第173話 仲良しで幸せな彼らのお花見。

 魔道具のボタンをふみふみしていた天才パティシエの動きが、ふみふみ、ふ――み――と止まった。

 天井で待機していた闇色の球体に、最後の菓子が吸い込まれる。


「いや絶対その魔道具構造に問題あるって」


 何故か疲れている金髪が、かすれた声で呟く。

 ボタンを押すだけで――ふみふみするだけでお菓子が作れるのは凄いが、完成品がすべて天井へ飛んで行くのは何故なのだろうか。

 正面のほうが受け取れるのでは、と考え、真っ白なもこもこの胴体にお菓子が『クマちゃ!!』する様が思い浮かんだ。

 ――絶対に飛ばす必要があるならば、お菓子は天井に向かって飛ぶのが正解なのだろう。


 彼の膝に座っている天才パティシエが、もこもこした動きで振り返り、幼く愛らしい声で「クマちゃん――」と言った。

 パティシエは猫のようなお手々を胸元で交差させ、深く頷いている。


 参りましょう――、という意味のようだ。


「え、どこに? つーかクマちゃんまた格好つけてるでしょ」


 リオは天才パティシエに胡散臭いもこもこを見るような視線を向けた。

 パティシエがペロ――と格好良く肉球をひとなめし「クマちゃん、クマちゃん――」と答える。


『リオちゃん、お花見ちゃん――』と。



 リオはお花が見たいというもこもこを抱え、芸術的な壁穴から外へ出た。

 水鏡を囲む真っ白な花畑は、今日も美しく輝いている。


「湖の近くがいい?」


 かすれた声で、リオが尋ねる。

 ひらひらと舞う光の蝶を肉球で追いかけていたもこもこは、ハッとしたように動きを止め、「クマちゃ」と頷いた。



 ぎりぎりまで湖へ近付き、お兄さんが闇色の球体から出してくれた敷物やクッションを並べる。

 巣に拘りのある巣作り職人が納得したように頷き、もこもこを抱えたまま敷物へ座った。

 ブーツは魔法で浄化済みだ。

 露出の多い服を着た妖美なお兄さんがふわふわの敷物へ足をのせると、スゥ――と履物が消えた。

 高貴な彼は裸足が好きらしい。

 ふわふわのクッションの山に背を預け、ゆったりと寛ぐお兄さんの側――ではない場所へ、ゴリラちゃんも腰を下ろした。


「えぇ……」


 自身の巣を勝手に使うゴリラちゃんへ肯定的ではない声を漏らす金髪。

 膝の上のもこもこが、お友達のゴリラちゃんへ猫のようなお手々を伸ばし、仲良く握手をしている。

 彼には分かった。ゴリラちゃんがリオの真横に置かれたのは、愛らしいもこもこのお友達を、もこもこの隣に座らせてあげよう、などという可愛らしい理由からではない。

 お兄さんはベッドだけでなくクッションも一人で使いたい派なのだ。

 高貴な生き物とはこういうものなのか。


 リオは悟ったような表情で頷き、


「――お花綺麗だねークマちゃん。お菓子食べる?」


愛らしいもこもこに声を掛けた。

 もこもこが「クマちゃん」と可愛い声を出す。


 とてもいい考えだと思います、という意味のようだ。


「お兄さんクマちゃんが作ったお菓子ちょーだい」


 リオは優雅に指先を伸ばし蝶と戯れているお兄さんへ、視線を向けお願いをした。

 便利な闇色の球体が皿やフォーク、もこもこ用の小さなマグカップなど、必要な物を次々と敷物へ並べてゆく。

 

 食器は薄くて軽そうな木製のものばかりだ。

 これなら赤ちゃんクマちゃんが『クマちゃ!』してしまっても割れないだろう。


 闇色の球体は最後に、丸くてふんわりとしたお菓子を皿の上に置いた。

 ふわふわの黄色がかったスポンジの上に、細いチョコレートで作ったようなクマちゃんの顔が描かれている。

 お耳は泡立てた生クリームだ。


「すっげぇ可愛いじゃん! クマちゃんマジで凄すぎでしょ」


 感動したリオはかすれた声で「すげー」と繰り返しもこもこを抱き上げると、頭巾の上に顎をのせた。

 このような繊細で愛らしいお菓子を見たのは初めてだ。

 リオは天才パティシエが作った素晴らしいお菓子が天井にぶつかってしまったら――、と一瞬嫌なことを思い出したが、すぐに頭に浮かんだ映像を消去した。


「食べるの勿体無いくらい可愛い……あ、クマちゃんこのお皿持ってそこ立ってみて」


 可愛すぎて食べにくい。ルークの作った飴も美しかったが、クマちゃんの顔が描かれたこれを食べてしまうのは――と悩んだリオはハッと閃いた。

 

 愛らしいもこもこが、愛らしいふわふわのお菓子がのったお皿を、猫のような両手で持ち、彼を見上げている。

 キラキラと輝くつぶらな瞳は『クマちゃんのおかし、かわい?』と尋ねているようにも見えた。


(可愛すぎる……)


 心臓が跳ねるほど可愛い。

 天才撮影技師はスッと菱形の魔道具を構え、美しい花畑を背景に――チェリーのような茎と葉っぱ付きの――赤い頭巾姿のもこもこの最高に愛らしい瞬間を激写してゆく。

 彼は素早く映像を確認すると「完璧でしょ」と小さく呟き、いつものようにそれを仕舞おうとした。

 幼く愛らしい声が「クマちゃ……」と遠慮がちに彼を引き留める。


『リオちゃも……』と。



 クマちゃんは仲良しのリオちゃんと一緒に作ったお菓子を、彼と一緒に映像に残したいようだ。

 

「……ヤバい。クマちゃん可愛すぎる……」


 ちょっとだけ瞳が潤んでしまったリオは、顔を空へ向け、かすれた声で独り言をいった。


 彼にお皿を渡したもこもこが、鞄をごそごそと漁っている。


「何探してんの?」


 リオは不思議そうにもこもこの手元へ視線を向けた。

 彼を見上げたもこもこが鞄から取り出したのは、赤いリボンだ。

 クマちゃんがとても大事にしている、一番最初にルークに買ってもらった宝物。

 もこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」という。


『リオちゃん、クマちゃん、おそろい』と。


  

 赤ちゃんクマちゃんは仲良しのリオちゃんに宝物を貸してくれるらしい。

 赤い頭巾のクマちゃんとお揃いの、赤いリボンを。


「……やばい、クマちゃんが俺を泣かせようとしてくる……」


 リオは涙声で呟き、再び空を見た。


 風に揺れるリボンを持ったもこもこが、彼に抱っこをねだるように、両手の肉球を差し出す。

 リオは皿をそっと置き、クマちゃんを抱き上げると「どしたの? 寂しくなった?」と普段の彼からは想像もできないような、優しい声音で言った。


 腕の中のもこもこが彼の首元へ、短くて可愛いお手々を伸ばそうと頑張っている。

 彼はハッ、と気が付いた。

 心優しいクマちゃんは、いつも自分がルークにしてもらっているように、リオの首にもリボンを結ぼうとしているのだろう。


「……何か今日めっちゃ涙腺緩むんだけど……」


 健気な赤ちゃんクマちゃんに泣かされそうなリオはぐっと目を細め、いつものように遠くで騒いでいる冒険者達を見た。

 全速力で湖へ近付き、ぎりぎりで止まる遊びを楽しんでいた冒険者達が、全速力で全員湖に落ちていった。

 彼の目がスッと乾く。


「ありがとクマちゃん。俺自分で結べるから」


 もこもこからリボンを受け取ったリオは、もこもこの宝物が皺にならないよう、自身の首元でゆるくそれを結んだ。

 赤い頭巾姿の可愛いクマちゃんが、膝の上で嬉しそうに、「クマちゃ」と両手の肉球を打ち合わせている。


 彼の瞳はまた少し潤んだが、目を乾かすだけなら簡単だ。

 意外と優しい魔法使い達が、湖に落ちた冒険者達に杖を差し出し、つかまれ、と言っている。

 優しいが力の弱い魔法使い達は、救助の途中で力尽き、全員湖へ落ちていった。


「んじゃクマちゃんお皿持ってくれる?」


 天才撮影技師は撮影をお兄さんに任せようかと一瞬悩み、すぐに諦めた。

 愛らしいもこもこが最大限に大きく写され、リオが見切れるような気がする。

 自分はそれで構わないが、もこもこが悲しむだろう。


「じゃあ撮るよー」


 片膝を立てたリオは片腕でもこもこを抱き上げ、片手に魔道具を持つ。

 彼らは仲良く頬を寄せ合い、可愛いお菓子がのったお皿に、一人と一匹の手を添える。


 美しい景色の中、仲良しな彼らの宝物のような映像は、天才撮影技師の手で大切に保存された。


 幸せそうで可愛らしい一人と一匹を見守っていたお兄さんが、無表情のまま、静かに頷いていた。



「崩すのすげー勿体無いけど……めっちゃ美味そう」

  

 片手で皿を持ったリオが葛藤し、目を細めている。

 膝の上のクマちゃんがもこもこと動き、敷物へ肉球を伸ばそうと頑張っているが、お手々が短くて届かないようだ。

 甘えっこで寂しがり屋のもこもこには、膝を降りてから手を伸ばす、という選択肢はないらしい。 


「どしたのクマちゃん。……もしかしてこれ?」


 リオが木製のスプーンを手に取り、クマちゃんに尋ねる。

 もこもこが元の位置にもこもこもこもこと戻り「クマちゃ」と満足そうに頷いた。

 クマちゃんが欲しかったのはそれです、という意味のようだ。


「はいクマちゃん」


 クマちゃんのように可愛いお菓子を崩す勇気のないリオが、もこもこの愛らしい肉球にスプーンを渡した。

 もこもこへ皿を近付け「クマちゃん食べちゃう?」と微妙に嫌な尋ね方をする。

 ルークの作った美しい飴細工は壊せなくても、自身の作ったものなら『クマちゃ』できるらしいもこもこが、丸くて可愛いクマちゃん型のお菓子にスプーンを「クマちゃ」と刺した。


「あ……」


 かすれ気味の小さな声が、風のなかに消える。

 そのまま食べるのだろうと思っていた彼の視線の先で、もこもこがふわふわのお菓子を掬い、肉球をふらふらさせながら、美味しそうなそれがのったスプーンをリオへ近付けようと、一生懸命頑張っていた。

 赤ちゃんクマちゃんは自身が作った最高のお菓子を、仲良しのリオちゃんに最初に食べてもらいたいらしい。


「…………」


 健気すぎるもこもこに、リオは再び瞳を潤ませ、下唇を嚙んだ。

 ここで泣くわけにはいかない。

 しかし、無駄にうるさい冒険者達を見る気にもならなかった。

  

 彼は皿を置き、真剣な表情でスプーンをふらふらさせているクマちゃんを、丁寧に抱き上げた。

 もこもこが猫のようなお手々を彼の口元へ近付け、嬉しそうな彼が「ありがとークマちゃん。食べていい?」と明るい声で尋ねる。

 幼く愛らしい声が「クマちゃ」と彼に答えた。


『リオちゃ、どうぞ』と。


 長いまつ毛を伏せた彼は、そっとスプーンにのったお菓子を口に入れた。

 優しいふわふわのスポンジ、プリンのように甘い、とろりとした卵風味のクリーム、泡立てた生クリームと薄く切られたイチゴの味が舌の上に広がった。

 とろけるようなそれは、最後にほんの少しだけ、チョコレートの味がした。


「やばい。うますぎ。これはやばい」


 語彙の少ない金髪男のかすれ声が、美しい花畑に響く。

 こんなに上品で優しい味のお菓子は食べたことが無い。

 彼の知っているものとは全く見た目が違う。食べるまで気付かなかったが、これはイチゴのケーキだ。

 森の街で一番有名なケーキ屋でも、こんなに美味しいケーキは作れないに違いない。

 元々凄いとは思っていたが、赤ちゃんクマちゃんは本当に天才なのだろう。


「クマちゃんこれすげー美味い。貰ったら絶対みんな喜ぶと思う。お兄さんも早く食べたほうがいい」


 リオは妙に真剣な表情でもこもこに感想を伝え、お兄さんに『早く!! 今すぐ!!』という視線を向けた。

 肉球でスプーンを握ったもこもこが「クマちゃ」と嬉しそうにしている。

 食べ物に拘りを持たない人間だったとしても、クマちゃんが作ったこのケーキを食べたら絶対に感動する。間違いない。


 赤い頭巾に頬擦りしたリオは、もこもこを優しく膝へ降ろした。


「ほら、すげー美味いからクマちゃんも一緒に食べよ」


 彼は新しいスプーンを手に取ると、もこもこが食べやすい量を掬い、もこもこの可愛らしいお口へそれを運ぶ。

「クマちゃ」と可愛くお返事したクマちゃんが、ふんふん、ふんふん、と鼻にクリームが付きそうなほど近くで香りを確かめ、ふわふわイチゴケーキを口に入れた。

 じっくりと味わっているらしいクマちゃんの口元がもこもこもこもこと動いている。


(マジで可愛い)


 真剣な表情で頷くリオの視界の隅で、赤ちゃんクマちゃんが作った可愛らしいケーキを食べたお兄さんが、ゆったりと頷いている。


「クマちゃん美味しい?」


 リオが優しい声でもこもこに尋ね、もこもこが可愛い声で「クマちゃん」と言った。


『いっしょ、おいしい』と。


 仲良く一緒に食べると、とても美味しいです、という意味のようだ。


 もこもこはリオを泣かせたいのだろうか。良く晴れている。天気は変わっていない。

 チャチャッ、と薄くて小さい舌の鳴る、可愛い音が聞こえる。


 仲良しな彼らは互いにケーキを食べさせ合い「めっちゃ美味いねークマちゃん」「クマちゃ」と幸せな時間を過ごした。

 もこもこの可愛いお返事『リオちゃ、めちゃ、ねー』を聞いたリオは、


「めっちゃ可愛い。ねークマちゃん」


と楽しそうに笑った。

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