第76話 クマちゃんと難易度の高い食事
リオに『何食べたい?』と聞かれたクマちゃんが、幼く愛らしい声で答えた。
「クマちゃん」
『クマちゃん、ケーキがいい』と言っている気がする。
「もしかしてブルーベリーのやつ?」
クマちゃんの言葉を聞いたリオが真っ先に思い浮かべたのは、誰かの顔めがけて飛んで行った、強い回転のかかったブルーベリー。
彼らとクマちゃんが出会った日の出来事だ。
まだ二週間程度しか経っていないはずなのに、クマちゃんと一緒の日々が濃すぎて、出会ったのが最近だということをつい忘れてしまう。
クマちゃんがつぶらな瞳でリオを見つめながら「クマちゃん、クマちゃん」と幼く愛らしい声でお話している。
『ゴリラちゃん、ケーキ、おいしい?』と聞かれたような気がした。
リオが『いやゴリラちゃんケーキとか食えねぇから』と余計なことを言う前に、南国の鳥男が彼に殺気を飛ばし、代わりに答えた。
「ケーキがとても美味しかったから、お友達のゴリラちゃんにも食べさせてあげたいんだね。素晴らしい考えだと思うよ」
ウィルは視線でリオに、どうにかしてゴリラちゃんが食べているように見せる、と伝えようとしたが『え? さすがに無理じゃね?』とまた余計なことを言いそうだったためルークとクライヴからも殺気をもらっていた。
「ケーキならその辺にあんだろ」
無表情で整った、魔王のような容貌で雑な言葉遣いをするルークが、高級店の立ち並ぶこの通りに丁度いい店があるという。
「――来る途中にあったか」
凍えるような声でクライヴが言い、次の目的地が決まった。
クマちゃんがまたマスターに連絡をしている間に、もこもこ用のアイテムを買い揃え、後でギルド職員が来ることを店員に伝えると、彼らは店を後にした。
先程いた店から徒歩一分の場所にあるレストランへ来た、四人と一匹とゴリラちゃん。
白い外観に、扉だけ濃い木の色の二階建ての店の窓には、白いレースのカーテンが掛かかっている。
扉を開けるとカラン、という音がした。この通りにある扉のベルは全部同じものなのかもしれない。
店員に案内され、四人と一匹とゴリラちゃんは窓の横のテーブル席に着いた。
クマちゃんを抱いたルークが窓際、ゴリラちゃんを抱いたリオがその隣に座る。
反対側の窓際の席にウィル、その隣の席がクライヴだ。
白いカーテンから柔らかな日差しが降り注ぎ、焦げ茶色の木で作られたテーブルを照らしている。
子供連れの客が多いためか、店内はとても賑やかで明るい雰囲気だ。
席の周りに植物が置かれ、隣の席とは大分離れている。
もこもこした可愛いクマちゃんと、もこもこはしていないぬいぐるみのゴリラちゃんを隠せる素晴らしい席だった。
さっそくクマちゃんがマスターに連絡しているが、この賑やかな店であれば、もこもこの「クマちゃん」と言う幼く愛らしい声も、静かな店よりは目立たないだろう。
ルークの膝の上のもこもこが「クマちゃん、クマちゃん」と言って板のスイッチを切ったのを見たウィルが、
「ケーキの前に何か食べたほうがいいのではない?」
とクマちゃんに尋ねる。
可愛いもこもこのクマちゃんがぬいぐるみのように動きを止めた。
何かを考えているようだ。
少ししてクマちゃんは幼く愛らしい声で、
「クマちゃん、クマちゃん……」
と遠慮がちに言った。
その内容は『クマちゃん、トマトの、長いのがいい……』というものだ。
クマちゃんが普段ルークに食べさせて貰っているトマトのパスタは、長い麵ではなく、コロリとした短いものばかりだった。
皆と一緒が好きなクマちゃんは、本当は大人が食べている長いパスタが食べたいと思っていたらしい。
真っ白な毛皮で、食べるのが上手ではないクマちゃんには、非常に難易度の高い話だ。
「うーん。せっかくのお出掛けなのだし、好きな物を食べたほうが楽しいと僕も思うよ。――ねぇリーダー」
ウィルは先程の店で買った、新品のよだれかけを思い浮かべつつ、ルークに視線で尋ねる。大丈夫だろうか。
「ああ」
ルークは低く色気のある声でいつも通り、なんでもないことのように一言返す。
食後、店の近くの木陰でもこもこを丸洗いすることも視野に入れた、落ち着いた応対だ。
その時クマちゃんが「クマちゃん」と言った。
それは『ゴリラちゃんも』と聞こえた気がする。
――良くない流れである。
当然リオが、
「いやいやいやいやゴリラちゃんはもっと簡単なやつでいいから」
とかすれた声で言うが、もこもこは〝一緒が好き〟なのだ。
はじめてのぬいぐるみ友達と、一緒に同じものを食べ、おいしいね、と言い合いたいのだろう。
「わかった」
何かを決意したクライヴの、冷たく美しい声が響く。
本日の昼食は全員、トマトの長いパスタに決定した。
なお、デザートはブルーベリーを添えたケーキである。
メニューが決まったところで、またクマちゃんがマスターへ「クマちゃん、クマちゃん」と連絡を入れている。
中々長いもこもこのお話は『クマちゃん、トマトの、長いの食べる』『ゴリラちゃん、同じの』『クマちゃん、ケーキ食べる』『マスター、おなかすいた?』といったものだった。
ルークがクマちゃんによだれかけを付けるとき、もこもこが「クマちゃん」と言った。
当然『ゴリラちゃんも』というアレだ。
「何か今日みんな静かすぎじゃね?」
吞気なリオはウィルとクライヴがひそかに魔法を準備している間もクマちゃんとゴリラちゃんを交流させているだけだ。
彼らが何をしているのか、まだ分かっていないらしい。
準備も終わり、運ばれてきた長いパスタをゴリラちゃんにどうやって食べさせるのか、視線で確認し合うウィルとクライヴ。
ルークが一番の適任者だが、彼は膝の上のもこもこに長いパスタを食べさせるという、難易度の高い仕事がある。
いきなりゴリラちゃんだけ食事を始めるのも不自然だろう。
彼らは自分のパスタを食べながら、慎重に機会をうかがう。
ルークが膝の上の、ぬいぐるみのようにじっとしている可愛いクマちゃんに、小さ目のフォークでクルクルと器用に巻いた、少量のパスタを、もこもこのお口に運んでいる。
とても美味しいらしく、クマちゃんの口元がもふっと膨らんだ。
ご馳走を食べたときの猫のように、チャチャッという音が聞こえる。
そろそろゴリラちゃんにも食べさせないと、クマちゃんが気にしてしまうだろう。
リオはゴリラちゃんにフォークを持たせたが、そこからどうするのが正解か分からないようだ。
ゴリラちゃんの口は、かぱ、と開くが、そこに詰め込んで隠せるのは一口分だけだろう。
クライヴとウィルは少し時間を掛け、食事が来るまでの間、会話もせずに用意していた魔法を使う。
ゴリラちゃんの前に置かれた皿の中のパスタが、静かにじわじわと凍ってゆく。
同時にゴリラちゃんの腕の下から、パリ、パリ、と薄い飴が割れるような音が聞こえた。
フォークを持ったゴリラちゃんの腕が少しずつ、上に向かって動き出す。
ゴリラちゃんの腕の下に、それを持ち上げるための、細い、氷の柱が出来ている。
ゴリラちゃんを膝に乗せているリオは、自分の皿のパスタを食べながら感じ取っていた。
――寒い。
この寒さの原因はクライヴの魔力だろう。
ゴリラちゃんの腕を氷で持ち上げてくれているようだ。
たしかに、自分がゴリラちゃんのパスタを巻いても、それを食べさせることは出来ない。
何も巻いていないフォークをゴリラちゃんの口元へ運んだ所をクマちゃんに見られてしまえば、何で? という目で見られるだろう。
しかし、ゴリラちゃんに持たせたフォークには何も巻かれていない。
クライヴはどうやって皿の上の物を減らす気なのだろうか。
そのとき、リオの周りだけ、風が吹いた。
服がはためき、金色の、輝きの強い髪が風に煽られる。
ゴリラちゃんの皿もカタカタ鳴っている。
次の瞬間、ゴリラちゃんの皿の上から、垂直にパスタが飛んだ。
リオの頭上を超え、ウィルが天井付近まで飛ばした冷凍パスタを、クマちゃんの口元にフォークを運んでいるルークが魔力をフワリと動かし、静かにクライヴの皿の上に着地させた。
――クライヴの食べかけのパスタの上に少し凍った固そうなパスタが重なる。
――即座にウィルが魔法を放つ。
クライヴの皿の上。増量されたパスタからは、まるで出来立てのように美味しそうな湯気が上がっていた――。
ルークの大きな手で視界が遮られたクマちゃんは、隣の、ゴリラちゃんの前に置かれた皿からパスタが飛んだことも、その冷凍バスタがクライヴの皿の上に移ったことにも気が付いていない。
クマちゃんが可愛らしいつぶらな瞳をそちらへ向けたときには、静かにフォークを降ろすゴリラちゃんと、何ものっていない皿があるだけだった。
「いや、乱暴すぎだとおもうんだけど……」
輝く金髪を乱したリオが何かを呟いたが、そのかすれた小さな声は、当然のように黙殺された。
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