第98話 クマちゃんの部下

 四人と一匹とお兄さんは〈クマちゃんのお店〉の裏、湖畔の展望台に繋がるドアを抜け、現在最上階へ昇る魔法陣が刻まれた台に乗っている。

 お店に残してきたぬいぐるみのゴリラちゃんは、マスターのための伝言係だ。

 冬の支配者クライヴは気配を消し、魔法陣の真ん中に描かれている可愛いクマの模様を、射殺すように睨みつけていた。


「何かこの塔寒くない?」


 ぷにっと柔らかで、さらりとした触り心地のハートを無意識に揉み、森の魔王のような男の腕の中にいる世界一愛らしいクマちゃんを見つめ、かすれた声でリオが言う。

 ぼーっとした金髪は疲れているせいか、思考力が落ちているようだ。

  

「――気のせいだと思うけれど」


 クライヴが気配を消したい理由を察したウィルは、彼ほどの実力者であってもクマちゃんの特別な空間の中では魔力を隠し切れないらしいと気が付いたが、それについての指摘はしなかった。

 いくらクマちゃんが世界一可愛くても、見ただけで死ぬことは無いと思うが、普段の彼の状態を考えると心配する気持ちも解る。

 南国の青い鳥のような男が、スッと視線をルークの腕の中のもこもこへ移す。

 怪しい占い師の格好をしたクマちゃんが頬を薄いピンク色に染め、輝く水晶玉を両の肉球でムニ、と挟んでいる。

 水晶玉からポワッと光を浴びたクマちゃんは、もこもこの顔やつぶらな瞳がキラキラと輝き、とんでもない愛らしさだ。

 ――確かに、見たら死ぬかもしれない。

 派手な外見のわりに相手を口説きまくったりしない、言葉を大切にするウィルは、リオほど口に出して可愛いとは言わなかったが、それでも心の中では思っていた。

『クマちゃんは魔法なんて使わなくても、世界一可愛いよ』と。

 それにしても、もこもこは何故そんなに〝可愛い〟ことにこだわっているのだろうか。

 クマちゃんから直接聞くことが出来ればいいのだが、あの愛らしい不思議な生き物は、何故かあまり話さない。ルークの影響だろうか。


 ――ウィルが不思議なもこもこの不思議な生態について考えている間に、魔法陣が刻まれた台は最上階へ到着した。

 高いところ特有の強い風が吹き、髪が煽られ、服の靡く音と、装飾品がシャラシャラと揺れる音が聞こえる。

 夜空には無数の星、足元の真っ白な広場が、淡い光を放つ。


 暗闇に白く浮かび上がる展望デッキ。中央付近に設置された多角形の東屋の、やや手前に到着した彼ら。

 リオが、サッと視線を動かすと、目の前のそれを超えた先に――東屋のせいで見えにくいが――小さな何かが集まっている。


「何やってんだろ……」


 リオは小さな何か――クマの兵隊さん達を見つめ、小声で呟く。

 

「さぁな」


 腕の中のもこもこした占い師を長い指で擽るルークが、低く色気のある声で抑揚なく答える。

 彼は長い脚で数歩進み、東屋に備え付けられている濃い木の色の――成人男性が複数人座れそうな――四つあるベンチの一つに腰を下ろした。

 東屋の囲いが丁度良い背凭れになるらしく、それに体を預け、長い脚を組み、もこもこした占い師の可愛い顔が良く見えるように腕で支え、完全に寛ぐ体勢だ。


「いやリーダー何休んでんの。あれ捕まえに来たんだよね?」 

 

 夜のお休みモードに移行してしまったルークを、東屋に半分入ったところでぼーっと眺めていたリオが、ハッとしたように物申す。

 ――危ない。うっかり自分までふらふらと近付いてしまった。リオは誘惑を振り切るように、数歩下がった。

 キリリとしたリオの横を、ゆったりとした足取りの偉そうなお兄さんが通り、――スッと気品を漂わせた動きでルークの向かいのベンチへ座り、東屋中央のテーブルの上へ闇色の球体を出現させる。

 そこから現れたのは、クマちゃんが作った美味しい木の実のケーキと、それを取るための食器、湯気の立つ白い小さなマグカップ、そして、酒類。


「えぇ……それはずるいと思うんだけど」


 リオは悔しそうに顔を顰めたが、すぐにかすれた声で「俺も座る」と言い、空いている場所――昇降用の台から見て左手前――へ座った。

 彼は誘惑に負けたが、特別このベンチに座りたかったわけではない。

 クマちゃんと一緒に作った美味しい木の実のケーキを残すのが嫌だったのだ。


「――あれ、風弱くなった? お兄さん何かした?」


 ベンチに座り、取り合えずお兄さんが出してくれた酒でも貰おうかとテーブルの上へ視線をやったリオは、先程まで感じていた、全身に当たる強い風がおさまったままなことに気が付いた。

 またすぐに吹くのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。


 シャラシャラと装飾品の揺れる音が響くなか、星と夜空を楽しんでいたウィルは、視線を空から仲間達へと移す。

 床からの光で装飾品が光る、夜でも派手で美しい彼は、服を風で靡かせ軽い足取りで東屋へ入り、


「昨夜来た時もこの中には風が吹いていなかったから、お兄さんが何かしたわけではないのではない?」


強風で乱れた青く艶めく髪を、少し雑に整えながら彼に答え、そのままリオの隣へ腰を下ろす。

 ――当たり前のように座ったが、窃盗団を捕まえるのが面倒なのが透けて見える。


「私の力ではない。クマがこの塔を建てたときに自然とそうなったのだろう」


 琥珀色の酒が入ったグラスから口を離したお兄さんが、ルークの腕の中でまったりと寛いでいるもこもこに視線を動かし、頭に響く不思議な声で告げるが、クマちゃんはルークを見つめるのに夢中で話を聞いていないようだ。


 出来るだけ気配を消しているクライヴは、お兄さんが話をしている間にスッと移動し、リオとウィルの向かいのベンチに座った。

 

 煩くはないが静かでもない彼らが側まで来たと言うのに、逃げ出す様子もなく、盗んだ杖を囲んでいるクマの兵隊さん達。

 クマの兵隊さんの逮捕を諦めたリオは、身長が十センチ程の彼らを、お兄さんが出してくれた、ケーキに合いそうな――琥珀色で芳醇な香りの――酒を飲みつつ観察し、


「まじで何やってんだろ」


とかすれた声で誰に言うともなく呟く。


 視線の先のクマの兵隊さんのひとりが、一歩杖に近付いた。

 それを見ていた他の兵隊さん達も、同じだけ杖に近付く。

 一瞬全員の動きが止まったかと思うと、今度は同時に杖に飛び掛かる。

 ――どうやら杖を誰が使うかで揉めているようだ。


「えぇ……」


 可愛いクマの兵隊さん達の醜い争いを見てしまったリオが、残念そうな声を出す。


「うーん。彼らは全員杖が欲しいようだね。あの子達には大きすぎると思うのだけれど」


 透き通った薄い緑色でハーブの香りのする、アルコール度数の高い酒を味わっていたウィルは、兵隊さんの争いを止めもせず、涼やかな声で言葉を紡ぐ。


  

 ウィルの言葉を聞いていたクマちゃんの、高性能なもこもこした耳が、ふわっとした帽子の中でピクリと動く。

 誰かが杖を欲しがっているらしい。

 どうやらお困りのようだ。

 大好きなルークと見つめ合うのを中断し、視線を動かすと、すぐ近くにクマの兵隊さん達がいる。

 理由は分からないが、彼らは仲間同士で戦っているらしい。うむ、訓練中なのかもしれない。

 そして、訓練には杖が必要、ということなのだろう。

 取り合えず近くまで行ってみよう。

 自分を抱えるルークの腕を肉球でキュムッと押し、降ろしてもらおうとしたが、どうやら抱えたまま移動してくれるようだ。

 彼は何故か「危ねぇだろ」と言っている。

 クマちゃんは彼らよりもずっと背が高いし、力も強いのだから負けたりはしないが、優しい彼は心配してくれたらしい。

 自分を撫でる長い指にピトッと鼻をくっつけ、感謝の気持ちを伝えると、彼はお返しにクマちゃんのおでこを擽ってくれた。

 もしゃもしゃして非常にくすぐったい。何故か鼻に力が入り、口が開いてしまう。


 訓練中の彼らの足元に、冒険者が持っているのを見たことがある一本の長い棒と、小さな木の枝が複数落ちている。

 うむ。長い棒は少し長すぎる。

 あの枝がいいのではないだろうか。

 クマちゃんが『あの枝が訓練に丁度いいと思いますよ』と言うと、彼らが一斉にこちらを向き、何故か、落ちていた枝を拾い、投げつけてきた。

 素早く避けようとしたが、ルークの腕の中に居るため動けない。

 しかし、枝はクマちゃんに当たらず落ちた。

 うむ。クマちゃんほどの強さになると、わざわざ避ける必要はないらしい。

 怖くなどないが、丁度いい場所にルークの手があるので、そこへ隠れることにしよう。


「えぇ……クマちゃんめっちゃ負けてんじゃん。しかも顔以外丸見えなんだけど」


 風のささやきが何かを言っているが、強い風のせいで聞こえない。おそらく『クマちゃんの方が強いよ!』と言ってくれているのだろう。

 取り合えず、あの枝は何か違うらしい。

 もっと素敵な枝が良いということだろう。

 クマちゃんはルークの大きな手に隠れたまま、彼へ非常に重要なことを伝える。


 ――クマちゃんは一度撤退する必要がありますよ、と。

 

 

 すぐにルークに連れられ東屋に戻って来たもこもこを見たリオが、


「クマちゃん逃げんの早くね? あと鼻水出てる」


と言った。

 ルークが新品のふわふわの布を取り出し、鼻水を拭いてやっている。

 ――目は潤んでいるが、涙はぎりぎりでこらえたらしい。

 リオは『クマちゃん弱すぎでしょ』と言う代わりに「鼻水出てても可愛い」と言った。危険なハートが彼の本心をさらけ出す。

 弱い上に鼻水が出ている可愛いクマちゃんが頷いている。

  

 もこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃん……」と小さく呟く。

『枝ちゃん……』と言っているようだ。


 ベンチに戻ったルークの横に闇色の球体が現れ、それが消えると、木の枝がパラパラと落ちてきた。

 再び揉め出したクマの兵隊さん達の周りに散らばるそれらを、お兄さんが取ってくれたらしい。

 リュックからクマちゃんの杖を取り出したルークが、膝の上のもこもこへそれを渡す。

 涙目で杖を持っている負け犬、もとい負けクマのもこもこが、プシッと猫のようなくしゃみをした直後「クマちゃん」と言い、「え、今のもしかしてくしゃみ? やべー可愛いまた鼻水出てる」と、風がささやく。

 ルークは片手で道具入れから魔石を取り出し、リオからの『可愛い』に頷くもこもこを魔法で温め、ふわふわの布で小さくて黒い、ピショっと濡れている可愛い鼻を拭いた。


 お兄さんとルークに準備を整えてもらったもこもこが、いま綺麗にされたばかりの濡れた鼻にキュッと力を入れ、肉球が付いたもこもこの手で杖を振る。



 ベンチの上の枝が輝き、光が消えると、そこには疑問符を縦に伸ばしたような形の、小さな杖が五本並んでいた。

 疑問符の丸い部分には丸い葉が二枚付いていて、まるでクマの耳のようだ。

 杖の長い部分には細い蔦が螺旋に絡み、そこにも二枚の葉が装飾されている。



「クマちゃんはとても優しいね。これなら皆喧嘩をせずに済むと思うよ。――それでも止めないようであれば、僕が彼らにお仕置きをしてあげる」


 だたの枝から作られたとは思えないほど可愛い仕上がりの素敵な杖へ、優しい眼差しを向けたウィルが、涼やかな声でクマちゃんに告げ、「だから心配しなくてもいいよ」と付け加える。

 それを聞いたリオは、もこもこと一緒に作った愛のケーキを食べる手を止め「……いま何か背筋ぞわってしたんだけど」と隣に座るウィルへ視線を向けた。

 頼もしいウィルからの言葉に感動したらしいもこもこが、肉球が付いたもこもこの両手をサッと口元へやり、潤み、星の瞬くつぶらな瞳を彼に向け、そっと頷く。

 ――気配を消している誰かの、苦しそうな呼吸が聞こえた。


 仲間の応援を受け、心の準備が出来たらしいクマちゃんは、ルークの腕に護られながら、再びクマの兵隊さん達のもとへ向かう。

 心配性のもこもこが、幼く愛らしい小さな声で「クマちゃん、クマちゃん」とルークにお願いをした。

『クマちゃん、隙間から見る』と言っているようだ。背後の東屋から「クマちゃんビビり過ぎじゃね?」と風のささやきが聞こえる。

 愛しのもこもこの願いなら大体なんでも聞く、見た目と違い甘やかすのが上手な男が、大きな手でクマちゃんの顔を覆い、指先でもこもこの頬を撫でた。

 

 

 この中で最弱のクマちゃんが、世界最強の男ルークの長い指の隙間からクマの兵隊さん達を見た。

 ――激しい訓練はまだ続いているようだ。カッ、カッ! と木製の硬い拳がぶつかり合う音がする。

 最強の隙間へ濡れた鼻を押し付け彼らを覗くクマちゃんが、上司として彼らに「――クマちゃん」と命令を下す。


 ――今すぐ訓練を中止しなさい、と。

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