第133話 働かないクマちゃんと仲間達の、スローすぎるライフ
ピンク一色の空間で、白にピンクを垂らしたようなもこもこ桃源郷の秘湯、愛の露天風呂に浸かっている、五人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。
彼らは満開の薄桃色の花、キラキラと水滴のように振る光、光るお花のシャワー、そして、愛らし過ぎるもこもこを眺め寛ぎながら、真面目な話を一切せずに、ぼーっとしていた。
「あ、虹……」
ぼーっとしすぎなリオはせっかくの美しい虹に『すげー』や『めっちゃきれー』とはしゃぐことすらせずに、もう一度「虹……」とかすれた声で呟いた。
美しいものが大好きなウィルが「本当だ、とても美しいね」と涼やかな声で言い、
「ほら、クマちゃん。空に虹が掛かっていてとても綺麗だよ」
と何故か肉球で水面を叩いているもこもこに教えてやっているが、空を見上げ「虹……」と呟いているリオの耳には入っていない。
パチャ、パチャ――パチャ、パチャという水音にハッとしたリオがそちらを見ると、ルークの腕の中のもこもこが、両手の肉球で水面を交互に叩いている。
「何してんのクマちゃん。魚捕る練習?」
かすれた声が尋ねるが、パチャ、パチャ――に夢中なもこもこの耳には入っていないようだ。
今は忙しいらしい。
「泳いでるに決まってんだろ」
ルークが抑揚の少ない、低く色気のある声で『馬鹿か』と続きそうな言葉を吐き、空いた手で雑に、濡れた前髪を後ろへ流した。
――もこもこの名誉を毀損することは許されないらしい。
リオがもこもこを見るが、もこもこはルークの筋肉質でスラッとした腕に抱えられたまま、水面を叩き続けている。
静かな露天風呂に、パチャ、パチャ――パチャ、パチャ――と、クマちゃんが肉球で水面を叩く音が響く。
パチャ、パチャ――パチャ、えぇ……――パチャ、パチャ。
「クマちゃん、こっちまで来てみて」
愛らしいもこもこと遊びたいリオが少し離れた場所へ移動し、クマちゃんを呼ぶ。
挑戦状を叩きつけられたクマちゃんの耳が、ピクリと動いた。
ルークの側でスイ――スイ――と人魚のように美しく泳いでいたクマちゃんを呼ぶ、リオの声が聞こえた。
クマちゃんの素晴らしい泳ぎがもっと見たいらしい。
姿勢の崩れない綺麗なクロールのコツを聞きたいのかもしれない。
それとも白魚のように美しいクマちゃんの手が滑らかに水を搔く様子を観察したいのだろうか。
うむ。ここからだと少し距離があるが、人魚なクマちゃんは人魚よりも泳ぐのが上手だ。問題はないだろう。
競泳森の街代表クマちゃんが、魔王のような男の腕に抱えられ、「クマちゃ」と位置につく。
観客達が「おや、浮き輪はつけなくてもいいのかい?」「まぁ、白いのは自分で泳ぎたいんだろ」「…………」と心配するなか、水泳選手クマちゃんはルークの腕を肉球でキュムッと押し、金色のゴールを目指してスタートを切った。
「いや全然進んでないんだけど」
両手を広げ四メートルほど先でもこもこを待つリオの視線の先、パチャパチャパチャパチャ! と上手に猫かきをするクマちゃんは最高に愛らしい。
少しだけ困ったように見えるつぶらな瞳、小さな濡れた黒いお鼻、薄いピンク色に浮かぶ真っ白な頭、素早く交互にパチャパチャ! とお湯を搔く猫のような小さなお手々、何もかもが最高に可愛い。
魔道具で映像を残したいほどだ。
しかし何故か、可愛いもこもこはリオのもとへ辿り着かない。
イチゴ牛乳に浮かぶ真っ白なマシュマロのようなクマちゃん、パチャパチャしているのに前進しない代表選手のもこもこの口から、幼く愛らしい「クマちゃ……」という苦し気な声が漏れる。
『ルークちゃ……』と。
その瞬間、四メートルコースの一部が金色へ向かって川のように流れだし、選手がススッ――! と一瞬で前進する。
――選手の動きと移動スピードが合っていない。不正行為の匂いだ。
同時に「風呂で氷はやばい」というゴールドゴールの、冬の到来を感じさせるかすれ声が上がる。
「そういうの良くないと思うんだけど!」
かすれたゴールドゴールが不正行為に参加した者達を責める。
彼は濡れて癖が強くなった髪をかき上げ、世界最強の男の力でススッ――! と彼のもとへ到達した――目の前でパチャパチャしている愛くるしい水泳選手をピンクの湯から掬い上げた。
「もー、クマちゃんリーダー呼ぶの反則でしょ。絶対魔法使うじゃん」
不満げな表情のリオは自身の腕の中へ視線を向け、困るとすぐに『ニャー……』と可愛すぎる声を出し何でも解決する猫のようなもこもこに『クマちゃん、ダメ!』と威厳のある態度をとる。
しかし、愛らしいもこもこはリオに仰向けで抱っこされたまま、両手をパッと万歳のように上げ、猫のような可愛らしい肉球を見せつけてきた。
「かわ……」
可愛さに騙されそうになったリオだったが、すぐに言葉を切る。
少しだけパッと広げている真っ白なお手々と、その中の可愛い肉球の意味に気が付いたからだ。
この獣は自分で泳ぎ切ったと、『クマちゃん、泳げる』と、リオに勝利の肉球を見せつけているのだ。
「とても愛らしいね。一生懸命泳ぐ姿も素敵だったよ」
もこもこを甘やかす駄目な男の一人が、泳げてはいなかったクマちゃんの健闘を称えた。
リオには分かる。
この男はこうやってもこもこを〈甘くておいしい牛乳・改〉のように甘やかし、可愛いもこもこが己の膝に『クマちゃ』と自らのってくるのを待っているのだ。
仰向けで万歳したままリオに抱かれている、いつもよりも温かいほっそりクマちゃんが、一番もこもこを甘やかす悪い魔王様の手にスッと奪われた。
濡れてチャラさの増した金髪から「あ……」という寂しそうな声が漏れる。
腕が寂しくなってしまったリオの視線の先に、
「クマちゃ、クマちゃ」
甘えた声で『クマちゃ、上手』と勝利の報告をするもこもこと、抱きかかえたもこもこを長い指であやすように擽り、微かに目を細め、頷きながら「ああ、人魚よりすげぇな」と色気のある声でとんでもない噓を吐く、容姿端麗な魔王様が見えた。
「えぇ……人魚って……アザラシの赤ちゃんのほうが近いんじゃないの――」
リオは毛の生えたもこもこと人魚を比べる男に難色を示し、近い生き物の名前を挙げたが――自身の言葉に違和感を覚えた。
赤ちゃんアザラシは特殊な泳法で前進を拒む赤ちゃんクマちゃんと違い、前に進む。
やはり、クマちゃんが似ているのは真っ白なマシュマロだろう。
それなら可愛らしいし、進まなくてもおかしくない。
マシュマロクマちゃんの丸くて可愛い頭を撫でたくなったリオは、彼らの横の「……肉、球……」という苦し気な美しく冷たい声と「おいクライヴ……大丈夫か」という渋い声を聞き流し、
「クマちゃんお風呂出てなんか冷たいもん飲もー」
とルークの腕に抱かれ「クマちゃ」と甘えているもこもこをコショコショと擽るように撫でた。
一面ピンク色な愛の露天風呂では、クマちゃんの愛らしい「クマちゃん、クマちゃん」というお返事と、
「えぇ……イチゴ牛乳ってそれ絶対甘いやつじゃん」
リオの微妙に嫌そうな声、「まぁクマちゃんが飲みたいならいいけど」と続けられた、結局自分ももこもこに甘い声、「先程作ったものを混ぜれば、すぐに出来るのではない?」という優しい声、そしてもこもこの愛らしい「クマちゃ……!」という何かに衝撃を受けたような声が、ふわふわと楽し気に響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます