第81話 クマちゃんには判る

 森の街の子供達の雄叫びが響く公園、湖上の船内。

 四人と一匹とゴリラちゃんは、クマちゃんが造った可愛い船で湖の中心を目指し移動中である。

 リオが『取り合えず真ん中でも行く?』と言った瞬間に勝手に動き出したのだ。


「なんか船乗ってる感じしないんだけど」


 リオは自身を象った船首像を出来るだけ視界に入れないように気を付けながら、景色やクマちゃんを眺め、かすれた声で言う。

 揺れたいわけではないが、船特有の揺れが全く無く、スゥ、と湖面を滑るように移動するこの乗り物は船っぽくない。


「船の揺れが苦手な人でも、クマちゃんが造ってくれたこの素敵な船なら、景色の美しさをゆっくりと楽しめるだろうね」


 南国の鳥のように鮮やかな青い髪を風で揺らし、ウィルは透き通った声でリオに答える。――少し賑やかすぎるという言葉は、クマちゃんが気にすると思い吞み込んだ。

 クマちゃんの展望台がある湖とは比べ物にならないが、この公園の景色も、緑豊かで美しい。

 ウィルが斜め向かいの、少し開いた脚に肘をのせ、悪党の親玉のような恰好で座っているクライヴに視線をやると、彼が楽しんでいるのは景色ではなく、愛らしいもこもこだった。

 氷のような彼はクマちゃんが何かしていても、していなくてもずっと、もこもこの可愛い肉球やもこもこした口元、もこもこした足などの可愛い部分を観察している。


 ウィルは、いつも冷静で周りと距離を置いているように見えていたクライヴが、まさかこんなに可愛いものが好きだったとは、と思ったところですぐに、いや、と考え直す。 

 クライヴが好きなのは可愛いものではない。

 純粋で、心優しく、とにかく愛らしいクマちゃんだから好きなのだ。

 魔力に敏感な自分達は、少し観察すればその生き物の性質が判る。――もちろん、それですべてが解るということではないが、相手に惹かれる切っ掛けにはなるかもしれない。

 欲深い人間とは違い、ただ一生懸命、こちらへ好意を伝えてくれる幼いもこもこを愛おしく思い、つい何度もクマちゃんを見てしまうのは当然だろう。

 ――クライヴは少し見過ぎだとは思うが。


 そんなことを考えながら景色を楽しんでいたウィルは、ふと、あの愛らしいもこもこは今何をしているだろうと、隣に座るルークの腕の中へ視線を移す。

 何故かこちらを見ていたらしいクマちゃんと目が合い、ウィルは自分でも気付かぬうちにフッと優しく笑みを零した。

 ヘルメットとよだれかけを装備した愛らしいクマちゃんが頷いている。

 可愛いもこもこは、真面目な表情のウィルがちゃんと楽しんでいるか確認していたようだ。

 視線で、ありがとう、とても楽しいと伝えると、幼く愛らしいもこもこは納得したようにもう一度頷いた。



 クマちゃんは肉球をペロペロし、次に頬を優しく擽るルークの長い指を掴まえ、くわえたまま考えていた。

 うむ、ウィルもちゃんと楽しんでいるようだ。

 何か心配なことがあるのかと思ったが、クマちゃんと目が合うとすぐに、いつものように優しく微笑んでくれた。

 いつも優し気な笑みを浮かべている彼が真面目な顔をしていると、なんとなく、雰囲気が変わって別の人のように見える。

 怖いわけではないが、少しだけドキドキするのは見慣れないせいだろうか。

 

 心配なことがあるとすれば、やはりこの公園のことだろう。

 ヘルメットでもこもこの耳が隠れていても、あちこちから悲鳴が聞こえる。

 クマちゃんと同じで、皆冒険者になるための訓練をしているのだ。

 そしてクマちゃんと同じで、この公園にある危険な何かに苦しめられているに違いない。

 クルクルする危険な板の撤去は終わったが、まだ調査が終わっていない訓練施設はたくさんある。

 ――肉球をチクチクさせる網も危ない。

 クマちゃんは思わず呟いた。


「……クマちゃん……」


 この公園には何か邪悪なモノが潜んでいますよ、と。



 クマちゃんの『……公園、邪悪……』という言葉に反応し、


「急に何を言い出したのだこのクマは」


とゴリラちゃんが言い返す。

 その頭に響く不思議な声に反応したリオが、 

 

「うわ――ゴリラちゃんいきなり喋んのやめてほしいんだけど……」


と嫌そうにかすれた声を出す。

 目の前でゴリラちゃんを落としそうになっているリオを見たウィルは、


「リオ。船内でゴリラちゃんを落としてはいけないよ。水の中に落ちてしまったら可哀相だからね」


と注意した。

 それに対して嫌そうな顔をしていても『じゃあ代わりに持ってて』と言わないのは、そうすればクマちゃんが傷つくと思っているからか、それとも実はゴリラちゃんに感謝しているからなのか。

 ――ウィルはクマちゃんの『……公園、邪悪……』については触れなかった。

 

 自身の腕の中から聞こえた幼く愛らしい「……クマちゃん……」という声へ、ルークが、


「――そうかもな」


と適当すぎる言葉を返した。

 低く色気のある声はいつもと同じように抑揚がない。

 ルークは仮にこの公園に邪悪なものが居たとしても『倒せばいいだろ』としか言わないだろう。

 彼が気にするのは邪悪なものが居るかどうかではなく、クマちゃんが楽しいかどうかだ。

 

 冬の支配者のような男クライヴは愛らしいクマちゃんのもこもこの口が、可愛くもこもこと動く奇跡の瞬間を見ていたが、不安そうな呟きを聞き、一応周囲の気配を探ってみた。

 ――邪悪なものは感じない。ここで感じるのは、船ともこもこの癒しの力だ。

 しかし、ただの人間である自分には判らなくても、純粋で愛らしい、心優しき生き物クマちゃんがここに何かいるというなら、そうなのだろう。

 クライヴは、少し開いて座った脚の上に肘をのせた悪党のような恰好のまま「――なるほど」と言った。 


 

 ルークに甘えていたクマちゃんが、もこもこの口元をもふ、とさせ動き出した。

 座席の間、船の真ん中に立ち、ルークから杖を受け取っている。 

 

「なにクマちゃん。今度は何する気?」


 のんびりしようと思っていたところで急に動き出したもこもこに警戒した声を出すリオ。

 このもこもこは何故逃げ場のない場所で何かをしたがるのか。湖のど真ん中はやばい。せめて湖岸にしてくれ。


 右手に杖を持ったクマちゃんが肉球の付いたもこもこの左手をルークへ向ける。

 いつものことだがリオの話は全く聞いていないらしい。

 長い脚を組み座っていたルークは先程購入した物が入っている袋を開き、彼の前で待つもこもこにそれを見せてやっている。


 ヘルメットクマちゃんが深く、頷いた。

 袋から出すものが決まったようだ。

 もこもこの手を袋へ突っ込み、ごそごそすると、取り出した物をスッと掲げる。

 ――それは子供がお風呂場などで遊ぶ、お魚のおもちゃだ。

 クマちゃんがルークを見つめ、また頷く。

 これでいく、ということだろう。

 

 もこもこの手が掲げた、水の中でも壊れないお魚のおもちゃをルークが大きな手で受け取り、魔石と一緒に宙に浮かべ、フワリと湖の上へ待機させた。


「リーダーって何でクマちゃんの言いたいことわかんの? すげー謎なんだけど」

 

 クマちゃんとルークの無言のやり取りを見ていたリオが怪訝そうな声を出す。

 彼くらいの強さであれば、あの不思議なもこもこの思考も読めるようになるのだろうか。

 

「うーん。リーダーはクマちゃんの行動に疑問を挟まないから、というのもありそうだけれど。――お互いが大好きだから、ということで良いのではない?」


 ウィルは目の前の幼く優しいもこもこの、また皆のために頑張っている様子を愛おしそうに眺め、フッと笑ってリオに答えを返した。

 愛らしいもこもことルークが通じ合う理由など考えても解ることではない。

 よく一人と一匹だけの世界に入り込んでいる彼らに、言葉は不要なのだろう。


 準備が整うのを待っていたもこもこを、ルークがスラッとした筋肉質な長い腕で抱き上げる。

 組んでいた脚を解きその片方を座席に上げ、肘を手すりにのせたルークは、何やら深刻そうなもこもこに、船外で宙に浮かぶ素材が良く見えるようにしてやった。

 

 キリリとしたヘルメットクマちゃんが肉球の付いたもこもこのお手々で杖を振る。



 防水仕様のお魚のおもちゃが光を放つ。

 それは一瞬で巨大化し、盛大な水しぶきをあげ、湖の中へ消えた――。



 ルークとウィルとクライヴが瞬時に結界を張り、魔法を使う。――船内が水浸しになることは防がれた。

 リオが「寒い……」と呟き、すぐに、


「いや何いまの。すげーデカくなったんだけどあれ放置したらやばくない?」


とかすれた声でいった。

 みんなの公園でやりたい放題である。

 ここはクマパークではないのだ。

 勝手に湖に巨大魚を放ってはいけない。

 クマの兵隊さんの時のように何処かへ消えたまま帰って来ないのでは、とリオがチラリとルークに抱えられているクマちゃんを見る。

 しかし、今回は前の時と違い、もこもこが頷いている。

 なるほど――あれでいいらしい。


 いや何も良くないとリオが思い直した瞬間。 



 再び激しい水しぶきが上がり、巨大魚が姿を現す。



「……いや激しすぎだから!」


 ルーク達が結界と魔法で船を護ってくれるおかげで何も被害はないが、リオの心は穏やかではない。

 結界と屋根へ、叩きつける雨のように水が当たる音がする。


 巨大魚のおもちゃの口がパカと開き、ポワン、と泡に包まれた何かが船の方へ運ばれてきた。

 泡は船内の真ん中へたどり着くとパッと消え、甲板に、泡から出てきた何かが、カツンと落ちる。


 それは、何かが描かれたブローチに見えた。


「邪悪っつーか普通に落とし物じゃね?」


 湖の底から拾ってきたのか、苔と泥で汚れたようなそれを見てリオが言った。

 ルークに抱かれたクマちゃんは、〝邪悪なもの〟を発見した興奮でふんふんふんふんしている。

 もこもこのお手々から使い終わった杖を回収し、ルークがリュックの中へ仕舞う。

 彼は興奮しすぎているもこもこを膝の上に仰向けに寝かせ、長い指で頬を擽った。

 少し落ち着け、という意味だ。


 クマちゃんはピンク色の肉球が付いたもこもこの両手で、テシッとルークの手を掴まえ、獣のような顔で齧っている。

 ――今度は構ってもらった嬉しさで興奮しているようだ。

 愛らしいもこもこを長い指であやしながら、クマちゃん曰く〝邪悪〟な――巨大魚のおもちゃが運んできた――それ、の汚れをルークが魔法で落とす。 

  

「これは……なんだかとても――洞窟にあった文様に似ている気がするのだけれど」


 ウィルは、ルークが洗浄したそれを拾おうと手を伸ばし、指がふれる直前で呟いた。

 獣のような顔でルークの手を齧っていたクマちゃんが、キュッと鳴き、彼の手を口から放すと幼く愛らしい声で、


「クマちゃん!」


と言った。

『邪悪ちゃん!』と聞こえた気がする。

 興奮しすぎて何かと混ざったのだろう。


「いま邪悪ちゃんて言わなかった?」


 真剣に考えようとしていたリオの頭が『邪悪ちゃん』で埋め尽くされた。

 元々考えるのが苦手なリオは湖に浮かぶ巨大魚を見つめ、ぼーっとしながら別のことを考える。

 ――巨大魚と船と消えた遊具、一番やばいのはどれか、と。 

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