第128話 みんなで仲良くパタパタするクマちゃんと陰気な生徒会役員

 副会長達の居るもこもこ花畑に項垂れながら戻って来た生徒会長だったが、ハッと何かに気付いたように顔を上げると、


「私の可愛いクマちゃんの香りがする」


妙に確信をもった様子で言い切った。


 一瞬目を離した隙に愛らしく美しく心優しい美もこもこが去ってしまい、すべてのやる気が大幅に下がっている会計が、


「……会長、全体的に良くないです」


と生徒会長の存在を否定した。

 愛らしい生き物に避けられがちな彼に優しく肉球を差し伸べてくれた――見つめるだけで胸が締め付けられるほど大好きになってしまったクマちゃんを抱っこ出来る大事な機会をどこかの変態のせいで奪われた彼には、生徒会長の悪い部分について詳しく説明する気力がない。


「…………」


 副会長は自分の左腕を枕に、もこもこ花畑で横になっている。紛失物について尋ねる気力もない。

 会計と同じく生徒会長の言動が変態臭いせいで天使なもこもこを抱っこさせてもらえなかった副会長の現在のやる気を数値化すると、一未満だ。

 ――因みに最大は百、もこもこの映像、又は生もこもこを見た時のやる気は五百から千である。

 


 リオが元気になったのを感じたクマちゃんは深く頷き、考えていた。

 やはり、子供っぽいリオは大人っぽい紫色のもやが嫌だったようだ。彼に紫はまだ早いのだろう。

 不満そうな先程とは違い、ピンクと金色のもやもやに包まれ喜んでいる。

 もやもやの色を変えるとき、ふと頭に浮かんだマイナスイオンという何かは関係があるのだろうか。

 難しい言葉は良く分からないが、リオが楽しそうになってとても嬉しい。

 うむ。大人なクマちゃんのおかげである。



 リオはもこもこ袋から顔を出し猫のようなお手々でキュッと縁を掴み頷いているもこもこに、


「……クマちゃん今なんか良くないこと考えてなかった?」


と何かを察知したように尋ねたが、考え事に夢中なもこもこにかすれた声は届かない。


 疑り深いリオが愛らしいクマちゃんへ不審なもこもこを見るような目を向けていると、結界の中を下見していたルーク達が戻って来た。

 容貌も魔力も魔王のような彼は、彼らに靄の中の様子を伝えるよりも愛しのもこもこと戯れる方が重要らしい。

 お兄さんのように靄の無い空間を広げた彼は、クライヴが抱えているもこもこ袋の中で愛らしくルークを見上げ、彼に撫でられるのを待っているクマちゃんへ手を伸ばし、もこもこの頬を長い指で優しく擽った。

 大好きな彼との再会を喜ぶもこもこが、その手を掴まえふんふんと湿った鼻で熱烈におもてなししている。


「このピンク色の霧は、キラキラと輝いてとても美しいね。クマちゃんの癒しの力が感じられて、とても落ち着くよ」


 ルークと共に美しくない森へ下見に行っていたウィルが、クマちゃんの靄へ賛辞を贈る。

 冒険者である彼は美しくない場所でも気にせず仕事をするが、幼いもこもこがリオのために頑張り力を注いだピンク色の靄からは、いつも自分達の側に在る癒しの力を感じ、安らぎを覚えた。

 先程彼が見てきた森は濃い靄のせいで視界が悪く、何かを調べられるような状態ではなかった。

 あの澱んだ色のつまらない靄の中で進まない仕事をするより、この美しく煌めくピンク色の靄に包まれ、可愛いクマちゃんと一緒にぼーっと過ごすほうが、余程有意義だろう。

 

 

 ルークの大きな手と戯れ、魅惑的な指を上品な仕草で銜えた大人びたクマちゃんは考えていた。


「クマちゃんまたリーダーの指くわえてるし。やっぱ赤ちゃんじゃん」


 風のささやきが聞こえる。『クマちゃんリーダーちゃん――』と。

 うむ。クマちゃんは格好いいルークに似て格好いいと褒めているのだろう。


 ここは森の中らしいが、クマちゃん達の暮らす美しい森と違い、周りがよく見えない。

 お散歩をするのなら、美しい景色――湖とお花畑が必要ではないだろうか。

 うむ、ウィルも素敵な湖を眺めながらお散歩したいと言っていた。

 彼が喜ぶような綺麗な湖を探したいが、見えないと探せない。

 クマちゃんは一生懸命考え、ハッと閃き、彼の指をもこもこの口から解放した。


 ――皆で一緒にもやもやをお片付けしたらいいのでは。


 うむ。それはとても楽しそうである。

 そこら中に散らばっているから森が隠れてしまっているのだ。

 すべてを理解したクマちゃんは、すぐに皆をお誘いしようと考え――もしかしたら皆、今はお片付けの気分じゃないかもしれない――と少しだけドキドキしながら、難しいお話をしている彼らに声を掛けた。


 皆さん、クマちゃんと一緒にもやもやをお片付けしませんか、と。



 もこもこと一緒に待機していた彼らが、ルーク達が確認してきた靄に包まれた森の話を聞いていると、クライヴが抱えているもこもこ袋から幼く愛らしい「クマちゃん、クマちゃん……」という、いつもより遠慮がちなクマちゃんの声が聞こえてきた。


『クマちゃんと、お片付け……』と。


 もこもこの声に気付いた彼らがすぐにそちらへ目を向けると、可愛いもこもこは片方の手で袋の縁をキュッと掴み、もう片方のもこもこのお手々をもふもふの口元に銜え、不安げに彼らを見つめていた。

 断られてしまうのではないかと心配しているのだろう。


「皆で一緒にお片付けをするのかい? それはとても楽しそうだね」


 ウィルは愛らしいもこもこを安心させるため、何を片付けるのかも聞かずに賛成した。

 ――片付けたいのはこの陰気な森だろうか。

 一日では終わらないかもしれないが、毎日少しずつやればどうにかなるだろう。


「へー。片付けとか部屋のしかやったことないかも。……クマちゃん何片付けたいの?」


 赤ちゃんクマちゃんが自分達と一緒に何かをしたいのならば当然断ることなどないが、何も見えないこの場所で『片付け』などと言われると(まさか……この森を……)という不吉な考えが浮かんでしまい、リオはさりげなくもこもこに探りを入れる。

 迂闊に人様の森に手を出せば、後で問題になるかもしれない。

 その時に動機を聞かれたとして、『キモイ森だなと思ったんで』『左様でございますか』で済むとは思えない。


「それが白いのの願いか。――わかった。では、共にこの森を片付けよう」


 心優しきもこもこの願いなら何でも叶えたい、赤ちゃんクマちゃんの教育に良くない男クライヴが、はっきりと森の始末を宣言する。

 人間の自分には判らないが、癒しの力を持つもこもこには始末しなければならない何かが見えているのだろう。

 隣からのかすれた「えぇ……」は手元のもこもこ袋の生暖かさを嚙みしめている氷の紳士には届かない。


「やるか」


 愛しのもこもこの企画には当然参加する魔王のような男も、低く色気のある声でもこもこの耳に優しい言葉を響かせ、もこもこの頬を擽った。

 皆が賛成してくれて嬉しいらしいもこもこが、小さな黒い湿った鼻で彼に喜びを伝え、しっとりとさせている。

 もこもこを甘えさせるのが好きな男は湿ったそれを取り戻すことなく、可愛いもこもこを大きな手に絡みつかせ好きにさせていた。


 お兄さんも長いまつ毛を伏せゆったりと頷いている。

 赤ちゃんなもこもこが皆から大事にされているのを見て安心しているようだ。



 ルークの手に小さな黒いお鼻をくっつけ喜びを伝えていたクマちゃんは、ハッとしてそれを手放した。

 名残惜しいが、クマちゃんは今からしなければならないことがある。

 皆でお掃除するための道具を出さなければ。

 うむ。何でも持っているお兄ちゃんなら色々持っているだろう。



 ルークの手を肉球付きのもこもこした両手でキュッと抱き締め、名残惜しそうに放したクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」とお兄さんへ話し掛けた。


『クマちゃん、お掃除の』と。


 注文を終えたクマちゃんはピンク色の肉球でせっせとプクッとしたハートを作り、お兄さんに渡している。

 先払いで気に入らない商品を買ってしまった時のことをもう忘れてしまったらしい。

 受け取ったハートを次々に闇色の球体へ仕舞うお兄さん。

 闇色の球体はもこもこが大量購入したお掃除関連の商品を、枯れ枝と石ころと土しかない地面へ並べていく。


「それ酒場のやつじゃね?」という真面目な人間のかすれた声は、美しく妖しいお兄さんには届かない。

 

 素晴らしい掃除用具の数々に満足したもこもこは深く頷き、クライヴの抱える袋から少しだけもこもこと身を乗り出すと、お兄さんへ肉球を差し出し、握手を交わした。

 ――良い取引が出来たらしい。


 氷の紳士のエスコートでモフワッとお上品に地面へ降り立ったもこもこは、お腹の前に下げた耳の黒い白クマの鞄をごそごそ探ると愛用のそれを取り出し、肉球の付いたもこもこの両手でサッと高く杖を掲げた。

 意図を察した紳士がスッと片膝を突き、掃除用具の前へ魔石を並べる。


「何、クマちゃんその持ち方。絶対かっこつけてるだけでしょ」


 凛々しく神聖なもこもこにいちゃもんをつけた金髪へ、手が離せない氷の紳士に代わり、魔王と南国の鳥の方からクマちゃんくらいの大きさの、ぶつかると危ない氷が飛んで来た。

「それ絶対クマちゃんよりデカいじゃん!」と意外と冷静に分析した真面目な金髪は、氷の紳士の優しさに気が付き、少しだけ反省した。



 クライヴに準備を整えてもらいゆっくりと頷いたもこもこは、高く掲げていたそれを下ろし、小さな黒い湿った鼻にキュッと力を入れ、もこもこの両手で真っ白な杖を振る。

 お兄さんからハートで購入した掃除用具と、紳士が並べた魔石がキラキラと輝きを放つ。

 ホウキや塵取り、ハタキ、モップ、バケツ、デッキブラシ、タワシ、何故かジョウロ、その他色々――といった掃除に使ったり使わなかったりするあれこれは、見た目は然程変わっていないが、柄や金具、平らな部分にクマちゃんらしき飾りや絵が付けられ、少しだけ可愛らしくなっている。


「普通に掃除するやつに見えるんだけど……クマちゃんこれ何に使うの? ほとんど室内用っぽくね?」


 もこもこお掃除用具が気になったリオは地面に置かれたハタキを掴み、上体を起こすと適当にその場で振って見せた。

 動きに合わせハタキがキラキラと輝いたが、いまいち使い方が分からない。


 ごそごそと上手に杖を仕舞ったクマちゃんは、肉球が付いたもこもこのお手々で小さなもこもこ専用ハタキを掴むと、ピンク色のもやもやへポフポフと近付き、パタパタパタパタと可愛くそれを振った。

 

 ぬいぐるみのようなもこもこの赤ちゃんクマちゃんが小さなハタキでパタパタしているところを見てしまった天才撮影技師が、スッと片手で菱形の魔道具を構え、キラキラと輝く美しい瞬間を激写する。

 天才な彼は魔道具に納まる映像へチラと視線を向け「俺マジ天才」とかすれた声で呟いた。



 自身の胸元から光が漏れたことに気付いた副会長が、カッと目を開き、右手を懐へ差し込む。

 もこもこ花畑で気力が回復するのを待っていた彼が一瞬で元気になる例のものが届いたようだ。


「クソッ……! ピンク色でパタパタお掃除とかどういう状況だよ! 謎過ぎて探しに行けねぇじゃねぇかマジで最高にクソ可愛いな畜生」


 元気はみなぎったがもこもこの居る場所が独特すぎてそれがどこなのか全く分からない。

 微かで乱暴な独り言を聞き取ったらしい会計が、花畑で横になっている彼を後ろからスッと覗き込む。


「……これは……!!」


 白きもこもこ初心者の彼は愛らし過ぎるもこもこにひたすら震えるだけで、映像から居場所を特定するなどという余裕は無かった。


「――石鹼の香りがしたということは……私の可愛いクマちゃんは近くにいるはず……でも一体どこに……」


 言動を改めていない生徒会長はもこもこ花畑に咲いているクマちゃんの可愛い尻尾のような綿毛をそっと指でつつき、少なすぎる情報からもこもこの居場所を突き止めようとしていた。



 少しの間もこもこがパタパタとハタキを振っていると、円形だったはずの靄のない地面が、もこもこのいる場所だけ広がって来た。


「え、何それ! まさかこれでもや消せんの?」


 突起のように広がってきた靄のない地面を見たリオが驚きの声を上げ、その不思議な現象を確かめようと、自身の持つハタキを靄の中で振った。

 地面の円形がさらに広がる。


「やばい楽しい」


 リオは陣地を広げる遊びのようなそれを気に入り、足元で一生懸命パタパタしているもこもこを抱き上げると、


「クマちゃん一緒にやろー」


と楽し気に声を掛け、一人と一匹は仲良く靄の中をパタパタしながら進んで行った。


「確かに、とても楽しそうだね」


 南国の鳥のような男は靄の中から気こえる「お。樹発見。つーかこの樹、色変じゃね?」「クマちゃ」「え、なにクマちゃん。……何それすげー! クマちゃんの魔法めっちゃやばい。楽しすぎる」「クマちゃ」という仲良しで楽しそうな声にフッと笑い、自身も地面からモップを拾い上げると、


「魔力を籠めたほうが早く進めそうだね」


魔力に反応して輝きを増したそれを持ち、一人と一匹の後を追った。

 

 デッキブラシを肩に掛けた、掃除用具が全く似合わない魔王のような男と氷の紳士もそれに続く。

 別方向に進んだ方が早そうだが、一緒が好きなもこもこなら一緒のほうが喜ぶだろう。


 掃除などしたことがないであろう、ひとり残されたお兄さんが静かに頷き、


「――人手は多い方が良いだろう」


低く美しい、頭に響く不思議な声で呟いた。


「――幼きクマが喜ぶのは……マスターという男か――」


 そして、書類が毎日机に溜まっていく人間の苦痛を知らない、人ではなさそうなお兄さんは、闇色の球体を使いその場から消えた。


 マスターが謎のお兄さんに誘拐され、『キモイ森』の掃除を手伝わされることになるまであと十五秒――。

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