第131話 赤ちゃんクマちゃんの素晴らしい力
素敵な色に変わった温泉を見たクマちゃんは、満足そうに頷き、考えていた。
「クマちゃん『計画通り』みたい顔してるけど瓶飛んでったのコケたせいじゃん」
――風のささやきが聞こえる。『クマちゃん計画通りだね』と。
うむ。計画通りである。
何故か少しだけ胸がドキドキしているが、バランス感覚の優れたクマちゃんは転んだりしない。
本当は中身だけ入れるはずだったが、自分で飛んで行った瓶は温泉に入りたかったのだろう。
うむ。瓶も綺麗になって嬉しそうに見える。
クマちゃんも早く入りたいが、その前に温泉の周りを綺麗にしなければ。
お兄ちゃんから購入した大きなジョウロはどこだろうか。
もこもこがもこもこの口を微かにもこもこと動かしながらウロウロしている。
幼く愛らしい「……クマちゃ……、……クマちゃ……」という声が辺りに響く。
『……クマちゃ……、……ジョウロちゃ……』と。
ウロウロするもこもこの前に闇色の球体が現れ、地面へ二つのジョウロが置かれた。
目的の物を発見したらしいもこもこが、ヨチヨチもこもこと大きなジョウロへ近付いてゆく。
しかしもこもこが大きなそれを手にする前に、フラリと近付いた魔王様が筋肉質でスラッとした長い腕でもこもこを掬い上げ、空いた手で大きなジョウロを持ち上げた。
彼は自身の腕の中で手の先をくわえ不思議そうにしているもこもこを抱いたまま、もこもこの絵が描かれたもこもこジョウロで露天風呂の湯を汲んだ。
過保護な魔王様には悲しき未来が見えていた。
牛乳瓶が浮かぶ湯。
ジョウロで『クマちゃ……』と湯を汲むクマちゃん。
満水の危険なジョウロ。
危険なジョウロと繋がっている肉球。
肉球と繋がっているクマちゃん。
クマちゃんと繋がっている帽子、斜め掛けの大事な鞄――。
クマちゃん関連のすべてが次々と――最後には帽子も鞄も本体も『クマちゃ!』と湯へ飛び込んでゆく。
悲しき『クマちゃ!』な未来から逃れたもこもこは、クマちゃんのヒーローである彼の手で、優しく地面へ降ろされた。
クマちゃんが地面へ降り立ち、大きくて優しい彼の手に小さな黒い湿った鼻でふんふんと感謝を伝え、もこもこの両手でキュッと抱き締めると、そこからスルリと逃げ出した彼の手は、クマちゃんの帽子をスッと直し、最後に指の背で頬を撫で、離れてしまった。
うむ。降りたばかりなのに、すぐに彼の腕へ戻りたくなってしまうが、今のクマちゃんにはやらなければならないことがある。
彼の置いて行ってくれた大きなジョウロと共に、お水を撒かねば。
樹の天辺から掛けるのが良さそうだが、どうやって移動すればいいのだろうか。
クマちゃんは肉球をペロペロしながら考え――ハッと思いつく。
高いところからの水といえば雨である。
そして、雨といえば――。
クマちゃんはこれから行う事のため、まずはジョウロの改良から始めることにした。
ピンク色の露天風呂が出来てしまったもこもこ広場で愛らしいもこもこの作業を見守っている保護者達。
お腹の鞄へもこもこの手を入れごそごそしていたクマちゃんが、真っ白な杖を取り出す。
すぐに白き生き物の願いに気付いた氷の紳士は、もこもこの側へ跪き、ジョウロの前へ魔石を並べ始めた。
クライヴの愛を感じたらしいもこもこが、魔石を並べてくれている優しい彼の横で背伸びをし、小さな黒い湿った鼻を密着させる。
もこもこのすべてに弱い氷の紳士が、彼の腰を湿らせる愛らしい存在に動揺し、その手から魔石を零れさせた。
「クマちゃんめっちゃ邪魔してるし」
黒革の手袋に包まれた手を震わせ魔石を並べ続けるクライヴと、とにかくすべての出来事に『では私も……』と参加する猫のように、彼の行動を阻害し続ける獣を視界に収めたリオが、目撃したままの感想を述べた。
「彼はクマちゃんの愛らしさに感動しているだけで、邪魔をされているわけではないよ」
クライヴの抱える深いもこもこ愛に気付いているウィルは、碌なことを言わない金髪にやんわりと『静かにしろ』と伝えた。
彼は優しい眼差しで冬の支配者とクマちゃんの心温まる交流を見守っている。
作業を終え、もこもこの愛らしい肉球と握手をしたクライヴは、まるで大怪我を負った冒険者のように、黒革の手袋に包まれた手で腰の横を押さえ、息も絶え絶えに戻って来た。
準備が整ったらしいもこもこが、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、ピンク色の肉球が付いたもこもこの手で真っ白な杖を振った。
ジョウロが光り輝くが、何故かいつものようにすぐには消えず、他の変化は見られない。
彼らが見守る中、ごそごそと杖をお片付けしていた赤ちゃんクマちゃんの両手には、いつの間にか小さな鈴の付いたブレスレットが装着されている。
輝くジョウロの前のもこもこが、掛け声と共に動き出す。
――「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――。
「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――。
もこもこは一生懸命掛け声を掛けながら、肉球をお鼻の高さへ持ち上げ、右右、左左、右右、左左、と猫かきのように動かしている。
クマちゃんが肉球で宙を搔くたび、ブレスレットに付けられた小さな鈴から、リンリン、リンリン、と可愛い音が鳴った。
始まってしまった何かに息を止めた天才撮影技師が、己の高い身体能力を活かした素早い動きで絶好の場所へザッ――と滑り込み、可能な限り低い位置から愛らしいもこもこを激写してゆく。
彼は連写したそれをサッと確認し「連写も完璧」とかすれ声で呟くと、真剣なもこもこの邪魔をしないよう仲間達のもとへ戻った。
「つーか何あの動き。謎過ぎなんだけど」
とにかく可愛いが何をしているのか全く分からないそれを眺めつつ、静かにもこもこを見守っているルークに「あれって何してんの?」と尋ねると、
「見りゃわかんだろ」
当たり前のようにひどい答えが返ってきた。
色気のある低音は、毎回碌なことを言わない。見てわかんねぇから聞いているのだ。
「いや普通に無理だから」と魔王を責めるかすれた声の勇者。
しかし、見てわかんねぇものの答えを聞く前に、「クマちゃっ!」リンリン――の効果が出たようだ。
可愛らしい掛け声とリンリンと鳴る鈴の音が響く中、輝くジョウロが浮かび上がり――そこから真っ白な光の翼がバサァ! と飛び出した。
「はぁ? 何かジョウロから羽出てきたんだけど」
見ていたらもっと分からなくなったリオの口から、感情をそのまま表す素直な音が飛び出した。
今の彼の気持ちは『はぁ?』のようだ。
「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――。
幼く愛らしい掛け声と一生懸命動かし続ける肉球から力を分け与えられたように、もこもこジョウロは光の翼で羽ばたき、高度を上げてゆく。
保護者達が愛らし過ぎる赤ちゃんクマちゃんだけに熱い視線を注ぐなか、数分前から地面に倒れている一人はそろそろ危険な状態だ。
「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――。
もこもこの愛らしい掛け声が響くたび、枯れかけの森に癒しの力が満ちていく。
そして、上空でもこもこから流れてくる力を溜めていたジョウロがひと際強く輝き、クマちゃんの魔法の完成を告げた。
神域のように澄んだ空気に、サァ――と癒しの雨が降る。
枯れていた樹々に、もこもこの優しい力が浸透していく――。
「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――。
雨のなか響く愛らしい掛け声に勇気づけられるように、樹々が息を吹き返し、緑の香りが強くなる。
もこもこの癒しの雨を浴び、灰色の森に再び命が宿るのを感じたリオの目から、一粒の涙が零れた。
森と共に生きる彼らは、死にかけの森に心が傷ついていたらしい。
「……凄いね、まさか、森が生き返るなんて――」
ウィルは目の前の奇跡に心が震え、小さな声でそっと呟く。
美しい楽器のような彼の声が、雨のなかに溶けていった。
もこもこの癒しの力は、死にかけの森まで元気にしてしまうようだ。
穢れなき純粋な赤ちゃんクマちゃんの〝出来る〟と信じる前向きな心が、人間には不可能な奇跡を起こすのかもしれない。
彼は視線を動かし、温泉の周りの樹々を見た。
生き返っただけでなく、見たことの無い綺麗な花が、彼らの周りを幻想的に彩っている。
桃とも違う、淡く輝く薄いピンク色のそれは、まるで夢の世界に咲く花のように華やかで美しい。
クマちゃんのようにふんわりと優しげで、見ているだけで幸せになる。
乾いた土しかなかった地面には柔らかな芝生が生え、その上にヒラリ、ヒラリと白とピンクを混ぜたような色合いの、柔らかそうな花びらが積もっている。
美しく可愛らしい薄桃色の樹が生えているのは、温泉の周辺だけのようだ。離れた場所には鮮やかな明るい緑が見える。
元々この森にあった樹ではなく、クマちゃんの癒しの力で生まれ変わったのだろう。
「……本当に、とんでもねぇな……」
マスターはもこもこの凄まじい――たくさんの優しさが詰まった魔法に胸を締め付けられ、目の端に涙をにじませ呟いた。
愛らしい掛け声はただの掛け声ではなく、『頑張って!』というもこもこの気持ちが籠っているようだった。
この森が生き返ったのも、癒しのもこもこの愛らしく心優しい純粋な応援のおかげだろう。
倒れていたクライヴに雨が優しく降り注ぎ、赤ちゃんクマちゃんの癒しの力を感じた彼はうっすらと目を開けたが、「クマちゃっ」リンリン「クマちゃっ!」リンリン――という愛らし過ぎる声が彼の鼓膜を震わせ、再びパタと瞼を下ろした。
癒しのもこもこの肉球ダンスは、もこもこに弱すぎる彼にはまだ早かったようだ。
もこもこの素晴らしい癒しの力と優しい感情に胸を打たれたお兄さんが、長いまつ毛を伏せ、ゆっくりと静かに頷いた。
「クマちゃっ!」リンリン――と肉球を動かし続ける赤ちゃんクマちゃんを心配したルークが、長い脚でフラリともこもこへ近付き、手を伸ばしそっと抱き上げると、もこもこはやはり疲れていたらしい。
「……クマちゃ……」
抱っこが大好きな猫のように大人しくルークの腕におさまったもこもこは、小さな声で呟き、湿った鼻をふんふんさせている。
彼は愛おしい存在を「すげぇな」と優しく褒め、頑張った赤ちゃんクマちゃんをフワリと温かい魔力で包んだ。
大好きな彼の心地好い魔力に包まれたもこもこがキュと鳴き、愛らしく「クマちゃ」と甘えた声を出した。
上空で癒しの力を放ち続けていたもこもこジョウロはもこもこの応援のおかげでまだまだ元気らしく、輝く翼から光の粉を降らせ、癒しの雨を隅々まで届けるため、森の奥を目指しフワフワと飛んで行った。
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