第80話 クマちゃん、危険からみんなを守る
彼らの目の前で水上の板に乗せられたクマちゃん。
ヘルメットとよだれかけを装備した勇ましいクマちゃんは、最初の板の上から一歩も進んでいなかった。
「……めっちゃ回ってんだけど。しかもクマちゃん何か怒ってない?」
誰かが乗ると回転する仕組みだったらしい、水上の魔道具の上のクマちゃんを見たリオが、隣でもこもこを見守るルークにかすれた声で尋ねる。
クマのぬいぐるみのような生き物は、成す術もなく、クルクル回る板の上に座り込み、獣のような顔で肉球がついたもこもこの手を齧っていた。
小さな黒い湿った鼻の上には皺がより、いつもはキュルンとした黒いつぶらな瞳が、キッと吊り上がり、もふもふとした可愛い口元は、いつもよりも更にもふっとしているようだ。
「…………」
森の魔王様のような容貌のルークはいつものように表情を変えず、無言で回転する板と戦うもこもこを見守っている。
しかし、このまま見守り続けていても、彼の愛しのクマちゃんはあの板を攻略できないだろう。
ルークはスラッとした筋肉質な長い腕で、まるでストレスがたまった獣のように目を吊り上げ、肉球がついたもこもこの手を齧っているクマちゃんを抱き上げた。
特訓を中断し彼の腕の中に戻った可愛いもこもこの目は、まだ吊り上がったままだ。
ルークによって危険な板の上から救助されたクマちゃんは、ピンク色の肉球が付いたもこもこの手を齧りながら考えていた。
――あの板は危険だ。
あのような不安定な場所でクルクルすると、立ち上がることすらできない。
後ろで順番待ちをしている皆がアレに乗る前に、危険な板を撤去する必要がある。
このままアレを放置すれば、あの板の上で一生クルクルし続ける、悲しき犠牲者が出てしまうだろう。
――クマちゃんが仲間達を守らなければ。
クマちゃんはルークを見つめた。
地面へ降ろしてもらい、ルークがリュックから取り出した杖をもこもこの手で受け取る。
ルークに頼み自分の手では届かないそこへ、魔石を置いてもらう。
「……まさかクマちゃんそれが気に食わないからって作り替えてやろうとか思ってないよね?」
――風のささやきが聞こえる。
いつもよりも風が弱く感じるのは気のせいだろうか。
風のささやきを聞くと、何故かリオを思い出す。
そういえば今日のリオは、あまりお話ししていなかった気がする。
何かあったのだろうか。
せっかくのお出掛けなのだから、リオにももっと楽しんでほしい。
湖の周りに咲いている花をもこもこの手で摘み、ルークへ渡す。
ルークはその花をクマちゃんの希望通り、危険な板の上に魔石と一緒に載せてくれた。
うむ、準備は整った。
クマちゃんは小さな黒い湿った鼻にキュッと力を入れ、危険な板とリオが喜ぶことを考えながら、ピンク色の肉球が付いたもこもこの手で杖を振った。
水上に並べられた板が光り、一つの場所へ集まる。
光を帯びた色々な形の板は音もたてずに変形し、別の物へと組み替えられていった。
水面に浮かぶそれに、花で作られたランプが飾られてゆく。
フワリと光が収まると、先程まで遊具があったはずの湖面には、屋根の付いた可愛らしい船が、揺れることも無く、静かに一艘浮かんでいた――。
船の屋根から吊られた可愛いお花のランプをぼーっと眺めていたリオは、ハッとした。
「デカい遊具一個無くなったんだけど!」
獣にやられたそれを見つめ、リオが叫ぶ。
水上にあったはずの大きな遊具が無くなっている。
遊具を作り替えるのも、勝手に公園の湖に船を浮かべるのも、どちらも結構まずいのではないだろうか。
「こっちのがいいだろ」
とにかくクマちゃんを肯定する悪い飼い主ルークが、良い声で適当なことを言いだす。
もこもこ愛の強いルークは、彼の愛しのクマちゃんが作ったものであればなんでも『こっちのがいい』と言う気だろう。
「うーん。僕もクマちゃんが造った可愛くて素敵な船の方がいいと思うのだけれど。――それに、君もこちらのほうが良いと言うのではないかな」
腕を組み、素敵な船を見つめていた南国の鳥のような男ウィルは、チラリと横目でリオを見て、また船に視線を戻し、透き通った声で意味深長なことを言う。
「なにそれ。どういう意味? その言い方何か気になるんだけど」
ウィルの発言に何か含みを感じたリオが彼に尋ねる。
「乗ればわかる」
愛らしく心優しいもこもこが造った可愛らしい船を、美しいが恐ろしい表情でじっと見つめていたクライヴが、冷たい声でリオに言う。
クライヴに勧められ、最初に船に乗ることになったリオは「え? まじで? 実は俺だけ乗ってみんなは乗らないとかそういうアレだったりしない?」と仲間の裏切りを心配するような発言をしている。
しかし彼は、仲間が自分を裏切ると思ってこんな発言をしているわけではない。
彼らの気遣いが『お前ひとりでゆっくり楽しんで来い』『いや俺全然一人で船乗りたいとか思ってないんだけど』というアレじゃないかと心配しているのだ。
リオと仲間達の間には時々心のすれ違いが起こる。
チャラい外見のわりに真面目なリオが心配することは、色々なことに大雑把な他の仲間達にとっては心配するようなことではないからだ。
「――この船全く揺れてないんだけど」
頭をかがめ、ゴリラちゃんを抱えたまま屋根のある船に一番に乗り込んだリオが、かすれた声でやや驚いたように言う。
リオが心配していた『お前ひとりでゆっくり――』というのは考えすぎだったらしく、他の仲間達も船に乗って来た。
――ゴリラちゃんを抱えたリオはひとりではないはずだが、口数が多いわけではないゴリラちゃんは、喋っていない時はただのぬいぐるみだ。
ただのぬいぐるみのゴリラちゃんが、不意打ちのように頭に響く不思議な声で話し出すところも、リオの心をざわつかせる一因なのかもしれない。
「この船はとても安定しているね。クマちゃんの優しさが伝わってくるよ」
人が乗り込む重みで傾くことも無い不思議な船の座席に、シャラ、と装飾品の音を鳴らし座ったウィルが、ルークの腕の中にいるクマちゃんに優しく微笑む。
花のランプが吊り下げられた屋根のある船の座席は、船体に沿って両側に設置されており、座ると向かい合わせで会話を楽しめる、ゆったりとした作りだ。
子供の雄叫びが響き渡る色々激しい公園は、たくさんの装飾品を身に纏う、南国の鳥のような派手なウィルには全く似合わなかったが、花のランプで飾られたゆったりとしたこの船は、優雅な彼によく似合っていた。
「ああ。いい船だ」
ウィルの隣に腰を下ろしたルークが、愛らしいクマちゃんの頬を、長い指で優しく擽り、いつものように低く色気のある声で褒めた。
彼はヘルメットとよだれかけを装備したクマちゃんを、愛らしい顔がよく見えるように抱え、長い脚を組み座っている。
クマちゃんはルークの顔が見える体勢で抱かれると安心するらしく、ストレスが溜まった獣のような顔をやめ、愛らしいつぶらな瞳で彼をみつめ、肉球をペロペロしていた。
「…………」
無言で頷き、可愛いもこもこが一番よく見える場所にいる険しい顔のクライヴは、当然、ルークの正面に座っている。
仰向けで抱っこされた猫のようなクマちゃんは、無防備な後ろ足も最高に可愛らしい。愛らしすぎて自然と眉間に皺が寄ってしまう。
「ウィルの言ってたのって何? 俺が船のほうが良いって言うとか」
先程の会話を忘れていなかったリオが、向かいに座っているウィルに尋ねる。
しかし、答えたのは腕の中のゴリラちゃんだった。先程まで静かだったリオの腕の中のぬいぐるみから声がした。
「船の先に付いているだろう。船首像というのだったか」
低いが美しい、妙に頭に響く不思議な声でゴリラちゃんが言う。
この船の船首像は、リオが気に入るものらしい。
「え? 船首像とかついてんの? この船」
リオはゴリラちゃんの言葉が気になり、船の先端を見た。
流線形の美しい、細長い船首に、何かが座っている。
視力の良い彼の目に、見覚えのある姿が飛び込む。
「――俺じゃね?」
船の先に座っているのは、見覚えのある人間で、あまり考えたくはないが、自分の姿によく似ている。何故、木で出来ているのに髪の部分だけ金色なのか。
その両腕に抱えているのはクマちゃんとゴリラちゃんだろう。
「……俺じゃん!」
しっかり確認したリオが、もう一度叫んだ。
先程ウィルが言っていた、リオが『こちらのほうが良いと言う』らしい何かは、まさかのリオの船首像だった。
――――つらい。
全然こちらのほうが良くない。
しかし、ここは喜ばなければいけないところだ。
理由は分からないが、クマちゃんは、たぶんリオのためにあの像を作ってくれたのだろう。
しかし素直な気持ちで答えていいなら、――つらい。
自分は酒場の冒険者の中でもそれなりに顔が知られている。
――この公園はでかい。
そのでかい公園の真ん中にある湖。
そこへ自分の船首像を付けた船を浮かべた、色々主張の強い犯人として取り調べを受ける未来が見える。
あの船首像について聞かれたとして、『あれは俺じゃないです』『では別の金髪ですね』で済むとは思えない。
「良かったな」
ルークが良い声でリオへ伝えた言葉に悪気はない。
彼はクマちゃんが自分の像を作ったとしても、優しく撫で、感謝を伝えるのだろう。
「……ありがとう」
リオは、ルークとその腕の中の可愛いもこもこに礼を言う。
ヘルメットとよだれかけ着用の愛らしいクマちゃんが、リオの方へつぶらな瞳を向けている。
なんとなく『リオ、嬉しい?』と言っているのが分かった。
愛らしすぎるクマちゃんを見つめ頷いたリオは、面倒なことを考えるのをやめ、ただのんびりと、可愛いもこもこが造った可愛い船を楽しむことにした。
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