第100話 クマちゃんは可愛い

 クマちゃんが期待していた通り、〝クマちゃんかわいいねの魔法〟は完成した。

 リオは嬉しすぎて動きが止まっているようだ。

 クマちゃんには解る。

 大好きなルークに大きな手で優しく撫でてもらったり、仲間達、マスターや酒場の皆に『可愛い』と言ってもらったりすると、とても幸せな気持ちになる。

 そして、そわっとしたり、ふんふんしてしまったり、体から力が抜けて、ふにゃっとしてしまったりするのだ。

 リオもそうなのだろう。

 クマちゃんの魔法に『可愛い』と言われて幸せな気持ちになったリオは、歓喜に震えているはずだ。

 もうすぐ『やったー! リオちゃん凄く嬉しい!』と言って飛び跳ね、『あの白いぷにっとしたやつをください』とクマちゃんにおねだりしてくるに違いない。

 リオの期待に応えるため、クマちゃんも頑張らなければ。


 

 ――気合の入ったもこもこが、プクッとしたハートを作るための準備を開始する。

 クマちゃんは自身のもこもこしたお手々をスッと動かし、もふもふの口元へ寄せると、小さな黒い湿った鼻の上に深いしわを寄せ、獣のような顔つきで、ピンク色の肉球をペロペロと、一心不乱に舐めだした。

 

 赤ちゃんのような幼いクマちゃんは理解していなかった。

 世の中には、可愛いと言われても喜ばない人間もいる。

 それに、その言葉に素直に喜ぶ人間がいたとして、


『パワーが溜まったので、今から一回だけ褒めます』

『――ぬぁぁぁあかわいい!!!――』

『終了です。またパワーを溜めて下さい』


この流れで喜ぶ者はほとんどいない。

 懲りずに頷き、黙々とパワーを溜めるのは、白くてもこもこした生き物くらいだろう。


 肉球のようなさわり心地と甘い言葉で相手に快感を植え付け『も、もう一度可愛いと言って下さい』とおねだりさせようとする、悪徳ハート売りクマちゃん。

 もこもこは肉球を舐め続ける。

 金髪へもう一度〝クマちゃんかわいいねの魔法〟を売りつけるために。 

 

  

「いや、マジで意味わかんねぇんだけど」


 リオは、物凄い勢いで肉球を舐めている目の前のクマちゃんを見て、先程と同じ言葉を繰り返した。

 何故急に肉球を舐めだしたのか。かゆいのだろうか。

 ――ぼーっと白いもこもこの鼻の上のしわを見つめるリオは、先程の、もこもこした映像を思い出す。背中の小さい羽が気になってあまり聞いていなかったが、『またのご利用を、お待ちしております』と言っていたような気がする。

 それに、何故か、可愛いと褒められた。

 嬉しくない。自分は可愛くもないし、可愛いと言われたいわけでもない。可愛いのは、白いもこもこした生き物だろう。

 しかし、リオは薄々気付いていた。

 ――まさか、このもこもこはリオが『可愛い』と言われて『やったー!』と喜ぶと思っているのでは。

  

「えぇ…………」


 口が勝手に動き、つい否定的な声が出てしまった。

 背後から、シャラシャラと聞き覚えのありすぎる音が近付いてくる。


「良かったねリオ。クマちゃんに可愛いと言ってもらえて」


 可笑しそうに笑い、そう話すウィルが、複雑な表情のリオへ向かってゆるりと腕を持ち上げ、シャラ、と手首を飾る装飾品が滑る音と共に、彼の肩に手をのせた。

 そのまま彼は、むしゃくしゃした猫のような顔で肉球のお手入れをしている幼いもこもこへ、優しい眼差しを向ける。


 おそらくクマちゃんは、『可愛い』というそれを、誰が言われても嬉しい言葉だと思っているのだろう。

 その言葉から伝わる、癒しの力に似た温かな感情が、あのハート型の魔法に力を与え、まるで本物のような高度な立体映像を作り出す、という仕組みらしい。

 発動に時間がかかることと、しても一度だけで消えてしまうのは、自分達が癒しの魔力を持っていないせいだろう。

 言葉を紡ぐと同時に魔力と愛情を注ぎ込めば、違う結果になるのかもしれないが。

 今後は自分の深い愛を伝えるために、精一杯感情を込めて『可愛い』と伝えることにしよう。


 それよりも、あの幼いもこもこに、可愛くない冒険者の男に『可愛い』と言っても喜ばれないということを教えたほうがいいのだろうか。

 このまま放っておけば、幼いもこもこはマスターにもプクッとした白いハートを渡し、やがてそこから飛び出した愛らしいクマちゃんの映像は、少しも可愛くない彼へ言うだろう。

『マスターちゃんも、かわいい』と。


 ウィルが真面目な事とどうでもいいことを考えている間に、ルークの腕の中の愛らしいもこもこは、ハッとしたように舌を止めた。

 ――クマちゃんが彼の存在に気が付いてしまったようだ。


 白くてもこもこした生き物に見られていることに気が付いた氷のような男は、しかし逃げることが出来なかった。

 幼く傷つきやすいもこもこに、彼が逃げる姿を見せてしまえば、隠れていた意味が無くなってしまう。

 クライヴは、ルークに抱っこされたままこちらへ向かってくる、占い師の格好をしたもこもこと目を合わせた。

 目の前にやってきたクマちゃんが、スッと愛らしいピンク色の肉球を彼の前へ差し出す。


「…………」


 愛らし過ぎて既に胸が痛いクライヴが黙ったまま、もこもこした、先の丸い猫のようなお手々と、その中のぷっくりとしたピンク色の肉球を見つめる。

 そして、当然そこから出てくるのは白くて丸っぽい、プクッとしたハートだ。

 もこもこのもこもこした可愛い口元が動き、幼く愛らしい声が「クマちゃん、クマちゃん」と言う。


『クマちゃん、どうぞ』と。


「――――そうか、感謝する」


 クライヴはクマちゃんのつぶらな瞳が期待に輝いているのを見て、覚悟を決めた。

 受け取る直前、一瞬だけルークへ視線をやり遺志を伝える。『後は頼む』と。

 長いまつ毛を伏せ、愛らしいもこもこからそれを受け取り、そのぷにっとした素晴らしい感触に、また胸を痛め、美しく冷たい瞳を開く。


 ――いつもよりも大きな、輝く愛らしい瞳でこちらを見つめる真っ白なクマちゃんの被毛がキラキラと光り、頬の毛が、うっすらと愛らしいピンク色になっている。


 クライヴの美しい瞳から、涙が一粒零れ、それは小さな氷となり、白く輝く床へ落ちる。

 少し離れた場所から「え、まさか泣いてる? マジで? あの人涙とか出んの?」無礼者のかすれた声が聞こえた。


 クライヴには解った。

 これは、赤ちゃんのような幼いもこもこの、精一杯のおしゃれなのだ。

 彼の頭の中のもこもこが一生懸命肉球を舐め、その肉球で頭をこしこしと猫のようにこすり、また肉球をなめる。

 絶対にぼさぼさになっているだけの、それは本当に綺麗にするつもりがあるのか、という猫の毛繕いのようなそれ。

 毛繕いを終え、手の届く範囲がぼさぼさになった、彼の頭の中のクマちゃんは、頬紅を探しに出掛ける。

 短い足で一生懸命歩き、お花畑にたどり着いた、ぼさぼさのクマちゃん。

 ぼさぼさしたもこもこはピンク色のお花を見つけたようだ。

 クマちゃんがお花の横でぬいぐるみのように座り、肉球の付いた不器用なお手々で花びらをちぎり、それを持ったまま頬をこしこしと擦る。

 そして、頬がまだらにピンク色になったぼさぼさのクマちゃんは、頷き、もこもこと立ち上がり、彼の方を向いて『クマちゃん、クマちゃん』と言うのだ。


『クマちゃん、かわいくなった』と――。

 

 クライヴの瞳から又ひとつ涙が零れ、氷へと変わる。

 彼は想いを込めて静かに呟いた。


「――お前ほど愛らしいものなど、この世に存在しない」


 そして――クライヴは彼らの視界から消えた。そこに氷の粒だけを残して。


「……え? あの人どっか行ったんだけど。動き早すぎじゃね?」


 動体視力が優れている彼の目でも追うのが難しいほどの素早さで走り去ったクライヴに、リオが驚き、かすれた声で言う。


「うーん。動けるうちに自室へ戻ったのかもしれないね」


 風で乱れた髪を少し雑に押さえたウィルが、視線を昇降用の台がある方へ向けた。

 部屋の中で倒れていないといいが。

 ――後で様子を見に行こう。


 クマちゃんはルークの腕の中で、肉球が付いたもこもこした両手をもふもふのお口に当て、感動したようにつぶらな瞳を潤ませている。

 クライヴからもらった素敵な言葉に、感極まっているようだ。

    

 それを見たリオが目を細め、不満げに言う。


「俺が可愛いって言った時と全然態度違うんだけど」


 リオが『可愛い』と言った時は、あのもこもこは頷くだけだったはずだ。納得がいかない。


「たぶん彼の持つクマちゃんへの愛情を感じ取ったのだと思うよ」

 

 南国の青い鳥のような派手な容姿の男が、クライヴの、魂を捧げるほどの愛を理解したように言う。そして「君の愛情が薄いと言っているわけではないよ」と付け足した。

 ――クライヴは比喩ではなく魂を捧げるところだったからだ。

 

「俺だって――」


 何かを言いかけたリオが、ピタリと言葉を止める。

 そして、かすれた声で、


「あいつら何やってんの?!」


と叫んだ。

 

 あいつら、もといクマの兵隊さん達が輪になり、貰ったばかりの杖を掲げ、その先に魔力を集めている。

 そして魔力は止める間もなく空へと昇り、細かな光の粒となり、闇に包まれた夜の森へと、次々に打ち出されてゆく。

 

「うーん。もしかしたらあれが、物理攻撃が効かないモンスターに変わる魔法なのかもしれないね」


 クマちゃんを傷つけなければ穏やかな男が、腕を組み、考えるようにリオへ答えた。

 ウィルが身に纏う装飾品が風に揺られ、シャラシャラと涼やかな音を立てる。


「いや答え教えてっていう意味じゃないんだけど!」


 彼の横で腕を組んでいる吞気な鳥へ言葉を返すリオ。

 リオは『あのクマ野郎どもは何をしているんですか』『お困りのようですね。では私が解説を――』という会話を望んでいたわけではない。


 ――ウィルが落ち着いているのには理由があるが、リオには伝わっていない。

 

 真面目なリオはお困りだが、謎の魔法はもう夜の森へと飛んで行ってしまった。

 視線の先のもこもこが肉球をテチテチと叩き合わせ、喜んでいる。

 自分の部下が頑張って敵を倒していると思っているのだろう。

 あれでは、兵隊達を拘束するわけにもいかない。


 リオは夜空を見上げた。

 黒い空に美しい星が瞬いている。まるでクマちゃんの瞳のようだ。

 現実逃避している彼は気が付いている。

 あのクマの兵隊達が、手に入れたばかりの杖の先に、再び魔力を集めていることに――。 

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