第162話 寝られない彼らと、素晴らしくもこもこで幸せな朝。「もー……」「クマちゃ」

 古城のような学園の裏手。白いもこもこの魔法により誰でも入れるようになってしまった結界内。

 愛と癒しの力に包まれた、薄桃色に輝く森の中。ひっそりと隠れるようにつくられた、美しく幻想的な露天風呂。 


 クマちゃんからの愛に胸を締め付けられ、もこもこへの愛おしさとあまりの愛くるしさに体から力が抜け、花びらのタイルの上に転がっていた彼らだったが、もこもこ達が去った数分後にハッと覚醒した。


 愛するものの気配が無くなってしまったことに気付いた生徒会長は、顔の上のクッションをずらした。


「私の可愛いクマちゃん……次はいつ、君に会える……?」


 夜空を見上げ、別れたばかりのもこもこへ思いを馳せる。

 彼の言葉に返事をするように、花びらと光の雫がひらひら、きらり、と降って来た。

 

「会長ー、クマちゃんの手紙、何て書いてあるんですか?」


 副会長はおもむろに立ち上がると、二つのクッションに挟まれ、もう一つを体にのせた生徒会長に近付き、尋ねる。


「俺も気になります」


 倒れても丸太を手放さなかった会計が、それを撫でながら話を聞きに来た。


「そうだね。早く読んでみよう……もしかしたらまた、聖クマちゃんとして私達に伝えたいことがあるのかもしれない」


 上体を起こした生徒会長は大切な貝殻を胸元に仕舞いつつ、真面目な表情で頷いた。


「そのクッション一個貸してください」


 会計は生徒会長の横に置かれた肉球模様のクッションを指さした。

 三つ、ということは。

 当然、生徒会長、副会長、会計で分け合い、仲良く使ってくださいということだろう。


「そっすね。三つもあるんで」


 副会長は『同じものが複数存在する』ということを強調した。

 もこもこの肉球模様がすべて同じという意味ではない。

 クマちゃんの愛らしい肉球の模様は、それぞれ少しずつ風合いが異なる。

 そんなことは彼にも解っているが、ここでそれを言うと、天使の肉球クッションを貰うことが出来なくなってしまうのだ。


「そんな……! ――でも、そうだね。私には世界で一つだけの、私の可愛いクマちゃんが一生懸命、私のためだけに描いてくれた、世界一素敵な似顔絵があるから……」


 美形だが鬱陶しい生徒会長が無自覚に、鬱陶しい自慢を始める。


「…………」


 副会長は鬱陶しい男が自慢するそれが羨まし過ぎて『あーそっすね』の一言が言えなかった。

 妬ましさで歯が欠けるかもしれない。

 野性的な目つきの彼は、大人になるため深呼吸をし、そっとクッションへ手を伸ばした。


「…………」


 会計は心の中から溢れ出る、闇に近い何かを抑え込むのが精一杯だった。

 彼は頷きもせず、片手でクッションを持ち上げた。



 キラキラとした光の雫と、温泉の上を漂う湯気に心の闇を浄化された彼らは、癒しのアイテム、天使なクマちゃんの肉球模様のクッションを抱え、生徒会長の斜め前に座った。

 会計の横には大事な丸太が立てられている。

 彼の魂の欠片であるそれが無ければ、鬱陶しい人間と美しくない喧嘩を始めることになったかもしれない。


「私の可愛いクマちゃんの肉球文字……。凄く可愛い。…………どうやって読めばいいんだろう」


 生徒会長は便箋の上の肉球模様を、人差し指と中指でス、となぞった。


 露天風呂のある広場に、子猫の鳴き声のような、「クマちゃ」という声が響く。


 愛らしい声は『ク』と言っているように聞こえた。


「……私の可愛いクマちゃんの声だ」


 彼は感動したように声を震わせた。


「……最高の手紙っすね。クソ可愛すぎて心臓止まるんじゃないかと思いました」


 口調が若干乱れている副会長が真剣な表情で頷く。


「……凄いですね。脳が痺れます」


 冷静ではない会計が静かに呟く。


「じゃあ、あとはこの最高に愛らしい、私の可愛いクマちゃんの言葉を繋ぎ合わせれば……」


 彼らは顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。


 暗号の解読は進む。

 自分も肉球の模様をなぞりたい、という美しくない争いを挟みながら。



 柔らかな寝床の上ですやすやと眠っていたクマちゃんは、自身を包み込むように撫でる、大好きなひとの大きな手の感触に、ふわりと意識を浮上させた。

 ふわふわでとても気持ちがいい。もう少し目を瞑っていたい。

 夢を見たような気がする。真っ白な場所で『――レベルが――』と誰かに言われた、かもしれないが、少しも思い出せない。

 うむ。思い出せないということは、あまり重要ではないのだろう。


 ふわ、ふわ、と被毛を撫でてくれる彼の瞳を見たくなったクマちゃんは、ぱち、と丸いお目目を開けた。

 うむ。黒いシャツしか見えない。少し視線を上げると、彼の手がクマちゃんのおでこを優しく擽った。

 大変だ。

 目が閉じて口が開いてしまう。クマちゃんは彼の瞳が見たいのに。このままだともう一度夢を見ることになるのではないだろうか。

 急いで彼の手を掴まえ、おはようの挨拶をする。

 クマちゃんは起きます、と。

 小さな鼻をピト、と彼の手にくっつけたが、スルッと逃げていってしまった。


『行かないでください』とお願いする前に戻って来た長い指は、小さな黒い鼻にトン、と優しくふれ、『おはよう』の挨拶を返してくれる。

 クマちゃんは切れ長で美しい、水の中の若葉のような瞳を見つめ、もう一度彼の指にお鼻をくっつけると、『ルークだいすき』という一番大事なことを伝えた。


 大好きな彼に『わかってる』と返してもらって幸せなクマちゃんが小さな黒い湿った鼻をキュ、と鳴らし、辺りを見回すと、目元に布を掛けふわふわの寝床で休んでいる金髪が見えた。

 リオちゃんはまたお寝坊さんのようだ。うむ。ここはクマちゃんが優しく起こしてあげるのがいいだろう。

 ルークはクマちゃんの視線の先に気が付いたのか、一緒に起き上がり、膝にのせ、数度撫でてから、すぐ側のふわふわ巨大クッションにのせてくれた。

 うむ。素晴らしい。さすがルークである。


 クマちゃんは、リオちゃんそろそろ起きる時間ですよ、と優しく声をかけてあげることにした。

 まずはあの目元の布を、そっと外してあげるのがいいだろう。



 リオはもこもこの癒しの力に包まれ、ぐっすり、幸せに休んでいた。

 ふわ、と彼の鼻先で、高級石鹼とイチゴの香りの風が吹いたが、眠りを妨げる要因にはならない。

 夢と現実の狭間で、川のせせらぎと、陽が翳るのを感じた。雲が空を横切ったらしい。


 ――そろそろ起きなくては。


 夢の中でそう思うのと、何者かが先の丸い硬い物で、彼の頬をカリカリカリカリカリ! とするのはほぼ同時だった。


「なになになになになに!! めっちゃカリカリされたんだけど!」


 己の頬を押さえ、金髪の男が跳ね起きる。体に悪そうな起き方だ。

 顔の上からひらり、と布が落ちた。

 何だ。今の感触は。細くて固くて、そう――先の丸い、獣の爪のような。

 リオは目を限界まで細め、周囲の気配を探った。

 ――居る。奴が。

 彼が自身の右肩越しに視線を落とすと、先程まで彼の頭があった辺りに、真っ白でもこもこした生き物が丸まっているのが見えた。


「クマちゃん! 変な起こし方すんのやめて欲しいんだけど!」


 リオは少しだけ厳しい目つきで『クマちゃん、駄目!』ともこもこを叱る。

 彼の『クマちゃん――起こし――て欲しいんだけど!』を聞いたもこもこが丸まったまま頷き、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言う。


『リオちゃん、おきた?』と。


「あれで目あけない冒険者は寝てるんじゃなくて八割死んでると思うんだけど。つーかクマちゃん俺の話聞いてないでしょ」


 彼は『わたくしはしっかりとあなたの話を聞いておりますよ。そんなことより――』と全く人の話を聞いていない猫ちゃんのようなクマちゃんに『なんて人の話を聞かないもこもこだ』という目を向け、もふ、ともこもこした体を掴む。

 いつものように愛らしいもこもこを腕に抱えたリオは、彼をつぶらな瞳で見上げ「クマちゃ」と両手の肉球を伸ばしてくるもこもこに顔を寄せると、


「もー……、クマちゃんおはよ」


すべてを諦め、丸くて可愛いもこもこの頭にもふ、と『おはよう』のキスを落とした。

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