第176話 食後の運動も愛らしい子クマちゃん。
もこもこの願い通り、森の街、噴水のある広場へ来てしまった、四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。
風に揺れる葉の音と降り注ぐ木漏れ日が心地好い。
突然現れた容姿端麗な男達に、街の人間がざわついている。
「めっちゃ見られてるじゃん……やっぱテーブルごと持ってくんのってどうかと思う……」
見た目と違い真面目な金髪がぼそぼそとかすれた声で話している。
彼が言いたいのは、テーブル席に座ったまま広場に現れたら目立ちすぎるということだ。
仲間達は聞いていないが、一匹だけ聞いてくれている天使のような生き物がいた。
天使は小さくなった体に合わせ、先程までリオが持っていた宝物の赤いリボンを小さくしたものを付けている。
力を注いだお兄さん曰く、体に合わせて大きさが変わるらしい。
ルークの腕に抱えられている子猫のようなクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ……」と彼にお返事してくれた。
『リオちゃ、やってる……ごと……くん、かとう……』
仲良しなリオちゃんの言葉を一生懸命繰り返そうとする小さなクマちゃん。
健気で愛くるしいもこもこに、新米金髪ママリオちゃんの涙腺が緩む。
「クマちゃん可愛い……。俺がゴトクンとカトウってやつ殺ったみたいに聞こえるけど可愛い……」
我が子が母の言葉を繰り返すのを聞いてしまった新米ママリオちゃんは、口元を押さえ叫ぶのを我慢した。
愛らしい我が子はもこもこした口を「クマちゃ、クマちゃ……」と一生懸命動かしている。
『クマちゃん……かわい……ごとくん……かとう……やったたい……わい……』
小さくて愛くるしいクマちゃんは重要そうな部分だけを正確に聞き取り、真剣な表情で繰り返した――。
「いやクマちゃんまで殺られちゃってんじゃん」
ついに被害者リストに入ってしまったクマちゃんが気になるリオ。
「つーか俺『殺ったたい、わい』とか言わないから」
そして彼は言わないといいながら言ってしまった。
聞いてしまったもこもこが「クマちゃ……」と頷いている。
『リオちゃ……やったたい……』と。
新米ママは問題のある発言を繰り返す小さなクマちゃんを叱るため、『メッ!』という視線を送ろうとした。
もこもこは小さなスプーンを持ったルークにシチューのようなものを食べさせて貰っている。
具材がすりつぶされた牛乳風味のスープが美味しかったらしいクマちゃんは、スプーンに顔がのりそうなほど下を向いた。
小さなお鼻がシチューで塞がれた可哀相なクマちゃんが、プシッ! と猫のようなくしゃみをする。
「顔まで飛んで来たんだけど!」
赤ちゃんクマちゃんの鼻息噴水にやられてしまったリオが「そっちだけ結界張んのどうかと思う!」と理不尽な世の中への不満を叫ぶ。
ルークがもこもこを抱え直し、もこもこのスープ風味のお鼻を、濡らしたふわふわの布で丁寧に拭いている。
仲間達は愛らしいもこもこを視線で愛でつつ、静かに食事を続けていた。
彼は可愛すぎて睨めない小さなもこもこの代わりに、もこもこの口元にスプーンを運んでいる魔王のような男を睨みつけ、頬に飛んできたシチューをもこもこ用の布で拭った。
噴水のある広場で優雅に昼食をとった彼ら。
大雑把な街の人間は、容姿端麗な彼らよりも愛らしいもこもこの食事風景に癒されていたようだ。
あちこちから『可愛すぎる……!』『今日の美少女はちっちゃい……』『小さくなっちゃったの……?』『もこもこ……もこもこ……』と囁く声が聞こえた。
子猫のような赤ちゃんクマちゃんがテーブルの上に乗り、ちょこちょこと短い足を動かし、ヨチヨチッ、ヨチヨチッ、と走り回っている。
リオは組んだ腕をテーブルにのせ、それを枕のように使い、至近距離でもこもこの走りを眺めていた。
「可愛い……」
新米ママリオちゃんが、ウチの子可愛すぎる――とため息を吐く。
「とても愛らしいね」
同じテーブルでもこもこを愛でていたウィルが真剣な表情で頷いている。
耳元の装飾品が、涼やかな音を立てた。
子猫のようなクマちゃんが食事に使うテーブルの上を走っているが、愛らしいもこもこを注意する者はいない。
「ああ」
愛しのもこもこのことなら何でも褒めてしまう悪い魔王が、魅惑的な低い声で相槌を打った。
木漏れ日を浴びる大きな広場に、噴水からの水音が広がる。
心地好い風が吹き、ザァ――と葉擦れの音が鳴った。
テーブルの上のもこもこが愛らしい掛け声に合わせ「クマちゃ……! クマちゃ……!」と懸命に走っている。
トテトテッ、トテトテッ、と聞こえる、可愛らしい小さな足音。
ガガガガガ――と響く謎の騒音。
「そこの氷の人煩いんだけど!」
子もこもこから視線を離せない新米ママリオちゃんが『ウチの子の可愛い足音が聞こえないでしょ!』と、一人で工事中のような音を出している氷の紳士に苦情を申し立てた。
もこもこが走りながら愛らしい声で「クマちゃ……、クマちゃ……」と彼らに質問をする。
『クマちゃ……、はやい……?』と。
クマちゃんの走りは速いですか? という意味のようだ。
「え、めっちゃお……速いかも。すげー可愛い」
リオは抑え込んだ。『お』から始まる禁断の三文字が口から飛び出すのを。
しかし速いと言い続けることが出来ず、途中で褒め方を変えた。
少しも速くないが、凄く可愛い。
「いつもよりはえーな」
無表情でもこもこを褒める魔王のような男。
それが真実かどうかは彼にしか分からない。
「うーん。お菓子の効果かもしれないね。とても素晴らしいよ」
ウィルは一言も『速い』と言わず、優し気な声でもこもこを褒めた。
愛らしいもこもこが「クマちゃ」と嬉しそうな声を出す。
リオはとんでもない詐欺師を見るような目で彼を見た。
クマちゃんは一生懸命走りながら考えていた。
やはり、高級なお菓子を食べると足が速くなるようだ。皆がクマちゃんの素晴らしい走りに感動している。
リオちゃんも『めっちゃお速い、すげい』と驚いていた。
食べるだけでクマちゃんみたいに足が速くなりますよ、という宣伝はこれで十分だろう。
クマちゃんはゆっくりと足を止め、運動後の柔軟体操をしてからお菓子を配ることにした。
彼らがテーブルの上でヨチヨチしていたもこもこを真剣な表情で見守っていると、子もこもこがヨチ、ヨチ――、と動きを止める。
もこもこはトテ、と微かに短い足を開き、右手の肉球をぐー、と上へ伸ばすと、上体を左側へぐー、と倒そうとした。
子猫が伸びをするように、小さなもこもこが体を伸ばしプルプルと震えている。
もこもこの丸い頭の横で、ぐーと伸ばされていたお手々の先が、ギュー、と丸まった。
「…………」
目の前でもこもこ体操のような何かを見てしまった新米金髪ママリオちゃんが、両手で口元を押さえた。
可愛すぎる。
愛らしさで人間の魂を奪おうとしているのだろうか。
子もこもこが「クマちゃ、クマちゃ……クマちゃ、クマちゃ……」と言いながら、もこもこもこもこと可愛らしい動きを左右交互に繰り返している。
可愛らしさが大爆発である。
工事の音が激しくなり『なに? この音?』『え、工事でしょ?』『広場で?』と街の人間の動揺の声が広がる。
「クマちゃ……」と少々お疲れのようすの子もこもこが、ヨチヨチもこもことした動きでテーブルに座った。
もこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ……」と遠慮がちに目の前にいるリオへ話しかけた。
『背中ちゃん、リオちゃ……』と。
クマちゃんの背中をリオちゃんが押してください、という意味らしい。
「え、俺が押すの? クマちゃんを? ……めっちゃ怖いんだけど」
大変な役目を任されてしまった新米金髪ママリオちゃん。
仲間達の鋭い視線が突き刺さる。
もこもこは「クマちゃ、クマちゃ……」と話を続けた。
クマちゃんの掛け声に合わせて押して欲しいというお願いに「えぇ……」と言いつつ頷くリオ。
「クマちゃ」
短い足を投げ出し座っている愛らしいもこもこは、猫のような両手を前に伸ばし合図をした。
さぁ、今です――と。
「えぇ……」
愛らしいもこもこの背中を押すことに抵抗のある新米ママが肯定的でない声を漏らす。
リオは難しい表情で、そっと、力を入れずにもこもこの背を撫でた。
愛らしい子もこもこが両手の震える肉球を精一杯前へ伸ばし「クマちゃ! クマちゃ!」と苦痛に耐え、凄く頑張っているもこもこのような声を出している。
「いや絶対苦しくないでしょ」
もこもこが苦痛を感じていないことなどリオが一番分かっている。もこもこへ片手を伸ばし、ふわふわの背中を撫でているが、少しも押していないからだ。
しかし彼が『クマちゃん、噓ついちゃ駄目!』という前に正面のクマちゃんが小さな両手をパッと広げ、ピンク色の肉球を見せつけてくるせいで、「可愛い……」という言葉が口から零れ、叱る気力を削がれてしまう。
工事中のような隣のテーブルの音を聞きながら、彼らはお昼の休憩時間を潰し、じっくりともこもこ体操を見守った。
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