第119話 スーパーモデルクマちゃん

 目つきの悪い目を更に眇めた、整っているが野性的な表情の副会長は自身の手の中で光ったそれに、

 

「うおっ! 急に光るんじゃねーよ。……何だこれ。黒い…………何だ?」


言いがかりをつけ、平べったい菱形の中にぼんやりと浮かび上がる映像のような何かを確認するが、白と黒のそれはぼやけすぎていて何が映ったものなのか分からない。


「……その魔道具から、私の可愛いクマちゃんの素敵な石鹼の香りがするような……」


 生徒会長は副会長の手の中にあるものの正体よりも、それが纏う泡――の匂いが気になった。

 その香りは、彼の大事な可愛いクマちゃんから香る、心が清められるような、幸せになるような、ふんわりとした優しい香り――に似ている気がする。

 

「会長、何でもその――クマの赤ちゃんと結びつけるのは止めてください」


 会計の彼が変態のようなことを言う会長に冷ややかに返した。

 このような危険な場所に、学園で噂になっている白いクマの赤ちゃん――のぬいぐるみのような生き物、が一匹でいるはずがないだろう。

 しかも、ここに落ちている石鹼の泡が、本当にそのクマの赤ちゃんのものならば、そのぬいぐるみは誘拐され、犯人に泡で揉まれている――可能性もあるということだ。

 ――やはり、その泡はクマの赤ちゃんのものではない。おそらく別の――大人のクマの泡だろう。

 


 菱形の何かから出たカシャ、という音を聞いた瞬間、一番近い場所でそれを聞いてしまったもこもこが驚き、幼く愛らしい声で「クマちゃ!」と叫んだ。

 そして急に音の出た怖いそれを押しのけようと、可愛いピンク色の肉球でテチ! と叩く。

 

 周囲に再び、カシャ――という音が響いた。

 


 ぼやけた黒い何かを見ていた副会長の手の中で、菱形が再び光る。


「――あぁ? だから急に光んなって……何だぁ? ……ピンク? ぼやけすぎてわかんねぇな」


 敬語を使っていないと口も態度も非常に悪い副会長が、魔道具に因縁をつけつつ先程とは違う映像を確認するが、こちらも先程と同じくぼやけすぎていて、何が映されたものなのか分からない。

 

「黒と、ピンク……どちらも私の可愛いクマちゃんの色だね……会いたくなってしまうよ」

 

 しんみりとした雰囲気の生徒会長が、髪色と同じ、白っぽい金色のまつ毛を伏せ呟く。

 

「その色ならウチの猫も持ってますけど」


 真面目な会計は実家の、可愛いがやや神経質で彼の顔を見ると『シャー』と風変わりな挨拶をする猫を思い浮かべ、脳内がクマ一色な会長へ返事をした。

 ――シャーは元気だろうか。

 そして非常に良い香りの魔道具を握り、それに喧嘩を売っている副会長に親切な助言をする。


「副会長その魔道具、泡で壊れたんじゃないですか?」 

 

 暗い森の中で拾った勝手に動く魔道具。まみれる泡。キレる副会長。強い握力。ぼやける映像。

 ――故障だ。間違いない。

 


「いやクマちゃんが触んなかったらカシャカシャいわないと思うんだけど」


 リオは、すべてを遮断し壁を見つめる猫のようにルークの服に濡れた鼻をくっつけじっとしているクマちゃんの丸い後頭部へ、かすれた声を掛けた。

 

「急に顔の前で音がしたから驚いたのだと思うよ。――魔道具のようだけれど、何をするためのものなのだろう」


 幼いもこもこに甘いウィルは、壁に鼻を付け動かない猫のようなクマちゃんを擁護し、ルークの手に握られているそれへ視線を向けた。

 

「…………」 

 

 無表情だが面倒そうな雰囲気が滲み出ているルークは、愛らしいもこもこを抱えたまま、片手でそれを操作する。

 厚さが一センチ前後、大きさは大人が片手で持てる程度の平べったい菱形の魔道具を、彼は親指で何度かなぞると、それを適当な方向へ向け魔力を籠めた。

 

 再びカシャ――という音が聞こえ、彼の腕の中のもこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言い、魔道具を確認したルークは片手でそれをリオの方へ放った。

 

 ぼーっとしていた金髪が条件反射でパシッ――とそれを掴む。

 

「――ちょっとリーダーいきなり変な物投げんの止めて欲しいんだけど!」


 面倒になり説明を省いたルークの乱暴な所業に、チャラそうな外見のわりに言うことが細かいリオがかすれた声で文句を言うが、魔王のような男は腕の中のもこもこをあやす方が大事らしく、彼の話を聞いていない。

 彼は可愛いもこもこの丸い頭をくすぐり「クマちゃ」と言わせ、戯れている。

 

「もーリーダーまじで面倒臭がりすぎ……」


 リオはぶつぶつと不満げに呟き、強制的に受け取らされたそれを覗き込んだ。

 

 ――平べったい菱形の、クリスタルと金属をくっつけたような外見の魔道具に、何かが映っているのが見える。

 これは、目の前にある巨大な花だろう。どうやら先程の〝カシャ〟というそれは、映像を記録する際に鳴る音のようだ。

 

 シャラ、という聞きなれた音が聞こえ、魔道具を持っている彼の横から、ウィルが覗き込む。

 

「うーん……この花も素敵だけれど、ここには世界一愛らしいクマちゃんがいるのだから、クマちゃんの可愛い瞬間を写したほうがいいのではない?」


 そこに映っている花を確認したウィルが、涼やかな声で吞気なことを言う。

 大雑把で自由な、南国の青い鳥のような派手な男は、この魔道具は危険な物ではないと判断したらしい。

 好きな物を記録できるならば、可愛いクマちゃんの映像を保存するのが一番いいだろう。

 

「えぇ……そういう問題じゃないと思うんだけど」


 リオは最近作られた物ではなさそうな、誰のものかも不明な魔道具で自分の好きな物を撮ろうとする自由すぎる男の意見に難色を示したが、ルークが反対しないのならば問題は無いのだろうと考え、

 

「じゃあさっきのデカい花から出てくるクマちゃん撮りたい」


と素直な意見を口にした。

 映像として残せるのであれば、撮りたいクマちゃんはたくさんある。

 時々クマちゃんのもこもこした問題に巻き込まれ、世界一可愛いクマちゃんを『あの獣』呼ばわりするリオだが、幼く愛らしいもこもこが大事なのは彼も同じだ。



「じゃあクマちゃんもっかい花入って」


 魔道具を持ったリオが早速もこもこへ注文を付ける。

 ルークの指をくわえ甘えていたクマちゃんが、そこからもこもこした口を放し、深く頷いた。

 クマちゃんも撮影に協力してくれるらしい。

 

 もこもこがお花から生まれ可愛いお手々を広げ愛らしい声で「クマちゃん」と言った最高の瞬間を激写し、

 

「やべぇ俺撮るの上手すぎかも。めっちゃ可愛い」


と眉間に皺を寄せ、素晴らし過ぎる映像を確認する撮影技師リオ。


「次は柱の陰からこちらを覗くクマちゃん、というのはどう?」


 美しい景色のなかでクマちゃんの愛らしさが引き立つ構図を考える、撮影監督ウィル。

 

「……そのテーブル……妙に、見覚えがあるんだが、俺の気のせいか?」


 撮影に夢中な彼らの後ろでは、お兄さんが闇色の球体から取り出し、湯の中で何故か浮かずに静止しているテーブルと椅子を見たマスターが、非常に嫌そうな顔をしている。

 彼のもとにテーブルと椅子が消えたという怪奇現象のような報告が来ていたのは、まさか――。

 

 クマちゃんのスポンサー、湯の中で佇むクライヴは腕を組み、花が凍って砕ける程冷たい表情で撮影を見守り、頷いている。

 先程撮影監督が指示した構図が気に入ったらしい。 

 

 ――真っ白なもこもこ、スーパーモデルクマちゃんが蔦花の巻き付く柱に手を添え、体を半分、より大分多く出し、こちらを覗いていた。

 もこもこした口元をもこもこと動かし小さな声で「……クマちゃ……クマちゃ……」とお話ししている。

 

 『……クマちゃん……隠れちゃう……』と。


 自身の隠密能力の高さを心配しているようだ。


 ほぼ丸見えなもこもこの最高に愛らしい瞬間を激写した撮影技師が、

 

「クマちゃんめっちゃ丸見えだけど、可愛いからいいや」


柱からはみ出しすぎなスーパーモデルに全く隠れていない旨を伝えるが『隠れちゃう』らしいもこもこには聞こえていない。リオは被写体が最高の輝きを放つ角度にこだわり、水の中で片膝を突きほぼ全身が温泉に浸かり、びしゃびしゃになっていた。


 撮影監督が湯の上の浮き輪に目を付ける。

 

「この可愛らしい浮き輪はクマちゃんのものかな」


 シャラ、と装飾品の音を鳴らし、彼がそれを拾い上げる。

 ウィルは撮影技師リオへそれを手渡し「今度は、可愛い浮き輪でお湯に浮かぶ愛らしいクマちゃん、というのがいいのではない?」と次の構図を彼に指示した。

 

 スーパーモデルの飼い主ルークは、お兄さんがどこかから持ってきた見覚えのある椅子に勝手に座り、可愛いもこもこが浮き輪に乗せられ幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言うのを聞いていた。

 

『クマちゃん、泳げる』と。


 見覚えのある椅子がどこからパクって来たものであろうが気にならなかったルークだが、もこもこが泳げるのかどうかは気になった。風呂に入る時はいつも、もこもこが溺れないように彼が腕に抱えている。

 酒場の吹き抜けに浮かぶクマちゃんの小屋から出てきた時は上手に泳いでいるように見えたが、あそこに水は無い。

 

「クマちゃん泳げないでしょ」


 先程も聞いた『泳げる』というスーパーモデルの粘り強い主張をじゃがいもの芽のように斬り捨てた撮影技師リオは、可愛く撮れれば満足らしく

 

「やべぇ俺天才かも」


ともこもこが浮き輪に両手の肉球をのせている最高に可愛い瞬間を激写し、それを確認している。

 

 絶対に扉を開けたい猫のようにしつこいスーパーモデルがもう一度「クマちゃん、クマちゃん」と言った。

 

『クマちゃん、泳げる』と。


「えぇ…………。じゃあ見てるからやってみて。多分泳げないと思うけど」


 もこもこ水泳教室の様子を思い出したリオが目を細め、不審なもこもこを見るような視線を向ける。

『――じゃあ見てるから――泳げ――』に深く頷いたクマちゃんは、肉球が付いた短くて可愛い足を、水の中で一生懸命動かした。



 ――美しい温泉で白と水色の浮き輪を付けた愛らしいクマちゃんが、同じ場所でクルクルと回転している。

 

 

「いや逆にどうやってんのそれ」


 全く前に進まないスーパーモデルの神秘的な泳ぎに心をギュッと掴まれた撮影技師リオは、回転し続けるもこもこの最高に可愛い瞬間を激写すべく、魔道具をカシャ――と操作した。

  


「やっぱぼやけててわかんねぇな……」


 真面目に映像を見続ける、意外と気の長い副会長は続々と現れるそれらについて考えていた。

 ぼやけているが、三つの新しい映像にはすべて、中央に白くてもやもやしたものが映っている。

 

「空から落ちてきたキノコか……?」


 白いもやもやの下にはぼやけた青い器のようなもの。周囲が緑がかった淡い水色なのは、少し変わった色合いだが、おそらく空だろう。

    

「白と言えば私の可愛いクマちゃんだね。この美しい色合いのもやもやを見てると、何故か私の可愛いクマちゃんがお花の中から生まれてきた感動の場面が思い浮かぶよ」


 暗くて陰気な森の中、副会長の横に並び魔道具の映像を見ている生徒会長が、自身の想像した愛らしいもこもこの誕生秘話を甘い声で語る。

 

「会長、その妄想はさすがにどうかと思います。……次の映像は白い階段でしょうか。――やはりこの魔道具は壊れているようですね」


 同じく副会長の横で映像を確認した会計は、白いもやもやを見て確信した。壊れていると。

 


 クルクルと回る愛らしいもこもこを「クマちゃんすげー回ってんじゃん」「とても愛らしいと思うよ。クマちゃんは泳ぎもとても上手だね」「ああ、すげぇな」「――――」「おい、そんなに回ったら目が回るだろ」とそれぞれが見守っていると。

 

 徐々に浮き輪の回転が弱まり、もこもこの口が微かにもこもこと動いた。

 幼く愛らしい声が「……クマちゃ、クマちゃ……」と弱々しく響く。


 

『……クマちゃ、あちゅい……』と。



「あちゅい? ……あつい?!」


 前に進めないまま頑張っていたもこもこが弱った原因に気付いたリオが驚き叫ぶ。

 しかし、リオがもこもこを救出する前に、椅子に座っていたはずの魔王様は愛しのクマちゃんを助け出していた。

 

「――クライヴ」


 ルークは自分の魔力でもこもこを冷やし、低く色気のある声で氷を出すのが得意な男を呼んだ。

 

「白いの、死ぬな――」


 重々しい冷気を纏った凶悪な顔つきのクライヴが、ルークに抱かれているもこもこのもこもこした口に小さな氷を入れる。

 愛らしいもこもこの可愛い口が、チャチャッと動いた。――氷が美味しいようだ。

 

「湯あたりか……、寝かせてやった方がいいな。――戻るぞ」


 今度は自分でつくった風呂でのぼせたらしい不憫なもこもこを見たマスターは、目元を隠すようにこめかみに手を当て、自身の監督不行き届きを嘆いた。

 酒場のテーブルとそっくりなそれに着いていたお兄さんは目を瞑っているが、その美しい眉間には微かに皺が寄っている。――あの浮き輪は改良が必要だ。

 

 こうして、風呂の中で激しい運動をしたせいで『あちゅい』らしいクマちゃんは、もこもこ風呂完成目前で撤退を余儀なくされた。

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