第127話 クマちゃんの素敵なもやもやともやもやなリオ
『裏の森』を探すため、探し物が見つからず項垂れている可哀相な生徒会長がクマちゃんに気が付く前に学園の裏へ移動することにした、四人と一匹とお兄さん。
学園の彼らと別れる際、副会長が『あのー、俺も天使みたいなクマちゃん抱っこしてみたいんすけど』と言っていたが、離れた場所に見える変態を警戒したリオが『何かやな予感がするから無理』と断った。
クマちゃんに送る視線が妙にしつこい会計がそのやり取りを見て『……分かりました、生徒会長の言動をどうにかすれば美クマちゃんに触らせてくれるんですね』とすべてを理解したような態度で頷いていた。
闇色の球体を通り抜けた彼らの目に映ったものは、想像していたような森ではなかった。
「……何これ。もやもやしてて何にも見えないんだけど。つーか色がキモイ」
最近灰色が苦手になったリオが、灰色と紫を混ぜたような何かを見て暴言を吐く。
「うーん。煙……霧……どちらも違うような気がするけれど」
シャラ、と装飾品を鳴らし腕を組んだウィルが目の前のものと自分の知っているものを比べ、
「――散歩を楽しむような場所ではなさそうだね」
と残念そうに呟いた。
「…………」
無言でスタスタと謎の靄へ近付くルークに「えぇ……リーダーそれ近付かないほうがいい色だって絶対」と靄の色を差別するかすれた声が掛けられたが、色々なことを気にしない無神経な男がそれを気にすることはなかった。
細かいことも細かくないことも気にしない男が紫がかった灰色へ手を伸ばす。
「リーダーそれ触らない方がいいって。絶対触ったとこ変な色になるって」
警戒心の強いリオが近所の壁に紫色を混ぜたようなそれを警戒し、ルークを止めようとする。
しかし、その言葉に反応したのは無神経な男ではなく、無神経な男のことが大好きなもこもこだった。
クライヴが抱えるもこもこ袋から顔を出し、その縁を猫のようなお手々でキュッと掴んでいるクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ!」と叫んだ。
『ルークちゃ!』と。
愛しのクマちゃんに呼ばれたルークは靄へ背を向けもこもこのもとへ戻ると、
「どうした」
いつも通りの低く魅惑的な声で尋ね、もこもこした可愛い頬を長い指で擽った。
クマちゃんはその手を掴み、ふんふんと何かを確認すると、赤ちゃんクマちゃんのように彼の指を銜える。
――色と味が変わっていないか確かめているようだ。
「判ったのか」
冬の支配者のような男が、目の前でもこもこに指を銜えられている男へ尋ねる。
あれが何か解ったから戻って来たのだろう、と。
「壊せば判んじゃねぇか」
魔王のような男は色気のある声でどうでも良さそうに答えた。
灰紫の靄ごときでは彼の興味を引くことは出来ない。
ルークはもこもこの可愛いおでこを空いた手で擽り、何故か口が開いてしまうもこもこから自身の手を取り戻すと、微かにずれていた白黒帽子を綺麗に直し、再び頬を擽った。
愛らしいもこもこが「キュ」と甘えた声を出し、それを聞いた彼がクマちゃんの小さな黒い湿った鼻に指の背で触れる。
もっと甘えたくなってしまったらしいもこもこの「クマちゃ~ん、クマちゃ~ん」という愛らしい声が、陰気な場所に響いた。
――完全に一人と一匹だけの世界である。
「何この甘えてるみたいな声。…………え、リーダーいま壊すって言った? まさかこの城みたいやつのことじゃないよね」
灰紫の靄よりも一人と一匹だけの世界に入っているクマちゃん達と、彼と居る時には出さないもこもこの甘えた声が気になるリオだったが、もこもこの『クマちゃ~ん』を聞いているうちに、先程のルークの言葉が脳へと届いた。
自由に羽ばたく南国の鳥のような男は灰紫の靄の前へふらりと近付き、手の甲でコン、とノックのようにそれを叩くと、
「この結界のことかな」
と言った。
彼の手首でシャラ、と繊細な音が鳴り、
「壊すのは簡単だけれど、僕たちが張り直してしまったら、彼らが入りたくなった時に困るのではない?」
と透き通った声で繊細さに欠ける気遣いをした。
彼の想像する学園生が、新しくなってしまった結界の前で『あ……入れなくなっちゃった……』と寂しそうな顔をしている。
「いや気にするとこおかしいと思うんだけど」
チャラそうなわりに真面目な金髪は、大雑把で無神経な彼らに『灰色はやばい』という最近知ったばかりの常識を教えてあげることにした。
彼らの真面目なお話を、真剣な表情で聞き、頷いているクマちゃんは考えていた。
よく分からないが、リオはあのもやもやの色が気に入らないようだ。
子供っぽい彼には紫色は大人っぽすぎるのかもしれない。
リオが好きな色は何色だろうか。
――うむ。やはり、金色とピンク色だろう。
大人なクマちゃんは子供っぽい彼に、優しく声を掛けた。
リオちゃん、クマちゃんがどうにかするので少しだけ待っていて下さいね、と。
意外と真面目な金髪リオが大雑把なルーク達に「――勝手に壊すのはまずいって。普通の森まで灰色になるかもしれないじゃん」と普通過ぎる意見を述べていると、かすれた説教に巻き込まれているクライヴのもこもこ袋から、幼く愛らしい
「――クマちゃん、クマちゃん――」
という声が聞こえてきた。
『――リオちゃん子供ちゃん、クマちゃん大人ちゃん――』と。
「クマちゃん何かいま聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするんだけど」
目を限界まで細めたリオは、急におかしなことを言い出したもこもこへ不審なもこもこを見るような視線を向けた。
――いま、この赤ちゃんクマちゃんは、彼のことを子供ちゃんと言わなかっただろうか。
クライヴの抱えている――先程より袋からはみ出している――もこもこは、胸元でもこもこした両手を交差している。
――あれは、クマちゃんが恰好をつけている時の――。
「クマちゃんには何か考えがあるようだね」
繊細な装飾品を全身に纏う、派手で美しい南国の鳥のような男は、赤ちゃんクマちゃんに子供扱いされた男の繊細な心を慮ることなく、今から何かをしたいらしいもこもこを見守ることにした。
馬車を降りるお嬢様に手を差し出すように、もこもこ袋からもこもこと出てくるお上品なクマちゃんを氷の紳士が手伝う。
「何かめっちゃもやもやするんだけど」というかすれた声を黙殺したクライヴは、灰紫のもやもやの前へ愛らしいもこもこをそっと降ろした。
黒い革の手袋に包まれた手で優しく地面へ降ろしてもらったクマちゃんの耳には「大人ちゃんて何。クマちゃん赤ちゃんじゃん」というかすれた声は聞こえない。
上品で大人なクマちゃんは通れないらしいそこへスッと手を伸ばす。
コツ、と爪が何かにぶつかる。
うむ、クマちゃんには見えなかったが、ここには壁があるらしい。
――ドアはどこだろうか。
透明なそれをじっと見つめる。
頑張ってみたが、残念ながらクマちゃんの目には透明な壁も透明なドアも見えない。うむ。透明だからだろう。
この壁を作った人は、透明だと見えなくて困るということを知らなかったようだ。
しかし、壁が見えなくてもドアが見えれば問題はない。
うむ。皆が困らないように、クマちゃんが良く見えるおしゃれなドアを付けてあげよう。
リオが赤ちゃんクマちゃんのもやもやする言葉に対し、ぶつぶつと不満を呟いていると、もやもやの前に居るもこもこがお腹の鞄をごそごそと漁り、その場でお絵描きを始めてしまった。
気になったリオは嫌な色合いの靄の前でお絵描きをしている愛らしいもこもこを後ろから覗き込む。
綺麗な色合いで描かれた何かは、よく分からない形をしている。
お片付けも完璧な赤ちゃんクマちゃんがお腹の鞄へごそごそとクレヨンを仕舞い始めても、白と混ぜたような薄いピンク色が中心のそれが何なのか、最後まで分からなかった。
側でもこもこを見守っていた冷気を纏う投資家が、素晴らしい芸術家へ歩み寄り、作品の前へそっと魔石を並べる。
芸術家は胸元でもこもこの両手を交差し、投資家の魔石が山になるのを静かに待っている。
魔石の量を確認し、静かに頷いた芸術家と、頷き斜め後方へ下がる投資家。
芸術家はお腹の前に下げた鞄をもこもこした手でごそごそと漁り、作品の上へ仕上げの葉っぱを落とすと、愛用の杖を取り出した。
準備を整えた芸術家は深く頷き、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、肉球が付いたもこもこの両手で真っ白な杖を振った。
スケッチブックが強い光を放ち、煌めいた葉が風に舞い、フワリと結界へ近付く。
結界へ触れた葉から、まるで隠れていたものが現れるように、美しい色が広がっていった。
淡い色のそれを蔦と葉がくるりと囲い装飾し、ポン、ポンと真っ白な花が咲く。
クマの形の飾り窓が付いた何かは、その存在を強く主張するように、周囲の花をピカッ! と激しく光らせた。
――薄いピンク色の、ハートのような形のドア。
ドアを取り囲む白い花が、ピカッ! ピカッ! と一つ置きに、交互に強い光を放っている。
「やべー。裏通りにこういう感じのいかがわしい店無かったっけ」
近くで客引きが『お兄さん……今日だけサービスしますよ……』とぼそぼそ喋っていそうなドアを見て、リオの悪い口が火を噴いた。
彼の側に立っていた氷の紳士が、存在がいかがわしい金髪を、冷たく尖っているもので紳士にしようと試みる。
「刺すのは良くないと思うんだけど!」
教育の場を荒らす男の視界に、彼を見上げる愛らしいもこもこが入った。
彼はハッとして自身の口を押さえた。もこもこのつぶらな瞳が『クマちゃん、クマちゃん』と言っている。
『リオちゃん、いかがわしい?』と。
ウィルは純粋な生き物のつぶらな瞳に己の穢れた心を浮き彫りにされ動揺しているいかがわしい金髪を冷めた目で一瞥し、
「クマちゃんのおかげで結界を壊す必要が無くなったよ。ありがとうクマちゃん。見つけやすくてとても素敵なドアだね」
と愛らしく有能過ぎるクマちゃんに優し気な声で礼を言った。
心優しいもこもこは、入り口が目立つよう工夫してくれたのだろう。
クマちゃんの後ろのそれが、ピカ! ピカ! と発光するたびに、
『皆さん見えますか! 入り口はココ! 誰でも入れますよ! 入り口は! ココ!!!』
とドアが賑やかに喋っているように感じ、微笑ましい気持ちになった。
本当に何かが聞こえるような気もしてくる。
このもこもこに出来ないことはあるのだろうか。
他人の結界にいつでも自由に出入り出来る入り口を作り、その上それを物質化させる。
これならたとえ魔力が少ない人間でも、クマちゃんが『クマちゃん!』と言わない限り入れるはずだ。
ウィルは人間が魔法でクマちゃんと同じことをしたいなら、と想像しかけ――やはり一度壊したほうが早い、という乱暴な結論を出した。
どう考えても、魔法だけでは無理だろう。
赤ちゃんクマちゃんを見守っていたお兄さんが、もこもこの素晴らしい魔法に感心し、ゆったりと頷いている。
いつもは閉じている美しい瞳を開き、愛らしいクマちゃんが頑張っている姿を焼き付けていたらしい。
苦しげに胸元を掴んでいる氷の紳士がもこもこへ、
「――このドアを目にすれば、すべての魔法使いがお前に跪くだろう」
と言い、『ハーイ! ココデース! この結界の入り口は!! ココ!!!』と魂へ訴えかけるドアの素晴らしさを伝えた。
紳士な彼が再びクマちゃんをもこもこ袋へエスコートするのを見たルークがそちらへ近付き、袋から顔と手を出しているお上品なクマちゃんの頬を褒めるように撫でた。
褒められたことに気が付いたもこもこが喜び、彼の手を愛らしいお鼻でふんふんふんふんと湿らせている。
「このドアどうやって開けんの?」とリオがノブの無いそれに触れると、牛乳にイチゴシロップを垂らしたような色の可愛らしいドアが、ハートの形のピカ! ピカ! と光る花輪を残し、フッと消えた。
「やばいやばいやばい」
消えたピンク色の板の向こうに広がる灰紫を見たリオが、すぐにそれから手を放す。ドアが『えー!』と言った気がする。
数百メートル離れても見えそうなド派手でいかがわしいこのドアは、触れただけで結界を開いてしまう仕組みのようだ。
小さなもこもこでも開けられる仕様らしい。簡単すぎて大変なことになりそうである。
結界を張った人間がこのドアを見たら『なんてことを!!』と言うだろう。間違いない。
大柄な冒険者二人が並んで入っても余裕のありそうな、底の平らなハート型の板へ近付いたルークは、足を止めないまま自然な動作でそれに触れると、初めから何もない場所を通り過ぎるように、消えたドアの向こうに見える灰紫の中へ、躊躇なく入って行ってしまった。
「えぇ……マジで何なのあの人。絶対おかしいでしょ……」
少しも躊躇う様子を見せず嫌な色の靄の中に消えてしまったルークの神経を疑うリオ。
「おや、霧が濃くてすぐに見えなくなってしまうね。彼の位置が分からなくなることはないと思うけれど、早く入った方がいいのではない?」
リオの繊細な心を理解しない南国の鳥が、ドアの前に居るのに入ろうとしない金髪に親切な声を掛ける。
魔法を学んでいる途中の学園生達が入っても無事に戻ってきているのだから、吸い込んだりしなければ平気だろう。
彼らには『気味が悪い』という微妙な感覚は伝わらない。
大雑把な彼らの判断基準は、それに害があるか、無いか、だ。
◇
大雑把な二人が靄の中を下見に行き、お兄さんがもこもこの為に作った靄の無い空間に、リオが無理やり入り込んだ。
あまり大きくないその空間は、お兄さん、生暖かい袋を抱えたクライヴ、リオという、背が高く圧迫感のある面子で埋まっている。
もこもこ袋を抱えているクライヴの『狭い』という視線が、金髪の横顔へ氷の槍のように鋭く突き刺さった。
ドアを潜る前に過保護なルークが掛けて行った小さな結界に護られているもこもこは気味の悪い靄が全く気にならないらしく、もこもこ袋から顔と手を出し幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」とお話している。
『リオちゃん、大丈夫』と。
「クマちゃんめっちゃ優しい……でも何かもやもやする……」
警戒心の強い穢れた心のリオが、純粋なもこもこの優しさを疑う。
愛らしいもこもこは袋の中にもこもこと引っ込み、杖と何かの葉を持って再び出てきた。
「何その葉っぱ。あの枝のやつ?」
リオには葉の細かな違いなど分からない。肉球付きのもこもこの手に握られたぐちゃっとした葉は全部同じに見える。
いつも通り返事のないもこもこを眺めていると、愛らしいもこもこのもこもこした口元が、微かに動いていた。
小さな声で「クマちゃ……クマちゃ……クマちゃ……」と呟いている。
『ピンクちゃ……ピンクちゃ……金色ちゃ……』と。
「ピンクちゃん?」とかすれた声でリオが呟くのとクマちゃんの手元の折れ曲がった葉が光るのは同時だった。
クマちゃんの占いのおかげで眩しさを感じない、不思議で美しい木の実色の左目でそれを眺めていると、周囲が明るくなっていくのが分かった。
灰紫の薄暗い靄が、イチゴと牛乳を混ぜたような愛らしい色合いの明るい靄に変わり、あちこちに金の光が瞬く。
長身の男が三人も居る狭い空間を取り囲む一面の薄ピンク。
ピンクの中に浮かぶたくさんの光。金色に明滅するそれらは、まるで仲良しな彼らを祝福しているかのようだ――。
「えぇ……」
素直なリオの口から喜びではない声が漏れた。
「何かもやもやするんだけど……」
リオはピンク色の靄の中で小さく呟く。
本当はもやもやを吐き出したい。『可愛くすればいいってわけじゃないんだけど!』と。
灰色は駄目でピンクならいいとかそういう問題ではない。
この変なもや自体がいやなのだ。
しかしクマちゃんがもやをピンクにしたのはリオが灰色を嫌がったせいだ。
――そうだ。こんなに優しいもこもこは他にいない。
クマちゃんが癒しの力を使ったからピンク色になったのだ。それなら靄がピンクのところは安全だということだろう。
「ありがとクマちゃん。めっちゃ良い色な気がしてきた」
癒しのもやのおかげで元気になってきたリオは、心優しいもこもこに明るく礼を言った。
やはり、もやは明るい色に限る。こんなに良いもやは見たことが無い。
元気になったリオを見たクマちゃんは深く頷き、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。
『リオちゃん、元気ちゃん』と。
ピンク色で可愛らしいふんわりキラキラとした靄の中、仲良しな一人と一匹をお兄さんとクライヴが静かに見守っていた。
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