第149話 仲良しだが情報収集には向かない一人と一匹

 リオは自身が不思議に思ったことをそのまま独り言のように呟いただけだ。

 可愛いもこもこを驚かせようとしたわけではなかった。

 しかし、彼の腕の中のクマちゃんはリオのかすれ声に反応し、胸元でもこもこの手首をス――と折り曲げ、仰向けでお昼寝中の子猫ちゃんのような格好で目を瞑ってしまった。


「……可愛い…………じゃなくてクマちゃんなんでいきなり寝ちゃったの」


 可愛い赤ちゃんクマちゃんがおねむなら起こすつもりはないが、おそらく違うだろう。


「クマちゃん起きねーの?」


 リオはもこもこのもふっとした口元を指先で優しくつついた。

 するとクマちゃんのもこもこした口元が微かに動き、そこから幼く愛らしい「クマちゃ……、クマちゃ……」という声が小さく聞こえる。


『クマちゃん……、死んだちゃん……』と。


「いやめっちゃ生きてるでしょ」


 嫌な噓をつくもこもこに『クマちゃん、駄目!』をするリオ。

 やや悪い子なクマちゃんは死んだふりをしているようだ。

 彼は、いつも通り生温かいもこもこに一応「クマちゃんベッドで寝る?」と尋ねたが、『死んだちゃん』なクマちゃんは死にながらお話し出来るらしい。

 もこもこした口元が再び小さく動き「クマちゃん……、クマちゃん……」と彼に答える。


『クマちゃん……、ねないちゃん……』と。


 彼はどんな時でも一人で寝るのを嫌がるもこもこに「ねないちゃんなんだ」と適当に相槌を打ち、腕の中の『ねないちゃん』を優しく撫でながら鏡へ近付く。

 焦げ茶色の木枠の鏡は、立ったままの彼が顔を映すには高さが足りない。

 上側がやや丸みを帯びた長方形のそれは、床と壁を支えに置かれている。

 冒険者の男が使うには小さいが、もこもこ専用姿見と考えれば大きくて立派な鏡だ。

 木枠の上のほうには可愛いクマの絵が描かれている。――この位置に描いても、残念ながらクマちゃんには見えないだろう。

 鏡全体の光はすぐに収まり、今光っているのは姿見の中央よりやや下、リオが座って見るには丁度いいかもしれないが、もこもこならば見上げる必要がある位置だ。――見る者によって位置が違ったりするのだろうか。


 しかし、それよりも気になるのは、光っているそれの内容だ。


「……何かマスターから聞いてたやつと全然違うんだけど。――鏡ってこれだけ?」


 リオは自身が見つめるものと、マスターから聞いていたものとの違いに戸惑う。

 かすれていて読めない部分が――とマスターが話していた、弱々しいが美しく輝いていたという神秘的な文字が、ない。

 そこにあるのは、白く光るクマっぽい、可愛らしい絵、同じく白く光っている肉球らしき絵、にこにこしている髪の長い女性のような絵。

 それぞれの下に、クマちゃん情報、お得な情報、お知らせ、と書いてある。

 可愛らしいのは間違いないが、期待していたものと違い過ぎて困惑してしまう。

 この中のどれかが森の異変と関係しているのだろうか。

 それにしては、ほのぼのとしすぎている気も――。

 マスターが〝神聖な〟と言っていた力は確かに感じられるが、可愛い絵と〝お得〟が、神聖さから遠のいてしまっている。


「クマちゃん鏡可愛くなってるよ。一緒に見よー」


 非常に気になるが、持ち主の許可なく触れるのも――と考えたリオは、死んだふり中の持ち主を誘う。

 もこもこした可愛い生き物はお昼寝中の子猫の格好を維持したまま舌をチャ――、チャ――、チャ――と鳴らし、考え中のようだ。


 チャ――、チャ――、チャ――。

 ――考え中――考え中――。


 考え中のクマちゃんの丸くて可愛い頭や頬を、リオが「あーもこもこ。マジもこもこ」と言いながら手の平でふわふわと優しく撫でる。

 ――愛らしいつぶらなお目目がぱち、と開いた。

 

「クマちゃんも見る?」


 やや高めのかすれ声が考え事の終わったもこもこに優しく尋ね、もこもこが「クマちゃ……」と頷く。


「何、その『リオちゃんが怖がってるから仕方なく……』みたいな感じ」


 もこもこの『クマちゃ……』に含まれる感情を敏感に感じ取ったリオが、優しく思いやりのあるもこもこにいちゃもんをつける。

 リオは愛らしいもこもこが鏡を見やすいよう、もこもこの背中を自身の腹側にくっつけ、丸くて可愛い頭の上に己の顎をもふ、とのせた。


「絵のとこ触ったら詳しく見れんのかな……」


 もこもこで両手が塞がってしまったリオは姿見の前であぐらをかいた。

 クマちゃんは体の前に回されたリオの左腕に、もこもこした両手をのせ、猫のような手首を下向きに曲げている。


「クマちゃん何から見たい?」


 リオが尋ねるともこもこの口元から「クマちゃ……」と返事があった。


『お得ちゃ……』と。


「何、その『リオちゃんに聞かれたからしぶしぶ答えてます……』みたいな――つーかクマちゃんお得に弱すぎでしょ」


 リオはもこもこの『クマちゃ……』が送って来る妙な感情を目を細め受け取りつつ、もこもこ専用姿見の中央あたりでピカピカしている肉球の絵と〝お得な情報〟のほうへ手を伸ばす。

 輝く肉球の絵に彼の中指が触れ、まるで魔道具の映像が切り替わるように、先程まで光っていた絵と文字の内容が、パッと変わった。


 頭だけ金色の男の子のような絵。そしてその下に――。


〈リオちゃんの素敵な左目Lv.3〉


「えぇ……」


 狭い部屋に響く、納得のいかない人間のかすれ声。

 リオは彼の目の能力を勝手に測ろうとする鏡を嫌そうに見た。

 ――鏡と言うより、鏡へこの情報を送った誰か、かもしれない。

 魔法を難易度や強さの順にレベルで表わすことはあるが、人間をレベルで測ることなど普通はしない。

 そのうえLv.3。

 低すぎる。失礼な鏡だ。

 他に光る文字がないか、リオは鏡の隅々まで視線を走らせる。

 しかし〝お得な情報〟はこれだけのようだ。納得はいかないが、仕方が無い。


 腕の中のもこもこが何故か深く頷いている。

 何に納得したのだろうか。

 鏡に映ったクマちゃんは少しだけ口を開け、何も考えてなさそうな顔をしている。

 可愛い。

 しかしリオには分かった。


 このもこもこは『リオちゃん、Lv.3ちゃん』と考えているのだ。間違いない。


「全然お得な感じしなかったんだけど」


 Lv.3の目を嫌そうに細め文句を言いつつ、彼はもう一度姿見にふれる。

 光はパッと最初の形へ戻った。

 リオはなんとなく気になり、〝クマちゃん情報〟にふれた。


 光りの絵と文字が、再びパッと変わった。

 愛らしいクマちゃんの絵、そしてその下に――。


〈クマちゃんLv.1〉

 

「え、クマちゃんレベルひく……」


 リオがクマちゃんの尊厳を傷つけるのと、もこもこが愛らしい声で「クマちゃ!」と言ったのはほぼ同時だった。

 鏡の持ち主、もこもこの権限は他の人間よりも強いらしく、情報の一部が伏せられた。


〈ク――ちゃんLv.1〉


「ク……ちゃんレベルいち」


 考えがそのまま口から出てしまう男の口からもこもこの個人情報が一部を除いて漏洩し、それが自身の情報であることに気が付いたもこもこは、情報管理の不十分な姿見の前でストレスが溜まった獣のように肉球をかじった。


「クマちゃんそんな齧ったら肉球痛くなっちゃうから」


 小さな黒い湿った鼻の上に皺を寄せ肉球を齧るもこもこを宥めるリオ。

 彼はうっかりすぎる己を反省し、「半分隠れてたから全然誰のか分かんなかったし」ともこもこの耳に優しい噓を吐いた。


 ――因みにリオの言う隠れていた情報の半分というは、クマの〝マ〟である。


『――全然誰のか分かんなかったし』を聞いたもこもこの吊り上がっていた瞳が、いつものつぶらな瞳に戻る。

 チャ、チャ、とお上品に舌を動かしたクマちゃんはスッ――と肉球を齧るのをやめ、深く頷いた。

 ――どうやらご納得いただけたらしい。


 冷静になったもこもこがハッとしたようにもこもこした口元を押さえ、「クマちゃ」と言った。


「何、景品ちゃんて」


 リオが尋ねるが忙しいもこもこの耳には届いていないようだ。

 クマちゃんは彼の腕の中からヌルリ――と猫のように滑り落ちると、トテトテと部屋の隅へ行ってしまった。


 もこもこはせっせと白い箱の中の物を斜め掛けの鞄へ移している。

 

 鏡が気になるが、幼いもこもこから目を離すわけにはいかない。

 リオは急いで〝クマちゃん情報〟を閉じ最初の状態へ戻すと〝お知らせ〟と書かれた光にふれ、すぐにもこもこの後を追った。

 

「クマちゃん俺も何か手伝う?」


 一生懸命荷物を『クマちゃ』しているもこもこを「へー。この可愛い箱おもちゃ箱なんだ」と言いながら手伝いつつ、視線をチラ――と鏡へ戻す。


「えぇ……」


 かすれた不満が空気にとける。

 残念ながら、お知らせは古いままのようだ。


〝森、探して、――、少女、――、遺跡〟


「その消えかけな感じが怖いんだと思うんだけど」


 リオはもこもこが鏡を見たがらない理由を察した。

 気配が神聖でも消えかけな文字というのは若干不気味である。


「……薄すぎて読めねー……」


 彼はもこもこを抱っこしたまま片手をおもちゃ箱へ突っ込み、中身を見ずに掴んだそれをクマちゃんへ渡す。

 膝の上のもこもこがごそごそとそれを仕舞い、リオは視線を鏡へ向けたまま適当におもちゃ箱の中身を渡した。


 いい加減な一人と一匹が素晴らしい連携でおもちゃ箱の中身を減らしていく。


「クマちゃんそろそろ戻らないとやばくね?」


 箱の中身は残っているが、あまり長時間彼らから離れていると、この狭い家の中に他の保護者達まで来てしまう。

 もこもこは深く頷き幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と言った。


『クマちゃの……』と。

 

 チラシを見ていないリオはもこもこが何を計算しているのか分からなかったが、愛らしいもこもこは真剣なようだ。


「んじゃ戻ろー」


 リオのかすれ声が響き、もこもこが杖を振る。

 彼は期待をしないまま、最後に一応――と鏡へ視線を向け、


「……うわ、一瞬なんか見えた!」


と叫んだが、その時にはもう彼らは広場へ帰ってきてしまっていた。


 片膝を突き、もこもこを腕に抱えたまま戻ったリオへ、涼やかな声がかかる。


「遅かったね。そろそろ探しに行こうかと思っていたよ。それより、何が見えたの?」


 お兄さんからクマちゃん達の居場所を聞いていた彼らは、その場所が安全であると分かっていても心配だった。

 あと一分待っても戻って来なければ、クマちゃんの実家に突入しようと思っていたのだ。


「んー。クマちゃん家のおもちゃ鞄に詰めてた。……あと、鏡光ってたんだけど――」


 リオがウィルに事情を説明している間に、ルークが彼の腕の中のもこもこへ手を伸ばし、優しく攫って行った。

 クマちゃんが嬉しそうに「クマちゃ」と彼との再会を喜んでいる。


 もこもこが「クマちゃん、クマちゃん」とルークとお話をしていると、『クマちゃん可愛いでちゅね~』の人が美少女クマちゃんを呼びに来た。


 どうやら、祭りの企画者達の話し合いが終わったらしい。

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