第156話「見れば分かる」「クマちゃ……」なそれと、見てしまった学園の彼ら。

「三階? 廊下に落ちていたということ?」


 ウィルが不思議そうに聞き返す。


「……いや、部屋の中にあったらしいが」


『落とし物』と聞けば、普通はそう思うだろうとマスターは思ったが、


「見れば分かる」


視線をチラ、と横へ向けた。

 自分で取れ、ということだ。彼の手は最愛のクマちゃんと哺乳瓶で塞がっている。

 もこもこが作ったもこふわクッションに背を預け、まったりと酒を飲み、ジュースをチュウチュウしている可愛いクマちゃんを眺めている彼らは当然立ち上がらない。

 一部の金髪はまだクマちゃんと哺乳瓶に獲物を狙うような目を向けている。


 花束がフワ――と浮かび、魔王のような男がそれをガサ、と片手で掴んだ。

 ルークの便利な風魔法だ。


「…………」


 花束の内側、花の部分を見たルークは何も言わず、薄いピンク色の包装へ手を伸ばす。

 彼の長い指が掴んだのは――そこに押し込むには妙に厚い――封筒だった。


「封筒厚すぎじゃね? それクマちゃん宛? ……あれ、何か引っかかる……」


 哺乳瓶をチュウチュウする可愛いクマちゃんを狙っていたもこもこハンターリオは、視界の隅に入ってきた封筒の分厚さに思わず口を挟み、自身の放った言葉に記憶を刺激された。

 今日の昼過ぎ。学園でクマちゃん宛の手紙と花束を盗んだ奴がいるという話を聞いたばかりだ。

 クマちゃん宛の手紙と花束。

 それだけだと、今日の祭りで大活躍した、美少女――美赤ちゃんクマちゃんへの贈り物だろうと思える。

 しかしそれが〝クマちゃん宛の分厚い手紙と花束と落とし物〟となると、何となく、あの変態生徒会長が思い浮かぶのだ。


 誰もその存在を知らない、動く絵本の舞台でもある巨大な魔法学園。

 ――お兄さんは実在すると言っていたが、マスターやルーク達が知らないのだから、他の冒険者に聞いても答えは返って来ないだろう。

 あの場所で盗まれた物が、森の街の――そのうえ自分達の暮らす酒場で見つかるなんてことがあるのだろうか。

 マスターは花束を『落とし物』だと言っていた。

 そして名前の書かれていない落とし物は『見れば分かる』ほどクマちゃん宛らしい。


「マスターさっき見れば分かるって言った? 手紙の差出人ってこと?」

 

 他に思いつくことが無く、リオはそのまま尋ねた。

 彼らから話を聞いているマスターは、クマちゃんの文通相手が生徒会長であることを知っている。封筒に『生徒会長』と書いてあったのかもしれない。


「いや、それじゃない。外側じゃなく、花を見てみろ」


 マスターはクマちゃんを可愛がるのに忙しいらしく、返事も少々なおざりだ。

 彼がもこもこから視線を外すと聞こえるキュオ……、というもこもこの寂しげな、愛らしい声のせいだろう。

 リオが『リーダーそれ見せて』と言う前に、彼が魔法でフワリと花束を渡してきた。

 いつもの彼であれば雑に放り投げてくるはずだが、クマちゃんの花束だから扱いが丁寧なのだろう。

 ガサ、と一応両手でそれを受け取ったリオがそれを覗き込む。


「――めっちゃクマちゃんじゃん! すげぇ。俺こういうの初めて見た」


 彼は驚き、すぐに納得した。これは絶対にクマちゃんのためのものだ。

 真っ白なバラとピンクのバラ、ツヤツヤで丸い、黒い何かを使って作られた花束は、上から見るとクマちゃんの顔になっていた。

 なかなかの完成度だ。クマちゃんへの熱い、熱くてしつこい想いを感じる。

 しかし、もこもこへの執着を感じる花束を見ていると、やはりあの変態生徒会長が思い浮かぶ。


「見てこれ。めっちゃクマちゃん」


 取り合えず、皆にも見えるよう、花を彼らに向けてみる。

 雑な彼にしては珍しく、角度にも気を使った。


「おや、とても可愛らしい花束だね。ちゃんとクマちゃんに見えるよ。……なんだか学園の彼が無くしたもののように感じてしまうのだけれど」


 南国の鳥のような男はクマちゃんそっくりな花束に笑みを零し、途中で真面目な顔になった。

 つぶらな瞳と小さなお鼻、耳の形にも妙なこだわりを感じる。

 クマっぽい花束ではなく、クマちゃんそっくりな花束だ。

 廊下の端に見えた生徒会長がひどく落ち込んでいたのは、作るのが大変そうな、力作のもこもこ花束を無くしたのが原因ではないだろうか。


「なるほど――それは、確かに白いのの愛らしい顔だ……」


 氷の紳士は冷たい美声で静かに呟く。

 彼は審査員のような厳しい目つきで花束を見ていた。どうやらこのもこもこ花束は合格のようだ。


 いつもは瞳を閉じているお兄さんも、ふっと瞼を上げ、それを確認し、ゆったりと頷いた。

 意外と評価が厳しそうな彼からも無事、合格をいただけたらしい。


 ジュースをチュウチュウしていたクマちゃんは哺乳瓶から口を離し、マスターに「もういいのか?」と優しく聞かれながら、口元をふわふわの布の拭いてもらっている。


「はいクマちゃん。クマちゃんの花束」


 リオがもこもこの方へそれを向ける。

 マスターはクマちゃんを抱え直し、リオの手元が良く見えるようにしてやった。


 もこもこが猫のような両手をサッと口元に当て、衝撃を受けたように、ふるふるもこもこと震えている。

 クマちゃんは幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と呟いた。


『クマちゃ……』と。


 それは、クマちゃんですか? という意味だ。


「そー、クマちゃん。めっちゃそっくりじゃね?」


 リオがいつもより優しく笑い、花束を持ったままクマちゃんの方へ手を伸ばした。

 マスターが彼の腕にもこもこを抱えさせる。


 

 目の前にある花束が自分の顔に似ていることに驚いたクマちゃんは、じっとそれを観察し、考えていた。

 クマちゃんに似ている――。

 似ているが、これはお花で出来ているらしい。

 とても不思議である。

 大きさもクマちゃんと一緒なのだろうか。



 リオが花束を不思議そうに見ているもこもこを楽し気に見守っていると、クマちゃんは自分の顔にそっくりの花束に、そっと顔を近付け――その中にぐぐぐと埋まった。

 肉球がもどかしそうに空気を引っかいている。


「無理無理無理入れないって!」


 もこもこが何を考えているのか知らないリオは『クマちゃん、駄目!』をしてから、クマちゃんから花束を逃がした。

 狭い場所に『おや、ここは私の場所ですか?』と無理やり入ろうとする猫にそっくりだ。

 クマちゃんはプシッ! と猫のようなくしゃみをし、猫のようなお手々で可愛いお顔をごしごししている。


「もー、鼻水垂れてるじゃん」


 両手が埋まっている彼の金髪にふわふわの布がぶつかり、ハラリと花束へ落ちた。

 ルークが布を丸めて投げてきたようだ。

 彼は「ひどい、ひどすぎる」とかすれた声で文句をいいつつ花束を置き、もこもこの小さなお鼻をふわふわと優しく拭う。

 クマちゃんは鼻水が垂れていても愛らしいが、クマちゃんの飼い主は愛らしさのかけらもない。

 彼はもっとクマちゃんの優しさと可愛らしさを見習うべきである。



 お顔をリオにそっと拭われたクマちゃんはハッと気が付いた。

 思い出した。クマちゃんはお手紙のお返事を書こうと思っていたのだ。

 うむ。ルークが持っているのはきっとクマちゃんのお手紙だろう。

 お返事と一緒に、クマちゃんそっくりの素敵な花束までいただいてしまった。

 クマちゃんも生徒会長に素敵な贈り物をしたい。

 白っぽい金髪の彼に似合うものがいい。

 この場所に丁度いい物はないだろうか。


 透き通った明るい海の中のような、この宮殿にある、白っぽい――。

 

 天才なクマちゃんはハッと気が付いてしまった。

 一つだけじゃなくてもいいのだ。

 


 彼らが「クマちゃ……、クマちゃ……」と小さな声で呟くクマちゃんを見守っていると、もこもこはハッとしたように、両手の肉球で口元を押さえ、もこもこもこもこと動きだした。


「何、どっか行くの?」


 リオがもこもこを床へそっと降ろし、かすれた声で尋ねる。

 しかしもこもこは忙しいらしく、ヨチヨチもこもこと敷物の上を歩いていく。

 行きたい場所に気が付いたルークが魔法でもこもこをフワリと浮かし、お兄さんのもとへ降ろした。

「クマちゃ、クマちゃ……」とお兄さんにお願いをしたクマちゃんと、微かに頷き、ゆったりとした動きでもこもこを抱き上げるお兄さん。

 彼は大切そうにクマちゃんの頭を数度撫で、首元の青いリボンへそっとふれる。


「――これで良い」


 お兄さんの低く美しい――人間とは違う――不思議な声が頭に響く。


 彼はもこもこを両手でゆっくりと持ち上げ、ふわ、と優しく手を放した。


 宙に浮かぶもこもこが、猫かきのように交互に、一生懸命肉球を動かしながら、天井の水槽を目指し進んでゆく。

 子猫のような可愛い声が「クマちゃ……、クマちゃ……」と微かに呟き、『クマちゃ……、がんばって……』と自分を励ましている。

 短い足が肉球で空気を蹴るたび、ふわふわの丸くて可愛い尻尾が、もこ、もこ、と左右に揺れた。


 猫かきで水面を目指す猫のような、不思議で愛らし過ぎるもこもこに、天才撮影技師が素早く立ち上がり、奇跡の瞬間を激写する。

 移動の遅いもこもこ人魚クマちゃんのすべてを、彼はあらゆる角度から――時に床に寝転がり――丁寧に記録していく。

 短い後ろ足の肉球と、丸いふわふわ尻尾をセットで撮ることも忘れない。


 戦闘時よりも真面目な表情の天才撮影技師は、サッと魔道具を確認すると「……完璧すぎでしょ」とかすれた声で呟き席へと戻った。



 今から数時間前。


 クマちゃんの丸太――クマちゃんからリオがもらい、彼が持って帰るのを忘れた丸太を奪い合う、欲にまみれた、美しくない午後の時間を過ごしていた生徒会長と会計。

 副会長は生徒会長に見つからぬよう、こっそりと、魔道具に映るもこもこ天使クマちゃんを愛でていた。


 決着の付かない彼らは


『分かりました……では、あの場所に会長専用の、美クマちゃんの香りがする丸太を探しに行きましょう』


という会計の言葉で、戦いの場を陰気な森へと移すことになった。

 言葉も態度も荒いが意外と付き合いの良い副会長も『森っすか。あー、それもいいかもしれないですね』と彼らと共に外に出た。

 彼が『それもいいかも――』と言ったのは、天使の舞の舞台も雰囲気の悪い森だったからだ。

 裏の森は映像の『枯れた森』ほどひどくはないが、似たような場所と言えなくもない。

 似ているならば『陰気な森』であの映像を見るのも良いだろう、と。



 そして、彼らは見たのだ。

 天使が残していった愛のドアを。


「やべぇ……なんだこの天使の愛が溢れるドア……」


 ピカ! ピカ! と光を放つ花に囲まれた、ハートの形のドア。

 クマちゃんの顔の形にくり抜かれた窓がポイントだろう。

 ピカ! に合わせて彼の心臓がドク! と高鳴った。

 愛が強すぎる。なんて危険なドアだ――。


「ああ、私の可愛いクマちゃんの愛を感じる……」


 愛のドアは『皆さん見えますか! 入り口はココ! 誰でも入れますよ! 入り口は! ココ!!!』と言っている気がするが、それは気のせいだろう。

 関係者以外は入れない結界が張られているのだ。誰でも、というわけにはいかない。

 聖クマちゃんが入れたとしても、それは特別な存在だからだ。

 愛のドアからは癒しの力を強く感じる。なんて神聖で、温かい力だ――。

 ――まさか、クマちゃんは本当にこの陰気な森に住んでいるのだろうか。

 このドアの向こうに、もこもこした、彼の愛らしいクマちゃんが――。


「誰でも……? いや、気のせいか……。美クマちゃんが俺たちのために、この可愛いドアを残してくれたんでしょうか――」


 両手で大切そうに白っぽい丸太を抱え、時々それを優しく撫でている会計。

 彼は派手で主張の強い、先日までは無かったはずのそれを、切なげに見つめ呟いた。

 心優しく天使のように愛らしい美クマちゃんにピッタリの、愛らしいドアだ。

 眩しいほどに輝いているが、美クマちゃんの愛の治療で乾燥しにくい目を手にいれた彼なら、カッと瞳を開いたまま観察することも可能だ。

 愛の強そうなドアから『この結界の入り口は!! ココ!!!』という、それを張った人間が卒倒しそうな言葉が聞こえた気もするが、やはり気のせいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る