第101話 夜でも忙しいクマちゃん
一向に報告に来ないルーク達に痺れを切らし、待つことを諦めたマスターは、ズボンのポケットに手を入れ、疲れた体を引きずるように歩き、〈クマちゃんのお店〉で怪しいぬいぐるみのゴリラちゃんから伝言を聞き、独り言を呟く元気もないまま、彼らと窃盗団が居るらしい湖畔の展望台、最上階へとたどり着いた。
「…………」
クソガキ共、と声をかけようとしたマスターが言葉を吞み込む。
彼が目にしたのは、展望デッキ中央の東屋で酒を飲む、美しい黒髪の、露出は多いが高価であろう服を纏う、妖美で人ならざる雰囲気の偉そうな男――。
あれのどこが〝お兄さん〟なのか。何処かを治めている何かではないのか。
しかし、窮屈なぬいぐるみから出たらしい彼を気にしている場合ではなかった。
夜空に魔力の塊が打ち上げられたからだ。
「……今度は何だ」
マスターは、疲れたように呟く。
東屋で寛ぐ偉そうな黒髪の男へ歩きながら目礼をし、その横を通り過ぎる。
ぼーっと空を見上げていた金髪が、彼の方を向いた。
「マスターこんなとこで何やってんの?」
何故マスターがこんなところまで来る羽目になったのか考えていないリオが、かすれた声で彼に尋ねる。
「……お前ら、仕事が終わったなら報告に来い。それで、今の魔法は何だ」
疲れが溜まっているマスターは、金髪のふざけた発言を叱る元気がなかった。
まさかこの金髪は、彼が遊びに来たとでも思っているのだろうか。
シャラシャラと楽器のように美しい音を響かせ佇んでいたウィルは、彼へ視線を流し「やぁ、マスター」と軽く手を上げ、『今のところ問題は無い』と合図を送った。――輪になったクマの兵隊さん達が、再び魔法を夜空へ打ち上げた。
真剣な表情のウィルが「それより」と口を開く。彼の質問に答えるより、もっと大事な話がある。
「――いつの間にか遅い時間になっていたようだね。クマちゃんは休んだ方がいいのではない?」
今この場で一番重要な事。もこもこの睡眠時間が気になったウィルが、もこもこした生き物を抱えている魔王のような男に、静かな声で尋ねた。
早起きしたクマちゃんは、今日はいつもよりたくさん動いて疲れたはずだ。
もこもこした赤ちゃんはそろそろ休んだほうが良い。
「寝るか」
夜空しか見えないほど高い場所で、床からの淡い光に照らされ、妖しい魅力と迫力が一層増している魔王のような男ルークが、腕の中のもこもこした占い師を長い指でくすぐりながら、低く色気のある声で尋ねる。
しかし、彼の腕の中の赤ちゃんのようなクマちゃんは、もこもこした口を動かし、幼く愛らしい声で、
「クマちゃん」
と言った。
『クマちゃん寝ない』と。
「いや『クマちゃん寝ない』とかじゃなくてもう寝る時間でしょ」
もこもこの、あまりに堂々とした宣言に、反射的に口を挟むリオ。
今日は朝から洞窟へ行ったり、街で買い物をしたり、公園で運動――ほとんど動いていなかったが――をしたり、精力的にもこもこしていたのだから、幼いもこもこは早く寝たほうが良い。もこもこが活動していい時間は終わったのだ。
「クマちゃん毎日ひ……忙しいんだし早く寝たほうがいいって」
『クマちゃん毎日暇なんだからまた明日――』と言おうとしたリオは、複数の殺気を感じ、安全な方向へ軌道を修正する。言うはずだった言葉は夜空に消えた。
――もこもこの品位や品格を貶めるような発言は許されないらしい。
魔王のような男の腕の中からリオを見る、毎日忙しいらしいもこもこ。
何も考えてなさそうなつぶらな瞳のもこもこは、リオへ視線を向けたまま、幼く愛らしい声でもう一度、
「クマちゃん」
と言った。
『クマちゃん寝ない』と。
「…………」
ルークは何も言わず、腕の中のもこもこの、パッチリと開いたまん丸な目を閉じさせるため、額を優しく擽る。
――しかし、つぶらな瞳の様子は全く変わらず、何故か、もこもこした口が少しずつ開いて行くだけだ。
彼らは絶対に寝ない生き物と化したもこもこの説得を諦め、話を進めることにした。
◇
ルーク達から詳しい事情を聞いたマスターは、腰より高さのある落下防止の柵に、後ろ向きで寄りかかる。
そしてそのまま、だるそうに片方の肘をのせ、首を少し巡らすと、真っ暗な森を見やった。
少しして、ルーク達へ視線を戻したマスターは、
「――それで、お前らまでここから魔法を撃つ気か?」
と渋い声でため息交じりに尋ねた。
――マスターは彼らの話を聞いただけで、残っていた体力を奪われたようだ。
「今の時間なら森に入っている冒険者は居ないし、丁度いいと思うのだけれど」
ウィルがマスターへ言葉を返しながら、装飾品が風で揺れるシャラシャラという音を響かせ、マスターの側まで歩く。
――腕輪が滑り、綺麗な音が重なった。
柵へ手をかけた彼は、展望台の下を覗きこみ「クマちゃんの太陽も湖で休んでいるみたいだね」と続けた。
南国の青い鳥のような男は、視線を森へ向け――流れるように攻撃魔法を放った。
青白く光る大量の矢が、派手な青い髪を照らし、夜の森へと飛んで行く。
「…………まだやっていいとは言ってねぇが」
マスターが疲れたように呟き、目元を隠すようにこめかみを揉んだ。
――ルークの腕の中のクマちゃんが、元気のない彼をじっと見つめている。もこもこの口元がもふっと膨らむ。
もこもこした視線を感じたらしいマスターが、スッと姿勢を正し、疲れなど感じさせない声でウィルに話しかけた。
「――ここからじゃ、モンスターに当たったか判らんな」
彼は続けて「樹が無事かどうかも判らんな」と言う。
「あの矢は敵だけを狙うように作ったものだから、樹は無事なはずだけれど」
急に元気な振りをしだしたマスターを気にする様子もないウィルが、彼に答える。
「遠くのモンスターはリーダーに任せるよ」
南国の青い鳥のような男は涼やかな声で、クマちゃんの額をくすぐっているルークへ声をかけた。
――彼はクマちゃんの愛のケーキで上昇した能力を、無駄なく使いたいらしい。
「ああ」
ルークは腕の中の、目も口も開いているもこもこと見つめ合ったまま、低く色気のある声でウィルへ答えると、クマちゃんの目を閉じさせることを諦め、柵へ近付く。
もこもこを抱えた彼は、辺りが眩しく感じるほど、宙に大量の光の矢を浮かべ、それらはルークの視線を追うように闇の中へ飛んで行った。
魔王のような男が視線を向けるだけで、数えきれない光の矢が暗い森へと降り注ぐ。
眩しかったらしいもこもこが「クマちゃ」と言って肉球が付いたもこもこの両手で目を押さえている。
――少し柵から離れた場所から「リーダーこわっ」とかすれた声が聞こえた。
「問題はなさそうだね」
夥しい数の光の矢を目にしたウィルが安心したように呟く。
柵から離れた彼は、安心出来ない状況のクライヴの生死を確認するため「起きていたら一緒に戻って来るよ」と言い残すと、装飾品の鳴る涼し気な音と共に展望デッキを後にした。
――『生きていたら』と言わなかったのはクマちゃんへの配慮だ。
働く彼らを見ていたクマちゃんは奮起した。
ルーク達がお仕事を頑張っている。
クマちゃんは、お仕事を頑張っている彼らのお手伝いをしなければならない。
――彼らには元気になる飲み物が必要だ。
「何かクマちゃんの口もふっとしてね?」すぐ側で風のささやきが聞こえた。どうやら風も応援してくれているようだ。
今は夜だから、夜っぽい飲み物が良いだろう。
夜っぽい飲み物とは何か――。
そういえば、お兄ちゃんがテーブルの上に色々出してくれていた。
うむ、あれを使おう。
クマちゃんは忙しそうなルークの腕から降りるため、彼の腕をキュムッと押す。
彼はクマちゃんのおでこを優しく撫でてくれる。もしょもしょされたせいでまた口が開いてしまった。
「クマちゃんデコ撫でられると口開くの何で?」また風のささやきが聞こえる。『クマちゃん頑張って!』ということだろう。
マスターと真面目なお話をしているルークは、何故かクマちゃんを下に降ろさず、リオへと渡した。
「クマちゃんどこ行きたいの?」
クマちゃんの行きたい場所までリオが運んでくれるという事だろう。
肉球で中央の建物を指すと、リオはクマちゃんを抱えたままそちらへ動いてくれた。うむ。中々快適である。
「お腹すいた? ケーキ食べる?」
リオがケーキを手でちぎり、クマちゃんの口まで運んでくれた。何度食べても美味しいが、もう少し甘くしても良かったかもしれない。「クマちゃんそれ俺の指だから。嚙むのやめて」今後も研究が必要である。
上品に夜食を済ませ、今から作る飲み物に入れる素材を選ぶ。やはり、クマちゃんと同じ、白っぽい色のものが良いだろう。「クマちゃんそれ強い酒だから駄目だよ」
クマちゃんが掴もうとしたものをリオに奪われそうになったが、瓶に抱き着き、守り切った。
「クマが飲むわけではない。放っておけ」
「えぇ……嫌な予感しかしないんだけど……」
飲み物作りに必要なものが足りないことに気が付いたクマちゃんは、何でも持っているお兄ちゃんに、
「クマちゃん」
と尋ねた。
お砂糖と牛乳はありますか、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます