第132話 廊下の彼らのあれこれと、完成したクマちゃんの秘湯

 古城のような学園の廊下。もこもこ教室前にある、まるでクマちゃんの可愛い尻尾のようにフワフワな綿毛のもこもこ花畑では、可愛らしくない彼らが可愛らしくないやり取りをしていた。


「君の持っている私の可愛いクマちゃんの香りがする手触りのよさそうなスベスベの素敵な丸太……私にくれ……少し、見せてくれない?」


 先程まで一人でぶつぶつと呟いていた生徒会長は、会計がどこかで拾ったらしい丸太から愛する者の気配を感じ取り、じりじりと少しずつ彼に近付きながら、出来るだけ感情を抑えて尋ねた。


「……これは駄目です。これは……、これは俺の……魂の欠片なんで」


 会計は直径約十五センチ、長さ三十センチ~四十センチの、白っぽいすべすべの丸太を大事そうに抱きかかえ、右手でそれをそっと撫でると、彼の大切な宝物に妙な視線を向けてくる変態へ、丁重にお断りをした。


「俺の魂は欠けた……? そう……それは大変だね。すぐに医務室に……でもその前に…………少し、見せてくれない?」


 目に丸太しか入っていない生徒会長は、彼の言葉を半分だけ聞き取り、先程と同じ主張を繰り返した。


 彼らが「嫌です」「すぐに返すから」「自分の丸太を拾って来たらいいじゃないですか」「同じ丸太が落ちてる場所を知ってるのかい?」「これは選ばれし人間だけが貰える特別な丸太なんです」「ん? 今――貰ったと言った?」「会長……それ以上近付くなら、この丸太を……布で包みます」「そんな……!! 布で……布で包んだら私の可愛いクマちゃんのような可愛い丸太が見えなくなるじゃないか……!」という醜い争いを繰り広げていた時。


「宝物は変態に見つからねぇようにしないとな……あ?」


 彼らに背を向けたままもこもこ花畑に横になり、魔道具の中のお宝を見たい気持ちをぐっとこらえていた副会長の胸元から、微かに光が漏れた。

 副会長は出来るだけ気配を消し、そっと懐へ手を入れる。


「やべぇな……何だこのクッソ可愛いポーズ。輝くジョウロとニャンニャンクマちゃんかよ俺を殺す気か。マジで何やってんのかわかんねぇわ何処だよここ樹枯れすぎだろ。もしかして……可愛すぎて枯れたんじゃねぇか。――あ? もう一枚あんのか……。同じ映像? ちげぇ、手の位置が逆か……三枚目? いや四、五……連続でいけっつーことか撮ったやつ天才すぎんだろ。まさか『お前も枯らしてやろうか』っつーメッセージじゃねぇよな…………噓だろ……天使の舞い……クソッ……視界がにじんでよく見えねぇ……たしかに……俺の涙も涸れちまうかもな……」


 魔道具に届いた彼の宝物――最新の映像を見た彼の口から、気障なようなそうでもないような熱い台詞が漏れ出す。

 言動は乱暴気味だが意外としっかりしている副会長は、懐へ手を入れ綺麗に畳まれたハンカチを取り出すと、雑に涙を拭い、もう一度最初から大切な宝物たちを愛でることにした。



 真っ白で美しい展望台のある湖畔から少し進んだ場所に出来たばかりの、もこもこ温泉郷。

 湖の周りに置かれたふわふわの巨大クッションで休んでいた冒険者達は『凄かった! 南国の楽園みたいっていうか……天国っぽい感じ!』という、現場職人クマちゃんの作った新しい温泉の噂を聞きつけ、早速見学へ来ていた。


「やべえ、これはやべぇ……マジでやべぇ」


 冒険者の男がひたすら『やべぇ』を繰り返す。


「天国っぽいっていうか……天国じゃね?」


 一緒に見学に来た男は『もこもこ温泉郷はガチで天国説』を推す。

 

「すっご……。何だよ、あの光ってるデカい花。あの浮いてるやつってどうやって浮いてんだ。温泉が湧く花とか謎すぎる……」


 あちこちに咲く美しい花と、空中に浮かび滝のように温泉を流し続ける花が気になる男も疑問を口にするが、答えられる者はいない。


 少し離れた場所で水中の回廊を眺めていた冒険者達は「あの光ってる魚、釣れるんかな?」「釣ったらクマちゃん喜ぶんじゃね?」「光ってる魚食って口ん中光ったらやばくね?」「両耳から光出んのとどっちやばい?」「耳じゃね? 閉じられねぇじゃん」「ばっか、そんなん耳当てでどうにでもなんだろ。本当にやべーのは、鼻だ」「天才かよ」「お前口閉じたまま喋れる?」「余裕」「まじで? ちょっとやってみて」「……よ……う……」「いや完全に開いてたわ」という仲良しだが中身の薄い会話をしていた。


「すっごいキレ―!! クマちゃんが住んでたとこってこういう感じなのかな?」


 女性冒険者がお花と植物と流水のカーテンにふれ「あったかーい! すごーい!」と喜びの声を上げる。


「そうなのかなぁ。真っ白で綺麗でお花がいっぱいだし、そうかもしれないねぇ」


 彼女と一緒に来ていた冒険者も、光る花や温泉にふれ「あ、ほんとうだー。あったかーい。すごいねぇ」と相槌を打つ。


「これだけ広かったら、自分達で好きな場所に結界張って入れちゃうね。後でクマちゃんにお礼言いに……あれ? ……雨?」


 魔法使いの女性も嬉しそうに答え、途中で言葉を切り、空を見上げた。


「えー、雨? じゃあ今日は止めた方がいいかなぁ。……あれ、普通に晴れてるよねぇ? もう止んだ?」


 魔法使いの言葉に残念そうに答えた彼女も空を見上げ――不思議そうに尋ねる。


「ただの水飛沫だったのかな? ――でも雨じゃなくて良かった。夜はこっちの温泉……んー、温泉って言葉が似合わないような――」


 魔法使いの彼女は(水飛沫って感じじゃなかったけど……)と思ったが、やはり目の前のもこもこ温泉が気になり、仲間達と話しているうちにそのことを忘れてしまった。


 

 古城のような学園の裏、結界内。先程まで陰気で枯れかけていた森は癒しのもこもこの力で息を吹き返し、現在は薄いピンク色の花が咲き乱れる幻想的な空間に変わっていた。


 ルークの腕の中、彼の心地好い魔力で包まれ、幸せな気持ちで休憩していたクマちゃんは、考えていた。

 うむ、ふんわりと温かくてとても気持ちがいい。

 雨乞いの儀式も成功し、感無量である。


 しかし、やはり土埃の匂いが気になる。

 森はとても元気になってクマちゃんの心も元気になったが、早く体を洗わなければ大変なことになってしまう。

 ずっと土の匂いのクマちゃんになってしまうかもしれない。

 

 段々不安になってきたクマちゃんは、彼の腕を肉球でキュムッと押し、ふわふわの花びらが積もった場所へ降ろしてもらった。



「クマちゃんの癒しの力凄すぎる……。つーかこの花って何の花? めっちゃ綺麗なんだけど」


 リオがもこもこ温泉の周りに咲く薄いピンク色の花樹を眺めていると、魔王のような男の腕の中で休んでいたもこもこが、もこもこと動き出したのが見えた。


「おや、クマちゃんはまた何かをするのかい? もう少し休んだ方がいいのではない?」


 先程大きな力を使ったばかりのもこもこを心配するウィルが声を掛けるが、もこもこはやらなければならないことがあるらしい。

 幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん……」とお話している。


『クマちゃん、綺麗……』と。


「綺麗好きなクマちゃんは早くお風呂に入りたいようだね」


 南国の鳥のような派手な男は、もこもこの言いたいことが分かったらしい。


「あーこの温泉入りたいってこと? さっきと違って綺麗だし、これなら罠っぽくないかも」


 彼らの話を聞いていたリオが、ふわふわの花びらの絨毯とおそろいの色合いの花樹、牛乳にイチゴシロップを垂らしたような色の温泉、それから白黒の帽子を被った真っ白なもこもこ、と視線を移動させ、すべてが愛らしくなった空間に納得したように頷いた。


 赤ちゃんクマちゃんが入りたいと言っているのだから――と美しく生まれ変わった桃源郷のような森の中からリオが草花を摘み、それをもこもこが『クマちゃ』と受け取り魔法でピンク色に光るお花のシャワーを作り、目覚めたクライヴが『花びらが必要か――』と魔法で花びらを集め金髪が『何か寒いんだけど……』と声をかすれさせ、花びらの山を使ってもこもこが『クマちゃ』と魔法で美しい花びらのタイルを作り、お兄さんがもこもこ広場の一角に見覚えのあるテーブルセットを配置し、マスターが『まさか、持って帰らないつもりか……』と慄き、ウィルとルークがお風呂上りに着せるもこもこの服について話し合い――。

 クマちゃんの通う学園の裏、関係者しか入れない結界が張られていたはずの森の中、土臭い体が気になるという非常に個人的――個もこ的な理由でもこもこが勝手に作り始めてしまった温泉施設が、ついに完成した。



 お兄さんの結界で隠された秘湯――クマちゃんの肉球のようにピンク色で愛らしい、皆で力を合わせ完成させた愛のもこもこ温泉で汗を流す、五人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。


 微妙に空気の読めない高貴なお兄さんの然程粋ではない計らいにより、広場の周囲はピンク色の靄にもこもこと覆われている。


「何かすげーピンクなんだけど……」


 ピンク色に光る愛らしいお花のシャワーで汗を流す金髪の口から『なんかもやもやするんだけど……』という気持ちがにじむ声が零れた。

 もこもこが作った広場の周りでは幻想的に淡く光る、白とピンクを混ぜたような美しい花が咲き乱れている。

 はらり、はらりと花びらが舞い、光の粒が雫のように落ちる空間は文句なしに美しい。

 クマちゃんが花びらで作ったタイルだって白に近いピンク色で、可愛いものが大好きな人間がこの露天風呂を見れば、シャワーのように感涙するのでは――という程に素晴らしい場所であることは間違いない。


 入っているのがほぼ全員可愛くない長身の男でなければ――。


 この空間で可愛らしいのはルークにもこもこの泡で洗われ、時々甘えるようにキュと鼻を鳴らし「クマちゃん、クマちゃん」とルークとお話ししているクマちゃんだけだ。

 ――滝行のようにシャワーに打たれじっとしているゴリラちゃんも、もしかしたらギリギリ、『可愛い』の枠に入れてもいいかもしれない。

 お兄さんは自身の体をキラキラとした何かで包み、クマちゃんの作ったお花のシャワーを浴びると、すぐに湯に浸かりに行ってしまった。

 意外と温泉好きなのだろう。

 

 辺りにはお肌に優しいクマちゃん専用高級石鹼の香りと、親切なお兄さんが出してくれた見覚えのある石鹼の香りが漂っている。「……おい、それも酒場のやつじゃねぇのか……」香りに気付いた誰かが渋い声を出したが、当然黙殺された。


 何かを忘れているような気がするリオは、もこもこの泡で包まれ、いつもよりもほっそりとしているほっそりクマちゃんを眺めた。

 ルークの手で優しく洗われているもこもこは、肉球のマッサージを受けている最中らしい。

 今日はもこもこした腕をたくさん動かしていたからだろう。

 丁度体の向きを変えられたクマちゃんと目が合った。もこもこはゆっくりと頷いている。

 リオももこもこのつぶらな瞳と目を合わせたまま、ゆっくりと頷いた。

 何故こちらを見たまま頷いているのか、全く分からないが。

 もこもこと目を合わせたまま自身の癖のある金髪を洗っていたリオは、もこもこ専用高級石鹼の泡に包まれ満足そうにしているクマちゃんの、チャ、チャ、チャと動いている口元へスッと視線を動かし、ふと〝泡、森、雨〟という一連のあれこれを思い出した。


「リーダー、あの泡雨で流れたんじゃね?」


 意外と真面目なリオが最初の目的だったはずの泡の心配をし、かすれた声でルークに尋ねる。

 しかし、ルークは彼の言葉にスッと視線を動かし切れ長の瞳で彼を見ただけで、何も答えず愛しのもこもこのマッサージに戻ってしまった。


 リオには分かった。


 彼は最初から気付いていたのだ。もしかしたらもこもこが肉球と鈴を動かしている時には既に噂の泡が雨で――サァー――と流されるのが解っていたのかもしれない。

 そして黙っていたのは絶対に面倒臭くなったからだ。

 間違いない。


 真面目な話には必ず参加するはずのウィルとクライヴとマスターも、シャワーで静かに泡を流し、無言で温泉に浸かりに行ってしまった。

 彼らもクマちゃんの癒しの雨で泡が――サァー――と流されたことに気付いていたようだ。

 滝行をしていたゴリラちゃんもスッとお湯を止めると闇色の球体に包まれ消えてしまった。


「えぇ……その移動のしかた怖いんだけど……」


 余計なことを言ったせいで皆に逃げられたリオは、もう一度もこもこへ視線を移した。

 愛らしいつぶらな瞳と目が合う。

 魔法で泡を作り魔法で泡を消したもこもこがゆっくりと頷いている。

 リオはほっそりとしたもこもこのつぶらな瞳を見つめたまま、ゆっくりと頷き、思った。


 丸太忘れてきた、と。

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