第72話 クマちゃんお出かけの準備をする

 皆でお出掛けをする前に、クマちゃんは大事な物を作らなければならない。

 素敵な蝶々の飴と、頭の横に飾っていた氷のバラを、大切にリュックにしまう。

 そして自分を抱っこしてくれている彼の膝の上からルークを見つめ、クマちゃんはあれが欲しいですよ、とお願いをした。



「もしかしてクマちゃんまた何か作るの?」


 クマちゃんがルークを見つめ、そしてルークが何も言わずにどこかへ行ったということは――と推測したリオが、ベッドの上でもこもこしている可愛いもこもこに尋ねる。

 目の前のもこもこが、深く頷いた。

 正解らしい。

 相変わらずクマちゃんとルークのベッドの端に、悪党のような恰好で座っているクライヴが、何か、辛いことでもあったかのように深刻な表情でクマちゃんを見つめているが、リオはそれについて触れなかった。絶対に、深刻な問題などない。彼の伏し目がちの視線が、微妙に肉球へ向けられている気がする。

 

 すぐに戻ってきたルークは、その手に木の板とクマちゃんの〈お絵描きセット〉を持っていた。

 クマちゃんが戻ってきたルークを大歓迎し、彼の大きな手を掴まえふんふんしている。周りの人間には短い時間でも、クマちゃんにとってはそうではないのだろう。

 再びもこもこがルークを見つめると、持ってきたばかりのそれなりに厚い木の板を、まるで薄くて割れやすい物のように、力を込めた様子もなく簡単に割った。


 周囲に――バキッ――という大きな音が響く。


 リオがクマちゃんを見ると、音に驚いたらしい、ピョンと跳ねたもこもこが、トサ、とベッドへ仰向けに倒れてしまった。


 もふもふのお口の横、両頬にもこもこのお手々を上げ、可愛らしい両手の肉球をこちら側に見せている。猫のバンザイのようだ。

 つぶらな瞳は今は閉じられているが、もしかして目を隠そうとしたのだろうか。

 それならば肉球をこちらに見せているのはおかしいように思うが。

 クマちゃんの短い、もこもこの両足がピンとまっすぐに伸び、真っ白でもこもこの可愛いおなかが丸見えだ。


 もこもこは目を閉じ、ふわふわの腹を見せ、猫のバンザイのポーズのまま、固まっている。


 これは何なのだろう。仰向けで寝る猫のマネか。

 眉間に皺を寄せたリオは自身のベッドに座り、変なクマちゃんを眺め、


「…………かわいい……」


と悔しそうに呟いた。

 もこもこが腹と肉球を見せ倒れているだけだというのに、奴は何故、こんなに可愛いのだろうか。

 愛らしいポーズで動きを止めているクマちゃんの横、至近距離ですべてを見ていた氷のような男クライヴが、敵の攻撃を食らったかのように、美しい顔を歪め、自身の服の胸元を掴んでいる。

 ――彼も己の中の何かと戦っているようだ。


 目を閉じ動かないもこもこを、ルークが抱き上げ、撫でている。

 自身のベッドへ戻り、景色とクマちゃんを眺めていたウィルが「とても愛らしいね。大きな音に驚いてしまったのかな」と、微笑ましそうに笑う。

 


 

 クマちゃんは、驚きすぎて死んだふりをしていた。


 自身のすぐ横で、大きな、バキッというぶ厚い木の板が割れる音を聞いてしまったからだ。

 しかし、その恰好のままルークに抱き上げられ、大きな手で優しく撫でられているうちに、ハッとなった。

 ――死んだふりをしている場合ではない。クマちゃんは皆と街へお出掛けをするのだ。

 クマちゃんはルークが割ってくれた木の板の一枚をベッドの真ん中に置き〈お絵描きセット〉の中からクレヨンを取り出す。

 もこもこの手で白いクレヨンを握り、もこもこ、もこもこと丸を描き、可愛く形を整える。


「あ、何か分かったかも。それクマちゃんでしょ」


 風のささやきが聞こえる。クマちゃんは絵も上手なのだから、すぐにわかるのは当然だ。

 黒のクレヨンでつぶらな瞳と、クマちゃんの可愛い黒い鼻を描き入れ、最後にクマちゃんの大好きなルークの瞳の色の、緑色のリボンを描く。

 うむ、とても良い。可愛いクマちゃんの可愛らしさが良く出ている。


「すげー可愛いじゃん。そのクマちゃんの絵」


 クマちゃんの素晴らしい絵に感動したらしい風のささやきが聞こえる。うむ、クマちゃんは可愛いのである。


「上手ぇな」


 ルークが低くてかっこいい声で褒めてくれた。うむ。とても嬉しい。

 しかし喜びに浸っている場合ではない。もう一枚の絵も完成させなくては。

 いつも優しくしてくれてありがとう、という想いを込め、丁寧に描く。

 

「え。何だろ。リーダーじゃないよね。……もしかしてそれ、ひげ?」


「マスターだろ」


 風のささやきは芸術に疎いようだ。ルークはすぐにわかるのに。

 完成した素晴らしい絵を見て、ルークが渡してくれた魔石を二つずつ絵の前に置き、リュックから取り出した紐を彼にナイフで切ってもらう。

 板の間に紐を配置すると、ルークが杖を渡してくれた。うむ、彼はクマちゃんのしたいことがすべてわかるようだ。

 小さな黒い湿った鼻にキュッと力を入れ、クマちゃんは願いを込めて杖を振った。


 うむ。割っただけの板が、綺麗な長方形に整い、つやつやになっている。ちゃんと角も丸みが出て、優しい形だ。

 高級感が出た、ピカピカで角の丸い長方形の板に、クマちゃん画伯の芸術的な似顔絵。絵の下には円形の溝がくるりと掘られている。

 重要な部分もしっかりと出来た。



「クマちゃんすげー頷いてるけど全然何作ったのかわかんねー」


 リオは完成品を見ても全く、何が出来たのか分からなかった。

 もこもこが満足そうに頷いているのだから、ただの似顔絵が描かれた板というわけではないのだろうが。


 ルークはクマちゃんがベッドの上に散らかしたあれこれをサッと片付け、愛らしく頷いているもこもこをスッと抱き上げる。

 そしてクマちゃんを抱えている手首にリュックの紐を引っ掛けると、完成品のピカピカの板を重ね、大きな手で掴み、展望台の方へ歩き出した。


 悪党のような恰好で座っていたクライヴが立ちあがり、その後に続く。


「僕たちも行こうか」


 いつも通り、シャラ、と装飾品の音と共に立ち上がり、優雅に歩き出したウィルが、リオに視線だけ向け涼やかな声を掛けた。



 立入禁止区画の奥。マスターの部屋へやってきた四人と一匹。

 当然片方が開いたままの扉から、勝手に中へ入っていく。 


「どうした。何かあったか?」


 ノックをしないクソガキ共に慣れているマスターは、書類から視線を上げ、ルークに尋ねた。

 ルークがマスターの仕事机の上に、クマちゃんが作った素晴らしい似顔絵付きのピカピカの木の板を置く。


「……これは、もしかすると俺か? 白いのが描いてくれたんだろ。よく描けてる。――ありがとうな」


 クマちゃんがまごころを込めて描いた似顔絵に感動したマスターは、優しげな笑みをこぼし、愛しのもこもこに感謝の言葉を伝える。

 ルークの腕の中のもこもこはマスターの言葉を聞き、深く頷いていた。クマちゃん画伯もよく描けたと思っているらしい。

 椅子に座ったまま、机の上に置かれたピカピカの板を手に取ったマスターが、可愛らしく描かれた自分の顔を指でなぞると、絵のすぐ下に掘られている円形の溝に気が付いた。


「ん? これは、何かのスイッチか?」


 マスターは手の中のそれからルークへ視線を移したが、彼は視線を腕の中の愛らしいもこもこに向け、もう一枚の木の板をピンク色の肉球がついたお手々に渡している。

 マスターの持つそれとそっくりな、ピカピカの木の板を持ったクマちゃんが一度頷き、可愛いもこもこの右手を動かし、板の下の方にある丸いスイッチのような部分を、ポチッと押した。



 途端に室内に響き渡る『ニャー、ニャー、ニャー、キュオー』という可愛らしい鳴き声。



 これは猫顔のクマ太陽とクマちゃんの鳴き声ではないだろうか。

 猫のような鳴き声が三回、クマちゃんらしき鳴き声が一回。


 ――そしてそれは永遠に繰り返される。 


 鳴き声の発生源はマスターの持っている板のようだ。  

 

「何これ。めっちゃ板鳴いてんだけど。――まさかずっとこのままじゃないよね」


 どちらも可愛らしい鳴き声ではあるが、ずっとこのままだと仕事どころではないだろう。

 非常にやっかいな贈り物である。


「…………あー。可愛いが……そうだな、止め方は……いや、止めたいわけじゃねぇが……音量――いや、下げるとかじゃなくてだな……」


 マスターは、せっかくクマちゃんが自分を想い作ってくれた贈り物に対して、鳴き声を止めるか音量を下げるかしたい、などと言うわけにもいかず、言葉を濁す。

 ニャー、キュオー、という愛らしい鳴き声は繰り返し室内に響き渡っている。


「押せば止まる」


 ルークが腕の中の可愛いクマちゃんを撫で、マスターの手元へ視線を流し、低く色気のある声で言う。


「ああ、そういうことか」


 マスターが似顔絵の下の、溝で囲われた円形のスイッチのような部分を押すと、鳴き声は止まったが、替わりのように、幼く愛らしい、


「クマちゃん」


という声が聞こえてきた。

 幼く可愛い声は『マスター、クマちゃん、きこえた?』と言っている。

 そして、その「クマちゃん」と言う声は同時に部屋の中からも聞こえていた。


「え。今クマちゃんの声二重に聞こえた? ――もしかして……通信用の魔道具?」


 驚いたリオがルークの腕の中のクマちゃんに尋ねると、木の板をもこもこの両手で持ち、深く頷いている。

 正解らしい。


「……ありがとうクマちゃん。――クマちゃんは皆で街へ出掛けても、マスターと僕たちが連絡を取れるよう考えてくれたんだね」

 

 クマちゃんが皆を気遣ってくれたことに気が付いたウィルが、感じ入ったようにもこもこに感謝を伝えた。

 幼く小さなもこもこは、いつも一生懸命彼らのことを考えてくれている。

 遊ぶ時間が減ってしまうとわかっていても、何もせずにそのまま出掛けることが出来なかったのだろう。 

 あまりお外へ連れて行ってもらえないクマちゃんは、本当ならすぐにでも街へ行きたかっただろうに――。


「――そうか。…………お前は、まだ幼いんだ。もっと自分がやりたい事を優先していいんだからな」


 マスターが愛おしいもこもこに伝えたい言葉は色々あったが、上手く言えず、結局口から出たのは無難な言葉だけだ。

 自由に動いているように見えて、いつも皆のことばかり考えている、幼く愛らしい、愛おしいもこもこが、一生懸命自分達へ伝えてくる数々の好意に、彼は胸の詰まる思いだった。

 椅子から立ち上がったマスターが、大切な贈り物をそっと机に置き、ルークの腕の中にいるもこもこのところまで来ると、腕を伸ばし、生暖かいクマちゃんを優しく抱き上げた。

 木の板で作られた可愛らしい、子供のおもちゃのような素朴な通信用魔道具をもこもこの両手で持つクマちゃんが、腕の中でマスターを見上げている。

 可愛らしいつぶらな瞳は『マスター嬉しい?』と言っているようだ。


「――お前と一緒に居られて嬉しい。お前は本当に、可愛くて優しい、凄い奴だ」


 愛らしいもこもこが可愛くて仕方がないマスターは、もこもこの頭を優しく何度も撫でた。


「早く行かねぇと遊ぶ時間が減るだろ。――気をつけて行ってこい。まぁこいつらが付いてて、危ないことなんてあるわけねぇが」


 マスターはそう言って、ずっと抱いていたいもこもこをルークの腕の中へ戻し「あまり遅くなるなよ。何かあったら連絡しろ」と彼らを送り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る