第136話 おでかけの喜びを表現するクマちゃん
お兄さんの不思議な力、闇色の球体を通り抜け、湖畔の家に戻って来た五人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。
マスターは到着してすぐに、
「じゃあ俺は使えそうな財布を探してくるから、ちょっとだけ待ってろ」
渋い声で言い、リビングのドアから外へ出て行った。
おそらく立入禁止区画へ行きギルド職員に『おい、誰か可愛い財布を持ってるやつはいないか』と尋ねるつもりだろう。
職員達の『マスターって~ほんと可愛い物好きですよね~』『あっ、だから天井とペンが……』という声がここまで聞こえてきそうだ。
ゆったりとした露出の多い黒の衣服を纏った、黒髪の妖美なお兄さんは、いつも通り長いまつ毛を伏せ、怠惰な恰好で一人掛けのソファに座っている。
物思いに耽っているのか、何処か別の場所へ意識を飛ばしているのか――どことなく、悲し気な表情にも見える。
「お兄さん何か元気なくない?」
普段は察しの良くないリオが、いつもと違って見える彼に気が付き、もしかしたら元気じゃないかもしれないお兄さんの状態を、悪気なく周囲に広めた。
「うーん。――僕たちも同じだから、お兄さんが少し落ち込んでしまう気持ちも分からなくはないよ」
シャラ、と鳴る装飾品の音と共に、リビングに置かれた一人掛けのソファの一つに腰掛け、ウィルが困ったような笑みを浮かべる。
おそらく、クマちゃんが謎の白い袋に財産を詰め込んでいたのを見て『何故自分は、クマちゃんにぴったりな可愛いお財布を用意しておかなかったのか……』と微笑ましさと切なさが込み上げ、複雑な気持ちになってしまったのだろう。
ルークがいつもより更に無口なのも、もしかしたら同じ理由なのかもしれない。
――落ち込むような繊細さを持っていない彼が考えているのは、愛らしいもこもこにぴったりな財布の意匠について、のような気もするが。
自由に羽ばたく鳥のような男ウィルは、大雑把で外見ほど繊細ではない自分を棚に上げ、それは白クマか、パンダか――と可愛い財布を思い浮かべつつルークを分析した。
「え、同じって何が? ……あー、あの文字書き換えたいとか?」
実はまだもこもこ袋に未練のあるリオの口から、ただの己の欲望が漏れ出す。
「…………」
氷の紳士が紳士の皮を脱ぎ捨てようとしている。
今日リビングに配置されたばかりの、どこかの酒場のものとそっくりな椅子に座っている彼は、愛らしいもこもこの入った袋を撫でる優しい手付きとは真逆の、お片付けのプロのような冷静過ぎる視線を吞気な金髪へ送っていた。
ルークは一人掛けではない大きなソファに仰向けに寝転がり、顔を少しだけ傾け、切れ長の美しい瞳で窓を――クマの形の窓を見ている。
◇
現在彼らは『すまん……こんなものしか無かった……。これで、白いのにぴったりの可愛い財布を買ってやってくれ……』と苦し気な表情で質素な巾着と大金を渡してきたマスターに見送られ、街へお買い物に来ていた。
木漏れ日の落ちる賑やかな商店街を、美しい容姿の彼らがゆったりと進む。
クライヴが抱えている――芸術的に『ク』と書かれた――緑色の袋から、愛らしいもこもこの美しい歌声が聞こえてくる。
「――クマちゃーん――」
幼く愛らしい声が歌う。
『――クマちゃんのふくろ、暗ーい――』と。
天才シンガーソングライターの歌詞に不満のあるリオが、「いやクマちゃん暗いなら顔出せばいいじゃん」とかすれた野次を飛ばす。
しかし、もこもこの熱狂的なファンしかいない場所での野次は危険だ。
かすれ声はスッと身を潜めた。
「――クマちゃーん――」
『――クマちゃんふくろ、出たーい――』キュオーキュオーと袋の暗さを嘆く涙混じりの歌声が高く響き渡り、愛らしさと切なさが聴衆の胸を締め付ける。袋の口からは、肉球が出たり引っ込んだりしていた。「出ればいいじゃん! クマちゃん自分で入ったんでしょ」袋の外に現れた悪魔が、言葉の鎌を振り回す。
「――クマちゃーん――」
『――クマちゃん部屋も、暗ーい――』もこもこしたシンガーは自身の境遇をしっとりと歌い上げる。「自分のせいでしょ」悪魔はまだ鎌を振り回している。
「――クマちゃーん――」
『――ルークちゃん、暗くても、仲良し――』愛らしい歌声が、暗闇で見つけた光を歌う。キュッと響く高い音が、シンガーの幸せな心を表現していた。
明るくなった歌声に合わせ、もこもこ袋が光る。
「――クマちゃーん――」
『――リオちゃんひとりぼっち――』光りはすぐにおさまり、愛らしく切ない歌声が高く高く、空へと響く。
袋の外に少しはみ出た肉球が、リオの孤独を皆に伝える。「嫌な事いうのやめて欲しいんだけど!」悪魔が愛らしいシンガーの入った袋をカッと睨みつけた。
そして小さく繰り返される、
「――クマちゃーん――」『――リオちゃんひとりぼっち――』
「――クマちゃーん――」
『――ルークのベッド、ぽかぽか――』幸せそうな歌声が甘く周囲に広がった。
キュオー、キュオー、という愛らしい間奏を挟み、一分間を超える大曲が、エンディングへと向かう。
「――クマちゃーん――」曲は遂に終わりを迎え、愛らしい歌声が、切なくも美しい、最高のラストを飾った。
『――リオちゃんのベッド、びしゃびしゃ――』と。
「やったのクマちゃんでしょ!」
超大作『寝にくいベッドの歌』に早速クレームが入っている。
荒ぶるクレーマーは「それだと俺が漏らしたみたいに思われるじゃん!!」と怒り狂い、シンガーソングライターの一番のファンである魔王のような男から「うるせぇな」と静かに曲の余韻に浸るよう注意されていた。
素晴らし過ぎる歌声に、周囲で耳を澄ませていた街の人間達も涙を浮かべ、「私、こんなに感動する歌初めて……」「可愛すぎる……」「歌手は袋から出てこないみたいだね」「出たいけど出たくない、出たくないけど出たい、そして袋が暗い……ってことか……複雑だな……」「びしゃびしゃ……?」「まさか……」「リオちゃん……?」と大きな拍手を贈っている。
曲について感想を伝え合う仲間達が「すげぇな」「キュオーという高い歌声が特に切なくて、少しだけ泣いてしまったよ」「……素……しい」と感動で震え、「いや、可愛いけど歌詞に問題あるでしょ」と一人のクレーマーがクレーマー仲間を増やそうとしている。
こうして彼らの『クマちゃんに似合う一番可愛い財布を探すお出掛け』は、明るく賑やかに始まった。
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