第151話 静かに始まるもこもこ高級リゾート計画
考え事で忙しいクマちゃんはお口を少し開けたまま動きを止め、細かいことも細かくないことも気にしない男は愛しのもこもこがぬいぐるみのように動きを止めていることを気にせず食事を食べさせ、風呂に入れる。
――因みに今夜の温泉に彼らが選んだのは、現場職人クマちゃんの最初の作品である、直径四メートルくらいの露天風呂だ。
他の冒険者、ギルド職員達は本日午前中に完成したばかりのもこもこ温泉郷へ行くことにしたらしい。
彼らは酒場で食事をしながら『今日はどこにするー? アヒルちゃんのとこ?』『うぅ~、悩む~。アヒルちゃんにも会いたいけど……新しいところ行ってみる?』と楽しそうに〝本日の露天風呂〟について話し合っていた。
愛らしいもこもこも大人気だが、癒しのもこもこが作った癒しの空間も大人気である。
青く光るお花のシャワーから、ザァー――と、癒しと浄化の力が籠められた湯が落ちる。
真っ白なタイルの上にフワフワの泡とキラキラと輝く湯が流れ、不思議な力でスゥ――、とどこかへ消えてゆく。
「リーダー、クマちゃんの口閉じさせた方がいいと思うんだけど」
リオが自身の髪を洗いつつ、もこもこのやや開いた口を心配する。
濡れてほっそりとしているクマちゃんが何故か、リオのほうを向き口を開けているからだ。
「ああ」
ザァ――という水音に混じり、色気のある低い声が響いた。
手に付いた泡を魔法でフッと消し、ルークはもこもこの顎を優しく擽る。
濡れてほっそりとしているクマちゃんは、幼く愛らしい「クマちゃ」という声を出し、ハッと自身が泡に包まれていることに気が付き、「クマちゃ」と頷く。
綺麗になって嬉しいようだ。
大きな手が優しく泡を流す時も、皆で温泉につかる間も、考え事で忙しいもこもこは小さな声で「クマちゃ……、クマちゃ……」と呟き続けていた。
◇
温泉から上がると、彼らはいつものように湖畔の巨大クッションの上で「なんかもう動きたくないんだけど」「うーん。気持ちは分かるけれど」と寛ぎながら、もこもこの被毛がルークの手で美しく整えられるのを「――肉球……」と待つ。
猫顔のクマ太陽と真っ白な展望台、一面の花畑、花の上を通り過ぎる幻想的な魔法の蝶、すべてが淡く光り、優しく輝く空間は、夜だというのに少しも暗さを感じない。
癒しの力が広がる美しい景色と心地よい風、爽やかな緑の香り――。
魔王のような男がブラシを動かし、もこもこがチャ――、チャ――、チャ――と舌を鳴らす。
――……クマちゃん肉球すら舐めてないじゃん……――。純白のもこもこの周りで風がかすれ、ざわめく。
ザァ――。
森の中で葉が擦れ合う音が、湖畔で過ごす彼らを包んだ。
光あふれる花畑には冒険者達の笑い声が明るく響き、彼らの事が大好きな太陽が、可愛く一緒に――ニャー――と鳴く、楽し気な声が聞こえた。
◇
柔らかな――部屋着にピッタリな――素材で作られた薄い水色のリボンに着替え、美しく整えられたもこもこがスッと姿勢を正し、幼く愛らしい声で「――クマちゃん、クマちゃん――」と彼らへ告げた。
『――工事の、時間ちゃん――』と。
「えぇ……、何? 工事ってどこの?」
もこもことルークの向かいに置かれたフワフワの巨大クッションに寝転がり、「あー……もーここで寝よっかな……」とだらだらしていたリオは、夜だというのに妙に元気な赤ちゃんクマちゃんに『普通に嫌なんだけど……』という視線を向けつつ尋ねた。
このもこもこは一体何を言っているのだろうか。
夜だから寝る準備をするために風呂に入ったというのに、何故、今から全身が汚れそうなことをしたがるのか。
しかしやると決めたら『ニャー。では始めます』という猫のように諦めることを知らないクマちゃんは、まるでそれが自然なことのように「クマちゃん、クマちゃん」と愛らしい声でお話を続ける。
『クマちゃんの別荘ちゃん、高級ちゃん』らしい。
何を言っているのか、リオには全く分からない。脳がクマちゃん建設を拒否しているのだろう。
「クマちゃんは湖畔のお家の工事をしたいみたいだね」
南国の美しい鳥のような男は、愛らしいもこもこがしたいという工事の内容をすぐに理解した。
クマちゃんの実家が森の何処かにあるのだから、こちらの家が別荘だろう。
ウィルはクマちゃんに「僕たちも手伝うよ」と申し出た。
しかし、天才現場職人には考えがあるらしい。もこもこは、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」という。
『ウィルちゃ、お休みちゃ』と。
ウィルちゃんは少しお休みしていて下さい、と言っているようだ。
もこもこは一日中クマちゃんと遊んでくれた彼らを労わりたいらしい。
「いやそれはそれで不安なんだけど」
だらけていた金髪はシュッ――、と身を起こすと、すぐに「クマちゃん俺も手伝いたいんだけど」と現場職人に伝えた。
しかしクマちゃんは愛らしい肉球をスッ――、とリオに向け「――クマちゃん――」と頷いた。
『――大丈夫ちゃん――』と。
リオは「えぇ……」と肯定的ではない声を出したが、頑固な職人が彼の「マジで手伝いたいんだけど……」を聞き入れることはなかった。
◇
もこもこ別荘内に移動した彼らの前で、愛らしいもこもこがせっせと肉球を動かしている。
お兄さんからプクッとしたハートで『クマちゃ……』と購入した綿や布を、同じくお兄さんから購入したクマちゃん専用ハサミで、ちょき――、ちょき――、と少しずつ細かくしているようだ。
可愛らしいもこもこしたお口から、ピンク色の舌をちょっとだけ出し、非常に真剣な様子だ。
「…………」
リオはもこもこに気付かれぬよう、気配を消して手を伸ばし、もこもこがやっているのと似たような形にシャッ――と綿や布、ついでにもこもこハサミでは切れそうにない蔦やヤシ科の植物を、自身の鋏で切り裂いた。
クマちゃんは自身の作業に集中し「クマちゃ……、クマちゃ……」と呟いている。
『クマちゃ……、切っちゃう……』と。
「……――」
もこもこの愛らしさに苦しむクライヴも、魔法の氷でつくりだした美しいナイフを無言で操る。
暗殺者のような男の前に、真っ白な綿と布が散らばった。
もこもこの「クマちゃ」という独り言が止まった瞬間、リオは「あ、クマちゃん作業終わった?」と胡散臭くかすれた声をかけ、クライヴは冒険者に擬態した暗殺者のような格好で、酒場のものと同じ椅子に座った。
床に座り作業をしていたもこもこの後ろで、怠惰な魔王のような格好でソファにもたれ座っていたルークが手を伸ばし、もこもこの顎を優しく擽る。
クマちゃんは彼の長い指を小さな黒い湿った鼻で「クマちゃ」と湿らせ、一人と一匹の愛をしっかりと確かめ合った。
現場職人は魔王様と無事愛を伝え合い、「俺もクマちゃん撫でたい」という金髪の要求を「クマちゃ」と聞き入れ、撫で方がへたくそな誰かのせいで顔の横の毛並みが乱れたまま、鞄から愛用の杖を取り出す。
椅子から立ち上がったスポンサーがもこもこの側で片膝を突き、綿や蔦の周りに魔石を並べ、もこもこは優しい彼の手首にピタリと湿った鼻をくっつけ、深く感謝を伝えた。
そして、もこもこからの湿った愛を受け取ったスポンサーの手が震え、魔石がカツン、と床へ零れた――。
途中、もこもこへの愛おしさでスポンサーが苦しみ、作業が中断されるというトラブルもあったが、準備は無事、整ったようだ。
うむ。
クマちゃんは深く頷き、考えた。
あとは、この部屋をソファとクッションで埋め尽くし、皆がふわふわな場所でふわふわと休んでいる間に、クマちゃんが高級な建物を隣に建てれば完璧である。
そして、作業中寂しくならないように、二つの建物をつなげるのだ。
うむ、と深く頷いた現場職人兼家具職人は、小さな黒い湿った鼻にキュッと力を入れ、肉球が付いたもこもこのお手々で、願いをこめて杖を振った。
床に散らばっていた素材が光り、それぞれがフワリと膨張するように広がる。
優しい色合いのヤシ科の植物が、不思議な形の籠のようにスルスルと編まれていく。
部屋の三辺に作られた、細長く巨大な、半分に切られたような形の籠。ひょうたんの断面のように、左右非対称な高さの背凭れ。座面には柔らかそうな長方形の大きなクッションが、ベッドのようにモフンと載せられた。
空中で待機していたフワフワのクッションが、寝椅子のような形のそれにポフ、ポフ、ポフ――、と落ちてくる。
一人掛け用の籠がスルスルと三つ編まれ、モフモフ、ポフポフと座面と背凭れに大きなクッションが詰められていく。
仕上げにシュルシュルと蔦や花が籠を飾り、最後におまけのようにクッションがモフン――! と床を埋め尽くした。
部屋中を真っ白なもこもこクッションとクマちゃん製の籠ソファが埋め尽くし、元々あったソファは壁際にギュウギュウに追い詰められている。
気付けばお兄さんが酒場からパクったテーブルと椅子も、部屋の隅に倒れ、転がっていた――。
「うわー……」
リオの口から素直な感想が零れた。
間違いなく素晴らしいのだが、転がるテーブルと可哀相なソファが気になる。『たすけて……』という声が聞こえてきそうな気がする。
統一感という意味では、もこもこ製のものをこちらに残し、壁際で『たすけて……』と言っている気がするソファを花畑用にするのがいいかもしれない。
彼はふらふらと大きな寝椅子に近付き、モフッ――と仰向けに転がった。
「あー…………動きたくねー…………」
かすれた声が赤ちゃんクマちゃんの教育に良くない言葉を吐く。
長身の彼らが脚を伸ばしたまま寝転がってもはみ出さない、非常に素晴らしいソファだ。
「――ふわふわでとても座り心地が良いよ。……真っ白で美しくて、まるでクマちゃんのような素敵なソファだね。お花と蔦の装飾も、すごく可愛らしいと思うよ」
早速シャラ、と装飾品の音を鳴らし、一人掛け用のソファにフワリと座ったウィルが、丁度いい位置にある肘置きに片肘を付き、その手に顎をのせ、ゆったりと寛ぎながら、もこもこ製ソファの感想を伝えた。
派手な青色が真っ白なクッションに映え、南国の美しい鳥が羽を休めているようだ。
真っ白なクッションに埋まり、もこもこしていたクマちゃんを長い腕で救出したルークは、フワ――と大きなソファに寝転がり、腹の上にもこもこをもふ、と乗せ、
「ああ」
とウィルの言葉に相槌を打つ。
無駄に色気のある、抑揚の少ない声が室内に響いた。
クマちゃんは彼の顔が見たいらしく、ヨチヨチもこもこと彼の上を子猫のように歩いている。
「白いのは、家具を作る才能まであるのか――」
暗殺者のような危険な雰囲気を漂わせるクライヴが、一人掛け用のソファに身を沈め、冷たく美しい声で静かに呟く。
脚を少し開いた状態で座り、膝に腕をのせ、やや前かがみで床を埋める真っ白なクッションを睨みつける男は、今にもそれを切り裂いてしまいそうに見える。
しかし、彼の頭の中にあるのは(純白でふわふわ……まるで白いののような愛らしいクッションだ――)という非常に平和的なそれだ。
お兄さんが大きな寝椅子に座りながら、部屋のあちこちで窮屈そうにしているソファやテーブルを闇色の球体で回収した。
彼はもこもこが頑張って作った寝椅子がとても気に入ったらしい。
優しい手つきで真っ白なクッション部分を撫でながら、そっと横になり、みぞおちあたりで両手を組み、完全に寝る体勢に入っている。
ルークの顔の前に到着したクマちゃんが、彼の顎に湿った鼻を「クマちゃ」と付け、無表情な彼が愛おしそうにもこもこの頭を撫でる。
甘えっ子なもこもこの「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」が室内に響き渡ったが、愛らしい声はすぐにピタリと止まった。
「何、急に止まるとなんかやな予感するんだけど」
変化に敏感な男が、もこもこの怪しい何かを察知する。
リオの視界の隅に何かを持ち、ヨチヨチと動いている赤ちゃんクマちゃんが見えた。
あれはもしや――、キノコ?
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