第111話 噂をすればもこもこ。酒場の新メニュー

 まるでクマちゃんのような、真っ白で可愛い花が咲き乱れる湖畔の花畑。

 辺りには、ふれた者の心と体を優しい温もりで癒す、幻想的に光る蝶が、ふわりふわりと舞っている。


 もこもこの願いを叶えるため、湖畔のベッドで生暖かいクマちゃんを抱きかかえ昼寝をしていたルークだったが、申し訳なさそうな声の冒険者に起こされた。

 ――マスターからの呼び出しだ。

 彼は自身の胸元で丸くなっている愛らしいもこもこを起こさぬように起き上がり、片手をベッドに突いたまま面倒そうに前髪をかき上げ、


(連れてくか)


スッとクマちゃんへ視線を流した。

 優しい日の光を浴び、真っ白なベッドで休んでいる、もこもこしたクマちゃんが彼の目に映る。

 ルークはそっと可愛いもこもこを抱き上げ、大きな手で数度撫でると――隣のベッドで死んだように眠る金髪の上に置いた。



 たっぷりお昼寝したクマちゃんは、ぱちっと目を覚ました。

 うむ、スッキリとした目覚めである。

 しかし、クマちゃんの肉球の下に居るのはルークではない。彼はどこに行ったのだろう。

 一緒に寝ているということは、リオに聞けば分かるのでは。

 少しだけ移動し、彼の顔を覗き込む。――生存を確認するため、肉球を顔の上にのせる。

 うむ、生きている気がする。しかし、眉間に皺が寄り、何だか苦しそうだ。

 クマちゃんが優しく起こしてあげるのがいいだろう。


 彼の耳元に近付いたクマちゃんは、優しい声でそっと囁いた。

 リオちゃん、そろそろ起きる時間ではないですか? と。



 耳にピチョッと濡れた何かと、もしょもしょとした感触と、幼く愛らしく高い『クマちゃん』という声を感じ、跳ね起きる金髪。


「なに?! 何か耳濡れてんだけど!」


 飛び起き耳を擦る彼が振り返り、自身の寝ていた場所を見ると、クッション兼ベッドに真っ白でもこもこした何かが居る。

 ――仰向けで寝ていたリオの頭の真横で丸くなっていたらしい。

 この無駄に可愛いもこもこが犯人だ。間違いない。

 濡れた鼻をリオの耳に突っ込み、直接声を吹き込んだのだろう。未だに耳の奥で『クマちゃん』が反響している気がする。  


「クマちゃん起こすなら普通に起こして欲しいんだけど」


 強制的にお目目をぱっちりさせられたリオは、可愛くて生暖かいもこもこを抱き上げ苦情を言うが、彼の腕の中からつぶらな瞳でこちらを見上げているクマちゃんの愛らしさに負け「おはよークマちゃん」ともこもこの丸い頭に顎をのせた。



 リオが耳の奥に響き続ける『クマちゃん』に、「何か耳の奥に小っちゃいクマちゃん居る気がするんだけど」とかすれた声で言いもこもこを撫でていると、腕の中から幼く愛らしい、


「クマちゃん、クマちゃん」


という声が聞こえてきた。

『クマちゃん、ルーク』と。

 ――クマちゃんの大好きなルークはどこですか? ということだろう。


「あれ、そういえばみんないなくね? いやお兄さんはいるけど。つーかあの人起きる気ある?」


 リオは可愛いもこもこの頭や頬を撫でつつ辺りの気配を探るが、彼がそれなりに騒いでいるのに起き上がらないお兄さんが天蓋付きのベッドの上にいるだけだ。

 クマちゃんと一緒に起きる予定だった彼らが居ないということは、マスターからの呼び出しだろう。

 すぐに戻ってくるだろうが、せっかく起きたのだから座っているよりも動きたい。


「クマちゃん、ちょっとお散歩しよー」


 リオは、肉球にやつあたりをするかのように齧っているクマちゃんを抱いたまま、ふらりと立ち上がり歩き出した。



 美しい湖畔の花畑でリオとお散歩中のクマちゃんは、彼の腕の中で冒険者達の声を拾った。

 高性能なもこもこの耳が、ピクリと動く。


「酒場の料理って美味しいけど毎日だと飽きるよね」


 話しているのは女性冒険者のようだ。美味しい食事に飽きたらしい。


「わかるー。でもー、他所に食べに行ってもそんなに美味しくないんだよねー」


 とにかく酒場で食べたいらしい。


「新メニューとか作らないのかな」


 新メニュー。素敵な響きである。


「でもー、凄い忙しいってギルドの人が言ってたしー、無理だろうねー」


 絶対無理らしい。

 うむ。クマちゃんも毎日とても忙しくて大変だが、皆が困っているのなら、大人気店の店長であるクマちゃんがお手伝いをしたほうがいいだろう。


「クマちゃん何で頷いてんの? お散歩気に入った?」


 風のささやきも『クマちゃんお最高!』と応援してくれている。

 うむ、別荘に着いたらすぐにメニューを開発しよう。



「クマちゃんごめん、俺も呼ばれたっぽい。お兄さんと待ってて」


 リオも忙しいようだ。とても寂しいが、大人気店の店長クマちゃんも今からお仕事である。リオの相手が出来ないので丁度いいのだろう。

 しかし、お兄ちゃんの建てた、ベッドと一体になった家のような場所に入れられてしまった。

 うむ、高さがあるので降りるのが難しそうだ。

 お兄ちゃんを起こし、別荘まで連れて行ってもらおう。


 

「――どうした。暇なのか」


 失礼なお兄さんに事情を説明し、湖畔の別荘へ移動するクマちゃん。

 お友達のゴリラちゃんにも手伝ってもらい、一生懸命メニューを考える。


 大人気店の店長クマちゃんは、ひんやりする箱にもこもこの頭を突っ込み、深く頷いた。

 ――メニューが決まったらしい。

 別荘の奥にある調理場兼食堂には、お手伝いをしてくれる彼らへ真剣に説明をする、店長クマちゃんの「クマちゃん、クマちゃん」という幼く愛らしい声が、しばらくの間響いていた。



 立入禁止区画から戻って来た彼らがそこへ足を踏み入れた時、酒場は妙にざわついていた。


「何? なんでみんな上見てんの?」


 冒険者とギルド職員達が見ている場所が気になったリオは、吹き抜けになっているそこへ視線を向けた。



 ――空中に、真っ白な犬小屋のようなものが浮かんでいる。そこから垂れている紐に括られているのは、非常に見覚えのある、ウサギのおもちゃ。



「絶対クマちゃん。間違いない」


 目を限界まで細めたリオが、かすれた声で呟く。

 彼には判る。あの犬小屋の中に居るのは犬ではなく――クマちゃん。

 怪しい小屋からは癒しの力が滲み出ている。

 容疑者が使う不思議な力と同じものだ。間違いない。


「うーん。確かにあの小さな可愛らしいお家に入れるのは、クマちゃんくらいだろうね」


 シャラ、という美しい音と共に腕を組んだウィルは、犬小屋ともクマちゃん小屋とも言わなかった。

 あれは小屋ではなく、クマちゃんの可愛いお家なのだ。


「なるほど――」


 冬の支配者のような男は、空中に浮かぶ犬小屋のような白いそれから垂れさがるウサギのおもちゃへ視線を向け「――呼び鈴か」と呟いた。 

 

 彼らが真っ白な犬小屋についてそれぞれ考えている間に、森の魔王のような男ルークがそれに近付き、風の魔法でおもちゃを揺らした。

 濃い色の木材を中心とした暗めの内装に、オレンジがかった暖色系の照明という、如何にも酒場らしい場所に響く、不似合いな音。


 ――ガラガラ、リンリン、ピピピ。


 音に反応したのか、空中の真っ白な可愛い犬小屋がゆっくりと降りてきた。


「絶対クマちゃん」


 リオは目を細めたまま、小屋の真ん中に開いた穴のような窓を見張っている。

 背の高いルークの顔の高さまで降りてきた小屋の穴――もとい窓の縁に、もこもこした可愛い両手が掛かり、コックさんのような格好をしたもこもこが顔を出す。

 読み通りだったはずのリオは喜びの声を上げず、「可愛い……」とかすれた声で悔しそうに呟いた。


 頭にすっぽりとコック帽を被り、首には赤いコックタイを着けた、もこもこしたコックさんは、ルークの手に濡れた鼻をふんふんと押し付け、お客様の歓迎をしているようだ。

 お客様第一号の手をビショビショにしたもこもこシェフは、肉球が付いたもこもこの手に小さなメモ帳と、赤地に白い水玉模様のキノコ――おそらくペン――を持ち、幼く愛らしい声で「クマちゃん」と言った。


『ご注文は』と。


 少しの間もこもこシェフの頬を擽りながら考えていたルークは、低く色気のある声で、


「任せる」


と言った。 

 もこもこしたシェフは深く頷き、肉球を動かす。

 ――キノコのペンでメモを取っているようだ。


「へー、クマちゃん何か料理すんの?」


 もこもこした料理長の控室のような、大き目の犬小屋のような謎のクマちゃん小屋と、ルークの居る場所までスタスタと近付いたリオは、メモを取っているクマちゃんに尋ねた。

 もこもこシェフが幼く愛らしい声で「クマちゃん」と答える。

『ご注文は』と。


「えー、じゃあ肉」


 金髪が雑な注文をする。


 もこもこシェフは幼く愛らしい声で再び「クマちゃん」と答える。

『ご注文は』と。


「いや今肉って言ったよね俺」


 かすれた声の客がもう一度注文を繰り返したが、もこもこシェフも幼く愛らしい声で「クマちゃん」と繰り返す。

『ご注文は』と。

 ――かすれた声が『肉』と言い続ける限り『ご注文は』も続くだろう。


「えぇ……じゃあ、魚?」


 もこもこシェフが納得する注文をしないと永遠にもこもこ料理店から出られないことを察したリオは、諦めて別のものを頼むことにした。

 ――キノコのペンを握った肉球が動いている。魚はあるらしい。


「とても愛らしい料理長だね。――僕もクマちゃんお薦めの料理を注文したいのだけれど」


 シャラシャラという微かな音と共にゆったりと歩いて来たウィルが、もこもこシェフへ尋ねた。

 お薦め料理なら問題ないらしく、すぐに頷いたクマちゃんが肉球を動かし、メモを取る。


「そんなに作れるのか?」


 声は冷たいがもこもこを心配するクライヴに、敏腕シェフクマちゃんが頷きで返し――メモを取った。

 ――同じものを頼んだと思われたようだ。


「つーかお兄さん普通にいるんだけど」


 クマちゃんを見守っていたらしい、もこもこの保護者のひとりであるお兄さんとテーブルの上に置かれたゴリラちゃんに気付いたリオが、近くに座っていた彼に声を掛けたが、一瞬瞼を上げこちらを見ただけで、またすぐに瞳を閉じてしまった。――彼なりの挨拶だろう。

 おそらく酒場に浮かぶ謎の小屋の建材や、もこもこの着替えを用意したのはお兄さんだ。

 リオは思う。

 どこかの偉い何かだと予想されるお兄さんは、絶対クマちゃん専用の物を誰かに作らせている。色々怪しい。


 

 もこもこシェフ小屋の近くの席に座り、食事が出来るのを彼らが待っていると、程なくしてそれがスススとルーク達のテーブルまで降りてきた。

 ――小屋に取り付けられた呼び鈴の紐が短くなっている。シェフが忙しい時は鳴らしてはいけないようだ。

 小屋の穴――窓の縁に両手の肉球を掛けたもこもこシェフが顔を出す。


「え、もう出来たの?」


 リオがかすれた声で尋ねるが、当然シェフからの返事はない。

 穴――窓の縁に隠れてよく見えないが、下を向いた時に少し舌が出たシェフは、腹のあたりをごそごそしている。「クマちゃんまさか腹から料理出すつもりじゃないよね」という言葉は、ルーク達からの殺気で口に出す前に消えた。

 ――リオの位置からは見えていないが、クマちゃんが手を入れているのは耳の黒い白クマの小さな鞄だ。


 舌が少し出ているもこもこシェフは、どこかから取り出した湯気の立つ皿を窓の外へ出し、肉球が付いたもこもこの両手を放す。

 皿は落下することなくふわりとルークの前に辿り着いた。

 ――真っ白なスープ皿に、真っ白なスープ、そこに花びらのような鮮やかな色合いの不思議な野菜が浮かんでいる。


「クマちゃんのお花畑のような、とても美しいスープだね」


 綺麗なものを好むウィルには非常に好評のようだ。

 もこもこシェフがせっせと窓の外へ皿を出していく。

 お兄さんとゴリラちゃんとクライヴが座る席にも小屋ごと移動し、ご注文の品を届けているらしい。


「クマちゃん俺の忘れてね?」


 苦情のようなかすれた声は聞こえていないようだが、小屋がまたルーク達の席に戻って来た。

 忘れてはいなかったらしい。

 少し舌の出たもこもこシェフが、再びお腹の辺りに下げた鞄から皿を取り出している。

 一皿ではないようだ。


「え、何か俺のだけたくさんあるんだけど」


 皆の前に置かれた美しい野菜が浮かぶ真っ白なスープとは違い、リオの前だけ賑やかだ。すべて魚料理だが。

 ――湖が近いおかげだろう。

 こんがりと食欲をそそる綺麗な焼き色のついた白身魚には、スープと同じ、鮮やかな野菜が盛り付けられている。とても美味しそうだ。

 生の魚をオリーブオイルとソースで彩ったものや、四角い小さな器に入れられた、ナッツ類と和えた、乾燥しているらしい小魚もある。酒のつまみだろうか。

 ――魚の切り口が綺麗だ。もしかしたら、捌いたのはもこもこシェフではないかもしれない。因みに、魔法で処理された魚は安全である。生でも美味しく食べられる。

 

 スプーンやフォークも並べられ、それぞれが自由に食事を始めた。

 大雑把な冒険者達は食事前に挨拶をしたりしない。作ってくれた人間に感謝はするが、美味しいうちにとっとと食べる。

 ルークがスープを一口掬い、


「うめぇな」


と、もこもこシェフの腕前を褒めた。

 ウィルも「見た目だけでなく味もとても良いね」と嬉しそうに味わっている。南国の青い鳥のような外見の彼と同じように美しいスープは、彼の心をしっかりと掴んだようだ。

 氷のような男とは似つかない、鮮やかな色合いのスープに口をつけるクライヴも「――素晴らしい」と感動している。

 ――彼なら多少変わった味付けだったとしても感動するだろうが、もこもこシェフの作ったそれは見た目も味も良く、食べると心も幸せになる、本当に素晴らしい料理だった。


「すげーうまい! クマちゃんこれめっちゃ美味しい」


 魚料理しかないことを少々残念に思っていたリオだったが、もこもこシェフの腕前は素晴らしかった。どの料理も素材の味が生きていて非常に美味しい。

 酒場で出てくる濃い味の料理に慣れている彼らが食べても薄すぎない、優しく深みのある味付けだ。

 彼らがもこもこシェフを褒め称えていると、シェフがキノコのペンを口元に寄せた。

 ――まさか、生でいく気だろうか。

 

 すると、もこもこシェフのもこもこした口元から、幼く愛らしい歌声が響く。――どうやらキノコのペンはマイクにもなるらしい。


「――クマちゃーん――」


 その歌は『――クマちゃんのお魚――』という歌詞から始まった。


「――クマちゃーん――」

 

 食事と共にシェフの歌を聴く彼らは「お魚の歌なのかな。とても愛らしいね」「ああ」「魚頼むと歌ってくれんのかな?」「――素晴らしい」と小さな声で感想を伝え合う。

 シェフは歌う。


『――おいしいお魚――』と。


「――クマちゃーん――」


 曲は盛り上がり、早くも繰り返しに入る。


『――クマちゃんのお魚――』と。


「――クマちゃーん――」


 魚料理の歌らしきものは、始まったばかりでもうクライマックスのようだ。

 素晴らしい曲は完璧な終わりを迎えた。



『――いつのお魚――』と。



「待って待って待って――今のどういう意味? クマちゃんまさかこの魚のこと言ってるわけじゃないよね」 


 絶品お魚料理を完食したリオが、消化器官に悪そうな歌を歌ったもこもこシェフに物申す。


 もこもこシェフの〈古い魚の歌〉に早速クレームが入ってしまった。

 しかし喜びの声以外は耳に入らないシェフは、両手の肉球にキノコのマイクを持ったままおじぎをしている。

 一名を除く皆からの喝采を浴びたもこもこシェフは、撤収するようだ。

 ススス、と小屋が吹き抜けの方へ遠のいていく。


「クマちゃん! この魚が古いってわけじゃないよね!」


 金髪がもう一度確認しようとするが、忙しいらしいシェフが呼び鈴を下ろすことは無かった。

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