第161話 クマちゃんに甘い彼ら。「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」
胸の内から湧き上がるクマちゃんへの深い愛で、声も出ず、前が見えないほど泣いていた生徒会長は、もこもこからのもう一つの贈り物を「これもクマちゃんから会長クンに」「クマちゃ」と見せられ、崩れ落ちた。
クマちゃんのように真っ白でふわふわのクッションには、素敵すぎる肉球の模様が付いていた。
変態と呼ばれるほどクマちゃんを愛している彼には、その模様が本物の肉球のあとだと分かる。
手紙と貝殻、更にはクッションにまで押されたもこもこの肉球の模様。
愛らしいもこもこの愛に興奮しすぎた彼は、立っていられなくなったのだ。
夜の闇の中、薄桃色に輝く幻想的な広場に、三人の学園生が倒れている。
それぞれが、
「私の……可愛い……クマちゃん……いとし過ぎて……涙が……止まらない……」
「愛のもこもこ天使は贈り物までもこもこしてんな……さすがだぜ……」
「美クマちゃんの、美肉球……」
と呟きながら。
「……マジでこの学園変な奴しかいないんだけど」
いつも陽気で優しいお兄さんなリオが、嫌そうな顔で学園生達を見ている。
「……いつもこうなのか? 体調でも悪いんじゃねぇか?」
後方から、もこもこと生徒会長の心温まるやり取りを静かに見守っていたマスターは、様子のおかしい彼らを心配していた。
難しそうな表情で彼らを眺めたあと、自身の目元を覆うように片手で隠し、こめかみに指を当てている。
クマちゃんの癒しの力で満たされている愛のもこもこ広場。
温泉の湯気や、雫のように零れ落ちる癒しの光を浴びている彼らの具合が悪いわけがない。
もこもこの同級生というには、もう青年と言っていいほど育っているが、彼らはあれで大丈夫なのだろうか。
「クマちゃんはもうおねむのようだね。彼らは自分達で帰れるだろうから、僕たちも戻った方がいいのではない?」
南国の鳥のような男は学園生達が転がっていても気にならないようだ。
彼らに異常がないことを魔力から分析したのだろう。
「ああ」
低く色気のある声が、愛の森に静かに落ちた。
彼は腕の中のクマちゃんしか見ていない。
気配を消していた氷の紳士が姿を現し、花びらのタイルに転がっている生徒会長のもとへ、音を立てず、暗殺者のようにふらりと近付く。
紳士は片手に持っていたクマちゃんからの贈り物を、そっと、彼の顔の上にのせた。
「えぇ……」
肯定的ではない、誰かのかすれ声が響いたが、顔にクッションをのせられた生徒会長は、
「ふわふわ……石鹼……そして……微かなイチゴの……これが、クマちゃんの……肉球の香り……」
その恰好のまま変態的なことを呟いている。
問題しかないが、取り返すわけにもいかない。
リオはウィルとマスターから受け取ったクッションを、生徒会長の周りに素早く置いた。
あまり近付きたくない。
ずっと姿を隠していたお兄さんの闇色の球体の力を借り、彼らは水のもこもこ宮殿へ戻った。
◇
「みんなここで寝るっぽいし、俺らもここで寝る?」
リオは先程のことなど無かったかのように、もこもこに声を掛けた。
警戒心の強い男は自身の縄張りの中だと陽気なお兄さんに戻るようだ。
ルークの腕の中のクマちゃんが眠そうな声で「クマちゃ……」と頷く。
猫のような可愛いお手々が、宮殿の奥の方へ向いている。
『お顔ちゃん……』と。
お顔を洗う場所はあちらです、という意味だ。
「洗面所まであんの? すげー」
リオはもこもこ宮殿の設備に驚いた。
美しいだけでなく、宿泊施設のような使い方も出来るらしい。
いつもルークに寝る支度を整えてもらっているクマちゃんは、どこに泊まる時でも、温かい布でふわふわとお顔を拭いてもらえると思っているようだ。
リオは天井の美しい水槽、光の魚を視線だけで追いながら、足りない物はないかと考える。
嚙む浄化アイテムの子供用は、自室の洗面所から取って来た方がいいだろうか。彼らが携帯しているものは大人用ばかりだ。
しかし今使うものと明日の朝の分くらいなら、ルークが持っている気もする。
「あー、なら備品を持ってきてやる」
仕事へ戻ろうとしていたマスターは、クマちゃんとリオの会話を聞き、行先を変えることにした。
ギルド職員も泊まりたがるのだから、彼らがルークに備品代を請求することもないだろう。
(払うとしたら、この宮殿に泊まる側だな)
彼は思ったが、白いのは金を受け取らないに違いない。
マスターは広間のあちこちで酒を飲んでいるギルド職員達を一瞥し、
(白いのの小遣いをルークに渡しておくか……)
もこもこに渡す小遣いの額はいくらがいいかと考えつつ、一度酒場に戻るため、別荘の入り口へ歩き出した。
片手をズボンのポケットに突っ込み怠そうに戻って来たマスターが持っていたのは、他の冒険者やギルド職員が使う分の備品まで入った、大きな紙袋だった。
マスターは感動した彼らに「マスター……好きです!」「優しい……」「マスター格好良く酒作って下さい!」と纏わりつかれたが、
「あー、そうか……また今度な」
てきとうに返事をし、聞き流す。
仕事に戻る前に愛らしいクマちゃんを抱っこした彼は、
「ゆっくり休め。また明日な」
あやすように声を掛け、ふわり、ふわりと優しく撫で、もこもこから「クマちゃ……」と言われるがまま、
「そうか、もっとか……」
満足するまで何度も、耳の裏や頬を指でくすぐり、
「……じゃあ、もう行くからな」
名残惜しそうな苦笑を向け、踵を返した。
彼の背を追うように「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」と、愛らし過ぎる子猫のような声が響いている。
マスターは、一瞬、止まりかけたようにも見えたが、妙に早足で別荘へ進み、姿を消した。
宮殿の奥の方から、リオとウィルが戻ってくる。
「何かいま『すまない……』って辛そうな声聞こえなかった?」
寝支度を整えてきたリオが、視線だけ別荘の方へ向けながら、かすれた声で尋ねる。
「クマちゃんは何故ないているの?」
ウィルはルークの腕の中でミィミィと鳴く子猫のように「クマちゃ~ん」と鳴くクマちゃんへ手を伸ばした。
寝る時は装飾品の数を減らすらしい。シャラ、という綺麗な音がいつもよりも小さく響く。
彼はもこもこをそっと抱き上げ、
「愛らしいクマちゃんはマスターが居なくなって寂しいようだね。僕がたくさん撫でてあげるから、それで我慢してくれる?」
いつも甘やかされているもこもこを更に甘やかす。
「いや絶対甘やかしすぎだから」
リオはもこもこが鳴いていた理由を聞き、色々な事を察した。
マスターは絶対にもこもこを撫でまくってから仕事へ戻ったはずだ。
「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」
もこもこの「クマちゃ~ん」が水の宮殿に響く。『まちゅた、まちゅた』と言っているようだ。
腹が立つほど愛らしい。
寂しそうな甘えた声だが、もっと撫でられたいだけだろう。
名探偵リオには分かる。
その声が響くのが、ウィルの撫でる手が止まった時だからだ。
もこもこを心配するクライヴの目つきが凶悪になっている。
リオはかすれた声で「こわっ」と小さく呟いたが、やはり見なかったことにした。
「行くぞ」
魅惑的な低い声がもこもこを呼ぶ。
ウィルの手におでこを擦り付け甘えていたクマちゃんは、大好きな彼に抱き上げられキュ、と湿った鼻を鳴らした。
ルークに撫でられながら、宮殿の奥、高級感のある洗面所へ向かう。
たくさん並んだ洗面台は建物と同じ、ガラスと真っ白な素材で出来ている。
マスターが運んでくれた備品は、冒険者達が台に置いてくれたようだ。
彼らは「すげー。綺麗すぎる……」「やばい……なんだこの高級感は……」「この鏡に映ると格好良く見えるような……」「無い」「それはない」「目を覚ませ!」「現実から目をそらすな!」と騒いでいた。
いつものようにルークに寝支度を整えてもらったクマちゃんが彼と一緒に戻ってくると、酒瓶は片付けられ、ふわふわのクッションと敷物だけになっていた。
「クマちゃんおかえりー」
肉球模様のクッションで寛ぐリオは、機嫌が良さそうだ。
仰向けに寝転がり、腹の上にも真っ白なそれを抱えている。
ルークが雑に寝床を整えているのを見たリオが「えぇ……」と肯定的ではない声を出す。
それを聞いたクマちゃんが幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言った。
「なにクマちゃん。どしたの」
仰向けで、腹の上にクッションをのせたまま、リオがもこもこに尋ねる。
頷いたクマちゃんが猫のようなお手々をスッと構え、肉球をテチテチ、テチテチ、と打ち鳴らす。
広間にあるすべてのクッションが、モフン!! と巨大化した。
あちこちからギャー、うわー、という悲鳴が聞こえる。
衝撃で吹き飛んだ者がいたのかもしれない。
「あぶねー!!!」
巨大化クッションに挟まれる寸前で脱出したリオの瞳孔が開いている。
ウィルとクライヴとお兄さんは何かを察知し、彼より早く安全地帯へ移動していたようだ。
広間の端、真っ白で美しい美術品のような柱のほうから、何事もなかったように戻って来た。
結界の中にいたルークは、愛らしいもこもこに「すげぇな」と言ってから、めちゃくちゃになった寝床を再び雑に整える。
巨大クッションの下からゴリラちゃんが出てきたが、すぐに闇色の球体に回収されていった。
瞳孔の開いた男が愛らしいもこもこに視線を合わせたまま、自身の巣をつくり直している。
おねむなクマちゃんのお口が、愛らしく斜めに開いた。
仲良しな彼らは新しく出来たクマちゃんの宮殿で、光の魚に見守られながら眠りにつく。
ランプの消された広間には、サァー――、チャプチャプ――、という静かな噴水の音、愛らしいもこもこの「クマちゃん」という寝言、「いまリオちゃんレベル三って聞こえたんだけど!」「うるせぇな」「リオ、うるさいよ」「静かにしろ」という仲良しな彼らの声が響いていた。
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