第120話 みんなの愛情に包まれるクマちゃん

 古城のような学園の裏に在る、暗くて陰気な森の中。泡だらけの怪しい魔道具を発見した生徒会長達は、それを修理すべく学園へと戻った。


「あの、本当に俺何で連れてこられたんですか?」


 と言う真面目で、意外と付き合いの良い会計と共に。



 もこもこした体に熱を溜め込み緊急搬送されたクマちゃんは現在、湖畔の別荘、リビング内にあるソファに横に――なっている魔王のような容貌の男の上に、横になっていた。

 ――寂しがり屋のもこもこは、たとえ体が熱くても一匹で寝るのは嫌らしい。


 魔王のような男ルークは、自身の上で「……クマちゃ……」と言っているもこもこを魔力で包み体を冷やしてやっている。

 もこもこはまだ『……あちゅい……』ようだ。

 魔王様は時々もこもこの小さな黒い湿った鼻へ手を近付け、そこから出る熱を確認しようとしていたが、そうすると指にじゃれつき甘えたり齧ったりしてくる困った獣がいるため、鼻息で熱を測るという試みは一度も成功していない。


 冬の支配者のような男クライヴは、見る者すべてを凍えさせそうな表情でソファの側で片膝を突き、小さくて溶けやすい氷をもこもこの口の中へ入れてやりながら、静かに呟いた。


「死ぬな――」と。



「クマちゃん何か飲みたいものある?」


 冷たい飲み物が必要ではないかと思ったリオは、いつもよりも少し優しい、かすれた声でもこもこに尋ねた。

 クライヴが口に入れてくれた小さな氷を、チャチャッと美味しく味わっていたクマちゃんが、幼く愛らしい声で


「クマちゃ……」


と弱ったふうに呟く。


『クマちゃ、牛乳……』と。


「えぇ…………いやクマちゃんがいいならそれでいいんだけど……」  

 

 それは本当に熱くて怠い時に飲みたい物だろうか――納得のいかないリオの口からつい肯定的ではない声が漏れ出すが、それは個人、個もこもこの自由だろう、と自身の牛乳に対する思いにスッと蓋をした。


「じゃあ氷だけ入れる?」


 気遣いを忘れない男リオが、もこもこに優しく尋ねる。

 再びクライヴの溶けやすくて小さな、もこもこ好みの氷をチャチャッと美味しく味わっていたクマちゃんが、幼く愛らしい声で


「クマちゃ……」


と弱々しく答えた。


『クマちゃ、お砂糖……』と。


「えぇ………………いやクマちゃんがいいならそれでいいんだけど……」


 閉じ込めたはずの偏見が、彼の口から漏れ出す。どうやら蓋の閉め方が甘かったようだ。

 体調不良のもこもこが飲みたいと言っているのだから、自分は黙ってそれを用意すればいいのだ。

 もこもこの大好きな、砂糖を大量に投入した牛乳を。


 体の小さいもこもこのどこを冷やすのがいいか悩んでいたマスターが、クマちゃんの可愛い額にお兄さんがどこかから取り出したもこもこ専用の氷嚢を載せ「……毛の上からでも冷えるのか……?」と難しい声を出している。

 その間に、リオはリビングの奥、植物に隠された入り口から食堂へと入っていった。



 せめて見た目だけでも――と配慮したリオがマグカップではなくグラスに牛乳を注ぎ、まだ温かいそれを持ってきた。

 

「クマちゃん甘い牛乳作って来たよ」


 リオは、怠惰に寝そべる魔王のような男の上に仰向けになり、皆から優しく看護されているもこもこへそれを渡――す前に、


「――あ、氷よろしく」


クマちゃんの口に氷の粒を入れているクライヴに気が付き、彼にそれを手渡した。


「――わかった」


 声も視線も冷たいが意外と仲間思いで優しいクライヴは、一瞬だけ可愛いもこもこから目を離し、リオの手からそれを受け取った。

 ――グラスの中に彼の魔法で作られた、溶けにくい氷が入れられていく。


 ルークともこもこが横になっているソファを背凭れに使い床に座っていた、南国の鳥のような派手な男が、グラスに氷が当たるカラン――という綺麗な音を聞きながら、一人掛けのソファで瞳を閉じているお兄さんへ視線を向けた。


 彼は何でも屋のように何でも持っている、妖しく美しいお兄さんに


「ねぇ、お兄さん。クマちゃんが使えるストローのようなものは無い?」 


と涼やかな声で尋ねた。

 おそらく部下や配下にもこもこ専用の物を大量に作らせていると思われる、偉そうな、おそらく実際に偉いであろうお兄さんなら、クマちゃん専用ストローくらいはもっているだろう。

 少しだけ瞳を覗かせたお兄さんが、クライヴの持つ、甘い牛乳と氷の入ったグラスへ闇色の球体を近付け、そこからストローを落とした。

 ――やはり持っていたらしい。

 酒場で使われているストローは植物の茎を魔法で加工した、黒っぽい色味のまっすぐな物だ。

 しかしお兄さんが球体から取り出したクマちゃん専用ストローは、透明感のある白で途中で曲げられるようになっていた。素材は同じなのかもしれないが、細部に妙なこだわりを感じる。


 ルークに手を添えられ体の向きを変えられたもこもこは、彼の上で横向きになり、もこもこの口をそっと開けた。

 

 ――ここにストローを入れて下さい、という意味だ。


 皆に甘やかされすぎて堕落したクマちゃんが、もこもこの口にストローが差し込まれるのを待っている。


『えぇ……』という言葉を飲み込んだリオは、もう元気に見えるもこもこに疑いの眼差しを向けた。


 彼とは逆に、目の前にいるのが衰弱したもこもこだと思い込んでいる、もこもこを疑うことを知らないクライヴは、周囲に冷気を放ちながら、クマちゃんのもこもこした口元のちょっとだけ開いた部分へ、ゆっくりとストローを近付けた。


 

 ルークの上で横になっているクマちゃんは、クライヴがストローを口に入れてくれるのを待っていた。

 クマちゃんの口に細い何かが入ってきた。うむ、舐めても味はしないようだ。

 銜えたまま口を閉じ、少しだけ吸ってみる。

 これは――うむ、冷たくてとても美味しい。あっさりとした甘味の、素敵な味わいである。

 じっくりと味を確かめるため、舌の上で転がす。

 うむ。クマちゃんの作った物よりも大分甘さが控えめだが、リオがクマちゃんのために一生懸命作ってくれたと思うだけで、いつもよりも何倍も美味しく感じる。

 火照った体を急速に冷やしてくれる冷たさも素晴らしい。クライヴがクマちゃんのために作ってくれた氷のおかげだ。

 熱くて辛かった体がスーッと冷えてゆく。


 クマちゃんは冷たくて美味しい、彼らの愛情がたっぷりこもった、あっさりした甘味の牛乳を、幸せな気持ちで飲み干し、思った。


 ――寒い。



 彼らはチャチャッというクマちゃんが美味しい物を食べている時に聞こえる音と、チュウチュウと液体が吸われていく音を聞きながらもこもこの様子を見守っていた。

 グラスの中身が無くなると同時にもこもこの口がスッと開き、ストローはグラスの縁をコロリと転がった。


 可愛いもこもこの小さな鼻から、何故か透明な液体が垂れている。


「え、クマちゃん鼻水垂れてね?」


 思ったことがすぐに出てくるリオの口から疑問が飛び出るのと、もこもこの可愛い口から「……クマちゃ……」と聞こえるのはほぼ同時だった。


『……クマちゃ、ちゃむい……』と。



 珍しく運動をしたせいでやや熱くなっただけの体を、あちこちから冷やし過ぎたようだ。

 看病が上手くない彼らのせいで冷たいもこもこになってしまった赤ちゃんクマちゃんは、反省し加減を覚えた彼らの手によって、ようやく平熱に戻された。


  

 ソファで寛ぐ魔王様のようなルークの膝の上でぬいぐるみのように座り、熱くもなく冷たくもない生暖かいもこもこに戻ったクマちゃんは、肉球をペロペロしながら考えていた。

 

 うむ。いつも通りの丁度いいクマちゃんである。

 先程は何故か寒くなってしまったが、リオとクライヴがクマちゃんのために作ってくれた、あの冷たい飲み物は素晴らしい。

 是非、皆にもあの素敵な冷たいのを味わってもらいたい。

 美味しい飲み物を冷たくするととても美味しいということは――もっと冷たくしたらもっと美味しいのではないだろうか。

 そう思った瞬間、クマちゃんの頭にふと、謎の言葉が浮かんで来た。


 かき氷。


 ――かき氷とは、どのようなものだっただろうか。

 なんとなく、シャリシャリしている気がする。

 白っぽい、おそらく甘い牛乳をシャリシャリにして、色の付いた甘い物を掛ける――ような気がする。

 色のついた甘い物。――よくわからないが、果物と砂糖で出来るのではないだろうか。

 クマちゃんは己の手を見つめ考える。――ピンク色が可愛いだろう。


 うむ。完璧な計画である。

 


 ソファの側で胡坐をかき、元気になったもこもこを眺めていたリオが、


「クマちゃんなに肉球見て頷いてんの?」


ピンク色のそれを見つめ頷く、可愛いもこもこに尋ねた。

 ルークの膝の上のクマちゃんが幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と珍しく彼に返事をした。


『クマちゃん、冷たいの作る』と。


「いやクマちゃん今色々あったばっかなんだから止めた方がいいって」


 リオは先程『ちゃむい』と言って鼻を垂らしていたもこもこを心配し『冷たいの』という不吉な何かを諦めさせようとした。

 そんなものは今のクマちゃんには必要ない。また『ちゃむい』と言い出すだろう。

 温かい牛乳を作るのも、肉球をリオの手で包み温めるのも何度だって出来るが、『あちゅい』のも『ちゃむい』のも幼いもこもこの体に良くない。



 見た目ほどチャラくないリオのかすれた声が部屋に響き、もこもこのもこもこした耳がピクリと動く。

 そしてハッとしたように、ピンク色の肉球が付いたもこもこの両手をサッ、ともこもこした口元に当て、深く頷いた。

 感銘を受けたらしいもこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言う。


『クマちゃん、冷たいの作る』と。


「いやおかしいでしょ。クマちゃん今頷いてたよね」

 

 では先程の頷きは何だったのか。

 もしや時が巻き戻――。

 今度は時間軸を疑い始めたリオが、もう一度もこもことの対話を試みる。

 しかし、もこもこは忙しいらしい。

 もこもこした口をチャ、チャ、チャ、と動かし、つぶらな瞳でどこかを見つめている。



 クマちゃんはリオのかすれた声をしっかりと聞いていた。


『――クマちゃん――色々あった――方がいい――』と。


 クマちゃんはピンク色の甘いのだけを作ろうとしていたが、リオの言う通りだ。

 種類がたくさんあれば、皆好きな味のかき氷を食べられる。


 うむ。確かに、色々あった方がいい。



「また頷いてるし……クマちゃん絶対やめる気ないでしょ」


 もこもこの高性能な耳が何を拾ってしまったのか知らないリオが目を細め、不審なもこもこを見るような視線を向ける。


「うーん。君たちが作った冷たい牛乳がとても美味しかったから、クマちゃんも皆のために冷たくて美味しいものを作りたいのではない?」 


 リオの近く、ソファの側で片膝を立て座っているウィルは、もこもこが『冷たいの』にこだわる理由について考え、涼やかな声で彼に伝えた。

 優しいもこもこはいつも、皆を喜ばせようと一生懸命頑張っている。

 一つのことに集中するとそれに夢中になってしまう猫のようなもこもこは、先程まで自分が寒さに震えていたことなど、すっかり忘れてしまったのかもしれない。


「…………」


 彼らの会話を黙って聞いているルークは、自身の膝の上で頷き、考えごとをしているもこもこを、大きな手で優しく撫で、丸くて可愛いもこもこした頭を切れ長の瞳で見つめていた。

 つい先ほど体を冷やし過ぎたばかりで、すぐに冷たいものを作るのはどうかと思うが、このもこもこは一度言い出したら聞かない。

 食べさせるときに自分が気を付けるしかないだろう。


「……そんなこと言われたら止めにくいんだけど……」


 ウィルの言葉を聞いたリオが、複雑そうな声で答えた。



 お兄さんが超巨大もこもこ露天風呂からこちらへ移したテーブルと椅子に『やっぱり酒場のじゃねぇか……』とこめかみを押さえながら座り、体調の良くなったもこもこを眺めていたマスターは、


「……作業は、俺たちが手伝えばいいだろ。――冷やすのが得意な奴もいるしな」


ため息交じりに呟き、彼と一緒に元酒場のテーブルに着いているクライヴへ視線をやった。


 可愛いもこもこが『冷たいの』を作りたいと言うならば、寒くならないように手伝ってやればいい。

 ――たくさん食べるのは禁止だが。


 マスターの言葉を聞いたクライヴが、まつ毛を伏せたまま頷いた。

 彼は大事なもこもこに、


「――わかった。何かを冷やしたいのなら、俺に言え」


と美しいが凍えそうな声を掛け「お前の願いは俺が叶える」と静かに呟いた。

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