第73話 真面目なクマちゃんからの連絡

 四人と一匹を送り出したマスターは、彼らが部屋へ来る前と同じように背凭れのある椅子に座り、書類――仕事机の上に山積みされている――に目を通していた。

 先程までと違うのは机の上、手の届く場所に置かれたピカピカの木の板。

 それの中央に幼い子供が描いたような、丸い輪郭と耳、目と思われる二つの黒い丸、にっこりと描かれた赤い口、ぼさぼさと描かれたグレーの髪、それと同色の、顔の下の方に描かれたひげのようなもの。

 あの肉球がついたもこもこの、物を持つことが難しそうな可愛らしい手で、一生懸命丁寧に描いてくれたであろうその絵のすべてが愛おしくて、マスターはつい、それに何度も視線を向けてしまう。

 まだ彼らが部屋を出て数分しか経っていないというのにこれでは仕事にならんだろうと、愛しのクマちゃんから貰ったばかりの、素晴らしい贈り物の置き場所を変えるためマスターがそちらへ手をやった時、


『ニャー、ニャー、ニャー、キュオー』


と通信を知らせる可愛い鳴き声が部屋に――隣のギルド職員が居る部屋と扉が無いため廊下にも――響く。

 別れて数分しか経っていない彼らに一体なにが、とマスターは急ぎ似顔絵の下のスイッチを押す。

 すると、板からとても愛らしい、


「クマちゃん」


という声が聞こえてきた。

 この幼い子供のような可愛いらしい声は、間違いなくクマちゃんである。

『マスター、クマちゃん』と言っている気がする。


「ああ。どうした。もう何かあったのか」

 

 マスターは意識せずとも出てしまう、赤ん坊に話しかける時のような極めて優しい声でクマちゃんに答えながら、この場所から立入禁止区画を抜け、酒場の出入り口に着くまでの時間を考た。

 普通に歩いて出て行ったルークの移動速度を考えても、ギリギリ酒場の出入り口あたりではないのか、と。


「クマちゃん」


 愛らしい声は『クマちゃん、お外』と言っている気がする。クマちゃんはお外に出たのだろう。


「そうか。外に出たのか。――問題は起こってないんだな?」


 お外に出たらしいクマちゃんに優しく相槌を打つマスター。

 もこもこ製の通信魔道具から再び愛らしい声が聞こえる。


「クマちゃん」


 クマちゃんが『クマちゃん、元気』と言っている気がする。

 素直で可愛い純粋なクマちゃんは、マスターが別れ際に言った『何かあったら連絡しろ』を極めて真摯に受け止めてくれたようだ。

 今回の〝何か〟は『クマちゃんは酒場から出たよ』ということらしい。


「元気ならいい。こっちのことは心配しなくていいぞ。また何かあったら連絡してくれ。――ありがとうな」


 マスターの、自分の命よりも大事な可愛いクマちゃんは『酒場から一歩出た』と知らせるためだけに今回連絡をくれたらしい。しかし純粋で愛らしいもこもこに『そこまで細かく報告しなくてもいい』と言うことなど、彼には出来なかった。

 魔道具から聞こえる可愛さを凝縮したような声に、仕事中険しさの取れないマスターの表情が、自然と優しくなる。

 

「クマちゃん、クマちゃん」


 クマちゃんの愛らしい言葉は『マスター、ありがと、お仕事がんばる、クマちゃんまたね』というものだった。

 お仕事頑張ってと応援してくれたのだろう。そして可愛いクマちゃんはまた連絡をくれるらしい。

 きっと、あの肉球がついたもこもこの両手でピカピカの木の板を持ち、つぶらな瞳でそれを見つめ、じっとぬいぐるみのようにマスターの声に耳を澄ませ、頷きながら真剣にお返事していたのだろう。その様子を想像するだけで胸があたたかくなり、同時に何故か締め付けられた。

 可愛いもこもことの通信はもう切れてしまったというのに、マスターが考えるのは愛しいもこもこのことばかりだ。

 本当に、その場に居ても居なくても影響力の強いもこもこである。

 マスターは全く気持ちを切り替えられないまま、魔道具を引き出しに入れることを諦め、再び書類に視線を戻した。

  


「クマちゃん何から見たい?」


 リオは、酒場から一歩外に出ていきなりマスターに連絡し始めたクマちゃんに何か言うことも無く、尋ねた。

 ベッドに寝ている人間の周りを水の入った花瓶を持ってウロウロしていた獣を思えば、事細かに行動を報告するくらい何の問題もないだろう。

 彼は、自分の感覚が少しずつ無神経な男ルークに近付いている、という事実に全く気付いていない。


「ねぇリオ。クマちゃんはこの街にどんな場所があるのか、あまり知らないと思うのだけれど」


 ルークの腕の中で彼に撫でられているクマちゃんがリオからの質問に答えず、もこもこのお手々に付いているピンク色の肉球を獣のような顔で齧っているのは、質問に答えられなくて困っているからなのでは、と考えたウィルは、質問内容を変えろという意味合いの言葉を彼に返した。

 

「あーそっか。クマちゃんてまだここ来てそんな経ってないんだっけ」


 リオはウィルに言われるまで、クマちゃんが街に詳しくないということを完全に忘れていた。なんとか子供が好きそうな場所を考えようとするが、すぐには思い浮かばない。


「んー……小さい子が好きなのっていったらおもちゃ屋さんとか?」


 少しの間を置いてなんとかリオが捻り出したのは、おもちゃ屋さんという普通すぎる案だ。

 しかし、ルークの腕の中で肉球に歯を立てていた獣の動きがピタリと止まり、もこもこの口元からスッと肉球が離れた。

 小さな黒い湿った鼻の上の皺も消え、深く頷いている。

 リオの提案はお気に召したようだ。

 先程まで、ストレスを感じた獣のように肉球を齧っていたクマちゃんが急にお行儀よく、お澄まし顔になった。


「赤……小さい子用のがいいんだっけ?」


 かすれ声のうっかり者リオが『赤ちゃん用の店がいいんだっけ』と聞こうとした瞬間、何故か魔王様と冬の支配者と南国の危険な鳥から殺気が飛んできた。

 赤ちゃんは禁句らしい。空気を読んだリオはやや表現を変え、言葉を続けた。――こちらは大丈夫のようだ。

 彼からも殺気を感じたということは、クライヴもあのよだれかけ騒動を知っているのだろう。


「僕たちが前に行ったことのあるお店なのだけれど。体の小さな子が間違って口に入れてしまっても安全な素材で作られているおもちゃのお店があるから、まずはそこへ行ってみるのがいいのではない?」


 ウィルは、幼いが自分のことを大人だと思っていそうな、複雑な生き物クマちゃんのために、そこが赤ちゃん用のお店であるということを伏せ、説明した。

 これならば、もこもこが何の店か勘付いてしまっても、素材が安全だからだと思ってくれるだろう。


 目的地が決まり移動を開始した四人と一匹。

 ルークの腕の中のクマちゃんが、ピカピカの板の下部にあるスイッチに、可愛い肉球が付いたもこもこの右手をスッと伸ばす。

 それをポチッと押したもこもこは、もこもこの両手でピカピカの板を持ち、じっとそこから声が聞こえるのを待っている。

 ――因みに現在地は酒場から出て、十五メートル程の場所だ。


「――どうした? 何かあったか?」


 すぐに板から聞こえてきたマスターの、甘やかすような優しい声に、深く頷いたクマちゃんは、幼く愛らしい声で、


「クマちゃん」


と答えた。 

 内容は『クマちゃん、おもちゃ屋さん』である。

 それを聞いたマスターから、


「そうか、今からおもちゃ屋に行くんだな。――問題は起こってないな? 欲しい物があったらいつでも言えよ。皆から離れないようにな」


と返ってきた。

 先程の『クマちゃんまたね』からものの数分もしないうちに来たもこもこからの連絡に、マスターは『クマちゃんはおもちゃ屋さんに着いた』のではなく『クマちゃんは今からおもちゃ屋さんに行く』のだとわかったようだ。

 優しいマスターの言葉の一つ一つに頷いているクマちゃんが、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言う。

 それは『クマちゃん元気、マスター、おもちゃ、何ほしい?』というものだった。

 クマちゃんはマスターのおもちゃも買うらしい。

 もこもこの両手でピカピカの板を持つクマちゃんは、ぬいぐるみのように動かず、ただマスターの声が聞こえてくるのを待っている。 


「…………俺の分はいいから、欲しいもんがあったら好きなだけ買ってこい。――困ったことがあったら、すぐに連絡しろよ」


 マスターからの返事は少しだけ遅れ、小さな笑い声が聞こえた後、最初よりももっと優しい声でクマちゃんの可愛らしい質問に答えた。

 渋くてかっこいいマスターの声を聞いたクマちゃんは、最初だけ頷かず、その後二回頷いて、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言ってスイッチをポチッと押し、通信を切った。

 今回のクマちゃんからの報告も『マスター、ありがと、お仕事がんばる、クマちゃんまたね』で締められた。



 マスターへの報告を終えたクマちゃんは、ルークに優しく撫でられながら考えた。

 先程クマちゃんが『マスターはどんなおもちゃが欲しいのですか?』と聞いたのに、彼は『俺の分はいい』と言った。

 何故なのだろうか。

 真剣に考えたクマちゃんは、ハッとなった。

 クマちゃんも、リオに『クマちゃん何から見たい?』と聞かれたのに、よくわからなくて困ってしまったのだ。

 静かに考えているうちにウィルがリオに何か言って、リオがクマちゃんに『おもちゃ屋さん』と言ったのだった。

 マスターも、おもちゃ屋さんに何があるのか分からなくて、困ってしまったのだろう。

 そういえばクマちゃんも、何を売っているのかよくわからない。

 素敵なおもちゃが見つかったら、マスターに教えてあげればいいのだ。

 そうしたら、マスターも『そのおもちゃが凄く欲しい』と言うに違いない。

 うむ、マスターが凄く欲しくなるように、クマちゃんが上手に説明してあげよう。



「マスター俺らと話す時と声違いすぎじゃね? あれマスターの偽物だと思うんだけど」


 クマちゃんとマスターの心温まる交流にいちゃもんをつけるリオ。


「うーん。偽物と言いたい気持ちもわかるけれど。クマちゃんの魔道具を使っているのだから本人なのではない?」


 ウィルはマスターの声質ではなく、もこもこ製のアイテムを持っているかどうかで判断した。


「さぁな」


 可愛いクマちゃんの、もこもこの可愛い頭を撫でているルークが、低く色気のある声で適当過ぎる返事をする。


「あの魔道具は誰にでも使えるものなのか」


 本人以外でも使用できるのかということが気になったクライヴ。

 会話中でも視線はルークの腕の中にいるもこもこに固定されている。


 

 こうして四人と一匹のお出掛けは始まった。

 そして、酒場で仕事をしながらクマちゃんの通信販売に強制参加することになってしまったマスター。

 通販ショップ店員クマちゃんは、冒険者ギルドのマスターに、一体どんなものを売りつけるつもりなのだろうか――。

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