第150話 愛らしさで人々を救ったもこもこと、心までキラキラなクマちゃん。

『皆さま、大変長らくお待たせしました――』


 舞台の上で司会者が話しはじめ、ようやく森の街一番の美少女が選ばれるのだろうと考えていた参加者達。


『――開催者からの、謝罪の手紙を……読ませていただきます……』


 妙な表情でおかしなことを言い始めた司会者を穢れの無い瞳で見つめるクマちゃん。

 猫のようなお手々の先をくわえ、大好きなルークの腕の中から舞台を見上げている。

 予想と違う展開に、ざわつく観客達。


 その驚くべき――というほど驚きはしない手紙の内容は、謝罪というよりも、懺悔のようだった。

 この祭りで選ばれた森の街一番の美少女に売れ残っている商品を着せ『へっへっへ、さすが美少女様は着こなしが素晴らしいですね』と嘯き、『実はこの商品、王都で一番人気らしいです!』と選ばれし美少女に真実とは異なる宣伝をしてもらおうと企んでいた、というのが謝罪の内容らしい。

 そして観客達には仕入れに失敗した商品『着やせする気がする服』の割引券を配ろうとしていたが、愛らしいもこもこの癒しの歌声にすさんだ心を癒され、改心した、ということのようだ。

 

『私の悪意から皆さまを護ってくださった美少女クマちゃん様に、心より感謝申し上げます。そして、今回ご参加いただいた素晴らしい美少女の皆様方は、〝全員優勝〟とさせていただきます――』



 広場からの帰り道、クライヴの抱えるもこもこ袋から顔を出し、可愛らしいお顔を周囲の人々に見せているクマちゃん。

 微妙な悪人を改心させた素晴らしいもこもことして、あちこちで「クマちゃーん! かっこいいー!」「クマちゃーん! 抱っこさせてー!」「クマちゃーん! 可愛いー!」と歓声が上がっている。


 心の広い森の街の住人達は、今回困った顔の服屋が起こした問題に怒ることも無く、『お祭りは楽しかったんだから、それで十分でしょ!』と笑い『馬鹿だなぁ、そんなに困ってるなら言えばよかっただろ! 俺らも売るの手伝ってやるよ!』と背を叩き『直せば売れるものもあるかもしれませんよ。私達がお手伝いしましょうか?』と逆に彼を慰め、『うっ、うっ……あ、ありがとうございます……!!』と服屋を号泣させていたらしい。



「クマちゃんめっちゃ大人気じゃん」


 袋の中からお上品に肉球を振るもこもこに、本人――本もこもこよりも嬉しそうな表情をするリオ。


「本当に――愛らしさで悪人を改心させるなんて、とてもクマちゃんらしいね。参加者も観客達も皆喜んでいたよ」


 南国の鳥のような男が優し気にふわりと笑い、森の街一番の美少女の一匹になったもこもこを褒め称える。


「お前の愛らしさは悪人の心まで救うようだな」


 腕の中のもこもこへ尊いものを見つめるような目を向け、クライヴが静かに呟く。

 彼が恭しい態度でクマちゃんの前に手を差し出すと、森の街で一番もこもこしているもこもこは静かに頷き、その上にそっと肉球をのせた。


 

 穢れなき美しい瞳のクマちゃんは、黒革に包まれた彼の手に肉球をのせながら考えていた。

 難しい話は分からなかったが、お祭りを開いた人が何か悪いことをしようとしていたらしい。


 裏通りの人たちに『この服可愛い~素敵~たくさん買っちゃう~』と言ってもらう約束をしていた、という部分だけ分かったが、それはいけないことなのだろうか。

 クマちゃんも『クマちゃん可愛い、とたくさん言ってください』とお願いしてはいけない、ということなのかもしれない。


 しかし、困った顔の服屋さんはクマちゃんの歌を聴いて『ごめんなさい、もうしません』と反省したようだ。

 とても素晴らしいことである。


 会場にいる人々の温かい心が伝わり、クマちゃんの心もキラキラになった気がする。きっと今のクマちゃんはレベルというものが千くらいあるだろう。

 心とお目目がキラキラのクマちゃんは、すべてを理解し、うむ――と深く頷いた。

 美しくて格好いいクマちゃんには豪華な景品など必要なかったのだ。


 全員が優勝して、にこにこした皆がいっぱい『おめでとう!』と言ってくれて、クマちゃんはとても楽しく過ごせた。

 心がキラキラなクマちゃんにとっては、それが一番の景品なのである。

 うむ。心がキラキラしていると世界がとても美しく見える。皆の心もキラキラだからに違いない。

 とてもまぶしい。サングラスが必要だ。


 仲良しな皆とお外でたくさん遊んだクマちゃんは、きっと世界一の幸せ者だろう。



 少し遅い時間に戻って来た彼らは、もこもこにお小遣いをくれた彼に報告するため、立入禁止区画の奥にあるマスターの部屋へ来ていた。


「遅かったな。白いのの可愛い財布は買えたか? ……もう外は暗いだろ。なんでサングラスなんだ」


 マスターは目的の一つだったはずの買い物の成果を彼らに尋ね、それからクライヴが大事そうに抱えているもこもこ袋を見た。

 もこもこは何故かサングラスをかけたまま袋から顔を出し、その縁を猫のようなお手々でキュッと掴んでいる。


 おかしな格好のもこもこはマスターのほうへ両手の肉球を伸ばし、幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言った。

 ただいまの挨拶をしたいらしい。


「ん? 抱っこか? ――随分可愛い格好をしてるな」


 甘やかすような声を掛けながらもこもこを抱き上げ、彼はさりげなくもこもこの顔からサングラスを外す。

 クマちゃんはマスターに抱えられたまま鞄をごそごそと探り、そこから緑色の財布を取り出すと「クマちゃん、クマちゃん」と彼に報告をした。


『お財布、リオちゃん』と。


 素敵なお財布をリオちゃんが買ってくれましたよ、と。 


 想像よりも可愛くは無かった財布を不思議に思いはしたが、


(あいつの瞳の色だしな)


とマスターは己を納得させる。

 

「いい色だな。お前に良く似合ってる」


 彼の言葉に喜んだもこもこは、何かを見せてくれるらしい。

 猫のような愛らしいお手々で一生懸命、妙な形に膨らんだ財布をごそごそしている。

 彼の大事なもこもこが、そこから金属がぶつかる音を鳴らし取り出した物を見たマスターは、


「ん? 金貨か? それは全部お前のだから返さなくていい…………おい、何でこの金貨にお前の可愛い顔が描いてあるんだ」


 それを受け取らず、腕の中のもこもこを擽るように撫でていたが、金貨の模様がおかしい――否、非常に可愛いことに気が付いてしまった。


「それクマちゃんが魔法でやっちゃったっぽい。マスタークマちゃんになんか買いたいなら自分で買った方がいいと思う」


 マスターの机の上にある書類の山を指でつついていたリオが、珍しくマスターにまともな意見を出した。

 赤ちゃんクマちゃんに金貨と財布を持たせるのは良くない。

 人間の赤ちゃんだったとしても、『だぁ……』と何処かにポイしてしまうかもしれない。


「ああ、そういうことか。――そうだな、今度は俺と買い物に行ってくれるか?」


 普通の金貨は可愛くないということに気付いたマスターが、撫でられて「クマちゃ」と喜んでいるもこもこに優しく笑いかける。

 マスターからの素敵なお誘いが嬉しいクマちゃんは、自身を撫でる彼の手を肉球でムニ、とつかまえ「クマちゃ」と湿ったお鼻で愛らしくお返事をした。



『早く白いのに飯を食わせてやれ』というマスターの言葉に従い、酒場へと戻ってきた四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。

 部屋から出る直前に、『マスター、後で話したいことが――』とウィルが言っていたのだが、もこもこ袋の中で居心地の良い場所を探すクマちゃんには聞こえていなかった。



 今日のクマちゃんの夜ご飯は、幼児用に作られた薄味の、柔らかく煮込まれた野菜とハンバーグ・トマト風味、小さく切られた果物の盛り合わせ、甘くない牛乳、である。


 ルークの膝の上のクマちゃんは、ぬいぐるみのように一切体を動かさず、彼の手がもこもこした口元へスプーンを運んでくれるのを待っている。

 トマト色、という難易度が高い器の中身へ、切れ長の美しい目を向けたルークは、もこもこのおでこを片手で優しく擽りながら、もう片方の手で器用にお上品なケープを外し、薄い水色のよだれかけに着替えさせた。


 愛らしいもこもこは自然に開いてしまう口と戦うことに夢中で気付いていないようだ。


 もこもこが最初の一口を食べるのを何となしに待っている彼らは、クマちゃんのもこもこした口が少しずつ開いていくのを眺め、平和を感じたり、優し気な目を向けたり、何故か胸元を握りしめて苦しんだりしていた。



 クマちゃんの小さなお口にスプーンが運ばれ、チャチャッ、というもこもこが美味しいものを食べた時の音を聞き、ようやく食事を始める彼ら。


「クマちゃん今日どこのお風呂入る?」


 リオはお風呂好きなもこもこに、難しい質問をした。

 学園の裏に勝手に作ったばかりの露天風呂を抜かしても、露天風呂が三つもあるのだ。

 しかも、もこもこ温泉郷は巨大すぎて、一つの風呂というよりも温水の広がる楽園、という印象だ。



 リオに難し過ぎる質問をされてしまったクマちゃんは、チャ――、チャ――、チャ――、と真剣に考え込む。


「クマちゃん口閉じないと赤いの零れちゃうから!」


 風も『クマちゃんこまっちゃう……』と悩んでいるようだ。

 大きなお風呂にも入ってみたいが、それよりもクマちゃんは重大な何かを忘れているような…………うむ。まったく思い出せない。残念だが、思い出すまで待つしかないだろう。


「クマちゃんまた顎曲がってるし」


 心もお目目もキラキラで美しいクマちゃんが物憂げな美少女のように美しい表情で悩んでいると、頭の中にふわっと不思議な言葉が浮かんだ。


 ――一流リゾート――高級ホテル――。


 クマちゃんには難しくて分からないが、その言葉と共に浮かんだ風景はとても素晴らしかった。

 うむ――。クマちゃんの作っている温泉も自然豊かで素晴らしいが、残念ながらあのような高級感はない。

 

 しかし、一級建築士クマちゃんであれば、高級感のある温泉施設を作り上げることも可能だろう。

 まずはクマちゃんの別荘を大きくしなければ――。



「何かクマちゃん口開けたまま固まってんだけど」


 リオがうっかり風呂の話をしてしまったせいで、クマちゃんの口が開きっぱなしになってしまった。


「クマちゃんはいつも一生懸命何かを考えているからね。――お風呂でしたいことがあるのかもしれない」


 吞気な南国の鳥が顎の曲がっているもこもこを微笑まし気に眺める。


 彼は赤ちゃんなもこもこが〝一生懸命考えている〟何かが、建物や温泉、設備の改造などという大掛かりなものであるとは思っていない。

 しかし、派手で美しいものが好きな彼であれば、もこもこが何を作っても喜ぶだろう。


「その前にメシだ」


 魔王のような男ルークはもこもこがやりたいことであればどんなことでも手伝うが、一番大事なのはもこもこの健康である。

 彼が優しくもこもこの頬を擽ると、クマちゃんはようやく妄想の世界から「クマちゃ」と戻って来た。

 もこもこと彼は何事も無かったかのように食事を再開する。

 クマちゃんはぬいぐるみのように動かず、彼はぬいぐるみの口元へスッと、トマト風味の柔らかいハンバーグを少しだけのせたスプーンを運んだ。


 話し声や笑い声が明るく響く賑やかな酒場に、可愛いクマちゃんの薄くて小さな舌が、チャチャッと愛らしく鳴る音が聞こえる。


「あれ、何これ」


 ゆっくり食べるということを知らない、皆より早く食事を終えた男が、氷の紳士の背凭れに掛けられた気になる袋からはみ出している紙を引っ張り出した。


「…………」


 胡散臭いチラシの文字を嫌そうな顔で読んでいたリオだったが、それを見てすぐに思い出した。


『景品』だ。


 おもちゃを取りに家に戻ったもこもこが急いでいたのは、早く帰らないと『景品』を貰えなくなると思ったからだろう。

 あんなに楽しみにしていたのに、落ち込んだ様子も見せず健気に振る舞っているが、本当は悲しんでいるのでは――。

 リオはさりげなくウィルへチラシを渡し、視線で『そこ読んで』と合図を送った。


 ウィルはシャラ、とテーブルの陰で腕を伸ばしそれを受け取る。

 一瞬で読み終えたらしい彼は、悲し気な表情をすることなく、ふっと目を細めた。


「クマちゃん。言い忘れていたのだけれど、クマちゃんが広場で使ったお花の魔法で体調が良くなった人たちから、たくさんの贈り物を受け取ったよ。元々健康だった人たちも、君の歌の素晴らしさに感動して、花束やお菓子を贈らせて欲しいと言っていたね」


 ウィルは優しくクマちゃんに贈り物のことを伝え、続けて「後で酒場へ持ってきてくれるそうだよ」と、さらにもこもこが『クマちゃ!』と驚くようなことを教えた。


「マジで? あー、俺らがクマちゃんの家行ってた時か。良かったー。クマちゃんめちゃめちゃ頑張ってたのに景品貰えなかったかと思った」


 リオは安心したようにテーブルに肘を突き、その手に行儀悪く顎をのせた。

 しかし、彼が本当にクマちゃんを心配していたのが分かったウィルは一瞬チラ、とそちらを見ただけで『リオ、行儀が悪いよ』と言うのを止めたらしい。


 驚きすぎたもこもこは食事中なことも忘れ、もこもこした両手でサッともこもこの口元を押さえ「クマちゃ……」と感動したような声を出した。


『景品ちゃ……』と。


 もこもこが喜んでいることが分かったクライヴが、たった今食事を終えた暗殺者のような顔で頷いている。

 

 こうして、すべての欲を捨て美しい心に戻ったもこもこの元には、欲を含まない真心のこもった贈り物が残された。

 皆の優しさに深く感謝したもこもこは、贈り物をくれた心優しい彼らに、もっと健康になる素敵なお返しをしようと思った。

 高級な温泉に招待し、凄く健康な体になってもらうのが良いか、それとも――。


 幸せでいっぱいなクマちゃんは、幸せでいっぱいな悩みを抱えながら、優しいルークが口元へ運んでくれる美味しい食事に舌鼓を打つ。

 食事とお風呂のあとは、早速工事を始めよう――と。

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