第109話 クマちゃんと、ふわっと可愛い廊下
教師から出題された問題に、積極的に答える模範生クマちゃん。
――因みにこの時間の授業は『回復職がいない時の戦い方について』という内容で、今は『複数の属性の魔法を同時に受ける場合、どうするのが最善か』という問題に、もこもこが答えたところだ。
「…………そうですね、クマちゃんの言う通り『やめてください』と言うのが一番いいかもしれないですね」
教師は、クマちゃんの曇りのないつぶらな瞳を見つめ、再びクマ的な解答を正解にした。
耐性を上げる呪文を唱えるよりも、一時的に魔法を跳ね返すよりも、アイテムを使うよりも――クマちゃんの言う事の方が正しいのかもしれない。
争いは何も生まない。クマちゃんが正しい。
怪しげな蠟燭の明かりが揺らめく薄暗い教室が、生徒たちの拍手と、
「クマちゃん、凄いねぇ」
「ああ、考えたことも無かったよ……」
「……なんか俺『やめてくだ――』あたりでボコボコにされる気がするんだけど……」
「クマちゃんの言う通り、平和的に解決する方法についても考える必要があるよね」
「確かに、最初に『やめろ!』って言うべきだよな」
と、もこもこを称賛する温かな空気に包まれる。
やや天然で美形な生徒会長は自分の机の上を陣取るぬいぐるみのようなもこもこへ「可愛いクマちゃんは心も可愛い」と甘く囁き、もこもこの頬を撫でていた。
廊下でクマちゃんを見守っているもこもこの保護者達が、授業について話し合う。
「なに『やめてください』って。絶対クマちゃん戦ったことないでしょ」
魔道具を覗き込むリオがもこもこ論を否定する。しかし、もこもこの事を大事に思っている彼は続けて「つーか戦わせるわけねーけど」とかすれた声で言った。
「うーん。攻撃される前に殺ってしまったほうがいいと思うのだけれど……」
美しい南国の鳥のような男ウィルは、話している間にもこもこがつぶらな瞳を潤ませ『クマちゃ……』と相手を説得しようと頑張っているところを想像してしまったらしく、先程まで浮かべていた優し気な笑みを消し、
「――クマちゃんを攻撃するような生き物を放っておくわけにはいかないからね」
と涼し気な声で囀る。
スッと魔道具へ視線を流したルークが「あいつには敵なんかいねぇだろ」といつも通りの低く色気のある声で、表情を変えずに答えた。
本当にいないと思っているのか、『いたら消す』という意味で言ったのか、彼の様子からは窺うことは出来ないが――おそらく後者だろう。
「…………」
冬の支配者のような男は彼らの会話に参加せず、そちらに視線を向けることもなく沈黙していた。
しかしその危険な目つきと廊下の寒さから、クマちゃんの敵――そんなものは居ないが――を頭の中で八つ裂きにしていることは明白である。
昼食のため食堂へ移動することになったらしい生徒達が教室から出てくるが、お兄さんの不思議な力で隠されているもこもこの保護者達が彼らに見つかることはない。
生徒会長に抱えられたクマちゃんが何かに気付いたように、両手の肉球をサッともこもこの口に当てた。
まさか、お兄さんの力を打ち破ってしまったのだろうか?
クマちゃんは廊下に出た瞬間に大変なことに気付いてしまった。
大変だ。
この建物は、可愛くない。
可愛くないどころか、少し不気味である。
自分を抱えてくれている、白っぽい髪色の優しい生徒会長の腕を、肉球でキュムッと押す。
「どうしたの? 可愛いクマちゃん……もしかして降りたい?」
うむ、通じたようだ。――そのまま床へ降ろしてもらう。
廊下には、何だか色の暗い、赤い絨毯が敷かれ、向こうの壁には少し怖い雰囲気の、ドレスを着たひとの絵が飾られている。あちらには甲冑もあるようだ。
とても不気味である。
クマちゃんの杖と魔石が必要だ。リュックはどこだろうか。そう思った瞬間に、クマちゃんの顔の前に、お兄ちゃんの黒くて丸いやつが現れた。
もしかして忘れ物を届けてくれたのだろうか。手を入れようとするが、その前に丸いのは消え、そこから何かが落ちてきた。
これは、斜め掛けの鞄だろうか? 耳が黒いのでパンダだろう。うむ。変装中のクマちゃんにぴったりな、パンダの鞄である。
鞄の中は真っ黒で良く見えない。クマちゃんの杖はあるだろうか? 手を入れてみる。
うむ。この手触りは、クマちゃんの杖に違いない。魔石も欲しいが、あるだろうか?
――うむ。この手触りは、魔石に違いない。良く見えないが、色々入っているようだ。
杖と魔石を出し、準備を整える。
取り合えず、この教室の前を中心に可愛くするのがいいだろう。同じクラスの皆も喜ぶはずである。
可愛いクマちゃんを寂しげに床へ降ろした生徒会長は、何故か教室の前をウロウロするもこもこを、クラスの皆と共に見守っていた。
「私の可愛いクマちゃんは、一体何をしてるんだろう」
生徒会長は『私の』の部分を強調した。不審者を観察するような保護者達からの危険な視線は、幸いお兄さんの不思議な力で遮断され、彼には届かない。
目の前のもこもこは何かをするらしく、白黒のもこもこした帽子にそっくりな、黒耳の白クマのような小さな――どこから出てきたのか不明な――鞄から、石のようなものと真っ白な杖らしきものを取り出した。
すぐに作業が終わったらしいもこもこが、納得したように頷いている。
そして、白黒のもこもこが立ち上がる。
クマちゃんは彼らの方へヨチヨチとした動きで向き直り、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、ピンク色の肉球が付いたもこもこの手で、真っ白な杖を振った。
ぼんやりとランプで照らされていた薄暗い廊下に、柔らかな光が広がる。体中が優しく癒されるような、ふわりと温められたような、幸せな心地になる。
杖を振ったクマちゃんの足元から、真っ白な綿毛の可愛らしい花畑が広がって行く。
先程まで陰気で薄暗かった空間に、胞子のようにふわふわとした、丸くて可愛らしい明かりが漂っている。
クマちゃんを眺めていた彼らから楽しそうな歓声が上がった。
もこもこが起こした奇跡を目撃した生徒達が、口々に感想を言い合っている。
「凄い……。こんな魔法見たことない」
「これどうなってんだろ。魔法で出来た花畑なんだろうけど、ちゃんと草の匂いがする」
「あーすげー癒される。廊下なのに幸せを感じる」
「もう廊下じゃないよね。神秘の花畑だよね」
「俺ここに住む」
「絶対立ち退き命令が出る。断言する」
「このクラスで良かった……」
「……あれ? 何か傷治ってる?」
「わたしもー。やっぱ治ってるよねー」
「この花畑って回復できる場所なの? やばくない? これ神殿の人とか調べに来ちゃうやつ?」
「回復の泉みたいなやつってこと?」
「え、ほんとに? 個人でそれ作れるのはやばすぎない?」
「ねぇ、もしかしてクマちゃんて、聖女……いや、聖クマなんじゃない?」
「聖クマ……確かに」
「聖クマだ」
「道理で、毛艶が良すぎると思ってた」
「確かに。聖クマだから毛並みがいいのか」
「なるほど。貴族の家の猫よりツヤツヤだもんな」
彼らの中でクマちゃんは聖女――もとい聖クマに決定したようだ。
生徒会長である白っぽい金髪の彼はパンダっぽい帽子を被ったもこもこの前に跪き「私の可愛い聖クマちゃん……一生私が君を護るからね」と勝手に誓いを立てている。
将来有望そうな若者は、出会ったばかりのもこもこに人生を捧げるつもりらしい。
隠れている保護者達にも彼らの会話は聞こえていた。
「いや何言ってんのあいつら。聖クマって何」
リオは胡乱な目つきで盛り上がる生徒達を見ている。
「聖女や聖人という呼び名は聞いたことがあるけれど、実際に特別な力を持っていた、という話は聞いたことがないね」
ウィルが聞いたことのある聖女や聖人のそれは、そう呼ばれるくらい献身的に人々を助けていた、という話だ。実際に凄い力で何かをしていたという話では無かったように思う。ただ、森の街の人間はあまり過去の話をしないため、自分達が知らないだけかもしれないが。
それより、と彼は思う。
聖クマという呼び名は可愛らしくない。
クライヴは、見慣れた黒革に覆われた自身の手の中にある、もこもこの分身のようなそれを見つめ、
「聖クマという呼び名はどうかと思うが、白いのが心優しく神秘的で素晴らしい存在であることは間違いない」
と冷たく美しい声で呟いた。
「…………」
森の魔王のような男は何も話さず、生徒会長と呼ばれる生徒に抱きしめられているもこもこを見つめていた。
もこもこクラスの生徒達が名残惜しそうに素敵なもこもこ花畑から離れ、食堂の方へ移動を開始した時、彼らの隣の教室から出てきた生徒達から、喜びではない叫び声が上がった。
「やばい。これはやばい!」
「確かにやばい。これ新種のカビなんじゃない?」
「いや毛でしょ」
「ムリムリムリ」
「ふさふさすぎる!」
「毛か、カビか――」
「先生! 甲冑に毛が生えてます!!」
叫んでいる彼らとは別の教室から出てきた生徒からも叫び声が上がった。
こちらももこもこクラスの隣の教室だが、彼らは喜んでいるようだ。
「絵が変わってる!」
「可愛いー!」
「でもこれなんの動物? いやぬいぐるみ?」
「わかんないけど凄い可愛い」
「へー、前のよりこっちのがいいじゃん」
「ね、明るくなるよね」
「かわいい……。もこもこしてる……」
「隣の教室の前! 花畑になってる!」
「え、すごーい! いいなぁ」
「何かあっち騒いでない? なんで?」
「甲冑にカビと毛が生えたらしいよ」
「やばすぎ」
もこもこの保護者達は白い毛に覆われた甲冑の後始末はせず、可愛いクマちゃんの後を追った。
愛しの赤ちゃんクマちゃんのため、幼児用の薄味の食事を用意し、食べさせてやらなければならない。
ルークと一緒にお昼ご飯を食べるのを楽しみにしている、寂しがり屋のもこもこのために。
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