第99話 クマちゃんからの贈り物

 キリリ、と格好良く告げたクマちゃんだったが、クマの兵隊さん達の様子に変化は無かった。

 彼らの殴り合いは一瞬たりとも止まっていない。

 ルークに抱えられたクマちゃんの、ふんわりした被り物の中のもこもこした耳に、強い風の音と布がはためく音、カッ、カッ! と硬い物がぶつかる音が響く。

 

「やべぇクマちゃんめっちゃシカトされてんじゃん」


 東屋の方から、風のささやきが聞こえる。おそらく『クマちゃんもっと大きな声で!』と言ったのだろう。

 うむ、強い風のせいでクマちゃんの命令が聞こえなかったようだ。

 今度はもっと大きな声で――。



 最強の手の隙間にもう一度濡れた鼻を押し付けたクマちゃんが、もこもこした口元をもごもごさせ、チャ、チャッと猫のように舌を動かす。

 そして、緊張を解すためか、眼前の最強の手を薄くて生暖かいそれでペチャペチャと舐めている。

 すべての準備を整えたもこもこが、幼く愛らしい、


「――クマちゃん!」


という声を出す。

『――ダメちゃん!』と言っているように聞こえる。もしかしたら『駄目ですよ!』と言っているつもりなのかもしれない。

 当然、クマちゃんの命令に迫力はない。


「クマちゃんなめられてんじゃね?」

 

 東屋の中、金髪の男がかすれた声で言うと、テーブルへ静かにグラスを置いた南国の青い鳥のような男が、「リオ。そういう言い方をしてはいけないよ」と、優しくない視線を隣に座る彼へ寄越した。

 そしてウィルは、金髪の男が愛のケーキを食べている間、テーブルの上に置かれていた、リオがもこもこから貰ったぷにっとしたさわり心地のハートを手に取る。

「え、何?」とビビるリオの手を、シャラ、と腕の装飾品を鳴らし、所作は美しいが非常に男らしい力強さで掴んだウィルは――彼の手の中にハートを戻した。

 わけが解っていないリオがもう一度かすれた声で「え、何」と言うが、すでに彼の方を見ていないウィルは「君はそれを持っている時のほうが素直になれるみたいだからね」と言うだけだった。


 部下に二度も無視されてしまったクマちゃんが、ルークの腕の中で何か言っていた。

 小さくて聞き取り難いが「……クマちゃ……クマちゃ……」と、幼く愛らしい声で呟いている。

 どうやら『……クマちゃ、の……おはなち、きいて……』と言っているようだ。


 森の中の小さなお家、もこもこ専用ハウスで目覚めたクマちゃんは、今までほとんど冷たくされたことがない。

 赤ちゃんのような幼いクマちゃんにそんな非道なことをしたのは、もこもこを誘拐した犬くらいで、危険なところをルークに助けられてからずっと、彼や酒場の人間に甘やかされてきた幼いもこもこの心は、折れる寸前だ。

 腕の中の挫けそうなもこもこを、ルークが繊細な魔法で温かく包み、大きな手であやすように撫で――ついに零れてしまった涙、そしてずっと垂れていた鼻水を、最高級のふわふわの布で拭く。


 聴力も優れている冒険者の彼らには、小さくて聞き取り難い声でも、クマちゃんの悲し気でクマクマした「……クマちゃ……」という呟きが聞こえていた。


 スッと目を細めたウィルが、シャラ、と身に纏う装飾品の音と共に立ち上がるが、それと同時に彼よりも奥――クマの兵隊さん寄りに座っていた、今まで気配を消していた男が、冷気を漂わせ席を立ち、東屋を出る。「いや寒いんだけど」というかすれた声の苦情が聞こえる。

 触れるものすべてを氷像に変えてしまいそうな、冷たく恐ろしい魔力を隠さない彼が、数メートル離れたクマの兵隊さん達のもとへ音もなく一瞬で距離を詰め――容赦なく吹き飛ばした。東屋の方から「え、殺った?」というかすれた声がする。

 しかし、ルークの胸元へ涙と鼻水でしっとりとした顔を伏せ、時々キュォー、と鼻を鳴らし、「……クマちゃ……クマちゃ……」と泣いている幼いもこもこは、先程まで気配を消していたクライヴが、彼の大事なクマちゃんを泣かせる悪党共へ鉄槌を下した、衝撃的な光景は見ていなかった。


 氷で体のあちこちが固められたクマの兵隊さん達が、身動き出来ずに転がっているところへ、シャラ、と涼し気で美しい音が響く。

 動けない兵隊さん達の体を挟むように、青白く透き通る美麗な盾が現れ、彼らへミシ、と物理的に圧力をかける。

 ――言う事を聞かなければ潰すぞ、とでもいうように――。


 静かになったクマの兵隊さん達は、正座をし、ルークと、彼に抱えられているクマちゃんの前へ並んでいる。

 美しく、恐ろしい二人が視線で『そこへ座れ』と言ったからだ。恐ろしい二人は奴らが再び悪さをしないよう、ルーク達の斜め後方で監視中だ。

 胸元でクマクマとぐずっているクマちゃんを、ルークが大きな手でもう一度優しく撫で、並んだ兵隊達が良く見えるように、もこもこの体の向きを反転させる。

 鼻を垂らし、涙を零す、可愛いクマちゃんの湿った顔を、ルークはふわふわした布で拭き取った。

 

 

 綺麗になったクマちゃんは、視界の斜め下で整列している部下達を見て、ハッとした。

 クマちゃんが気が付いていなかっただけで、皆ちゃんとクマちゃんの言うことを聞いていたようだ。

 自分は少し弱気になっていたらしい。

 クマちゃんの部下が、クマちゃんの命令を無視するなんて、そんなことあるわけがなかった。

 自分は上司なのだから、しっかりしなくては。

 ――元帥クマちゃんは彼らへ告げる。


 今から君たちに素敵な枝を支給しますよ、と。


 

 鼻たれ元帥クマちゃんの『クマちゃん、枝あげる』という言葉を聞いたクマの兵隊さん達が、目を吊り上げ、怒りをあらわにする。

 言葉にするならば『枝はいらねーっつってんだろこのクソクマが』という感じだ。

 クマの兵隊さん達が拳を振り上げ、立ち上がろうとした、その瞬間。――再び彼らの足元と頭上に出現する、透き通る青白い盾と、静かに背中に当てられた氷の槍。

 彼らは、木製の硬い拳を膝の上へ戻すしかなかった。

 

 心優しく暴力とは無縁の、愛らしい鼻たれクマちゃんを乱暴な彼らに近付けたくない過保護なルークは、彼の腕から降り先程作ったものを渡そうとするもこもこを、「ここに居ろ」と、無駄に色気のある低い声で引き留めた。


「…………」


 森の魔王のように美しく威圧感のある容貌の彼は、何も言わず、もこもこを抱えたまま足元に整列する小さな彼らを見下ろす。

 ――木のおもちゃが小さくカチカチとぶつかる音がする。クマの兵隊さん達が震えているようだ。

 しかしルークは彼らが怯えるようなことを考えているわけではなく、もこもこ製の兵隊達が乱暴な理由を考えているだけだった。

 浄化が必要か、と切れ長の美しい目が彼らをじっと見るが、そこから感じるのは癒しの力だ。

 彼らが邪悪な存在なわけではなく、もこもこが魔法を使った場所の影響で、兵隊達の性格が歪んだのだろうか。

 ――始末が必要なほどではない。

 

 冒険者達を取りまとめるリーダーとして行動することの多いルークは、多少問題を起こす人間にも寛容だ。

 個人的な感情だけで相手を罰することはない。――存在も魔王のような彼が感情的な人間であれば、疾うの昔に街は壊滅していただろう。

 先程目の前の兵隊達がクマちゃんに向かって枝を投げつけた時も、傷つける意図はなく、子供が気に入らないものを投げるような、手足をばたばた動かすようなものだと理解していた彼は、それを魔法で跳ね返しただけで、怒ったりはしなかった。

 ――彼の最愛のクマちゃんを泣かせる者を、どうこうしたくならないわけではないが。


 森の魔王のようなルークが、道具入れに預かっていた枝、もとい杖を片手で取り出し、腕の中のもこもこへ渡す。

 五本の可愛い木の杖を、花束のように抱えたクマちゃん。

 人とは思えないほど端麗な容姿の、無表情で何を考えているのか分からない男ルークは、もこもこの腕の中のそれらに、魔法で光を纏わせた。


 ――演出である。


 過保護な飼い主ルークによる演出の効果で少し威厳の出た鼻たれ元帥クマちゃんが、光輝く杖を抱えているのを見たクマの兵隊さん達が、正座した膝の上に置いていた手を、拍手のようにカチカチと叩き合わせ始めた。

 言葉にするならば『ヨッ! 待ってました!』という感じだ。あれはただの枝ではない、と期待が高まっているらしい。

 東屋の方から「え、何あの手のひら返し。調子良すぎなんだけど」とかすれた声が聞こえる。見えないながらもルークが何かしたのを感じ取ったようだ。

 ルークが鼻たれ元帥のもこもこした腕に、長い指でトントン、とふれた。

 クマちゃんが肉球の付いたもこもこした両腕を、バッと開くと、ルークは緻密な魔力操作で風を操り、五本の光り輝く杖を、ゆっくりと降らせる。


 ――過剰な演出である。


 キラキラと舞う素敵な杖に興奮したクマの兵隊さん達は、飛びつくように目の前のそれを受け取ると、『やったー!』というように高く掲げた。

 東屋の方から「えぇ……何かリーダーっぽくない。あやしい……」と訝しむ声が聞こえる。

 金髪が今まで見てきたルークという男は、どんな理由があっても派手な演出をするような人間ではない。

 彼は絶対に他者からの評価などどうでもいいと思っているタイプだ。それはたとえ彼の持つ魔力が少なかったとしても変わらないだろう。

 

 部下達が喜んでいるのを見たクマちゃんが、とても嬉しそうにピンク色の肉球をテチテチと打ち合わせている。

 心優しいもこもこは、先程まで彼らにひどい扱いを受けていたというのに、そんなことは全く気にしていないようだ。

 ただ、皆が喜んでいるのが嬉しいのだろう。

 

 ルークの体に隠れ、もこもこは見えないが、テチテチという聞き覚えのある、クマちゃんの拍手の音を聞いたリオは、無意識にハートを握りしめ、


「……可愛い」


とかすれた声で呟いた。


 すると、彼の手の中のハートが光り出す。


「――え、何これ。なんか光ってんだけど!」


 異変を感じ下を向いたリオが、自身の手の中で光るそれに驚き、声を上げる。

 彼は立ち上がるとすぐに東屋を出て、クマちゃんのもとへ走った。


「クマちゃん! これ何か光ってんだけど!」


 走り寄るリオへルークが振り返り、彼の腕の中で拍手をしていたクマちゃんは、リオが持つそれが光っているのを見た。

 拍手を止めたクマちゃんが深く頷いている。


「え、何で頷いてんのクマちゃん。これで合ってるってこと?」


 動揺しているリオが尋ねるが、ルークに抱えられたもこもこは幼く愛らしい声で「――クマちゃん――」と言うだけだ。

 リオの頭の中に、クマちゃんが両手を胸元で交差させ、『――完成しました――』と言っている映像が浮かぶ。  

 彼が「え、何が――」と言ったとき、彼の持つ光るハートがはじけ、真っ白な何かが飛び出す。


 リオの目の前に少し向こう側が透けて見える、立体的なクマちゃんの映像が現れた。映像のクマちゃんも両手を胸元で交差している。

 背中に天使のような小さな羽をつけた立体映像クマちゃんが、もこもこした口を開く。『――クマちゃん、クマちゃん――』と。


 立体映像、エンジェルクマちゃんは『――リオちゃんも、かわいい――』と言っているようだ。


 リオが何かを言う前に、エンジェルクマちゃんがまた、もこもこした口を開く。『――クマちゃん、クマちゃん――』と。


 立体映像、エンジェルクマちゃんは『――またのご利用を、お待ちしております――』と愛らしいが機械的な言葉を発し、そのままスゥッと消える――。


 そして、立体映像から可愛いと褒められた彼は、エンジェルクマちゃんが消えた場所を見つめ、小さく呟いた。


「いや意味わかんねぇんだけど」と。

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