第77話 届いてしまったリオの願い

 無事に昼食を終えた彼らは、移動しながらクマちゃんが欲しがった物を一つ、又は二つ、時々七つ買い、現在は噴水のある広場に来ている。

 クマちゃんがお友達のゴリラちゃんに大道芸を見せてあげたいと言ったためだ。

 

 いつもよりも声がかすれている金髪の青年リオは、罪悪感と喉の痛みでぐったりとしていた。

 はじめはただ、クマちゃんが悲しそうな顔をしているのが嫌で、とっさに目についた黒いぬいぐるみを掴んだ。

 クマちゃんが喜んでくれてほっとした。

 マスターの声を聞いて、なんとなく、してはいけないことをしてしまった時のような、モヤモヤした気持ちになったが、ゴリラちゃんの演技をして、ゴリラちゃんを動かして、クマちゃんが喜んで――それで問題がないと思っていたのだ。


 皆でご飯を食べ、クマちゃんが『クマちゃん』と言って、それが『ゴリラちゃん、おいしい?』という意味だと思った瞬間、やっと気が付いた。

 ――ゴリラちゃんは食べていないのだ。

 皆がそのことを隠そうとしていることには気が付いていたのに、自分は何故こうなのだろうか。

 彼らは解っていたのだろう。ゴリラちゃんが食べ物を食べられないと言えばクマちゃんが傷つくと。

 しかし自分はまた『……ゴリラちゃん……美味しい……』と言って噓を重ねた。

 クマちゃんは、本当にゴリラちゃんと一緒に美味しい物を食べたいと思っていたのに――。

 

 何故自分は、純粋で疑うことを知らない可愛いクマちゃんにこのような噓をついてしまったのだろうか。

 少し考えればわかることだったのに。

 それからは、愛らしいクマちゃんがキラキラとつぶらな瞳を輝かせ、ゴリラちゃんに話しかけるたびに、リオの胸と喉が痛み、ピンク色の肉球が付いたもこもこの手がこちらへ伸ばされるたびに『クマちゃんごめん――』と、本当の事を言ってしまいそうになった。

 苦悩の沼に沈みかけている男リオは広場を見渡し、気が付いた。


「あれ、今日ってもしかして……大道芸やってないんじゃ」


 リオがゴリラちゃんを腕に抱えたまま、チラリとクマちゃんの方へ視線をやると、可愛らしいもこもこのつぶらな瞳がうるうるとしている。

 そしてまた、リオの胸が締め付けられる――。


 リオの隣に立ったウィルが、シャラ、と腕を上げ、彼の頭をぽん、と撫でた。

 クマちゃんを見つめていたクライヴは、そちらを見たまま「一緒に考えてやる。その顔をやめろ」と、冷たい声で珍しく優しいことを言う。

   

 

 クマちゃんは広場に来て気が付いてしまった。

 噴水の周りに人が居ない。

 今日の大道芸はお休みなのだろうか。

 前にここへ来た時は、凄いことをする人たちとそれを観ている人たちがたくさんいたのに。

 とても悲しい。

 ゴリラちゃんにもあの凄いことをする人たちを見せてあげたかったのに。

 残念だが、仕方がない。クマちゃんは大人だから、これくらいのことで泣いたりしない。

 また皆がお休みの日に、ここへ連れてきてもらおう。


 クマちゃんはピンク色の肉球が付いたもこもこのお手々でスッと両目を隠す。

 こすろうとしたら、ルークの大きな手が優しくクマちゃんの手をずらし、長い指が目の下をふわふわの布で撫でる。

 そして、小さな黒い湿った鼻をふわふわ、ふわふわとして、彼がクマちゃんを慰めようとしているのがわかった。

 クマちゃんはルークの指を掴まえて、ピト、と湿った鼻をくっつける。

 ルーク大好き、ありがとう、という意味だ。

 

 クマちゃんはルークの腕のキュムッと押し、下へ降ろしてもらうと、噴水へ近付く。

 縁によじ登ろうとすると、ルークがクマちゃんのもこもこの体をもふ、と掴み、上に乗せてくれた。

 のぞき込むと水の中に白い石がたくさん入っている。

 うむ、白い。

 顔を上げ、噴水の中央を見る。

 うむ、白い。


 前に見た時から気になっていたのだ。

 噴水の真ん中にある白い像。

 何故か分からないが、なんとなく、気になる。

 ――元気がないように見えるからではないだろうか。

 うむ、間違いない。

 あの楽しくなさそうな像を、クマちゃんが楽しそうな像にしてあげよう。

 

 クマちゃんはルークを見つめ、頷く。

 ルークがリュックから取り出し、こちらへ差し出した杖を、クマちゃんが受け取る。

 そして彼は、魔石をクマちゃんのもこもこの足の周りに並べてくれた。



「――いやいやいやクマちゃん何する気? まさか噴水に何かするわけじゃないよね?」


 落ち込み、可愛いクマちゃんをぼんやりと切なげに見つめていた、珍しく静かなリオだったが、目の前の問題を放置できず、慌ててもこもこに声を掛けた。

 クマちゃんが立っている場所は広場の噴水の縁だ。

 そこに乗るのは構わない。他にも椅子代わりに座っている人間もいる。

 しかし、杖と魔石はやばい。

 あの立派な像と噴水は、確か教会が設置したものだったはずだ。

 彼らが信仰する女神を模した美しい像。

 真っ白な美しい女神は木漏れ日を受け、体の横で少しだけ両手を広げ、皆を見守るように水の中央に立っている。

 例えば、この像を壊してしまったとして、『ぶつかったら壊れました』『そういうこともあるかもしれませんね』では済まされないだろう。

 

 しかし作業を始めてしまったもこもこに、いつもより覇気のない風のささやきは届かない。

 

 リオの視線の先の、丸いしっぽが付いた後ろ姿まで可愛いもこもこは、ちょっとだけ背伸びをして両足の肉球もピンク色で可愛いことを見せつけ、うっかり彼がそこに気を取られている隙に、もこもこの手で杖を振ってしまっていた。


 少しだけ光を帯びた噴水と女神像は、何事も無かったかのように、先程と同じ少しだけ両手を広げた格好で佇んでいる。

 リオは女神が壊されなかったことに安堵した。

 そしてすぐに目を伏せ、可愛いクマちゃんを疑ってしまったことを恥じた。

 また仲間を疑うなんて自分はなんて駄目な人間なのか。

 

 反省しなければ、と思い顔を上げ、女神をもう一度視界にいれた彼の目に、おかしなものが映る。


「なにあれ」

 

 壊れてはいない。逆に増えている。

 少し広げていた女神の手の上に何か乗っている。

 リオがかすれた声で思わず呟く。


「クマちゃんじゃん」



 真っ白な像の手の平に、小さなクマちゃんが乗っている。



 女神と同じ、両手を少しだけ広げた格好だ。

 しかも反対側の手の平には小さなゴリラちゃんまで同じ恰好で乗っている。


 女神とクマちゃんとゴリラちゃんが、噴水の中央で両手を広げている――。


 ――やばい。

 あのもこもこの不思議な魔法で像が作り替えられてしまったようだ。

 体積は増えたが像の美しさが二割減ってしまった。


 リオは心の中で祈った――。

 女神様ごめんなさいクマちゃんに悪気は無いんです。ゴリラちゃんも悪くありません。悪いのは俺です。

 でも俺もすげー困ってるんで出来れば助けて下さい――。

 

 外見はチャラいがこの面子の中で一番真面目なリオが、あまり真面目ではない祈りを捧げた瞬間。

 ――女神像がキラリと光った。

 それはほんの一瞬の出来事で、気付いた人間はリオやルーク、仲間達だけだっただろう。

 

「今、女神像が光ったような気がするのだけれど」


 像の手の平の上に乗っている、小さくて可愛いクマちゃん像を観察していたウィルが、涼やかな声で尋ねた。


「ああ」


 もこもこの杖をリュックへ片付けた後、可愛いもこもこクマちゃんを抱き上げ、長い指で顎の下をくすぐっていたルークが、適当に相槌を打つ。


「――白いのは特に何もしていなかったように思うが」


 先程まで、小さなクマちゃん像と愛らしいクマちゃんを見比べながら、冷たく美しい顔を歪め、服の胸元を握りしめていたクライヴが言う。

 女神像が光ったのは、心優しく愛らしいもこもこがルークの方へ肉球が付いた両手を伸ばし、抱っこをねだっていた時だ。



「そのクマのせいではない」


 聞いたことのない声が急に彼らの会話に混ざる。

 低く美しい声だが、ルークの声ではない。人の声とは違う、頭の中に響くような不思議な声だ。


「なになになに俺怖いのめっちゃ苦手なんだけど!」


 ぞっとしたリオがゴリラちゃんを地面に落とした。

 その不思議な声が、リオの腕の中に居たゴリラちゃんから聞こえてきたからだ。


「落とすのは止めろ。私はこの体では上手く動けない」


 格好いいが不思議な声で話すゴリラちゃんがリオに苦情を言い、片手を動かし転がった体を起こそうとすると、幼く愛らしい、


「クマちゃん!」


という声が響いた。

『ゴリラちゃん!』と言っているようだ。

 リオがゴリラちゃんを落としたのがショックだったのだろう。


「クマちゃんごめん! すぐ拾うから……」


 リオはとっさにクマちゃんに謝り、ゴリラちゃんを抱き起そうとする。

 その顔はとても嫌そうだ。

 両手でもこもこではない、毛足の短いゴリラちゃんを鷲掴み、体から離したまま持ち上げる。


「まじで怖いんだけど……中に何入ってんのこれ……」


 かすれた声でリオが呟く。

 側に立っているウィルとクライヴは、リオが掴んでいるゴリラちゃんをじっと見つめた。


「――悪いものではないね。むしろ――」


 観察を終えたウィルは一言答え途中で言葉を切ると、組んでいた腕をシャラ、という音と共に片方外し、手を顎に添え、考えこむように黙った。


「ああ。悪意は感じない」


 冷たく美しい表情のクライヴもゴリラちゃんから嫌な気配がないことを確認すると、すぐに警戒を解いた。


 落とされて可哀相なゴリラちゃんを、肉球が付いた両手でもふもふの口元を押さえ見つめている、ルークの腕の中のクマちゃん。

 そのクマちゃんを、ルークが落ち着かせるように優しく撫でている。

 彼は、ゴリラちゃんの中に何が入り込もうが気にならないらしい。

 危険なものならすぐに倒せるからだろう。


「失礼な奴め。お前が助けて欲しいと願うから私がわざわざ来てやったというのに」


 ゴリラちゃんの不思議な美声が彼らの頭の中に響く。

 なんだか可愛くないゴリラちゃんが言うには、リオが願ったせいでこうなっているらしい。


「えぇ…………」


 尊大な可愛くないゴリラちゃんの言葉を聞いたリオは思った。

 先程自分が願ったのは、これだっただろうか――。

 違うような気がするが、ゴリラちゃんが動いて話せるようになったならば、クマちゃんにとっては一番幸せなはずだ。

 それは間違いない。

 しかし本当に、ゴリラちゃんの中には何が入ってしまったのだろうか――。

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