第71話 クマちゃんの葛藤

「――何かみんな戻ってくんの早くない?」


 リオは森の魔王様ルークに貰った飴細工をパリパリと食べながら、近くで複雑な人間関係のおままごとをしている冒険者や、湖畔に置かれたふわふわのベッドで休んでいる冒険者を見て言った。

 早いといっても、自分達が討伐隊から抜けているわりに、というだけで、特別いつもより早いというわけではないが。

 もしかして猫顔のクマ太陽が縄張りを広げてしまったのだろうか。

 

「……あの地下洞窟の広さはわからないけれど、癒しと浄化の泡が洞窟の通路で増え続けているのなら、それを感じ取った大型モンスターはその力の及ばないところまで逃げるのではない?」


 リオの食べている美しい飴細工から周囲の冒険者へと視線を移したウィルが、早朝自分達が調査していた洞窟の様子を思い浮かべ、リオの疑問に答えた。

 地下にある洞窟に泡を流しても地上にいる大型モンスターは倒れないだろう。

 奴らを檻に閉じ込め、身動きできなくしてからクマちゃんの魔法の泡を掛けたとしても、弱体化は出来るだろうが討伐は出来ないはずだ。

 だが、もし本当にウィルの推測通り地下洞窟の泡が発する癒しと浄化の力を嫌ってモンスターが逃げて行ったのだとしたら――。

 周囲に敵が居なくなったとして、しかしそれは振り回した弁当のように中身が片側に寄っただけで、中のものが減ったわけではない。遠いところで増えているのであれば、却って状況は良くないだろう。

 ――やはり、一度森の奥まで行って、モンスターを減らす必要がある。


「そうかもな」


 森の魔王のような男ルークが、適当な相槌を無駄に色気のある声で打つ。どうでもよさそうではあるが、ウィルの推測は間違っていないということだ。

 手を齧られていたルークが、蝶の飴をもらいご機嫌なクマちゃんにそれを食べさせてあげるため口元へ運ぶと、可愛らしいもこもこのもこもこしたお口がもふっと膨らんだ。

 膨らんだが、可愛いお口を開けないままぬいぐるみのようにじっとしている。

 彼が飴をもこもこの口元から少しだけ遠ざけると、


「……クマちゃ……クマちゃ……」


幼く可愛らしい、小さすぎて聞き取りにくい声が『……だめ……たべちゃだめ……』と言っている。

 ほとんど口を開けないようにして話しているのは、間違って食べてしまわないように、ということだろう。

 よく見ないと分からないが、もこもこのお口が少しだけ動いている。


 このままでは話し難いだろうと思ったルークが、飴をもこもこの顔の前から離したが、先程と変わらず「……クマちゃ……クマちゃ……」と、聞き取りにくい小さな、幼く愛らしい声で『……だめ……たべちゃだめ……』と言い続けていた。


「クマちゃん、飴美味しいのに食わねーの?」


 パリパリと、蝶の羽をかたどっていた繊細な飴を食べ終えたリオが、ぬいぐるみのように動かず、つぶらな瞳で一点を見つめたまま、愛らしく『……クマちゃ……』と呟いているクマちゃんに不思議そうに尋ねる。

 食べ物に対して繊細な心を持たないリオは、繊細な心を持ったクマちゃんの葛藤に気付かない。

 彼は『綺麗すぎて食うのもったいねーかも』と言いながらすぐに食べるタイプだ。本当にもったいないと思っているのかも怪しい。


「クマちゃんはリーダーが作ってくれたとても美しい飴を、食べて無くしてしまうのが嫌なのだと思うよ」


 大体のことに大雑把だが、綺麗なものや可愛いものに対しては繊細な心を持つ、南国の鳥のような派手な男ウィルには、愛らしいクマちゃんが激しく葛藤しているのが分かった。

 甘い物が大好きなクマちゃんは、今すぐ目の前の良い匂いがする甘くて美味しそうなそれを食べたい、という気持ちと、大好きなルークが自分のために作ってくれた綺麗で可愛い蝶々をずっと取っておきたい、という気持ちの狭間で揺れ動き、自身の欲望と戦っているのだ。


 つぶらな瞳を潤ませ「……クマちゃ……クマちゃ……」と小さく呟くもこもこの言葉は、先程までと違い『……クマちゃん……負けちゃだめ……』に変わっていた。

 今にも欲望に負けてしまいそうなもこもこを可哀相に思った冬の支配者クライヴは、手元に魔力を集め始める。

 彼の周りに冷気が漂い、薄い飴が割れる音にも似た、パリパリという音と共に氷が何かを模っていく。


「うぉ、すげぇ。……つーかさっき絶対ナイフいらなかったじゃん……」

 

 繊細な魔力操作で作られていくそれを見たリオはかすれ気味の声で独り言のように呟いた。

 クライヴが氷の魔力を繊細に操れることなど冒険者は皆知っているが、彼の魔力操作がここまで緻密だとは思わなかった。おままごとで楕円形のコロリとしたパンを作るのにナイフを使っていたのは、やはり彼なりの役作りだったらしい。


「――とても美しいね。透き通った氷の細工に光が当たってより繊細に見えるよ」


 儚く美しいそれは美術品の鑑賞を好むウィルから見ても素晴らしいものだ。女性に贈れば感動で涙を流すのでは、と思うが、冷酷な冬の支配者のような男が得意の魔法を使ってこのようなことをする相手は、きっとクマちゃんだけなのだろう。


「受け取れ」


 氷を操る事であれば世界最強の男ルークにも引けを取らないクライヴは、自分が作ったそれを、黒い革の手袋に包まれた手で愛しいもこもこへと差し出した。

 ――ずっともこもこのお口を小さく動かし「……クマちゃ……」と言い続けていたクマちゃんが、幼く愛らしい声で呟くのをピタリと止める。

 そして、クライヴが贈ってくれたそれをじっと見つめ、ピンク色の肉球が付いたもこもこの両手を、サッと、もふもふの口元に当て、感動で更につぶらな瞳を潤ませる。


 魔法で作られたそれは、氷で出来た一輪のバラの花びらに、一匹の蝶が羽を休ませている、非常に繊細な、優雅で美しいものだった。

 

 クライヴがルークへ視線を向ける。

 彼の頼みを理解したルークは、氷で作られた美しい贈り物をクマちゃんが受け取っても溶けないように、魔力でそれをなぞり、ピタリと結界で包んだ。

 本当はクライヴ自身がそうしたかったが、そのように高度で複雑な結界を一瞬で作れるものはルークの他に居ない。

 それにたとえ同じように作れたとして、クライヴが作れば結界も冷たいだろう。

 ――愛しのクマちゃんの可愛らしい肉球にしもやけを作るわけにはいかない。


 クマちゃんがもこもこの両手をクライヴが差し出している氷のバラへ伸ばし、ムニ、とピンク色の肉球で挟み、受け取った。

 感動したもこもこが、ふんふんふんふんと鼻を鳴らす。

 そして、透き通り、光を浴びキラキラと輝く、宝石よりも美しいそれを、そっと、頭の横につけた。


「いや何で頭につけるの。どうやってつけたのそれ」


 何故かもこもこの頭の横から落ちない氷のバラを見たリオは、美しいそれの使い方を間違っているクマちゃんに思わず物申した。

 ミニトマトと豆の時も思ったが、何故落ちないのか。そして何故なんでも頭につけたがるのか。


「好きに使え」


 贈り物の制作者であるクライヴが言う。

 言い方は氷のように冷たいが、愛おしいクマちゃんが何をしても可愛いと思っている彼は、何でも頭につけてしまう困ったもこもこに、何故か胸が苦しくなり、眉間に深い皺を寄せ、目を伏せた。

 ――重症である。


「クマちゃんは次は何がしたい? 僕はマスターから呼び出される前に、街へ買い物に行くのも良いと思うのだけれど」


 シャラ、と腕の装飾品を鳴らし髪を整えたウィルは、美しい物を身に着けたいと思うクマちゃんの気持ちが良くわかるため、もこもこの頭の横から落ちない氷のバラについてふれず、次の予定を尋ねた。



 ウィルの言葉を聞いたクマちゃんは考えた。

 今日はなんて幸せな日なのだろう。

 こんなに幸せでいいのだろうか。

 大好きな皆とお花畑でピクニックをし、楽しく遊び、素晴らしいプレゼントを三つも貰ってしまった。

 ルークがクマちゃんに作ってくれた、凄く美味しそうな、甘い香りの綺麗な蝶々。クライヴが作ってくれた、可愛い氷のパン。そして、とても綺麗な蝶々がお休みしている氷のバラ。

 ――全部大切に取っておこう。

 あの飴は食べたらきっと凄く美味しいだろう。しかし、誘惑に負け甘いそれを食べたら、無くなってしまう。どんなに美味しそうでも、クマちゃんは負けない。


 こんなに一度にたくさん幸せなことがあったのに、ウィルはこれから皆で街へお出掛けしようと、クマちゃんがもっと喜ぶことを言ってくれた。

 嬉しすぎて大変だ。クマちゃんの胸がどきどきしている。

 どきどきする胸をもこもこの両手で押さえ、ルークを見る。

 すると彼は、凄くかっこいい低い声で「行くか」と言ってくれた。

 クマちゃんが、本当にいいのかな、と思っていたことが彼にはわかったのだろう。

 凄く嬉しいのに、何故か涙が出そうになり、クマちゃんはそれを不思議に思ったが、あまり考え事をしているとお返事を忘れてしまうかもしれない。


 幸せな予定が無くなってしまう前に、クマちゃんは、うむ、としっかり頷いた。

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