第122話 和気あいあいと過ごすクマちゃん達と、探り合う生徒会役員達

 その真っ白なもこもこは、副会長が廊下の絵画で見た白黒のもこもことは違い、妙に頭がデカく見えるおかしな――白黒のもこもこした――帽子は被っていなかった。

 しかし、きゅるるんとした黒いつぶらな瞳も、健康的に湿っていそうな小さな黒い鼻も、もふっと膨らんだ口元も、真っ白でふわふわな――完璧に手入れが行き届いた貴族の猫よりも毛並みが良さそうな――ところも、廊下のそれと同じだった。

 否、同じ、ではない。

 どちらもとんでもなく可愛いのは間違いないが、彼が今見ている映像は、『世界一可愛い生き物の世界一可愛い最高の瞬間を激写したんだけど俺めっちゃすごくね?』と自慢されているのではないか――と錯覚してしまうほど可愛いのだ。

 これを撮った人物(もしかしたら大人クマかもしれないが)は、きっと物凄くこの真っ白なもこもこを可愛がっているのだろう。

 そうでなければ、こんなに的確に可愛いもこもこの最高の瞬間を撮れるはずがない。

 ――それとも、このとんでもないもこもこは、常時この可愛さなのだろうか。

 何もしていなくとも。そこに存在するだけで――。

 魔道具を見つめたまま目を眇める副会長の口から思わず、


「クソやべぇ……なんてやべぇもこもこだ……」


こわばった声が漏れる。

 必要もないのについ、片手で魔道具を操作し、どのもこもこが一番可愛いもこもこか見比べてしまう。


 一枚目は――。

 体をすっぽりと隠すほどデカい花の中央で両手を広げている、


『……んだよそのピンク色の肉球は! 見せつけてんのか馬鹿野郎! そんな可愛いかったら花から生まれた途端誘拐されちまうぞ!』


と言いたくなる映像だ。

 二度見ても可愛さは全く薄れない。やはりこれが最高か。しかし、最高の映像はこれだけではない。

 集中しすぎてほとんど瞬きをしていない副会長が映像のもこもこを親指でそっと撫でると、魔道具の映像がふわりと揺らめき切り替わる。


 二枚目は――。

 もしや隠れているつもりか、しかし柱から半分以上出ているもこもこの、


『……馬鹿だな……ほとんど見えちまってるじゃねぇか……間抜け過ぎてクソ可愛すぎだっつーの!!』


という魂の叫びが漏れ出してしまいそうな映像だ。

 やはり、これも最高だ。


 三枚目は――。

 ぬいぐるみのような生き物のあまりの可愛さに魂が激しく荒ぶっている彼が――白と水色の浮き輪の上でキュッと丸められた、猫のお手々のような両手、輪の中央にすっぽりと嵌り不安げにこちらを見つめるもこもこの、


『……自慢の綺麗な毛並みが、水に濡れて妙にほっそりしてんな……その困った顔……まさかお前、泳げねぇのか? ――俺がすぐに助けてやっから待ってろ!!』


と心がざわつき駆けつけたくなる映像をきつく睨みつけ、


「つーか、なんだこの楽園みてぇな場所は……まさか、このもこもこ…………天使か?」


天使の存在する場所と泳げない天使の救出方法について考えつつ「道理で妙に白すぎると思ったぜ」と呟いていた時。


「ん? もう直ったの? さすが私の可愛いクマちゃんのお花畑だね。壊れた物が置いておくだけで直る場所なんて、世界中探してもここ以外ないと思うよ。――ああ、私の可愛いクマちゃんを想うとつい、話が逸れてしまうな。いつも不機嫌で楽しくなさそうな君がそんなに夢中になるなんて、一体何が映ってたの?」


 容姿は繊細で美しいが、彼の愛するクマちゃんが絡むと妙に鬱陶しく、そして若干発言に繊細さが欠ける色々面倒臭い生徒会長が副会長の方へ近付いて来る。


 背後から近付く鬱陶しい存在に気付き、うっかり舌打ちをしそうになった副会長は、険しい表情のままスッ――と魔道具を懐へ仕舞った。

 何となく彼には見せたくない。この天使なクマちゃんのクソ可愛い映像を奪われる気がする。

 当然渡さないが、互いに譲らず本気の喧嘩に発展する未来が見えた。

 副会長は、お上品なこの男が暴力を振るったりするだろうか、と一瞬考え――これを奪うためならやるな、と思った。

 普通に暴言を吐き殴りかかってくる様が想像出来る。


 デカくてもこもこした白黒の帽子が有っても無くても、この真っ白なもこもこが『私の可愛いクマちゃん』と呼ばれている赤ちゃんクマちゃんなのは間違いない。

 こんなに可愛い生き物は、世界中どこを探したって他に居ないだろう。

 確かに、これほど愛らしい――愛らし過ぎて命の危機を感じるほど――ヤバい生き物に出会ってしまえば、元は普通の人間である生徒会長の脳内がもこもこ一色に染まり、クマ愛の強い変態のようになってしまってもおかしくはない。

 ――もしかしたら彼が知らなかっただけで、元々変人で変態だったのかもしれないが。



 彼はふと、思いだした。


(……あのもこもこ、声もクソ可愛かったな)


 そして可愛いもこもこの『クマちゃん、クマちゃん』という愛くるしい声を脳内で再生する。

 副会長は相変わらず怠そうだが一人の時よりはややマシな学園用の態度に戻ると、改まった口調で


「ふつーの白いキノコでした。会長は見なくていいです」


と噓を吐く。

 彼は生徒会長の気を魔道具から逸らし、ついでにもこもこの可愛い情報を引き出すため「会長ー、さっきの話俺も詳しく聞きたいんですけど」とクマちゃんの愛らしさを語りたくてしょうがない白金髪の男の愛と感動の物語を最初から聞くことにした。


 急に態度の変わった怪しい副会長を、真面目な会計がじっと見ていた。



 もこもこした口をもこもこと動かし、幼く愛らしい声で、


「――クマちゃん。――クマちゃん。――クマちゃん」


と小さく掛け声をかけている、レモンの帽子とお揃いのよだれかけを装備したパティシエクマちゃん。

 

 ピンク色の肉球で一生懸命取っ手を回し、シャリ――、シャリ――と涼し気な音を立て、リオから「クマちゃん頑張れ」とかすれた声で応援されつつかき氷を作っていたパティシエは、十分ほど頑張り、ようやく小さなもこもこ一人分くらいの氷を削ることに成功した。


「おー、ひとりでそんな削るなんてクマちゃんめちゃめちゃすげーじゃん」


 若干褒め方のぎこちないチャラい金髪リオが、仕事を終えウィルの腕の中で休んでいるもこもこへ賛辞を贈る。


「続きは僕たちに任せて、クマちゃんはリーダーのところで少し休んでいて」


 自身が抱えた愛らしいもこもこの頬を指先でふわふわと優しく擽り、ウィルが涼やかな声でクマちゃんに話しかける。

 彼が装飾品の着いた腕を動かすと、シャラ、と楽器のような美しい音が微かに響いた。

 南国の青い鳥のような男は、パティシエを迎えに来た魔王のような男へクマちゃんをそっと渡し「皆の分が用意出来たら、君が僕たちのために作ってくれた素敵なお菓子を一緒に食べよう。とても楽しみだね」羽で撫でるようにふわ、ともこもこした可愛いお手々にふれた。



 リオとウィルが交代で魔道具の取っ手を回し、魔法でクライヴが凍らせた甘い牛乳を削っていたが、シャリシャリという涼し気な音は少しも聞こえない。


 彼らの背後にもこもこした応援団長がいるからだ。


 シャンシャンシャン「クマちゃん」シャンシャンシャン「クマちゃん」シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン「クマちゃん!」


 激しい鈴の音。応援団長の熱く愛らしい声。かき消された氷の音。

『がんばれ、がんばれ、クマちゃん』という素敵な応援と共に、氷の山が出来てゆく。

 もこもこした応援団長は猫のような可愛らしいお手々にキュッと力を入れ、肉球が付いた両手を交互に、ときに同時に、一生懸命振っている。


 耳に音をねじ込む応援団長。


「いやクマちゃん鈴うる――」


 口が勝手に反応するリオ。

 彼は応援団長の活動を応援するもこもこ愛護団体から殺気を向けられ、スッと口を閉じた。


 ――そうだ、音だけ聞くからうるさく感じるのだ。


 天才撮影技師リオは閃いてしまった。『撮ればいい』と。

 可愛い姿を撮っている間は音なんて気にならないだろう。

 魔道具の取っ手をウィルへ渡した天才撮影技師は、レモン帽を被った応援団長が自分達を応援する、最高に気分が上がる瞬間を激写することに成功し、かすれた声で「やべぇ俺天才すぎる」と自身の才能に慄いた。



「そのつぶらな瞳と目が合った瞬間、私は自分の心臓が激しく動き出すのを感じた――」


 話のくどい生徒会長が『私の可愛いクマちゃん』について熱く語り、目つきの悪い副会長が「会長、さっきの、クマちゃんが花壇の前で蹲ってたとこ詳しく聞きたいんですけど」と愛らしいもこもこの生態を探ろうとする。


 彼らのそばで話を聞いている会計は思った。

 いくら可愛いと言っても、実家のシャーよりは可愛くないだろう。

 廊下にとんでもなく可愛い絵が飾ってあったが、絵というのは大体が美化されているものだ。

 それにぬいぐるみそっくりな生き物など、今まで見たことも、聞いたことも無い。

 この世で一番可愛い生き物は、間違いなく猫である。

 猫の勝利を確信している会計の目に、気になるものが映った。

 先程から態度の怪しい副会長の胸元から一瞬漏れた、既視感のある光は――。  

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