第95話 クマちゃんの素晴らしいケーキ

 立入禁止区画、会議室前の廊下に、真っ白なもこもこの、いつもと違う鳴き声が響き渡っている。


「クマちゃぁーん、クマちゃぁーん」


 赤ちゃんの格好のもこもこは、ルークの体をよじ登るようにして、彼の顎下と首のあたりに頭を突っ込もうとしていた。


「何その声。何かいつもと違うんだけど」


 生暖かいもこもこを腕の中から奪われたリオが、かすれた声で呟く。

 入れない場所に入ろうとしている猫のようなクマちゃんを、どことなく不満そうに見つめている。


 南国の鳥のような男はルークが開けた扉を腕で押さえ、固定に使う木の楔を足元も見ず雑に蹴ると、


「初めて聞いたけれど、甘えているときの声なのではない?」


フッと優し気に笑い、廊下に居る彼らに合流した。

 少しだけ乱れた青い髪を整える彼の腕で、装飾品がシャラ――と涼し気な音を立てる。

 

「――ふーん」


 目を細めたリオが腕を組み、珍しく、不機嫌そうな声を出す。

 なんとなく、もやもやとした気持ちになったが、それが何故なのかは分からない。


 クマちゃんの甘えているらしいクマクマした声を、三人とお兄さんが聞いていた時だった。

 開け放した片方の扉から、身長が十センチ程の何かが数体飛び出し、そのままどこかへ走り去って行く。

 

「すげー見覚えあるんだけどあれ。何でここにいんの?」


 見覚えがありすぎる。

 クマ的な何かの後ろ姿を見送ったリオが、そちらに視線を向けたまま尋ねる。


「――すまない。逃がしてしまった」


 氷のつぶてのような声が聞こえ、冷気を纏った男が現れた。

 静かな足音を立て会議室から出てきたクライヴは、いつも通りの、目が合うと氷像になりそうな視線を廊下にいる彼らへ向けた。


「ずっと捕まえておくのも可哀相だからね。仕方がないのではない?」


 ウィルはルークの首元に嵌っているもこもこの丸い頭を帽子の上から撫でながら、クライヴへ言葉を返した。

 ――リオの質問に答えると森に居たことまで言わなくてはならない。視線だけをチラリと向ける。


 もう酒場に帰って来たのだから話しても構わないかもしれない。

 だが今のクマちゃんに外出していたことを知られて、良いことは無いだろう。


 先程までの甘えた鳴き声は聞こえなくなったが、幼いもこもこは小さな声で「……クマちゃ……クマちゃ……」と言っている。

 リオとお兄さんが側にいても、大好きなルークが居ないのは寂しかったようだ。


「それより、君たちからとても甘い香りがするのだけれど、何かしていたのかい?」


 ウィルはマスターへの報告を後にまわし、数時間のお留守番のせいで悲しんでいるクマちゃんと一緒にいることを選んだ。


 魔法しか効かないモンスターの問題は、クマの兵隊さんを連れ帰ったことで解決したはずだ。

 不思議な魔法を使うクマちゃんがつくった兵隊さんがおかしな能力を持っていたとしても、大きな問題はない。

 彼らは悪事を働いたわけではなく、兵隊らしく、モンスターを退治しようとしていたのだろう。

 何故魔法しか効かなくなったのかは解らないが。


 ――美しく派手な容姿からは想像出来ないほど大雑把なウィルは、クマちゃんがつくったものが、やや大きな問題を起こしても、あまり気にしていなかった。

 猫ちゃんがお高い花瓶を割っても無罪なように、可愛いもこもこちゃんも常に無罪である。


「あ、忘れてた。クマちゃんケーキどうすんの? みんなと食べるんだよね?」


 夜でも輝きの強い金髪をかき上げたリオが、ルークの首に頭を押し付けていた甘えっこクマちゃんに声を掛けた。

 


 ルークの存在を確かめていたクマちゃんは、ハッとした。

 そうだ。クマちゃんは素晴らしい木の実のケーキを作ったのだ。 

 まだ食べてはいないが、プロのクマちゃんには判る。あのケーキは美味しい。

 早く彼らに食べさせてあげたい。

 皆をおさそいしなくては。

 

「クマちゃん、クマちゃん」


 皆さん、クマちゃん達が作った美味しい木の実のケーキを食べませんか、と。



 彼らが聞き取った言葉は『みなちゃん、美味しいの』だった。

 もこもこの被毛のようにふんわり理解したウィルは、


「僕たちに手作りのケーキを振る舞ってくれるのかい? ありがとうクマちゃん。とても嬉しいよ」


優しく礼を言い、ルークの腕の中にいるクマちゃんのもこもこのお手々と、そっと握手をした。

 その際、彼がクマちゃんの為に選んだ素敵なヘッドドレスが、何故か、もこもこの腹に巻かれていることに気が付いたが、ウィルは見なかったことにした。


 犯人をどうにかするのは今でなくても良いだろう。


 冬の支配者のような男は、クマちゃんが自分達のためにケーキを作ってくれたことに感動していた。

 あの肉球で、どうやったらケーキを作れるのだろうか。

 想像しようとするが、そもそもクライヴはケーキの作り方を知らない。

 分かるのは、目の前のもこもこが何故か赤ん坊のような格好をしているということだけだ。

 眉間に深く皺を寄せ、鋭すぎる目つきで愛らしいクマちゃんを観察する。


 ――真っ白なもこもこの毛、その中にある、黒くて丸い二つの瞳、猫の鼻のような小さな黒。

 可愛すぎるそれらを、丸い額縁のように薄い水色のレースが囲っている。

 丸い――。


 心臓が痛い。息が苦しい。

 あの恰好をしたもこもこが肉球でケーキを作っていたというのか。


 彼の頭の中のクマちゃんが、肉球でケーキを叩いている。


 クライヴは左手で胸元の服を、苦痛を耐えるようにきつく握りしめ――こちらへピンク色の肉球を向け、彼を誘惑しているもこもこへと、黒革に包まれた右手を差し出した。

 


 森の中、ルーク達の手によって次々と闇色の球体へ放り込まれ、悲鳴すら上げられずにいた冒険者達は、自分達が見慣れた会議室に倒れていることに気が付き、呆然としていた。


「……生きてる?」

「分かんねぇ……。でも死んだ先が会議室なのはちょっと……」

「ああ、死んだ後まで会議したくねぇ……」

「わかる。それなら温泉がいい」

「だよねー」

「……生きてるけど、先に教えて欲しかった。まじで始末されたと思った」

「え、お前何か悪い事でもしたの?」

「……言いたくない」 


 何故か怪我もしていない目を押さえている男を見た冒険者達は、なんとなく感じ取った。

 こいつ、クマちゃんに何かしたことあるんじゃねーの、と。

 

 

 逃げたクマの兵隊さん達を追うこともせず、マスターへの報告も行わずに彼らが来たのは、酒場内にある〈クマちゃんのお店〉だ。


 真っ白なそこに足を踏み入れると、店内には出来立てのケーキの香りが充満していた。

 どこかで見たようなテーブル。

 その上に、まだ湯気の立つマグカップ、――泡立てたばかりの――ふんわりとしたクリームが添えられたケーキ、何故か赤ワインの入ったグラスが二つ、置かれている。


 クマちゃんを抱いたルークがテーブルへ近付く。

 同時に大きな闇色の球体が現れ、それが消えるとテーブル席が増えていた。


 ――お兄さんがもう一つ、酒場から勝手にいただいたようだ。

 店内に「えぇ……」という風のささやきが響く。


「おや、まだ湯気が立っているようだね」


 鳥のように自由なウィルが、シャラ、と装飾品の音を鳴らし、優雅な仕草で椅子の一つに腰を下ろした。

 もともといた場所にリオが座り、クマちゃんを抱いたルークもケーキのあるテーブル席へ座った。

 当然クライヴは、もこもこが良く見える隣のテーブル席へ移動し、お兄さんとゴリラちゃんも彼と同じテーブルに着く。


 闇色の球体が、それぞれのテーブルへ現れ、ケーキが盛り付けられた皿と、ワインが並べられる。

 ――自立したぬいぐるみのゴリラちゃんも、ワインをいただくらしい。


「うめぇな」


 早速クマちゃんが作ったケーキを食べたルークが、腕の中のもこもこの頬をくすぐり褒めた。

 興奮し彼の指を食べようとするクマちゃんから、スルリと手を取り返し、代わりのようにもふもふした口元へ小さく切ったケーキを運ぶ。

 赤ちゃんの格好をしたクマちゃんの愛らしい口元から、チャチャッと音が鳴った。


 ――とても美味しいらしい。


「本当に、クマちゃんはケーキを作るのも、とても上手だね。凄く美味しいよ」


 クリームを付けずにそのままケーキを食べたウィルが、嬉しそうに笑みを零し、クマちゃんを褒める。


 ルークの腕の中のクマちゃんは、もこもこした口元に白いクリームを付け、もちゃもちゃと口を動かしていた。

 彼はケーキの中に酸味のある果物と、クルミのような何かが入っていることには気付いていたが、それの正体を確かめることはしなかった。

 愛らしいもこもこが一生懸命作ってくれたケーキは、どの店のものよりも美味しくて、食べると胸が温かくなる。

 材料のことなど気にする必要はない。


「――素晴らしい」


 クライヴは美しい目を閉じ、一言だけ呟くとそれきり黙ってしまった。

 ――彼は肉球が作った最高のケーキに感動しすぎて、感情の制御に時間が掛かるようだ。

 

「やばいめっちゃうまい。え、マジですげー美味いんだけど。クマちゃん凄いじゃん」


 やっとケーキを食べることが出来たリオも感動している。

 彼は材料を箱から出しただけでほとんど何もしていない。

 ――座ってワインを飲んでいたお兄さんのほうが余程手伝っていた。

 だがそれでも、初めてケーキ作りを手伝ったこともあり、食べるのを楽しみにしていたのだ。


 想像していた以上に美味しい。

 今まで食べたケーキの中で一番と言っても過言ではない。――いや、間違いなく一番だ。

 リオはケーキの中に灰色の木の実が入っていたことなど忘れている。

 熱を通すと色が消えるピンクと青の――中が灰色だった――木の実も、黄色と水色の今は赤い粒々に見える木の実も、ケーキに綺麗に馴染んでいる。


 食べても美味しいだけで、体に異常は――。


「――何か暑くない?」

 

 食べても食べてもどんどんお代わりが盛られる皿から、フォークを使わず手で直接掴んでケーキを食べていたリオは、何故か体が熱いことに気が付く。


 そういえば、クマちゃんの魚料理を食べたときも、似たようなことが無かっただろうか。

 リオは片目をしかめ、ルークの腕の中、口のまわりにクリームをつけ何も考えてなさそうな顔でもちゃもちゃしているパティシエクマちゃんを見つめた。


 ――どうやら自分は気が緩んでいたらしい。

 あの可愛らしいもこもこ――赤ちゃんクマちゃんが作ったものは危険なのだ。


「うーん、僕は魔力で調整できるから……」


 ウィルはクマちゃんのケーキで上昇した体温を魔力操作で整えたが、それよりも気になることがあった。

 前回の魚料理は身体強化だったが、今回は何の効果が付いているのか。

 詳細は分からない。

 しかし彼が今、何故か魔法をぶちかましたくて仕方がないということは、魔法に関係する何か、ということだろう。


「――金色のお前は、魔力で武器をつくるのが良いだろう」


 黙ってもこもこのケーキを食べ、ゆったりと頷き、ワインを飲んでいたお兄さんが、頭に響く不思議な声でお告げのようなことを言う。

 ――ゴリラちゃんは口の間の闇色の球体へケーキを運んでいた。

 かすれた声で誰かが「こわいこわい……」と言っている。


「……え? 金色って俺? ――そんなことやったことないんだけど。俺あんまり魔力操作上手くないし」


 上着のボタンを雑に外しながらゴリラちゃんの怖い食事を眺め体温を下げていたリオが、その隣のお兄さんへ視線を移した。

 ボタンから手を離し「一応やってみるけど」右手に魔力を移動させ、なんとなく、いつも使っている動物の爪のような武器が、炎で出来ているところを想像してみた。


「――まじで?」


 苦労することもなく、少し想像しただけで、リオの手は青い炎で出来た武器に覆われていた。


 ――いつの間に自分は天才魔法使いになったのだろうか。


「ああ、なるほど。素晴らしいね。――少しだけ、リーダーがどうやって魔法を使っているのか解ったような気がするよ」


 南国の青い鳥のような男は感嘆したようにため息を吐き、シャラ、と装飾品を鳴らすと、髪に指を通した。


 少し間を置き、空中に小型のナイフをいくつも浮かべた彼が、それを操る。

 それらは空中で円を描いたり、整列したり、それぞれが戦うように刃を打ち合わせたり、――自在に動くナイフたちは、意志を持つ生き物のように見えた。


 特に意識せずとも、想像した通りに、好きに魔力を操ることが出来る。


 この感覚を覚えられれば、今までよりも楽に魔法が使えるだろう。

 もともと彼の得意分野だ。

 武器を作るより直接魔法で攻撃したほうが早いかもしれないが、ここまで自由に魔力を操る事が出来るなら、色々やってみるのも楽しそうだ。


 目を開けたクライヴも精巧なつくりの氷の剣を持ち、それを眺めた。


「魔力で作った武器であれば、魔法しか効かないモンスターでも倒せる、と言いたいのか」


 結晶が細かく舞うように、美しい氷の剣を砕き消したクライヴが、冷たい瞳をスッと、お兄さんへ向ける。


「そうかもしれんな」


 曖昧な答えを返したお兄さんは、再びワインに口をつけ、静かに目を伏せている。


 皆が魔法で遊んでいるのを見たもこもこが、口をもちゃもちゃ動かしながら肉球を差し出し、幼く愛らしい、


「クマちゃ」


という声を出した。

『クマちゃも』と言っているようだ。


 食べながら喋るお行儀の悪いクマちゃん。

 もこもこが杖も無しに魔法を使うと、ピンク色の肉球の上に、白くて丸っぽい何かが現れた。


 それは、プクッとしたハートのような形をしていた。

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