と、珍しくリオの言葉に相槌を打った。 

 大好きな彼に褒められたもこもこが、大きな手で包むように撫でられながら、もこもこした両手の小さな肉球を打ち鳴らし「クマちゃ」と愛らしく喜んでいる。


 彼らが愛らしすぎるもこもこの周りであれこれ話している間、氷のような男は一歩も近付くことができなかった。


 なんだ、あの危険な生き物は。

 もこもこした赤ちゃんがもっと赤ちゃんになっている――。

 調べてもおかしなところはない。体調不良で縮んだわけではなさそうだ。

 愛らしい。いつもと同じように世界一愛らしいが、危険だ。

 何故か体が動かない彼はスッと気配を消そうとしたが、小さな赤ちゃんクマちゃんが、少し離れたところに立っているクライヴに気が付いてしまった。


 赤ちゃんすぎる赤ちゃんクマちゃんが、彼のほうへ愛らしい肉球を伸ばしている。


 クマちゃんは彼が戻ると、いつも再会の握手をしてくれるのだ。

 あの小さな肉球も、彼をまっすぐに信じ、『クマちゃ、あくしゅ』と優しい気持ちで差し出してくれているに違いない。

 純粋なもこもこを裏切ることなど、絶対にできない。

 彼はブーツのかかとの下に魔力で氷を作り、無理やり足を動かした。

 

「…………」


 呼吸を止めた氷の紳士が、黒革に包まれた手を震えさせ、小さな肉球へ指先を近付けてゆく。

 震える指にふれたもこもこの肉球が震えだす。

 もこもこした愛らしいお手々や体がぶるぶる揺れているのは震える紳士のせいだ。


 小さなもこもこを抱えたルークは、揺れ過ぎな荷馬車のように揺れているもこもこをじっと見ていた。


「いや震えすぎでしょ。クマちゃんめっちゃ揺れてんだけど」


 振動に耐える子もこもこを見守る新米金髪ママリオちゃんが、かすれた声で想いを伝える。


『ウチの子を揺らさないで!』と。


「…………」


 氷像のように呼吸をしない美しい男は、険しい表情を崩さず、黒革に包まれた手を差し出し続けていた。

 何故か全く止まらない震え。

 振動で手袋が脱げるかもしれない。

 

 揺れる子もこもこから目を離せない新米金髪ママに視線を向けたウィルは、


「君は小さくなっていないようだね。癒しの効果があるお菓子、ということは、他にも何かありそうだけれど――」

 

と先程から考えていたことを尋ねた。


「不吉なこと言うのやめて欲しいんだけど。つーかちっちゃいクマちゃんてお菓子と関係あんの? これが良い効果ってこと?」


 もこもこが小さくなったことしか心配していなかったリオは驚き、聞き返した。

 小さいのは良いことなのだろうか。

 どんな大きさのクマちゃんも間違いなく可愛いが、すぐに大人のふりをしたがるもこもこが、小さくなりたいと思っているとは考えにくい。


「うーん。どこかにいつもと違うところがあると思うのだけれど。外見とは関係がない部分が変わっているのかもしれないね。クマちゃんも同じなのではない?」


 南国の鳥のような男は、愛らしいもこもこが変化している部分を探そうと、揺れるもこもこを観察した。

 何度見ても、お耳やお鼻も愛らしい。毛並みもツヤツヤのままだ。あまりの愛くるしさに懐に仕舞いたくなる。

 身体能力はどうだろう。

 色々気にはなるが、その前に小さなもこもこにお昼ご飯を食べさせなくては。


 ウィルは呼吸が止まっているクライヴの腕を掴み、ぐぐ、ともこもこから引き離した。

 もこもこの揺れが止まり、つぶらな瞳が彼を見つめている。

 

 優しいクマちゃんはウィルにも肉球を差し出してくれた。

 彼は嬉しそうに微笑み、そっと小さな肉球にふれる。

 装飾品がシャラ、と微かに音を立てた。


「ありがとうクマちゃん。今日はどこで食事をしたい?」


 涼やかな声が、小さなもこもこを愛でるように尋ねた。

 ウィルと握手が出来て嬉しいらしいクマちゃんは、「クマちゃ」と愛らしい声で答えてくれた。


『広場ちゃん』と。

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