第115話 学園の彼らとおやすみクマちゃんの甘すぎる話

 リオの手を借りテーブル登頂を果たしたもこもこが、お腹の鞄をごそごそと探り、杖を取り出す。

 クマちゃんは小さな黒い湿った鼻の上に皺を寄せると、肉球が付いたもこもこのお手々に持った杖を使い、テーブルの上に浮かぶ球体へ魔力を注いだ。 



 古城のような雰囲気の学園の廊下――もこもこ教室前に広がる、クマちゃんが魔法で作った、癒しの力を持つ綿毛の花畑。


 白っぽい金髪の美形な生徒会長は、悲し気な表情で仰向けに横になり、宙にふわふわと漂う胞子のような光の玉へ「私の可愛いクマちゃん……」と呟いている。

 時々制服の内ポケットからもこもこハートを取り出しては、優しく撫で、涙目で見つめ――誰かに見られ盗まれることを恐れているかのように、またすぐに仕舞う。


 彼を寮へ連れ戻すのに失敗した、目つきと態度は良くないが相手を見捨てることはしない、意外と男気の強い副会長は、湿っぽい雰囲気の鬱陶しい男に背を向け、自身の腕を枕代わりに寝転がっていた。

 副会長の眉間の皺が、もう何十回聞いたか分からない『私の可愛いクマ――』を聞き、更に深くなる。

 ――彼らは体の下に広がるもこもこ花畑のおかげで身も心も十分に癒されているはずだが、二人はそれぞれ全く別の理由で精神が弱っていた。


 副会長は廊下に飾られた絵画で見た、幼いというよりも赤ちゃんという言葉が似合うもこもこを思い浮かべ、


「会長ー、この時間ってもうクマちゃん寝てんじゃないですか?」


と面倒そうに生徒会長に告げる。

 眠気で更に目つきの悪い彼は思っていた。


(クマちゃん会長に『帰れクソ野郎!』って言ってくんねぇかな)


 その時――気の毒な副会長の願いが届いたかのように、花畑の綿毛と宙を漂う胞子のようなふわふわの明かりが光を強め、彼らの耳に幼く愛らしい、


『――クマちゃ――』


という声が微かに届く。


「……私の可愛いクマちゃん――!!」 

 

 先程まで、今にも儚く消えそうだった生徒会長がシュッ! と上体を起こす。


「うぉびびった! 会長急に元気になるのやめてもらっていいすか」  

  

 愛らしいクマちゃんの声ではなく会長の出した大声に驚いた副会長は、彼に苦情を言い、のそりと体を起こすと、片手で強く目元を押さえた。

 寝起きからいきなり最高潮な会長とは真逆に、彼の気力は下降している。

 数値で例えると、生徒会長が百二十、副会長が三、といったところだ。


『――クマちゃん、クマちゃん――』


 幼く愛らしい声は『クマちゃん、きこえる?』と言っているようだ。


「とっても可愛い声が聞こえるよ、私の可愛いクマちゃん」

 

 元気になった生徒会長は甘くとろけるような声を出し、まるでもこもこを口説くようなことを言っている。


「何だこのクマクマっつー声。クソ可愛いじゃねぇか……そこの天然会長。このクマちゃんて赤ちゃんですよね。口説くの止めて下さい」


 副会長は初めて聞いたクマちゃんの可愛い声に驚き、その赤ちゃんのような声の持ち主を口説いている美形で優秀だが少々天然な会長へ厳しい視線を送り、「そのうちマジで捕まりますよ」と嫌そうな声で付け足した。

 

『――クマちゃん、クマちゃん――』


 幼く愛らしい声のクマちゃんは『会長、おてがみ』と言っている。


「私にお手紙をくれるの? ――嬉しすぎて心臓が止まってしまいそうだよ、私の可愛いクマちゃん」


 副会長の言葉を全く聞いていない男は、現在世界で一番幸せな人のように――洞窟のような暗い部屋からいきなり外へ出るよりも――眩しすぎる笑みを浮かべ、耳が砂糖で塞がりそうなほど甘い声で赤ちゃんクマちゃんを口説き続ける。  


「…………」


 面倒になった副会長は花畑に胡坐をかいて座ったまま腕を組み、滝に打たれ修行をする格闘家のような顔で、このやり取りが終わるのを待つ。

 修行中のような姿の彼はもこもこした癒しの花畑で、外見だけでなく声もクソ可愛かったクマちゃんが、会長にお返事を求める健気で愛らしい言葉や、それに対して恋人のおねだりに応える甘い男のような言葉を吐く、元気になってもならなくても兵士や警備員に捕まりそうな生徒会長の、角砂糖に蜂蜜をかけて焼いたような甘くてくどい言葉を、眉間の皺に杖を挟めそうな表情で聞き続けた。




『――クマちゃん、クマちゃん――』


 確かに生徒会長の言う通り世界一可愛かったクマちゃんからの最後の言葉は、『クマちゃん、またね』で終わったようだ。

 いつの間にか、花畑の中央に、それぞれ厚さの違う封筒が結構な数積み上げられている。今にも崩れそうに見えるが不思議な力でも働いているのか、何故か倒れない。

 まさかあの赤ちゃんのようなクマちゃんは、こんな時間までずっと生徒会長のためにお手紙を書いていたのだろうか。


「――会長、読まないんですか?」


 副会長は、封筒の山に触れることもせず泣き出しそうな顔でそれを見つめている生徒会長に、彼にしては珍しく、真剣な声で尋ねた。


「……胸が苦しい。私の可愛いクマちゃんに会いたい……」


 生徒会長は静かに呟き、崩れそうで崩れない山にそっと手を添え、一番上の封筒だけを慎重に持ち上げると――まるで神聖な物にでも触れるように、ゆっくりとそれを開いた。


「…………」


 繊細そうな美しい容姿に良く似合う、優し気な笑みを浮かべた生徒会長は、クシャクシャだがもこもこの手で丁寧に折ったのだろうと分かる手紙を、指先で愛おしそうになぞり、微かに潤む瞳でじっと見つめている。


「……クマの赤ちゃんが一生懸命書いた手紙……やべぇ。気になりすぎる」


 美形だが目つきの悪い副会長は野性的な顔を顰めぼそりと呟いたが、生徒会長の大事な手紙を勝手に見たりはせず、彼がそれを読み終えるのを待つことにした。

 再び滝に打たれる格闘家のような顔で目を閉じる副会長。


 彼が困惑した表情の生徒会長から助けを求められるまで、あと四十分。



「……私の可愛いクマちゃんは、もしかすると、聖クマちゃんとして重要なことを伝えるために暗号を送ってくれたのかもしれない」


 生徒会長が真剣な表情で静かに呟く。

 彼の可愛いクマちゃんは、ただの世界一可愛くか弱い赤ちゃんクマちゃんではないのだ。


 魔法使いを目指すすべての者が通うと言っても過言ではない、世界的に有名な魔法学園。特別優秀な生徒だけで構成された組織、生徒会。その上、会長と副会長が揃っているこの場に、聖なる生き物であるクマちゃんが誰にも見つからない方法を使い暗号文書を送って来たということは――それだけ重要なことが書かれているに違いない。

 

「…………」

   

 考え込む副会長は花畑に順番に並べられた手紙を吊り上がった目で睨みつけ、


「まさか……これはアイツのことか……?」


と呟いた。


 聖クマちゃんが送ってくれた、おそらく世界に平和をもたらす暗号文書には、こう書かれていた。


 

『まさか せいとかい に つむじが五二こくらい のひとが います ばい クマちゃん こきょう ました まで ろ が のびましたよ』 

 

 

 暗号文書によると、生徒会の中につむじが五十二個くらいある人間がいるらしい。

 本当にまさかである。


 副会長は「どうやって数えたんだ……鑑定魔法か? どうりで髪がクルクルしすぎだと思ったぜ」と独り言のように言い、生徒会長は「私の可愛いクマちゃんの故郷……隠れ里のような場所かな?」と、可愛いもこもこの里へ想いを馳せている。


「クルクル野郎を隠れ里に連れて行け……ってことでしょうね」



 クルクル野郎をどこかへ連れて行くための話し合いは彼らの睡眠時間を大きく削り、明け方まで続いたが、幸いにも、もこもこ花畑の癒しの効果で健康を損ねることはなかった。



 本日やることをすべて終わらせた有能過ぎる赤ちゃんクマちゃんは、仲良しな仲間達に「クマちゃん、クマちゃん」とおやすみの挨拶をし、ルークに寝る支度を整えてもらい、彼の腕の中でぬいぐるみのようになすがままになっていた。

 もこもこが安心する赤ちゃん用オルゴールの音が小さく響く、秘境にある洞窟のような暗い部屋の中、反対側のベッドからは「……さ……い……」というかすれた声が聞こえている。

 

 大好きなルークの腕の中にいるクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃん」と寝言のように彼の名を呼び、彼は大きな手であやすようにもこもこの丸くて可愛い頭を撫で、「明日な」と色気のある低い声で静かに応える。

 もこもこはいつもよりも少しだけ優しく聞こえる彼の声に、甘えるようにキュ、と小さく鼻を鳴らすと、安心したように眠りにつく。


 そして、ルークはしばらくの間愛おしいもこもこを撫でてから「……さ……い……」というかすれた寝言を聞き流し、クマちゃんのチャ、チャ、と子猫が寝ながら舌を鳴らすような愛らしい音だけに耳を澄ませ、切れ長の美しい瞳をゆっくりと閉じた。

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