第105話 シンガーソングライタークマちゃん

 可愛いクマちゃんが肉球ともこもこ専用シェーカーで作ってくれた、もこもこカクテルを飲み、まったりとしていた彼ら。

 リオはグラスから口を離し、テーブルの上でぬいぐるみのように座り待機している、サングラスをかけたバーテンダークマちゃんに、かすれた声で尋ねた。


「クマちゃん寝なくていいの? もう日付変わってると思うんだけど」


 冒険者である彼らは一日くらい寝なくても平気だが、赤ちゃんのようなクマちゃんが酒を作ったり、夜更かしをしたりするのは良くないだろう。

 ぬいぐるみのようなもこもこが、もこもこした可愛い口元を動かした。――チャチャッ、と猫のように舌を鳴らす音が聞こえる。

 何か言うのだろうと思ったリオが、黙ってもこもこの返事を待つ。


「………………」


 黒いサングラスをかけた、返事をしないもこもこ。

 もこもこの頭が、ゆっくりと下がっていき――ガクッと俯くように落ちた。


「え、何?!!」


 ビクッと驚いたリオが立ち上がり、クマちゃんへ手を伸ばそうとするが、目の前のもこもこは何事もなかったかのように頭を上げ、スッと姿勢を正している。

 ――そしてまた、もこもこした口元をチャチャッ、と動かした。


「いやクマちゃん今絶対寝てたでしょ!」


 リオはかすれた声で指摘するが、クマちゃんは答えない。

 もしやまた、と思った彼がもこもこの方へ手を伸ばし、もこもこした顔からサングラスを取ろうとするが――クマちゃんはスッ、と両手の肉球を顔の前に出し、それを阻止した。

 ――今は結構です、という意味だ。

 もこもことした動きで立ち上がったクマちゃんが、テーブルの上をトテトテと移動し、お兄さんの前で肉球を差し出している。


「――これで良いか」


 クマちゃんから取引材料のハートを受け取ったらしいお兄さんは、白いぷにっとしたそれを闇色の球体の中に仕舞い、代わりに小さな弦楽器を取り出した。

 もこもこの体の大きさに合わせて作られたとしか思えない、小さな弦楽器を受け取ったクマちゃんは満足気にゆっくりと頷き、差し出したピンク色の肉球でお兄さんと握手をすると――再びテーブルの上をトテトテと歩き、中央まで戻って来た。


「クマちゃんの演奏はすげー聞きたいけど、やっぱ寝たほうがいいと思う」


 首がガクッとなるほど眠そうな赤ちゃんクマちゃんを心配するリオが、もこもこへ話しかけつつ無口な飼い主ルークへ視線をやると、相変わらず無表情な彼が、


「ああ。もう寝る時間だ」


と、低く色気のある声で告げた。

 深夜でも派手な男ウィルが「僕もそろそろ寝ようかな。――クマちゃんも一緒に寝よう」と優しく誘う。

 クマちゃんから貰ったハートを握りしめている氷のような男も、視線を愛らしいもこもこへ向けないよう気を付けつつ、頷いている。


 しかしいつもならすぐに皆と一緒に休むはずのクマちゃんは、頷きもせず、もこもこした両手で楽器を構えた。

 ――ポロン、と肉球付きのもこもこした手が弦をはじく。

 クマちゃんがもこもこした口を動かし、幼く愛らしい声で、


「――クマチャーン――」


と歌い出した。

 かすれた声の持ち主がすかさず「え、なに今の。何かクマちゃん格好つけてない?」と尋ねたが、仲間達の反応はなく、皆、愛らしいクマちゃんの弾き語りを静かに聴いている。

 彼が『チャーン』に反応しない周囲に「えぇ……」と肯定的でないかすれた声を出している間も、もこもこの演奏は続いているようだ。

 ポロン、ポロン――と弦の音が響く。


「――クマチャーン――」


 クマちゃんは歌う。

『――クマちゃん眠くなーい――』と。 


「何その歌」


〈クマちゃん眠くないの歌〉に難色を示すリオ。

 ポロロン、ポロロンと音が鳴り、幼く愛らしいクマちゃんの声が大きくなる。

 クマちゃん眠くないの歌は、早くも終盤に差し掛かったようだ。


「――クマチャーン――」


 もこもこの愛らしい歌声が響く。


『――クマちゃん全然眠くなーい――』と。


 ポロロン――肉球と弦が奏でる美しい音色と共に、素晴らしいもこもこのクールな歌は「――クマチャーン――」と最高の終わりを迎える。

 

『――クマちゃん寝なーい――』と。


「いや寝ないのは駄目だって」というかすれた声の忠告は、観客達の熱い拍手でかき消された。

 クマちゃんのすべてを肯定する悪い飼い主が色気のある声で「上手ぇな」と言い、彼の横に座るマスターも「ああ。白いのは何をしても可愛いな」と相槌を打っている。

 氷のような男クライヴが、下を向いたまま冷たく美しい声で「――素晴らしい」と言っているが、歌を歌うもこもこの姿に衝撃を受けたのか胸が痛むらしく、黒い革の手袋に包まれた手で強く服を掴み、苦しんでいた。

 

「クマちゃんは歌も凄く上手だね。愛らし過ぎてずっと聞いていたくなるよ」


 演奏家クマちゃんの大ファンであるウィルは、楽器を持ったままお辞儀をしているもこもこを褒めちぎる。

 彼が拍手をするたび腕の装飾品が鳴り、シャラシャラと、美しい楽器のような音を奏でた。

 手を止めたウィルが、少しだけ困った顔をする。

 クマちゃんが寝たくない理由に気が付いてしまったからだ。

 おそらくクマちゃんは、寝て起きたらまた、いつものように皆が仕事へ行き、自分はお留守番になると考えているのだろう。

 ウィルが視線を動かし魔王のような男を見ると、彼はテーブルの上からシンガーソングライタークマちゃんを抱き上げ、もこもこからサングラスを外し、額をくすぐっている。

 ルークは、口を開けているもこもこの頬を手の平で包むように撫で「明日はすぐ戻る」と、もこもこの耳が受け付けそうな言葉を伝えていた。

 彼もクマちゃんが寝たがらない理由が解っていたようだ。


「あー、そうだな。あれだけ倒せば、少しの間は増えないんじゃねぇか?」


 東屋の囲いに背を預け、腕を組むマスターは、展望デッキの柵の方へ視線を向け、考えるように話す。

 今は闇色の球体に仕舞われているクマの兵隊さん達――おそらく〝お兄さん〟が住んでいるところへ飛ばされたと思われる――が魔法を打ちまくったせいで変質した、弱体化されたのか強化されたのかよくわからないモンスターは、ウィルとルークが大体始末した。

 その数は、普段彼らが森で直接討伐している大型モンスターの十倍以上だろう。

 確認が終わるまで確かなことは言えないが、今までの敵の増える速度を考えると、数日間は討伐しなくても問題ないはずだ。


 もこもこは、ルークの腕の中で彼へつぶらな瞳を向け、もこもこした手の先をくわえている。

 ――もう一声らしい。


「リオは置いてく」


 魔王のような男はもこもこの為に副官を一人置いて行くことに決めたようだ。

 ――職権乱用である。

 彼の腕の中のクマちゃんが、もこもこの口元からくわえていた手をスッと外し、頷いた。

 ――交渉成立のようだ。


「え、今何か勝手に決まった?」


 リオがもこもこカクテルと一緒に貰った〝クマちゃんかわいいねの魔法〟、もこもこハートを揉んでいる間に何かが決まったらしい。

 明日のお留守番仲間を手に入れ満足したクマちゃんが、いつも通り幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言っている。


『リオちゃん、お店』と。


 クマちゃんはリオとお留守番をする間、お店の売り物を作って待つらしい。

 

「――いつもありがとうな。皆が安心して仕事に行けるのはお前のおかげだ」


 幼いもこもこから保護者を引き離すことに胸を痛めたマスターは、冒険者達の育成に力を入れルーク達の仕事を減らすことを考えつつ、クマちゃんに感謝を伝えた。

 もこもこがマスターへ肉球を差し出す。


「何だ。握手か?」

 

 優し気に笑ったマスターが、もこもこの肉球を片手で包み込んだ。


「――ん? 何だこのぷにっとしたのは…………」


 手のひらに肉球ではない、ぷにっとした何かを感じたマスターは、呟き、もこもこの手を放しそれを見る。

 そして、それを手にしたまま、もこもこの顔へ視線をやった。


 彼の目に、真っ白な毛がフワッと輝き、頬の毛が丸くピンクに色付いている、つぶらな瞳の愛らしいもこもこが映る。


「…………」


 黙った彼がもこもこから視線を外さぬまま、ぷにっとした白いハートをテーブルへ置く。

 そしてまた掴む。


「ふっ…………」


 俯いたマスターが目元を手で隠し、吹き出すように笑っている。

 それを見た金髪が「え、マスター何でウケてんの?」と言い、ウィルは「マスターがそんなに笑っているのは初めて見たよ」と笑みを浮かべた。

 クマちゃんは首を傾げ、もこもこの手の先をくわえている。――少しだけ不安そうだ。

 すぐに気付いたマスターは、ルークの腕の中から可愛いクマちゃんを抱き上げ、


「――いや、すまん。おかしくて笑ったんじゃない。心配するな」


と自分を見上げるもこもこの頬を優しく撫でた。


「もしかして、可愛く見える魔法なのか?」


 彼はクマちゃんに尋ね、


「これ以上可愛くなってどうするんだ? 世界征服でもするつもりか?」


と続けて聞いた。

 そして「いや、魔法無しでも世界征服できそうだな」と可笑しそうに笑う。

 ――彼は、魔法を使ってまで可愛く見せようとするクマちゃんが可愛くて笑ったらしい。


「お前はそのままでも十分可愛いだろ。何でそんなに可愛くなりたいんだ」


 子猫より可愛いクマちゃんが可愛さにこだわる理由が気になったマスターが、もこもこをあやすように撫でながら尋ねる。

 しかし彼の腕の中のクマちゃんは、もこもこの口を肉球が付いたもこもこの両手で隠し、黙ってしまった。


「僕も、気になっているのだけれど、言いたくないようだね。……クマちゃんは魔法を使わなくても世界一可愛いのだから、あまり頑張り過ぎないようにね」


 理由は知りたいが、クマちゃんが言う気になるまで待とうと思ったウィルは、可愛さが減ると起こる深刻な問題がある可能性を考慮し、気遣う言葉をかけた。


 ――可愛く無ければ深刻な問題が起こると思っているのはクマちゃんだけだが、もこもこが口を割らない限りその誤解が解けることはないだろう。


◇ 


 クマちゃんが「クマちゃん、クマちゃん」と言い、お風呂に入りたがったため、風呂に入り過ぎな彼らは露天風呂で汗を流し、部屋へと戻り、寝る支度を整える。

 ――因みにマスターは『俺は仕事に戻る。また明日な』とクマちゃんを思う存分撫でてから、立入禁止区画へ戻っていった。


 秘境にある洞窟のような暗い室内。部屋を仕切る壁に開いた不自然な穴からは、心を落ち着かせる温かな色の光が、柔らかく射し込んでいる。

 まるで神域のように澄んだ空気と爽やかな森の香りが、湯上りで汗ばむ体に心地よい。


「お兄さんは僕の部屋で休んだらいいのではない?」


 落ち着く色合いの光が射す大穴を作った落ち着かない色合いの男が、自作の穴から闇の部屋へ入り、椅子で寛ぐお兄さんに声をかける。

 すると、自身のベッドで仰向けに寝転がり、天井に勝手に取り付けられた赤ちゃん用オルゴール六個を濁った目で見つめていたリオが、


「いやお兄さんここで寝たらいいんじゃない? 俺がそっち行くから」


と素早く起き上がり返事をした。

 

「――お前は自分の寝床で休むと良い。私がそちらへ行こう」


 リオの寝床を奪う気などない、意外と優しいが空気は読めないお兄さんは、スッと立ち上がると、ルークに被毛を優しく梳かされ、乾かされながら「……クマちゃ……」と眠そうに呟くもこもこを一瞥し、大穴を通ってイカレ鳥の巣へ行ってしまった。


「おや。君のベッドはとても賑やかだね。音は鳴らさないのかい?」


 目論見が外れ再び濁った目で転がっている金髪へウィルが声をかけたが、「……さ……い」というリオの返事はかすれすぎていて、何を言っているのかわからない。


「おやすみなさいと言ったのかい? それなら音は小さいほうがいいだろうね」


 聞き取れた部分を繋ぎ合わせ勝手に解釈した陽気な南国の鳥が、魔法でオルゴールを操作し「僕も部屋へ戻るよ。お休みクマちゃん」と、もこもこへ挨拶をして、穴から巣へと戻っていった。


「……さ……い……」


 濁った目の金髪がもう一度『鳴らさない……』と言ったが、オルゴールを止めてくれる人間は、もういない。


 六個の赤ちゃん用オルゴールから吊り下げられた飾りが、音楽と共にわさわさ回っている。

 肉体的には元気だが精神的に疲れていたリオは、回転式オルゴールのスイッチ六個を探すのを諦め、瞳を閉じた。


 暗い部屋の中には、赤ちゃんクマちゃんは安心するが金髪は安心しない音楽が流れ、もこもこの「クマちゃん!」という寝言が響く。

 リオの「……や……ちゃん……の……と」という言葉は、やはり、かすれすぎていて何を言っているのか分からなかった。

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