第174話 叫び出したいほどに。高級ふわふわクマちゃんイチゴケーキパワー。

 学園の裏の森。愛のもこもこ桃源郷内。

 愛の畑にイチゴ宮殿の模型その二を置いた生徒会役員達は、愛の露天風呂につかり心と体を幸せにしたあと、愛のもこもこ広場の端に置かれたテーブル席で、宮殿建設に使えそうな魔法についての話し合いをしようとしていた。


 己の胸元が光ったことに気付いた副会長が、


「――俺ちょっと見回りしてきます」


キリッとした表情で、今する必要の無いことを言う。


「見回り? それは、大事なことかもしれないね。もしかしたら何か、私の可愛いクマちゃんの敵になるものがいるかもしれないし」


 同じようにキリッとした顔つきに変わった天然気味の生徒会長が「私も行くよ」と続けた。


「俺一人で十分なんで。会長は天使の泉と天使の畑だけ見張っててください」


 副会長は格好いいようなそうでもないようなことを言うと、彼らに背を向け、淡いピンク色の花樹が咲き乱れる森の中へ、器用に樹々をよけつつ駆けていった。


「…………」


 見るだけで心拍数が上がっていく危険すぎる映像の確認に行った副会長を追いかけたいような、彼が初心者向けと判断した映像だけを観たいような――。会計は眉間に皺を寄せ、共に美クマちゃんの泉で身を清めたばかりの丸太をテーブルに置き、複雑な気持ちで椅子の上に置いてある自分専用の肉球模様付きもこもこクッションを抱えた。



 彼らから離れた場所で魔道具を取り出し、宝物を確認してしまった副会長の野性的な瞳からツウ――と涙が零れる。

 

「くそ可愛すぎんだろ……! 天使なクマちゃんが天使のケーキ持って見上げてくるとかどういうことだよ……!」


 独り言が野性的で若干乱暴な副会長。

 猫のような可愛いお手々がお皿を持っているのを見るだけで、心臓がギュッと締め付けられる。

 最高の瞬間ばかり切り取られた映像を連続で表示させると、チェリーの頭巾姿の天使なクマちゃんが撮影者を視線で追いかけようとしているのがわかった。

 天使の愛を感じた彼は静かに頷いた。天使と撮影者は仲良しなのだろう。


「……やべぇな……」


 副会長は見てしまった。闇の深そうな金髪の守護者と愛らし過ぎる天使の『すべての幸せをここに集めました』といわんばかりの素晴らしい映像を。

 頬を寄せ合っている。心底羨ましい。羨ましすぎて吐血するかもしれない。

 天使が愛らしい表情でこちらを見つめている。つぶらな瞳がキラキラと輝き、真っ白な被毛が淡く光っているのが分かった。さすが天使。美しい。お鼻も湿っていて健康そうだ。

 愛の波動が強い。彼は「くっ」と呻いた。天使の愛が強すぎて、心臓に負担がかかっている。


 背景に幻想的な花畑が見える。天界には美麗な景色しか存在しないらしい。

 金髪の守護者は幸せそうな、優しい表情をしていた。副会長の首を狙っていた時とは真逆の表情だ。

 彼は息をのんだ。

 まさか、あの、首元の赤いリボンは――。


 本人にこの映像を見たと知られたら、確実にこの世から消される。

 だが、そうはならないはずだ。

 彼には分かる。

 金髪の守護者は――双子だ。

 優しいほうがお兄さんだろう。


「あ? もう一枚あんのか」


 指でもこもこの可愛い頭巾を撫でるように、そっと魔道具を操作する。


「…………」


 彼はあまりの羨ましさに、血の涙を流しそうになった。

 天使の湿った鼻が頬にくっついたらしい金髪の彼が、はじけるように笑っている。


 こちらを見ず、ほんの少し下を向いている守護者の彼は、『クマちゃんめっちゃ鼻濡れてる』と笑っているのでは――。

 血の涙が零れ落ちる寸前の副会長が妄想までしてしまうほど、楽しそうな明るい笑顔だった。 

 


 天才パティシエのふわふわクマちゃんイチゴケーキを食べ終えた彼らが、湖畔でお花見をしながら「クマちゃん眠い? 一緒にお昼寝する?」「クマちゃ……」と仲良くお話ししていた時だった。


「あれ……クマちゃん何かいつもより小さくね?」


 ぼーっとしていたリオは、それが事実であれば『ヤバい』ことを、ぼーっとしながらかすれた声で言った。

 腕の中のもこもこが可愛らしく彼を見上げようとする。

 ファサ、とチェリーちゃん頭巾がもこもこを覆い隠し、そのまま彼の膝に布が落ちた。


「え」


 頭巾だけを残し消えてしまったクマちゃんに、リオの心臓が凍り付いた。

 彼はお兄さんを呼ぼうと急いで口を開く。

 動揺している場合ではない。早く寂しがり屋で甘えっこなもこもこを探さねば。

 リオが『お』と言う直前、赤い頭巾がもこもこと動き、中から白くて愛らしい生き物が出てきた。

 真っ白で子猫のような大きさの、赤ちゃんクマちゃんを更に幼くしたような生き物が、キュ、と小さく鳴き、幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と言った。


『リオちゃ……』と。


 小さなもこもこが、リオちゃんは大きくなってしまったのですか? と言った――ような気がしたが、今のリオにはそれを考える余裕がなかった。


「クマちゃんやべーぐらいちっちゃくなってんじゃん!!!」


 金髪のうるさいかすれ声が、湖畔の花畑に響き渡る。


 ちっちゃくなってんじゃんー……――と。


 皿でも割れたか――。まどろむように瞳を閉じていたお兄さんが、長いまつ毛をゆっくりと持ち上げる。

 彼はどうした、と尋ねる前に見てしまった。

 リオの膝の上の、愛らし過ぎる生き物を。衝撃的なその姿に、彼は思わずもう一度瞳を閉じた。

 少し時間が必要だ。


「いやお兄さん寝てる場合じゃないって!! クマちゃんちっちゃいんだけど!」


 リオは助けを求めようと、不思議な力を使える彼に視線を向けたが、よろず屋お兄さんはまたもや閉店してしまった。

 だめだ。お兄さんは頼れない。

 とにかく小さなクマちゃんを安心させてあげなければ。


 今のところ騒いでいるのも安心していないのもリオだけだったが、冷静でない金髪はそれに気付けない。

 彼は膝の上の軽すぎるもこもこを、両手でそっと持ち上げる。


「クマちゃん……ちっちゃい……」


 リオは自分が先程から同じことしか言っていないことにも気付いていなかった。

 子猫のような大きさのクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と、彼に話しかける。


『ちゃい……』と。


 リオは己の心臓が『キューン』と言った気がした。

 愛らし過ぎて意識が飛びそうだ。

 こんなことではいけない。こういう時こそいつも通りに振る舞わねば。

 彼は両手に乗せた子もこもこのようすを観察し、毛並み、小さな鼻の湿り具合など、おかしなところがないか調べようとした。


「クマちゃん……ちっちゃい……」


 脳に口が付いている男は確かにいつも通りだった。

 手のひらから幼く愛らしい子もこもこの声が「クマちゃ……」と聞こえる。


『ちゃい……』と。


 仲良しな彼の言葉をなんでも繰り返す子もこもこ。

 リオは森から鳥が逃げ出すほど大声で『クマちゃんかわいー!!!』と叫びたくなったが、下唇をぐっと嚙んで我慢した。



 呼吸の荒いリオが愛らし過ぎる子もこもこをどうしたら元のもこもこに戻せるだろう、と悩んでいると、お兄さんが瞳を開き、


「――これを使え」


低音の頭に響く不思議な美声で、お告げのようなことを言った。

 

 良かった。

 元に戻せるのだろう。リオが安心しているところに現れた闇色の球体が、彼の前にどさどさ、とアイテムを落としてゆく。

 両手が子もこもこで塞がっているリオが視線だけでそれを確認しようとした時だった。

 手のひらの子クマちゃんがヨチヨチもこもことした動きで座り、幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と彼を呼ぶ。


『リオちゃ……』と。


 リオちゃんはクマちゃんを撫でてくれないのですか? と言っているようだ。

 いつもたくさん撫でてくれるリオが、少しも撫でてくれないことに気が付き、寂しくなってしまったのだろう。


 リオは『ギャー!!』と今まで一度も出したことがないような声で叫びたくなった。

 こんなに愛らしい子クマちゃんを不安にさせてしまった自分を、ぼこぼこに殴ってやりたい。

 今すぐ子もこもこを撫でるのだ。今すぐに。


「ごめんクマちゃん、ちょっとだけ待って。揺らさないようにするから」


 彼はそっと子もこもこを膝へ乗せ、優しい手つきで丸い頭や背中を撫でた。

 子もこもこが彼を見上げ、小さな肉球を伸ばし「クマちゃ……」と言う。


『リオちゃ、だっこ……』と。


 リオは本当に『ギャー!!!』と叫びそうになったが、なんとかこらえた。

 震える手で子もこもこを抱えながらクッションに倒れ、胸元に乗せてやる。

 滑り落ちてしまわないよう片手で支え、もう片方の手で優しく撫でると、子クマちゃんは安心したように「クマちゃ」と彼の名を呼んだ。


 涙目のリオは大声で叫びたい気持ちを何度もこらえ、決意した。

 子もこもこは俺の子として大切に育てよう、と。



 少しも冷静でない金髪は、もこもこが小さくなってしまった原因を考えることを忘れていた。

 


「クマちゃんが寂しがっているかもしれないね。それに、そろそろ昼食の時間なのではない?」


 南国の鳥のような美しい男は、透き通った声でさえずり、会議の時間を縮めた。


「……全員戻っていい。おい、お前ら。本当に勝手に奥まで行くなよ。いつでもあの家に戻れる距離で戦え」


 脳が筋肉で出来ていそうな前衛職の人間を睨みつけるマスターに、扉の前で立ち止まる冒険者達。


「え、マスター……。それってもしかして『行くなっつーのは行けってことだろ馬鹿が。どこにも戻れない場所まで行っちまえ! このクソ野郎!!』ってやつっすか?」


 剣士の一人がマスターの血圧を上げる。

 ルーク達は『血圧が高そうなマスターからの大切なお話』が始まる前に、スルリと会議室から出て行った。

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