第91話 森のルーク達と仲良しな一人と一匹
ルーク達の会議が早々に終わったことも、彼らがもう酒場に居ないことも知らないリオは、ルーク達、又は彼らのうちの誰かが自分に会いに来ることを、全く疑ってはいなかった。
何故なら二階に上がる前、リオが『俺らさき上行くから』と彼らに言い、視線で『後で教えて』と頼んだからである。
吞気な彼の計画では、取り合えずクマちゃんと部屋に引きこもっていれば、会議のあと説明に来た誰かから、自分達のお留守番がいつ終わるのか、ということをこっそり教えてもらえるはずだった。
◇
ルーク達は短い会議の後すぐに魔法使い達を連れ、森の奥を目指していた。
酒場の中にある〈クマちゃんのお店〉の裏のドアから湖の展望台を抜け、森へ入った彼ら。
背の高い樹々に囲まれ、あちこちに生える腰の高さほどの植物や、上から垂れる蔦を腕や武器で雑に払い奥へ進む。
ルーク達だけであれば走っても良かったが、魔法を主力に戦う冒険者の中には長時間走ることを好まない者もいる。身体強化の魔法を使えば走る気になるらしいが、魔力は戦闘のためにとっておいたほうが良い。
身体強化の魔法というのは、一般的には戦闘時に使うものだ。
ただ走るために長時間かけ続けるには燃費が良くない。
――それに、魔法の得意不得意は関係なく、彼らは冒険者だ。筋力を高めるためにも、自力で走るべきである。
この辺りはまだ猫顔なクマ太陽の縄張りらしく、上空からニャーという可愛い声が聞こえる。
無言で進むルーク達の後ろを歩いていた冒険者の一人が、こんな時でもシャラシャラと鳴る装飾品の音が涼し気なウィルに、小声で話しかけた。
「……あの、ウィルさん。もしかしてルークさん、機嫌悪かったりしますか」
魔法使いの彼はルークの表情を読むことは出来ないが、魔力には敏感だ。そこに居るだけで圧倒される、自分達よりもはるかに強大なルークの魔力が、今日はなんだかピリピリしている気がする。ルークには言えないが、とても怖い。まるで魔王のようだ。――出来れば今すぐ帰りたい。
「うーん。機嫌は悪くないけれど……愛しのクマちゃんに挨拶せずに出てきてしまったから、早く仕事を終わらせて帰りたいと思っているのではないかな」
南国の青い鳥のような男は、後ろにいる魔法使い達を逃がさないために、美しい声でさらりと噓をついた。
――話しかけてきた魔法使いが言う通り、ルークの機嫌は悪い。彼が感じたままである。
「…………」
冬の支配者のような男クライヴは、南国の青い鳥のさえずりを黙って聞いていた。
魔力に敏感な人間が、誰かの機嫌が悪いと感じたなら、それは本当に機嫌が悪いのだ。
しかし、連れてきた魔法使い達の心が鳥のさえずりで護られるなら、わざわざ『お前の感じた通りだ。あいつは機嫌が悪い』と訂正する必要もない。
彼らが酒場の二階で待つ、可愛いクマちゃんと可愛くはないリオに会わずに森へ来たのには理由がある。
それは、可愛いもこもこクマちゃんがルーク達の不在に気が付く前に、森での仕事を終わらせてしまおうと考えたからだ。
つまりどういうことかというと、
『会議が長引いている。大体一晩くらい』
という事にして〝彼らの外出自体を無かったことにする〟計画なのである。
そんなことをしても、クマちゃんがお留守番しなければならない時間は全く変わらないのだが、物理的にルークが遠くへ行ってしまうより『クマちゃんの大好きなルークはずっと酒場に居ます。でも今は会議中だから会えないのです』という方が、甘えっこで超寂しがり屋のクマちゃんの心には優しいはずだ。
そういうわけで、ルーク達は急いで会議――七割がクマちゃんへの隠蔽工作についての話し合い――を終わらせ、森へ討伐に来た。
――因みに、会議室の扉は魔法使い達の力で一時的に封印してある。クマちゃんがカリカリしても開くことはない。
ルークの機嫌が悪いのは、彼の愛しの、ものすごい甘えっこで超寂しがり屋なもこもこが、とにかく心配だからだ。
出来ることなら今すぐ戻って抱きしめ、手触りの良い被毛を撫で、安心させてやりたいが、仕事を放り出すわけにもいかない。
彼は美しい切れ長の目を一度伏せる。
銀色の長いまつ毛に隠されていた森そのもののような緑の瞳が姿を見せたときには、どこかピリピリとしていたそれは収まり、いつも通りの静かな魔力に戻っていた。
彼の持つそれは、雄大な自然に似ている。ただそこに在るだけで、人々が畏敬の念を抱く。
ルークがいつも感情を抑制し、ほとんど表に出さないのは、周囲の人間を怯えさせないための気遣いなのかもしれない。
――あるいは、気にするほどのことが起こらないのかもしれない。
――軽く右手を上げ、ルークが風の魔法を放つ。
太い樹々を綺麗に避け、ザァ――と葉の擦れる音と共に植物が左右に割れ、道をつくる。
それを見ていた後ろの冒険者達から、歓声が上がった。
南国の青い鳥のような男が、フッと優しげでない笑みを零す。
「――では僕は、皆が早く走れるように強化魔法を掛けてあげることにしよう」
青く華麗な鳥が皆の肉体を勝手に強化し、『とっとと進むぞ』とさえずる。
歓声は収まり、森の中に悲し気な声が響く。
「――なるほど」
冷たく響く、冬の支配者の納得した声と共に、冒険者達の体を冷気のような魔力が包み込んだ。
冒険者達の悲鳴が聞こえる。
冷酷に見えるが親切な彼は、冒険者達を想い、身体強化の魔法の重ね掛けをした。
――これでもっと早く走れるだろう、と。
――彼らは悟った。もう、森の魔王様達の望むまま、走るしかないのだ、と。
◇
酒場の二階突き当り、薄暗いが概ね平和な彼らの部屋の中。
リオともこもこはルーク達が会議から戻ってくるのを待つ間、今日買ってきた荷物を調べていた。
もこもこを抱えたリオが、お兄さんが闇色の球体で運んでくれた、リオのベッド付近にある荷物を掴み引き寄せる。
「あれ、これクマちゃんの服じゃね? ちょっと着せてみていい?」
リオの知らぬ間に買われた物もたくさんあるらしく、見たことのない服や、帽子、リボンなど、他にも色々入っているようだ。
甘えっこクマちゃんを片腕に抱いたまま、クマちゃんを飾るためのアイテムが入った袋を、自身のベッドの上に空いた手でひっくり返すリオ。
段々腕に馴染んできたもこもこを一度降ろすという考えも無く、当たり前のように、クマちゃんを抱いていない方の手だけ、使っている。
リオの腕の中のもこもこは、肉球が付いたもこもこの右手を上げ下げしている。
――クマちゃんも袋を上下に振っているつもりらしい。
「えーと。――何だろこれ。どんぐりの上に付いてるやつっぽい」
アイテムの名称などわからないリオが、最初に目に付いたそれを腕の中のもこもこの頭にのせる。
「……どんぐりで合ってるっぽい。色赤いけど」
何故かぽふ、とのせるだけで落ちない、どんぐりの帽子のような部分を、もこもこの、もこもこした頭の上に置いたリオが、かすれた声で言う。
――当然それはどんぐりではなく、ベレー帽だが、リオとクマちゃんにそんなことはわからない。
一人と一匹が静かに頷く。
お兄さんはルークのベッドで目を閉じたまま動かない。彼らの間違いを指摘してくれる生き物は、この部屋にはいないようだ。
どんぐりクマちゃんを抱えたリオが次に目を付けたのは、水色で、幅の広い、レースで囲われた帯のような物の両端に、細い紐が付いた物だ。
「……腹巻きじゃね?」
クマちゃんグッズが溢れているベッドの、空いている場所にゆるく胡坐をかき、その上にどんぐりクマちゃんを座らせたリオは、レースで囲われた腹巻きらしき物を、可愛いもこもこのもこもこした腹に巻き、背中側でヒラヒラした細い紐を結んだ。
――固結びで。
お腹周りのふわふわの毛がキュッと絞られ、若干細く見える。
前面から見れば、ヒラヒラした派手な飾りが付いた、腹巻きをしているように見えなくもない。
背中側は、紐で絞められたぬいぐるみである。
「腹巻きで合ってるっぽい。後ろ寒そうだけど」
腹部をキュッと引き絞られてしまったクマちゃんと、可愛いもこもこの腹にレースだらけの腹巻きらしき物を巻き付けたファッションコーディネーターリオが、納得したように頷く。
――当然それは腹巻きではなく、ヘッドドレスだが、リオとクマちゃんにそんなことはわからない。
何がどんなアイテムなのか調べることに夢中なリオは、色合いがおかしいことも、質感が合っていないことも、巻く部位が間違っていることにも気が付いていない。
頭は赤いどんぐり、腹部に水色のレースの腹巻きを締めたクマちゃんの口元から、幼く愛らしい、
「クマちゃん、クマちゃん」
という声が聞こえる。
『クマちゃん、靴も』と言っているようだ。
頭、腹、ときたら、次は足らしい。
「クマちゃんいま靴って言った? ……靴は……えーと、何か代わりになるものあるかな……」
ほとんど自分で歩いていないクマちゃんに靴が必要なのかは分からないが、可愛いもこもこが欲しいと言うなら探すしかないと思ったリオは、ハンカチらしき四角い布を見つける。
「……これじゃちょっとデカい気がする」
隅に可愛い猫の刺繡が入った大き目のハンカチにシャキ、と勝手に鋏を入れるリオ。
四角いそれを四分割にし、そのうちの二枚の角を切り落とし、丸く整える。
腹にレースでふさふさした水色の腹巻きを、キュッと締めたどんぐりクマちゃんは、リオの作業が終わるのを彼の膝の上で大人しく待っている。
靴を履かせてもらう準備は万全だ。
「えーと、何か細い紐……」
リオはひっくり返した物の中から比較的細いリボンを二本選び、こちらは切ることなく使うことにした。
ルークはクマちゃんが使うリボンにこだわりがある気がする。おそらく、勝手に切ったらコツンでは済まない。
クマちゃんの後ろ足、ピンク色のぷにぷにした可愛い肉球を隠すように、先程切った丸っぽい布を被せ、すっぽりと包み込むリオ。
もこもこの短い足の足首――猫の足先のようにもこっと丸く出た部分より少し上のあたり――で、布を止めるようにリボンをぐるぐると巻き付け、とれないように結ぶ。
――固結びで。
もう片方の足も同じようにすれば、完成である。
右と左のリボンの色が、水色と黒で柄もバラバラになってしまったが、足は隠れた。
クマちゃんの両足はリオの手で雑に切られたピンク色のハンカチで包まれ、てるてる坊主のようだ。
「……何か靴っぽくない気がする」
靴を作る才能が無かったリオだが、クマちゃんは満足したらしい。深く頷いている。
両足がてるてる坊主になったもこもこの口元から、幼く愛らしい、
「クマちゃん、クマちゃん」
という声が聞こえる。
『クマちゃん、靴ありがと』と言っているようだ。
もこもこは、完成した靴の見た目よりも、リオが一生懸命考えてくれたことが嬉しかったらしい。
クマちゃんも一生懸命、両手の肉球をテチテチと叩き合わせ、喜んでいる。
「……今度、一緒にクマちゃんの靴探しに行こっか」
少し困ったような、いつもの彼とは違う静かな声でリオが話すと、膝の上から幼く愛らしい「クマちゃん、クマちゃん」というもこもこの声がする。
それは『クマちゃん、これがいい』と言っているように聞こえた。
「――ありがと、クマちゃん」
何かを言おうとして言葉を吞み込み、囁くような声で話し、小さく笑ったリオは、愛らしくてとても優しいもこもこを抱き上げ、クマちゃんのふわふわの頬に自分の頬をくっつけた。
クマちゃんがお返しのように濡れた鼻を彼の頬にくっつけ、リオは「クマちゃんめっちゃ鼻濡れてんだけど」と言って、いつもよりも高めのかすれ声で楽しそうに笑った。
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