第107話 クマちゃん、本物の学生と出会う

 イチゴ帽クマちゃんを膝に抱えたリオは、魔石が入った袋を床に置き彼らの隣に座ったウィルに、手に持ったそれを見せる。


「クマちゃんがお兄さんから貰った動く絵本なんだけど……」


 説明が苦手なリオは、頭に浮かんだ言葉、『クマちゃんが退学になった』を、そのまま口に出そうとしたが、膝の上の生暖かいもこもこが傷つくかもしれないと考え、言うのを躊躇う。


「主人公はクマちゃんなのかい? とても素敵だね。……うーん、でもこの子はあまりクマちゃんぽくないのではない?」


 魔道具に映る主人公クマちゃんらしき人物が全くもこもこしていないことに違和感を覚えたらしい、南国の青い鳥のような男は、


「――ねぇお兄さん。このクマちゃんの絵を変更したいのだけれど」


と、良くない消費者のようなクレームをつける。


「え、そんなんできんの?」


 リオが期待したような声を出す。

 細かいことは気にしない彼だが、絵本の中のクマちゃんが可愛くもこもこするなら、そちらのほうが良いに決まっている。


 通常であれば、物語の登場人物の容姿を変えることなど、本の製作者でなければ出来ない。

 しかし、ここには謎の力を持つお兄さんがいるのだ。

 一人掛けのソファに座り、背もたれにゆったりと体を預け、瞳を閉じていたお兄さんは、闇色の球体で魔道具を手元に引き寄せると少しの間それを眺め、


「確かに、これはクマではない」


と独り言のように静かに言った。

 ――普通、クマは学園には通わないのだから、当然である。

 それほど時間をかけず魔道具の改造に成功したらしいお兄さんが「――これで、そのクマと同じ格好になるはずだ」と頭に響く不思議な声でお告げのように言い、彼らへそれを返した。


「――可愛くなったね。ちゃんと今のクマちゃんと同じ服装になったよ。ありがとうお兄さん」

 

 南国の青い鳥のような派手な容姿のクレーマーは矛を収め、礼を言った。

 彼は絵のクマちゃんがもこもこしたことで納得したようだ。


 魔道具の中の主人公クマちゃんが、学園生活に相応しくないイチゴの帽子を被り、葉っぱ色のよだれかけを着けたもこもこに変わっている。

 

「すげー。お兄さんありがとー」


 クマちゃんと一緒に絵本を読んでいたリオも、愛らしいもこもこに変わった主人公クマちゃんを見て喜び、礼を言った。

 膝の上のクマちゃんも嬉しいようで、両手の肉球をテチテチと叩き合わせ、喜んでいる。

 そして、せっかく主人公のクマちゃんももこもこになったのだから、と物語を最初から読むことにした二人と一匹。

 物語の途中に現れる選択肢を選ぶのは、当然本人――本クマちゃんである。


「何故、この学園はすぐにクマちゃんを退学にしてしまうのだろう」


 ウィルは不可解なものを見るような顔で、暗転した画面を見つめ呟いた。

 幼く愛らしいもこもこを追い出すなど、彼には考えられない。


「クマちゃんそんなに齧ったら肉球痛くなるよ」


 リオが自身の膝の上の、むしゃくしゃした猫のように肉球を齧っているクマちゃんに声を掛け、宥めようとするが、可愛いもこもこの湿った鼻の上には力が入り、皺が寄ったままだ。


 

 絵本の中の学園生活が上手くいかないクマちゃんは、一生懸命考える。

 おかしい。

 何故絵本の世界の人間はこんなに冷たいのだろう。

 もしかして、あまり考えたくはないが――クマちゃんのことが嫌いなのだろうか。

 とても悲しいが、ここで諦めるわけにはいかない。クマちゃんは学園を卒業し、冒険者になるのだ。

 それに、クマちゃんじゃなくて、クマが苦手なのかもしれない。

 ――――変装したらどうだろうか。  


 

 リオの膝の上から降りたクマちゃんは、ソファに座るお兄さんへ近付き、肉球を差し出すと、幼く愛らしい声で、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言った。

『クマちゃん、お帽子』と。 


 それを聞いたリオが「イチゴの帽子かぶってんじゃん」と言ったが、もこもこは聞いていない。

 レースの付いていない格好いい白黒の赤ちゃん帽を手に入れたクマちゃんが、お兄さんへプクッとしたハートを渡している。

 交換するつもりらしい。

『いらない』と言うことなくそれを受け取ったお兄さんは、闇色の球体の中へそれを仕舞った。彼はゴリラちゃんの分も合わせ、現在四つのもこもこハートを持っているはずだが、手元には置かず、どこかに集めているようだ。

 お兄さんと物々交換した赤ちゃん帽をもこもこの両手で持ち、トテトテとリオのもとへ戻って来たクマちゃん。

 もこもこは彼の隣に置かれたクマちゃんのリュックから杖と魔石を取り出し、魔法で帽子を作り替えたようだ。


「クマちゃん自分でかぶれないんじゃね? それかして」


 リオは、改造した帽子を肉球が付いたもこもこの手でキュッと握りしめ、見つめているクマちゃんへ声をかけると、返事を聞く前に自身の膝の上へ抱き上げる。

 もこもこが付けているよだれかけを外し、頭から可愛いイチゴの帽子をスポッと脱がせた彼は、もこもこの手からそれを抜き取り――スポッと被らせた。

 真っ白で可愛いクマちゃんの頭を、白と黒のもこもこした素材の帽子が覆っている。


「――――パンダ?」


 膝の上のもこもこを見たリオが、かすれた声で呟く。

 元々頭の大きいクマちゃんがもこもこした帽子を被ったせいで、益々頭が大きく見える。その、頭がデカく見えるもこもこの帽子には、丸みを帯びふわふわとした黒い耳が付いている。

 耳と、首元で結ぶリボンが黒で、他の部分は白だ。

 ややパンダっぽく見えるクマちゃんが、深く頷いている。

 パンダで合っているらしい。


「ふわふわでとても愛らしいね」


 ウィルはパンダに見えるとは言わなかった。

 パンダっぽく見えなくもないが、何に見えるかと聞かれれば、耳だけ黒い帽子を被ったクマちゃんに見える。

 彼は『愛らしい』という真実だけを口にした。 


 パンダっぽい赤ちゃん帽を被ったクマちゃんは、動く絵本の映像を確認し、深く頷くと、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。

『クマちゃん、パンダちゃん』と。


「ほんとだ。ちゃんとパンダっぽくなってる」


 膝の上のもこもこを抱え直し画面を覗き込んだリオが「すげー」と言いながら、魔道具を操作する。

 何故急に帽子を作ったのか全く分からないが、もっともこもこしたかった、とかそういうことだろう。

 もこもこの謎のお着替えを間に挟み、二人と一匹は再び主人公クマちゃんを操作するが――。


 パンダっぽいクマの「……クマちゃ……」という悲し気な声が響く。

 つぶらな瞳を潤ませたもこもこは、リオの膝を降り、再び杖と魔石を取り出す。


「え、クマちゃん何その杖。まさか上手くいかないからって改造する気じゃないよね」


 警戒心の強いリオがもこもこに尋ねるが、何かを決意したもこもこは目をキリッとさせ「――クマちゃん――」と言っている。

『――クマちゃん、直談判――』と。

 

「クマちゃん、これ絵は動いてるけどただの物語だし、直談判とか無理だから」


 幼いクマちゃんに『これは作り物ですよ』とは言いたくないが、もこもこの不思議な魔法で学園長のような何かが出てきてしまったらと考えると、恐ろしすぎて黙っていられない。

 もこもこが生み出した謎のおじさんと『クマも通えるようにしてください』『では、クマ教室が必要ですね』と話し合ったとして、そのあとそのおじさんを何処へやればいいのか。学園に戻れないと、学園長はクマのせいで職を失い、永遠の迷子になってしまう。

 ――迷子のおじさんの誕生である。

 しかし、止める間もなく、もこもこは杖を振ってしまった。

 いつもよりも強く感じる光に目を瞑り、そういえば左目は眩しくても見えるのだったか、と片目を開くが――目の前にいたはずのもこもこが見当たらない。


「え、クマちゃん?」


 眩しくて何処かへ隠れたのかと見回すが、室内に可愛いクマちゃんの気配がない。

 慌てて隣に居るウィルへ視線をやるが、


「――クマちゃんが居ないのだけれど……お兄さん、この魔道具には転送装置のような機能も付いているの?」


 周囲の気配を探ったウィルが、クマちゃんが最後に触れていた魔道具を調べ、お兄さんに尋ねる。

 ――画面の中央に『本当に入学する』という、如何にももこもこが肉球で押してしまいそうな選択肢が見えた。

 すると、いつもなら瞳を閉じ、ゆったりと寛いでいるはずのお兄さんが――難しい表情で腕を組み「――何故、あのクマは目を離すと問題を起こすのか……」と独り言を呟いている。

 ――どうやら彼はクマちゃんを見ていなかったらしい。


「マジでクマちゃんどこ行ったの? 早く探さないと」


 珍しく真剣な声を出すリオに、お兄さんがお告げのような言葉を掛けた。


「――その物語は作られた物だが、場所は実在する。私はクマを迎えに行く。――お前たちはどうする」



 とある学園の中庭。白に近い金髪の、背の高い男子学生がそこを通った時、視界の隅に白と黒の何かが見えた。


「ん?」


 美しい、花と噴水とベンチしかない場所で動く、白と黒というはっきりとした色合いのそれ。

 猫だろうかと思った男子学生は、驚かさないように、ゆっくりと近付く。

 猫のように丸くなり、まん丸でふわふわな尻尾をこちらへ向けているそれは、――可愛い後ろ足にピンク色の肉球が付いているが――どうやら猫ではないらしい。

 しかし、猫でないのであれば、これは何の生き物だろうか。

 足音は隠していないのだから、こちらの存在には気付いていそうなのに、耳だけ黒い何かは、立ち上がることも振り返ることもしない。

 どこか痛めているのか。

 ――彼は、この丸見えなもこもこが、隠れているつもりだということに気付かない。


「――大丈夫?」


 人間の言葉など分からないだろうが、取り合えず声を掛けてみると、猫のように丸くなっている白と黒の生き物から、幼く愛らしい声が「……クマちゃ……」と返ってきた。

 

「……えーと、君はクマなんだね……。ん? 今大丈夫って言った?」


 驚き、何から聞けばいいのか分からなくなった男子学生は、取り合えず猫ではなくクマだったらしいと考え、そのクマらしき生き物が『……クマちゃ、だいじょぶ……』と言った――ような気がしたことに気が付いた。

 本人――本クマ曰く大丈夫らしいが、何故か動かない白黒のもこもこが心配になった彼は、


「ちょっとごめん」


と一応声を掛けてから、こちらに背を向け蹲るもこもこの体に手を伸ばし、顔が見えるように抱き上げた。



 つぶらで愛らしい、潤んだ瞳が彼を見上げている。



「……君、凄く可愛いね」


 うっかり、街中で女の子に声を掛ける、軟派男のような事を言ってしまった男子学生だったが、本来彼はそのような人間ではない。

 この学園で生徒会長を務める彼は、穏やかで成績もよく、容姿も優れている。皆から慕われる存在だ。


「君、名前は?」


 少し天然なところのある彼は、自分が女の子を誘惑する悪い男のような発言しかしていないことに気付かず、白黒のもこもこに話しかけ続ける。 

 腕の中の愛らしいもこもこは、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と返事をしてくれた。


「クマちゃん? 名前も可愛い」

 

 甘い声で幼いクマを誘惑する悪い生徒会長は「可愛いクマちゃん、一緒にご飯でもどう?」と危険な発言を繰り返し、白黒のもこもこを抱えたまま食堂の方へ歩いていった。

 ――もこもこは『クマちゃん、パンダちゃん』と言ったのだが、パンダには見えなかったため聞き流された。



「あれ? ……お兄さんクマちゃん居ないんだけど」


 お兄さんとウィルと共に、見た目が怖い闇色の球体を通り抜け、クマちゃんを探しに来たリオは、動く絵本に映っていた中庭らしき場所で気配を探るが、もこもこ特有の小さな癒しの力は感じられない。


「移動してしまったのではない? ――ひとりで寂しい思いをしていないといいのだけれど」


 寂しがり屋な幼いもこもこを心配したウィルが、悲し気な表情で呟く。

 ――南国の鳥のような鮮やかな青い髪と、全身に纏うたくさんの装飾品が、爽やかな学園から浮いている。


「――此処の学生と共にいるようだ。――――発言は少々気になるが、悪い人間ではない」


 瞳を閉じたお兄さんが、頭に響く不思議な声で、あまり安心できないことを告げた。



 学園長が執務用の机で業務報告書に目を通していると、ノックの音と「学園長、今お時間よろしいでしょうか」という声が聞こえた。


「――どうぞ」


 彼は書類から顔を上げないまま許可を出し、教員の言葉を待つが――何故か何も話し出さない。

 そんなに深刻な問題か、と学園長が顔を上げる。



 ――深刻な話があるらしい教員は、白黒でもこもこしていた。



 動揺した彼は思った。

 確かに、急にそんな姿に変わったのなら、非常に深刻である。

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