第92話 解決する問題と解決しなかったクマちゃん達
日が落ち、木漏れ日すら見えない暗い森を、魔法使い達の浮かべる光の玉が怪しく照らす。
敵を倒しながら走り続け、光源を維持し続ける彼らは一部の猛者達――そのうちの一人の名はルから始まりクで終わる――を除きすでに苦しそうだ。
「…………おれ……もう、だめかも……ひとりで、帰っても、いいかな……」
「……駄目……に……決まってん……だろ……」
「――あの人、たち、絶対……人間、じゃない……」
どんなに彼らが休みたくても、先頭を駆け敵を屠る、夜の森の魔王様ルークが道を整え、美しき南国の青い鳥が身体強化の魔法を飛ばし、冬の支配者が彼らの火照った体を冷やし、魔法を重ね掛けしてくる。
そして、ルーク達なら一撃ですべてを倒せるはずなのに、非常に親切な彼らは、他の魔法使い達が暇にならないようにと、わざと敵を少し残してくれるのだ。
魔法使い達は思う。
――暇でいいです。
森の奥を目指しながら敵を倒していたウィルが腕を持ち上げると、シャラ、と装飾品の鳴る音がする。
南国の鳥のような彼は、風で煽られ、魔法の光で照らされた、鮮やかな青が美しい髪を抑え、
「うーん。――彼らの言っていた通り、強くはないけれど……」
独り言のように呟く。
隣を走っていた氷のような男がそれに答える。
「ああ、だが何故急に――」
クライヴは何かを言いかけ言葉を切ると、森の更に奥を見つめ、目を細めた。
彼の視線の先、何かに追われるようにして、問題の大型モンスターが数体こちらへやってくる。
先頭のルークが、手を翳すことも無く発動させた風の魔法で簡単に倒せるほどのそれは、確かに強くはない。
何故今日、このたいして強くもないモンスターのために彼らが夜の森に来たのかというと、理由の一つは奴らの特性にあった。
――この大型モンスターには、魔法しか効かない。
そしてもう一つの問題は、それが今までに無い個体だった、ということ。
今まで遭遇したことのない、魔法でしか倒せないという厄介な特性を持つ大型モンスターが、何の予兆もなく複数現れたというのは、たとえそれが強くなかったとしても深刻な問題だ。
今日初めて目撃されたそれは、魔法が主力でない冒険者でも倒せる程度の強さだった。だが、もしそれが魔法使い達、さらに言えば、ルーク達にしか倒せない強さのモンスターであったなら――。
それから、おかしなことはもう一つあった。
最初にそれに遭遇した冒険者達の話によると、その、魔法しか効かないが、強くはない大型モンスターは何故か、何かに追われているように見えたらしい。
言葉を発することなく敵を倒し続けていた、森の魔王のようなルークが、前を向いたまま、背後の人間に手の甲が見えるように軽く腕を持ち上げると、一度だけ手首を動かし、雑に払う。
「――止まれ」
静止する声が響く。
低く色気のあるそれは大きいものではなかった。
全員の耳に届いたのは、声に魔力をのせていたからだろう。
深い森の中、背の高い、黒い服を着た男の美しく精悍な横顔が、魔法の光に照らされる。
立ち止まったままどこかを見つめているルークの側へ、ウィルとクライヴが近付いた。
「――あれは……」
夜の森の魔王が見ている先へ視線を向けたウィルが、驚いたような声を上げる。
――そしてすぐに、優しい顔でフッと笑った。
「あの子たちのことをすっかり忘れてしまっていたね……」
ウィルの視線の先の、すっかり忘れられていた『あの子たち』には、非常に見覚えがある。
樹の陰からこちらを見ている『あの子たち』は、お揃いの兵隊風の赤い服、白いズボン、黒いブーツという配色だ。
彼らの身長は、十センチくらいしかない。
手に木の枝を持っている『あの子たち』は、洞窟の奥へと走り去ったはずの、クマの兵隊さん達だった――。
◇
薄暗い部屋の中でも輝く金髪を持つ男リオは、クマちゃんのファッションショーで散らかったベッドの上の物を少しだけ退け、膝の上のどんぐりもこもこと、ずっと彼のベッドの上に座っていたが微動だにしなかったぬいぐるみゴリラちゃんに、絵本を読んであげることにした。
――お兄さんは相変わらずルークのベッドに座り、目を閉じている。寝ているようには見えないが、一体何をしているのか。
それっぽく見せるために、ぬいぐるみゴリラちゃんを鷲掴み自分の近くへ移動させ、衣装とは別の袋に入っていた絵本を目の前で開く。
どんぐりクマちゃんはワクワクを隠せないらしく、ピンク色の肉球が付いたもこもこの両手を、サッともこもこの口元に当てている。
「――小さな森に住む四匹のクマの――」「クマちゃん」「……小さな森に住む四匹のクマちゃんの……いや四匹のクマちゃんておかしくね?」
リオがかすれた声でクマが主役の絵本を読み始めると、一行目が読み終わる前に、幼く愛らしい声のもこもこから文章の一部を訂正するよう注意される。仕方なくクマちゃんの希望通りにするが、さっそく物語がおかしくなった。
しかし、もこもこにそれを言っても無駄だろう。
諦めたリオが続きを読む。
「……四匹のクマちゃんのおはなし。一番大きな――クマちゃんが言いました。『今日は木の実を探しに行こう』二番目に大きな――クマちゃんが言いました。『あの木の実は美味しくない。探す時間が勿体無い』三番目に大きな――クマちゃんが言いました『ケーキがいい』一番小さな心優しいクマちゃんが言いました『では間をとって美味しくない木の実でケーキを作りましょう』…………いや何この話。つーかやっぱクマちゃん多すぎでしょ」
しかし膝の上のどんぐりクマちゃんにリオの呟きは届いていないようだ。
『木の実でケーキを――』という台詞に興奮した様子で、小さな黒い湿った鼻をふんふんさせ、もこもこの左手の先をくわえている。
美味しくない、の部分は聞こえなかったようだ。
「……四匹のクマちゃんは木の実を集めるために森の奥へと進みます。彼らが歩いていると、木の上から鳥さんの――」「クマちゃん」「……木の上からクマちゃんの……いやクマちゃん登場しすぎ」
かすれた声で語られる物語の途中で、幼く愛らしいもこもこから横槍が入る。木の上に居る鳥さんもクマちゃんにするように、とのクレームだ。
まだ始まったばかりなのに、登場人物――登場動物が五匹もクマちゃんにされてしまった。絵本が謎の生命体に乗っ取られていく。
しかし、厄介なクレーマーどんぐりには何を言っても無駄だろう。
リオは膝の上のどんぐりの希望通り、鳥さんをクマちゃんに代え続きを読んだ。
そして、物語に登場するすべての生命体はクマちゃんとなり、様々な試練を乗り越え、美味しくない木の実のケーキが完成したところで、『四匹のクマの冒険』第一巻が終わった。
「――つづく?! え、ケーキ食わねーの?」
クレーマーどんぐりとゴリラちゃんに読み聞かせをしていたリオが、驚いたような声で疑問を口にする。
まさか作ったケーキを食べずに終わってしまうとは思わなかった。
絵本の中で焼き上がったケーキの絵が意外と美味しそうだったため、みんなで一緒に『美味しいね』と言って終わるのだろうと、安易に考えていたのだ。
大人でももやっとするこの本に、幼いどんぐりはどう思ったのだろうか。
リオは膝の上で黙って絵本を見つめているどんぐりの様子を確認しようと、もこもこの生暖かい体をもふ、と両手で掴み、顔がよく見えるように、曲げた肘の内側にもこもこの頭をのせ、もう片方の手で胴を支えた。
――余談だが、この部屋を〝薄暗い〟と思っているのは、青とピンクの特別な左目を持っているリオだけだ。大きな穴から光が射し込む場所が明るいだけで、リオが感じているよりもこの部屋の隅は暗い。クマちゃんの目には絵本はぼんやりとしか見えていなかった。
リオの腕の中。愛らしいどんぐり頭のもこもこの、黒くて小さな湿った鼻の上には深い皺が寄り、目は少し、吊り上がっている。
――クマちゃんはまた、ストレスの溜まった獣のような顔になってしまった。
「ごめんクマちゃん……途中で終わるとか思ってなかった……」
続きが気になっているらしいクマちゃんに声を掛けるリオ。
彼が謝っているのは、二巻を買っていないことを知っているからだ。
何故そんなことが分かるのかというと、それは、クマの絵が描いてあるからクマちゃんが喜ぶだろう、と中を見ずにこの本を購入したのがリオだからである。
腕の中から幼く愛らしい、
「クマちゃん……」
という声がする。
『クマちゃん……』と言っているようだ。
絵本の中の登場動物のクマちゃんのことだろう。
――全員クマちゃんになってしまったので、どのクマちゃんのことなのか判らないが。
「えーと、何か別のことする? 何がいいかなー」
何を言っても悪い方に進んでしまうことを恐れ、リオがクマちゃんの意識を本から離そうと、話を逸らす。
どんぐりもこもこが彼の腕の中で「クマちゃ……」と呟いた。
『クマちゃ、ケーキ……』と言ったようだ。
「そっかー……ケーキかー……」
リオは話を逸らすことに失敗した。
すると、それまで黙っていた、ルークのベッドに座るお兄さんが目を閉じたまま、
「実際に作って見ればよいだろう」
と低い、頭に響く不思議な声で、お告げのように話し出した。
そのお告げによると、そんなに気になるなら木の実でケーキを作って食え、ということらしい。
リオは悟った。
――もうこの落ち着く部屋から出なければならないらしい。
彼は多数決で負けてしまったのだ。
クマちゃんとお兄さんとゴリラちゃん対、リオ一人では分が悪すぎる。
仕方がない。〈クマちゃんのお店〉の中なら冒険者達の話し声も聞こえないだろう――。
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