第70話 クマちゃん達のおままごと
「おままごと……近所のガキ共がやってんのみたことある」
リオはクマちゃんの要望を出来るだけ叶えてやりたい、と思ってはいるが、このもこもこは、この面子でその遊びをすることが可能だと、本当に思っているのだろうか。
自分とウィルならギリギリいけそうな気もするが、ルークとクライヴは絶対に無理だろう。
彼らはきっと生まれた時から森の魔王と冬の支配者だ。
誕生した直後から二足歩行で森の魔物を討伐していたに違いない。
「おままごとというのは、たしか演劇のようなものだったと思うのだけれど。まずは配役を決める必要があるのではない?」
青い髪色が鮮やかな、南国の鳥のような男ウィルが、さっそくギリギリいけそうな情報を提供した。
「演劇などやったことはないが……。別の人間を演じるということは、潜入捜査のようなものだろう」
美しいが冷ややかな声で話し出した冬の支配者クライヴが、可愛らしいおままごとから少し遠ざかる。
彼の幼少期の思い出に、おままごとなど存在しない。
「えぇ……何か違う気がするんだけど……」
肯定的ではない声を出したリオは、外見は少しチャラいが子供の頃から意外と真面目だった。
少し大きくなってからも近所の子供の相手を頼まれることがあった彼には、クライヴの想像しているものはおままごとではない、ということが分かっていたが、残念ながらリオは説明が苦手だ。
クライヴにおままごとと潜入捜査の違いを理解させることは出来ない。
遊びのルールが明確化されないまま、クマちゃんから配役発表が行われる。
「クマちゃん」
幼く可愛らしい声は『ルーク、ぱぱ』と言っているように聞こえる。
ルークのことが大好きなクマちゃんらしい人選だ。
可愛らしいクマちゃんの『クマちゃん』という声で、次々と役が決定されてゆく。
パパ役、ルーク。
パン屋さん役、クライヴ。
強盗役、ウィル。
おクマちゃん役、クマちゃん。
おクマちゃんの弟役、リオ。
「なんか変じゃない? なんでおままごとに強盗出てくんの? おクマちゃんて何? 俺弟よりお兄ちゃんがいいんだけど」
何だか忙しそうなリオが、間違い探しのように問題の箇所を指摘する。
「おままごとにも刺激は必要なのではない? それにクマちゃんには性別が無いのだから、おクマちゃんで間違いないと思うのだけれど」
何もおかしいことなど無いと思っているウィルは、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでもないもこもこは、おクマちゃんで合っている、とリオに答えを返すが、『俺弟よりお兄ちゃんが――』については黙殺した。監督クマちゃんが決定したのだから、配役の変更は認められない。
そして強盗役の彼は、難しい顔で「でも彼から物を盗むのは難しいだろうね。パパはずっと家にいるのかな」と、子供だけを狙うゲスな計画を立て始める。
真面目な冬の支配者クライヴは言葉を発することなく、少し開いて座っている足の上に肘を乗せたまま、砥石でナイフを研ぎ始めた。
彼はパン屋の店主のふりをした殺し屋なのだろうか。
リオの戸惑いなど気付かないクマちゃんが、可愛らしい声でお話を始めた。
「クマちゃん」
早速役に入りこんでいるもこもこは、パパの膝の上で優しく撫でられながら、弟であるリオに『リオくん、パン』と言った。
リオ君、パンを買ってきなさい、という意味だ。
いきなり弟を使い走りにするらしい。中々ひどいおクマちゃんである。
「えぇ………………お兄さん、パン一つ下さい」
おクマちゃんに命令された弟リオは、ためらいつつ、目の前でナイフを研ぐ殺し屋のようなパン屋に、パンをくれと声を掛けた。
「準備中だ」
視線をリオに向けない、愛想のないパン屋が氷のつぶてのような声で答えた。殺し屋のような彼はまだナイフを研いでいる。
「えぇ…………何の準備してんのそれ。まじで怖いんだけど……」
お使いに失敗した弟リオはおクマちゃんに「おクマちゃん、パン屋さん準備中らしいよ」と告げる。
納得したらしいおクマちゃんは頷き、幼く可愛らしい声で、
「クマちゃん」
と言った。
もこもこは『ぱぱ、丸い飴食べたい』と言っているようだ。
虎視眈々と狙っていたらしい、リオから賄賂で貰った、綺麗な丸い飴をパパに要求している。
「……ちょっと待ってろ」
ルークパパは珍しくすぐに答えを返さず、もこもこの可愛いおクマちゃんを、自身の膝の上からベッドへ降ろし立ち上がり、すぐ隣にある湖畔の家の方へ歩いていった。
〈クマちゃんお世話セット〉の中に入っている飴を取りに行ったのだろう。
「おや、さっそく怖いパパが居なくなったようだね。ここは強盗の出番、ということかな」
強盗役のウィルが美しく涼やかな声で、爽やかさのかけらもないことを言っている。
一人優雅に自分のベッドで、美しい景色と彼らを眺めていた派手な風采の強盗が、怖いパパの居ない隙に、彼らの住居――おクマちゃんとパン屋の居るベッド――に上がり込む。
鮮やかな青い髪色の目立ちすぎる強盗は、シャラ、と金目の物が鳴る音と共に、パパを待っていたおクマちゃんを抱き上げた。
お花畑に響く、おクマちゃんの幼く可愛らしい「クマちゃん!」という声。
『リオくん、パン!』と聞こえる。
リオ君、パンを買ってきなさい! という意味だ。
「ここで?! パン買ってる場合じゃなくね?」
おクマちゃんに逆らえない、立場の弱い弟リオは「普通助けてとかじゃない?」と言いつつ、目の前で氷の塊をパンっぽい形に削っている、殺し屋風のパン屋に声を掛けた。
「……お兄さん、パン一つ下さい」
おクマちゃんの弟リオは殺し屋のようなパン屋クライヴが製作しているものについて、何も触れなかった。
絶対に魔法で出来るそれを、敢えて削って作るのはどういうこだわりなのか。潜入捜査中のパン屋は魔法が上手くないということか。
「準備中だ」
こだわりの強いパン屋はまだ準備中らしい。
「えぇ……準備長すぎでしょ……じゃあ今家に強盗が来てるんで助けて下さい」
再びお使いに失敗してしまった弟リオは、代わりに、家主の居ない隙に家に入り込み、おクマちゃんの肉球をぷにぷにとさわり、可愛い悲鳴――「クマちゃん!」――を上げさせている強盗の撃退を、顔の怖いパン屋に頼んだ。
「わかった」
一度ナイフの水滴を払う動作をしたパン屋がそれを片付け、殺し屋のような外見によく似合う、黒い革の手袋に包まれた手で、パンっぽい形の氷をもったまま、おクマちゃんをもてあそぶ強盗ウィルに「その手をおクマちゃんの肉球から離せ」と言った。
「うーん……ぷにぷにと素晴らしい感触で、病みつきになってしまいそうだよ。――そうだ、もう少し強盗らしく振る舞ったほうがいいだろうね。……お前らの可愛いおクマちゃんをおハゲちゃんにされたくなかったら、その手に持っているパンをこちらに渡してもらおうか」
異国の鳥のような風采の恐ろしい強盗は、優しい仮面を脱ぎ捨て、可愛らしいおクマちゃんの肉球をぷにぷにとしたまま、目を細め、ニヤリと笑い、野性味のある声で卑劣すぎる要求を突き付ける。
彼のすらりとした、金目の物で飾られた美しい指が、おクマちゃんのもこもこの頭の毛を摘まんだ。
幼く可愛らしい「クマちゃん!」という悲鳴が上がった。
『おハゲちゃん!』と言っている。
意味もそのままおハゲちゃんのようだ。
殺し屋のような顔のパン屋が、パンっぽい形に削った氷の塊を悔しそうに握りしめ、おクマちゃんの頭の毛を引っこ抜こうとする悪漢へ、それを差し出す。
――このままでは、パン屋の一つしかないパンが奪われてしまう。
そのとき、彼らの後ろから無駄に色気のある低い声が聞こえた。
「毛はやめろ」
子供たちとパン屋の危機を察知したパパが、指の長い大きな手に美しい蝶の飴細工を持ち、彼らのもとへ帰ってきた。
森の魔王のようなパパは、派手で目立つ、全身に金目の物を纏った、一番金持ちに見える強盗に人質にされてしまったおクマちゃんと、たった一つの商品を狙われているパン屋を助けに来てくれたのだ――。
◇
「俺の知ってるおままごとと何か違うんだけど」
何かがもやもやし、ぶつぶつと呟いている、先程までおクマちゃんの弟役だったリオにも、ルークパパは蝶の形の飴細工を作ってきてくれた。
いつもはクマちゃんしか可愛がらないルークが、おままごととはいえ子供達を平等に扱ってくれたことに感動したリオだったが、気になるのはそこではない。
はっきりと何が駄目だったのか分からないところがもやっとするのだ。
ルークが作ってくれた素晴らしい出来栄えの蝶々の飴細工に興奮しているクマちゃんは、小さな黒い湿った鼻の上に皺を寄せ、獣のような顔で飴を持っている彼の手を齧っている。
「ねぇリーダー、その美しい蝶の飴細工。僕の分が見当たらないのだけれど」
先程強盗役を熱演していたウィルは、演劇を観るのも嫌いではない。しかしおままごとはしたことが無かった彼は、それがもう少し刺激の少ない、ふんわりとした遊びだと言うことを知らない。――おそらく、これからも知らないままだろう。
可愛くないおままごとが終わると、普段通り南国の鳥のように派手で、涼やかな声の優しいウィルに戻ったが、もこもこの毛を引っこ抜くふりをしたのが良くなかったのか、彼がお願いしてもルークは飴細工を作ってはくれなかった。
おハゲちゃんは駄目だったらしい。
因みに、殺伐としたパン屋さんがナイフで削って作った、パンっぽい形の氷は、クマちゃんがルークにお願いし、溶けないようにして貰い、大切にリュックの中に仕舞われた。
彼らのおままごとを目撃していた冒険者達。
「おままごとって言ってなかったか?」
「隠語だったってことだろ」
「ああ、おとり捜査だろうな」
「クマちゃんが人質なのか――。敢えて一番危険な役を引き受けるとは……やるなあのもこもこ」
「じゃあ俺らは、パン屋の隣に住む一般人役でクマちゃんを手助けするか。――俺父親役な」
「俺も父親」
「オレも」
「えー、じゃあ私母親」
「あたしもママがいい」
「わたしもー」
「私もお母さんがいい」
「えぇーじゃあわたしも母親がいいー」
「家庭環境複雑すぎるだろ」
「一般家庭だっつってんだろ」
「逆に目立つわ」
「確かに」
「気になり過ぎる」
パン屋の隣に父親三、母親五人の複雑な家庭が誕生してしまった。
母親役に立候補した彼女達の中にも、複雑な何かがあるのかもしれない。
何故かぞろぞろと湖へ戻ってきている冒険者達。彼らが戻ってきたのはただの休憩のためか、それとも――。
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