第110話 おねむなクマちゃん、森でお昼寝
クマちゃん達が魔法学園で楽しく過ごしている頃。
「あれ? ねぇ、いま、ここにクマちゃん来てた?」
冒険者の女性は自室へ入ってすぐ、癒しの力を感じるふわりとした丸いそれに気が付き、中で休んでいた同室者へ声を掛けた。
「えー、来てないけど。何で?」
装備の手入れをしていた彼女は不思議に思い尋ねたが、返って来たのは「そっかぁ、じゃあ外から飛んできたのかな」という要領を得ない答えで、その上「クマちゃんといえばさぁ。今日の――」と話題がずれてしまい、理由を聞くことは出来なかった。
――彼女達が可愛いクマちゃんのイチゴの帽子について話している間に、丸い光は消えていた。
◇
生徒会長の抱っこで運ばれているクマちゃんは、考えていた。
クマちゃんは、ルークにご飯を食べさせてもらう、というとても大事な予定がある。
このまま彼らと一緒に食堂に行くわけにはいかないのだ。何度も断るのは申し訳ないが――。
クマちゃんは、うむ、と頷き、生徒会長の彼に『すみませんが、クマちゃんはとても大事なお約束があるので、お食事はまた今度さそってください』と伝えることにした。
クマちゃんの保護者達は姿を隠したまま、生徒会長達の後を追っていた。
本当はすぐにもこもこを連れて帰ろうとしたのだが、いつのまにか――本当にどうやったのか――学園の生徒として授業を受けているクマちゃんを見て、少しだけ待つことにしたのだ。
しかし、あの幼く――幼いを通り越して赤ちゃんのような――寂しがり屋なもこもこが、いつまでもルークと離れていられるはずがない。
そのうちふんふんと鼻をならし、キュオーと泣きだしてしまうだろう。
古城のような雰囲気の廊下がやけに似合う、森の魔王のような男ルークが、急ぐ様子もなく長い脚を動かし、生徒会長の横に並んだ。
彼は散歩でもするように歩きながら、筋肉質でスラッとした片腕を伸ばし――男から可愛いもこもこを取り返した。
――追い抜きざまの鮮やかな犯行である。
大好きなルークの腕の中に戻ったクマちゃんは、驚きよりも喜びが勝ったらしい。「クマちゃ、クマちゃ」と甘えた声を出し、彼の手を掴まえたりくわえたりと忙しそうだ。
スリの腕も素晴らしいルークを見たリオは、
「えぇ……リーダーそれはちょっと……」
と難色を示している。
何故なら、クマちゃんに人生を捧げたらしい生徒会長が、瞬きする間に腕の中から消えたもこもこに気が付き「私の可愛いクマちゃん!!」と真っ青になっているからだ。
冬の支配者のような男は彼の気持ちが分かるのか、可哀相な生徒会長から目を逸らし、ルークの腕の中から自分の方へ手を伸ばしてきたもこもこの肉球と、握手を交わしている。
――再会のご挨拶だろうか。
「うーん。確かに、こんなに愛らしいクマちゃんが、突然自分の腕の中から誘拐されてしまうなんて、悲劇でしかないだろうね」
ウィルは、どんなに優秀な魔法使いでも、ルークを相手に今のスリ行為、または誘拐を防ぐことは出来ないだろうと思いつつも、やられた側の気持ちを考え、冷静に答えた。
視線の先の生徒会長は青い顔のまま「私は学園長へ報告に行く――世界一可愛い私の聖クマちゃんが誘拐されたと伝えれば、神殿にも協力してもらえるかもしれない……」と事を大きくしようとしている。
どこに存在するのか分からない学園が神殿を巻き込み大騒ぎしたとしても、森の街で暮らす自分達に影響はなさそうだが、出会ったばかりのクマちゃんを精一杯大事にしてくれた生徒会長を、このまま放置するのは可哀相だ。
南国の鮮やかな鳥のような男は、彼らをここへ連れてきた――現在自分達の姿を隠すために力を使っているお兄さんの方へ、スッと視線を動かした。
「――その魔力は隠せ」
瞳を閉じているお兄さんは、頭に響く不思議な声で一言だけ告げると、四人を隠している力を解いた。
――彼は姿を現すつもりはないらしい。もこもこ愛の重い生徒会長が面倒なのだろうか。
「…………」
そのままであれば生徒達に魔王と勘違いされそうなルークは、普段はそのままにしている魔力を隠し、黙ったまま腕の中のもこもこを撫でている。
しかし、人外のような魔力は隠されたが、外見も全く一般人には見えない。容貌だけでも十分に魔王である。
ウィルとクライヴも魔王の側近と間違われそうな魔力を隠し、リオもそれに続く。
――魔力操作が得意ではないリオだったが、もこもこ酒のおかげか、思いのほか簡単に隠すことが出来た。もこもこ酒による治療、又は訓練は順調のようだ。
威圧感と容姿、雰囲気が全く一般人に見えない彼らだったが、一番人外めいた容貌の男が最高に愛らしいもこもこを抱いているおかげか、
「私の可愛いクマちゃん!! ――もしかして、ご家族の方でしょうか?」
と生徒会長に認識されたらしく、聖クマもこもこ誘拐事件は学園長と神殿をざわつかせることなく解決した。
古城の大広間のような、やや不気味な雰囲気のその場所。
真っ白なクロスが掛けられた、無駄に長い二つのテーブル。そこに並べられた、たくさんの椅子。ぼんやりとした明かりの射し込む、壁一面の大きな窓。十メートル近くありそうな高さの天井には、おそらく魔法の炎が灯るシャンデリアが飾られている。
現在四人と一匹と姿を隠したお兄さんは、森――ではなく、学園の食堂に来ていた。
帰ろうとした彼らを「せめて、せめて昼食だけでも……」と、もこもこ愛の重い生徒会長が引き留めたためだ。
「生徒会長クマちゃんのこと好きすぎでしょ」
もこもこ露天風呂のおかげで輝きすぎている金髪の男リオが、食堂の雰囲気に見合った妙に豪華な椅子に座り、だるそうに呟いた。
もこもこ占いのせいで左右色の違う美しい瞳が横目で見ているのは、ルークの腕の中「クマちゃ、クマちゃ」と甘えた声で学園生活の報告をしているもこもこを、切なげに見つめる生徒会長だ。おそらくもこもこを抱っこする権利を奪われ、悲しんでいるのだろう。
――淡い色合いと整った容姿のせいか、本当に無駄に切なそうである。
リオは、恋人との交際を相手の親に反対されてしまった悲劇の男のような姿の生徒会長を観察するのを止め、つい先程まで幼く愛らしい声でクマクマしていたが急に静かになったもこもこへ視線を向けた。
ルークの腕の中のクマちゃんが、何故か斜めに口を開けている。
「いやクマちゃん何その顔。あご曲がってんだけど」
もこもこした口の下あごが、微妙に斜めにずれているのを無視できなかったリオが、頭がデカく見えるもこもこパンダ帽姿の、顎の曲がったクマちゃんへ、かすれた声で尋ねた。
口を開けたくなったのだとしても、何故斜めに開けるのか。まっすぐでは駄目なのだろうか。
「うーん。不思議だね。でも、可愛いのだから良いのではない?」
リオの隣に座り可愛いもこもこを眺めていた、豪華な雰囲気の食堂に馴染んでいる派手な男は、少し変な顔をしていても最高に愛らしいクマちゃんの、曲がった顎の謎を突き止めるのをやめ、彼に答えた。
気にならないわけではないが、斜めに口を開けているクマちゃんも、ずっと見つめていたくなるほど可愛い。
冬の支配者のような男は非常に強い衝撃を受けたらしく、硬直し、氷像のように動かない。
――呼吸は出来ているだろうか。
「眠てぇんだろ」
低く色気のある声が、抑揚なく答える。
人外めいた容貌の彼が、もこもこの下あごを長い指でくすぐり、閉じさせようとしているが、もこもこした可愛い――斜めに開いた下あごの様子に変化は見られない。
――彼の言葉は正しいようだ。
愛らしいが少し変な表情のクマちゃんを皆で観察している間に、彼らの前に食事が並べられる。
やや不気味な雰囲気の、給仕係の格好をした男達は、無言で食器を並べ、そのまま静かに去っていった。
いつものように、ルークが小さく切り分けた薄味のお肉を、可愛いクマちゃんのもこもこの口元へ運んでいる。
そして、いつものようにチャチャッと美味しい時の音を鳴らし、舌鼓を打つクマちゃん。
しかし、ルーク達の様子が良く見える、彼らの向かいで食事をとっていたリオは、気が付いてしまった。
クマちゃんの、ピンク色の肉球が付いたもこもこの右手が、何故か犬かき、否――猫かきのように動いている。
いつもならルークに食べさせて貰っている間、ぬいぐるみのように、肉球ひとつ動かさずにいる、あのクマちゃんが。
まさか――。
自分で、食べているつもりなのだろうか。
動かしているのは右手の肉球だけのくせに。
まさか――同級生と一緒に食べているからと、恰好をつけているつもりなのでは――。
「クマちゃん何その右手の――」
尋ねようと口を開きかけたリオへ飛ばされる、複数の殺気。
隣で食事をしているウィル、その隣で再び動きを止めているクライヴ、そして、正面のもこもこの飼い主。
ルークの隣に座る、姿を隠したお兄さんは、先程まで闇色の球体から取り出したワインを飲んでいたはずだが、今は何故かリオを見ている。殺気は向けられていないが、無言なのが逆に怖い。
「…………」
リオはクマちゃんの右手の動きについて触れることなく、食事を続けた。
もこもこの名誉を毀損することは許されない。
クマちゃんはあのピンク色の肉球で優雅に食事をしているつもりなのだから、あの犬かき――もとい猫かきのような動きの謎を暴いてはいけないのだ。
◇
食事を終え、また口を斜めに開いているもこもこの限界を感じた彼らは、可愛いクマちゃんをお昼寝させるため、森へ帰ることにした。
――クマちゃんとの出会いの場、色とりどりの花に囲まれた、美しい中庭。
もこもこクラスの生徒達が見守るなか、彼らの代表である、美形だが天然な生徒会長が、
「私の可愛いクマちゃん……次はいつ会える?」
と悲し気に尋ねる。
ルークの腕の中、口を斜めに開けているクマちゃんの大きな頭が、ゆっくりと下を向き――俯くようにガクンと落ちた。
そしてすぐに何事もなかったように重そうな頭を起こすと、チャ、チャ、とゆっくりと舌を動かし――また口を斜めに開ける。
「クマちゃん今寝てたでしょ」
不審なもこもこを見るような目を向け、リオが尋ねたが、もこもこは口を割らない。
世界で一番安心できる、ルークの暖かい腕の中にいるクマちゃんは考えていた。
うむ。どうやらもう放課後のようだ。
長時間真剣に勉強をしたせいか、記憶が曖昧になっている気がする。
美しいテーブルマナーで優雅に食事をしたところまでは覚えているのだが――。
それよりも、目の前の生徒会長はクマちゃんとの別れを悲しんでいるようだ。
この学園は酒場から徒歩――ではなく魔道具のボタン一秒なのですぐに来れると思うが、クマちゃんも、ルークとお別れするのは一秒でも嫌なので、彼の気持ちがとても分かる。
うむ。取り合えず〝クマちゃんかわいいねの魔法〟を渡しておこう。
これさえあれば、いつでもクマちゃんに会えるはずだ。
彼に肉球を見せ、プクッとしたハートを渡す。
「私のクマちゃんは肉球も可愛い。これは……、なんだろう。私にくれるの?」
ハートを受け取った生徒会長が片膝を突き何か言っているが、「ああ――私のクマちゃんは、何故こんなに可愛いんだろう? ……連れて帰って閉じ込めたい」良く聞こえなかった。
「こいつちょっとやばい奴っぽくない? 何か言ってること怪しいんだけど」
風のささやきが聞こえる。おそらく『クマちゃん今日もかわいいね!』と言っているのだろう。
生徒会長は、まだ膝を突いている。うむ、何か元気になる方法は――。
リオがクマちゃんに「クマちゃん早く帰った方がいいんじゃね?」と声を掛けると、もこもこの口がチャ、チャ、チャとゆっくり動いた。
相変わらず何も考えていないような顔をしている。無駄に可愛い。
彼がもこもこのもこもこしている腹立たしいほど可愛い口元を見ていると、クマちゃんが幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。
『クマちゃん、文通する』と。
――いつもより口調が少しゆっくりなのは、眠気のせいだろう。
「あー、文通ってこの生徒会長と? ……まぁ手紙なら大丈夫じゃない?」
片膝を突いたまま、もこもこを閉じ込めたいほど重い愛と「でも、ご家族と引き離すわけには――」というまともな思考の間で揺れている、危うい生徒会長に冷めた視線を向けていたリオだったが――ウィルの感情を捨てたような顔と、クライヴの犯罪者を始末する三秒前のような顔を見て、遠距離であればいいのでは、と中立的な立場をとることにした。
ルークの態度はいつも通りに見えたが、細かいことも細かくないことも気にしない彼が反応するほど不快なことをしでかせば、生徒会長は二度ともこもこと会えなくなるだろう。
そして、クマちゃんがもこもこクラスの皆にもプクッとしたハートを配り「可愛すぎる!」「大変だ! 学園長に報告しないと!」「可愛すぎますね……」「これは、美しすぎて危険なのではないでしょうか……」「ああっ! なんて愛らしいのでしょう!」と彼らが騒いでいる間に、ルーク達はお兄さんが出現させた闇色の球体を通り、自分達の住む森へ戻った。
ぶつぶつと地面に向かって呟いていた生徒会長が顔を上げた頃には、もう彼の可愛いクマちゃんは居なくなってしまっていたのだ。
「……私の可愛いクマちゃん…………私は永遠に君を待つよ……君の残してくれた、廊下の花畑で……」
――廊下に住もうとする生徒会長と、彼を寮へ帰らせようとする者達の戦いが、今、始まる。
数時間ぶりに湖畔の家へ戻って来た、四人と一匹とお兄さん。
ゴリラちゃんは何かがあった時の伝言係だったらしい。元々置かれていた一人掛けのソファの下に、変わらぬ状態で座っていた。
「クマちゃんはとても眠そうだね。お昼寝をしたほうがいいのではない?」
何らかの危険性を孕む若者が目の前から消え、優しい笑みを取り戻したウィルが、ルークの腕の中の、顎の曲がったクマちゃんに尋ねる。
とても愛らしいが、何故口が斜めに開くのだろう。もしかして、あくびなのだろうか。それにしてはずっと開いたままだが。
「……クマちゃ……」
ルークの腕の中のクマちゃんが、幼く愛らしい声でウィルに答えた。
『……クマちゃ、一緒……』と言っているようだ。
皆と一緒がいいのだろう。
「寝るか」
寝ても寝なくても生きていけそうな、とにかくもこもこに甘い男は、もこもこの曲がった下あごを長い指で擽り、低く色気のある声で言い残すと、クマちゃんを抱えたまましなやかな動作で家を出て行った。
皆で寝られる場所、湖畔の花畑に置かれたクッション兼ベッドへ移動したようだ。
「…………」
クライヴは無言で彼らを追った。
――この氷のような男にはお昼寝など不要である。しかし彼も、もこもこにはとても甘い。クマちゃんが一緒が良いと言うなら、もこもこが目を覚ますまで、ずっと寝たふりを続けるのだろう。
「では、僕たちも行こうか――クマちゃんが作った素敵なお花畑で、世界一愛らしいクマちゃんと一緒にお昼寝をするなんて、何だかとても贅沢だね」
〝クマちゃんと一緒にお花畑でお昼寝〟という、小さな子供に聞かせる童話のような響きが気に入ったらしい、南国の青い鳥のような男は、楽しそうにリオへ声を掛けると彼を置いて行ってしまった。
「えぇ……俺全然眠くないんだけど……」
リオはかすれた声で独り言をいいながら、チラリとお兄さんの方を見る。
そういえば、お兄さんのベッドが足りない。
「――私のことは気にするな。自分で用意できる」
少しだけリオへ優しい目を向けたお兄さんが、そちらへ足を進め――ドアではなく闇色の球体に入っていった。
「――いやお兄さんそこ通るならドアまで行く必要ないでしょ」
ドアを開ける音が聞こえない謎は解明されたが、何故かすっきりしなかった、チャラいわりに真面目なリオが、かすれた声でお兄さんへ疑問を投げるが、彼はすでに居ない。
「えぇ……」
リオは納得のいかない声を出しつつ、クマちゃんとお昼寝するのも悪くないかも、と思い直し、一人残された家を後にする。
そしてすぐに美しい花畑に置かれた豪華すぎる天蓋付きのベッドと、それに横になるお兄さんへ向け、
「いやお兄さんベッドでかすぎ」
と苦情を言った。
しかし、本当に寝ているのか目を瞑っているだけなのか、意識がその体の中にあるのか分からないお兄さんに、かすれた声の苦情は届かなかった。
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