第78話 クマちゃんの特訓

 リオがルークに声を掛け、四人と一匹とゴリラちゃんは場所を移すことになった。

 作り替えられてしまった女神像のことは気になるが、このまま広場に居て教会の人間に見つかったら、自分達が犯人だと判ってしまうだろう。

 この街で可愛いもこもこクマちゃんとゴリラのぬいぐるみを連れて歩いているのは自分達だけだ。

 ゴリラちゃんだけなら袋に仕舞ってもいいかもしれない。

 しかし、あの小さな像と全く同じ形のクマちゃんと一緒にいる所を目撃されたとして、『クマ違いです』『では別のクマですね』で済むとは思えない。

 

「近くの公園とかで良いよね」


 可愛くないゴリラちゃんを抱えているリオは取り合えず近くて広い場所の名前を挙げた。

 酒場の方がゆっくり出来るのは間違いないが、そうするとクマちゃんのつぶらな瞳がまたうるうるしてしまうだろう。

 もう帰るの? と、悲しい目で見られることを想像するだけで胸が痛む。


「そうだね。あの公園であればクマちゃんが遊ぶことも出来るのではない?」


 シャラ、という音と共に歩くウィルが子供の頃に遊んだ公園を思い浮かべ、涼やかな声で言う。

 ゴリラちゃんの話は聞きたいが、今日はクマちゃんが皆を遊びに誘ってくれた特別な日だ。

 出来るだけ色々なことを経験させてあげたい。


「…………」


 ルークは長い脚で目的地へ移動しながら、無言で可愛いもこもこを撫でている。

 彼は考えていた。

 このもこもこした愛おしい存在は、あまり身体能力が高くない。

 それゆえ、野生児のような森の街の子供と同じ遊具で遊ぶ姿が想像できなかった。

 もこもこが走る姿を見たことがあるが、赤ん坊が這って動き回る速度と変わらないように思う。

 公園は危険だ。

 ――結界が必要だろう。

 

 クライヴはクマちゃんを見つめていた。

 ルークの腕の中で撫でられているもこもこは何故か、もふもふの口元を少しだけ動かしている。

 動かしているが、何か喋っているわけでもない。

 不思議だ。

 何のために動かしているのか。

 たまにもふっと膨らみ、また元に戻り、少しだけもこもこと口を動かす。

 目を閉じ、耳を澄ましてみると、気のせいかというくらい小さな声で「クマちゃ」と言っている。

 もう一度もふもふの口元を見つめる。

 やはり、同じ動きを繰り返し、極小さな声で「クマちゃ」と言っている。

 彼はクマちゃんの口元が気になりすぎてそれ以外のことを考える余裕が無かった。



 噴水のある広場から数分歩いた場所にある公園へとやって来た四人と一匹とゴリラちゃん。

 子供達が遊ぶ遊具があるその場所は非常に広く、樹々に囲まれ、公園と言うよりも広場のある森という雰囲気だ。

 木材で組み立てられた遊具は、高い場所から低い場所へと、滑車に取り付けられたロープを使って滑り降りるもの。とにかく高いところまでよじ登る、壁に突起が付いたもの。細長い木の棒を横に倒し、その上を落ちないように進むもの。大きな池をいかだで進むもの。

 他にも色々あるが、小さな子供が遊ぶには危険なものが多い。

 耳を澄ましていなくても、森の街の子供達の雄叫びのような声があちこちから聞こえてくる。


「……クマちゃんには無理じゃね?」


 輝きの強い金髪を風に煽られながらぼーっと公園を眺めていたリオが、かすれた声で言った。

 自分達が遊んでいた頃は全く危険を感じなかったが、クマちゃんが遊ぶには、この遊具は少し、激しいような気がする。

 

「うーん。子供の頃はこれが普通だと思っていたけれど、クマちゃんくらいの小さな子が遊ぶなら、もっと穏やかな遊具の方がいいような気がするね」


 シャラシャラと風で装飾品を鳴らし、遊具に視線を向けていたウィルも、ここの遊具はクマちゃん向けではないと言う。

 彼らが、この公園はもこもこが遊ぶ場所ではなかった、という結論を下そうとしたとき、幼く愛らしい声が、


「クマちゃん」


と言った。

 『クマちゃんも』と言っているようだ。

 もしかしなくても、クマちゃんも遊具で遊ぶという意味だろう。


「では、私はそこの木陰で休むとしよう」


『ゴリラちゃんは遊ばない』という宣言をしたゴリラちゃんだったが、幼く愛らしい声が、


「クマちゃん」 


と言った。

 『ゴリラちゃんも』と言っているようだ。

 もしかしなくても、ゴリラちゃんも遊具で遊ぼうという意味だろう。

 

「えぇ…………」


 かすれた声のリオは肯定的ではない声を出したが、こういう時は何を言っても無駄である。

 全員でこの公園のやや危険な遊具で遊ぶ、ということは、もう決定してしまった。

 

「うーん。――あそこにある、網を登る遊具であれば落ちても危険はないのではない?」

 

 南国の鳥のような男ウィルが視線を向けているのは、ただ網を登り頂上を目指すものだ。

 


 初めての公園でクマちゃんは胸がドキドキしていた。

 見たことのない丸太で出来た建物らしきものがたくさんある。

 きっと、ここは訓練をする場所なのだ。

 あちこちから大きな悲鳴が聞こえてくる。

 皆、戦っているのだろう。

 クマちゃんもこの厳しい訓練を終えれば、皆のように冒険者になれるだろうか。

 うむ、なれるはずだ。

 ――まずは服装を整えよう。

 ルークに視線を合わせ、重要なことを伝える。 


 クマちゃんには装備品が必要だと思いますよ、と。


 彼に、先程入手したばかりの黄色いそれを被らせてもらう。

 もこもこの耳は、痛くならないようにぱたりと前へ倒した。

 顎の下でキュッとベルトを締めてもらえば完成である。



「え。クマちゃんなんでヘルメット被ってんの?」


 リオが黄色いヘルメットを被っているクマちゃんを見て言った。

 つるりとした丸いそれを被ったもこもこは変で可愛いが、それは公園で被るものだっただろうか。


「高い場所が多いからね。素晴らしい判断だと思うよ」


 可愛いもこもこのことは大体何でも褒めるウィルが、黄色いヘルメットを着用した可愛いクマちゃんを見て微笑んだ。


 因みに、もこもこがゴリラちゃんに勧めたお揃いのヘルメットは『私には必要ない』の一言で斬り捨てられた。 

 クマちゃんのお友達はクールなようだ。



「えーと、じゃあクマちゃん登ってみてくれる? 落ちそうになったら支えるからガッと行っちゃっていいよ」


 リオは網を登って遊ぶ高さ四メートル程の遊具の下でヘルメットクマちゃんに声を掛ける。


 ゆっくりと遊具へ近付くヘルメットクマちゃん。

 リオは、いきなりだと難しいかもしれないと考え、もこもこの体をもふ、と両手で掴み、傾斜の少ない網の上に乗せてみた。

 頂上付近の網はほぼ垂直だが、下の方に張られた網はなだらかで、クマちゃんでも登れそうに見える。

 ルークの魔法で登らせたほうが簡単なのだが、このもこもこはそれでは納得しないだろう。


 網の上で深く頷いたクマちゃんが、肉球の付いたもこもこの右手を網に掛ける。

 そこからどうするのかと、じっとリオが観察していると、少しして、もこもこの左手も網に掛けた。

 さらに見つめていると、もこもこの右足を少し上げ、そのまま降ろす。

 次にもこもこの左足を上げ、また、そのまま降ろした。

 ヘルメットクマちゃんの場所は先程と全く変わっていない。


「あのクマは一体何をしている」


 ゴリラちゃんがクマちゃんを見つめ静かに言った。

 一緒がいいと可愛いもこもこにねだられ、子供の遊びに付き合うことになったが、現在動き難い体の中にいる彼でもあの網を登るくらいであれば簡単に出来る。

 網に何か特殊な仕掛けでもしてあるのだろうか。


 冒険者の彼らはクマちゃんが上へ進まない理由がわからない。

 子供の頃から身体能力が高かった彼らは、幼少期でも、この高さなら一度飛んで、途中の網を掴み、そのまま勢いをつけ頂上まで登れた。

 網に穴でも空いていたのだろうか。

 

「……ちょっと手伝っていい?」


 子供の面倒を見たことがあるリオは、運動が得意ではない子供を思い出し、手伝うと言った。

 だが、ここまで登れない子は見たことがない。

 どうやってこのもこもこを手伝えばいいのだろうか。

 肉球の付いた両手を網に掛けたヘルメットクマちゃんが頷いている。

 手伝うのは良いらしい。

 

 リオはクマちゃんの体をもう一度もふ、と掴み、そのまま持ち上げてみた。

 クマちゃんが目の前の網にピンク色の肉球が付いたもこもこの両手を掛ける。

 猫の手のようなお手々は丸くなり、キュッと力を入れているようだ。

 もこもこの口元が動く。


「……クマちゃ……」


 幼く愛らしい声は『……クマちゃん、頑張って……』と言っている。


 ――そして、ヘルメットクマちゃんはそのまま動かなくなった。


「クマちゃん、足も掛けないと登れないと思うよ」


 もこもこのお手々だけしか引っ掛けないクマちゃんに、一番重要なことを伝えるリオ。

 しかし、彼にはもう分かっていた。

 ――もこもこがこの網を自力で登れる日は、永遠に来ない。

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