第62話 クマちゃん占いの結果

「あ。リーダーもうすぐ着くっぽい」


 こちらへ向かっているらしいルークの魔力に気が付いたリオが言う。

 待つ間、クライヴ曰く重要らしいこの場所をもう一度確認するため、辺りを見回す。

 最初に目に入ったクマちゃんの杖――泥まみれの靴の前に放り出されていた――を拾い、そこにある靴を見たが、魔力を感じるようになった、ということ以外、どんな能力のアイテムなのかは判らなかった。

 酒場に持って帰って調べてもらう必要がありそうだ。

  

「靴がこんな離れて落ちてんのはおかしい……」


 今彼らが居る場所は洞窟の通路だ。行き止まりや人工的につくられた部屋ではない。壁も地面も、見比べることが出来ないため確実ではないが、元居た場所との大きな違いは見当たらない。

 となると、やはり気になるのは遠く離れ落ちていた靴。

 リオは思った。もしや、意識のない人間を誰かが――。


「それの持ち主が殺された可能性はあるが、その靴がいつ頃使われていたものか分からない。――数百年以上前だとして、あの酒場には行方不明者の記録など残っていないだろう」


 クライヴはリオが言葉にするのをためらったことに気付かず、はっきりと言った。

 しかし、腕の中の可愛らしいクマちゃんがつぶらな瞳をクライヴの顔へ向けたのを感じ、


「――だが、過去にこの場所にモンスターがいた可能性はある。人間が殺したのではないかもしれない。誰かが通行途中に落としただけならわざわざ話し合うようなことでもない」


彼は会話の内容を大幅に修正した。

 このような心優しき生き物の前でする話ではなかった。人間同士の醜い争いの話など、まだ幼い、純粋なもこもこに聞かせていいものではない。

 残酷な話は、可愛らしい、愛しいもこもこが居ない所でするしかないだろう。



 ルークが後方の冒険者達を置き去りにしないよう注意を払い、愛しのもこもこのもとへ駆けていると前方に、クライヴに抱えられたもこもこが見えた。

 可愛らしいクマちゃんは怪我もなく、小さな黒い鼻の上に皺を寄せ、クライヴの手袋を齧っているらしい。今は落ち着いているようだが、急に人が減って少し不安になったのだろう。

 彼は最後尾にいる冒険者からもこもこ達の居る場所までに分岐がないことを確認すると、すぐに移動速度を上げた。



「リーダーはやっ。別れてから二十分も経ってないと思うんだけど」


 風のようにフッと自分達の前に現れた美しい森の魔王のような容貌の男へ、リオが声を掛ける。

 薄暗い場所で、フワリ、フワリと光が舞う蔦のランプに照らされた、端麗だが、ほぼ無表情でクライヴの腕の中のもこもこへ視線を向けるルークは、ますます人ならざる者のようだ。

 世界征服でもできそうな強大な魔力、整い過ぎて人外めいた近付き難い容姿を持つ男が、逃げ場のない暗い洞窟の中、一瞬でこちらへ近付いてくるなど恐怖でしかない。


 リオは思った。知り合いじゃなかったら全速力で逃げている。黒い服も怖い。


「何かあったか」


 失礼なことを考えているリオに気付かず、もとい気付いていたとしても気にしないルークが彼らに尋ねる。

 可愛らしいもこもこが魔法を使ったことを考えると、リオの後ろにある、泥と苔、枯れ葉などで形以外は判らない、魔力を感じる靴が今回の転移の原因だろう。

 ルークは泥で隠れたそれに視線をチラリと流し、彼らの答えを待った。


「今のところそれ以外に見つかったものはない。持ち帰り調べればこのアイテムの効果は判るかもしれないが、この場から動かすことで何らかの情報が失われる可能性もある」


 クライヴがリオと話し合った内容をルークへ伝える。あとはマスター達が来てからでいいだろう。

 ルークに会えて喜んでいるもこもこを最後に抱きしめ、何度か頬を撫で、目の前の彼へ、可愛いクマちゃんを返した。



 クマちゃんが一生懸命クライヴの黒い手袋を齧っていると、大好きなルークの声が聞こえた。

 恐ろしい罠が隠してしまったルークは、クライヴが言っていた通りすぐに帰って来られたようだ。

 少し真面目な話をしたあと、クライヴがクマちゃんを抱きしめ、優しく撫でてくれる。

 クマちゃんは怖いこともなかったし、ちゃんとルークにも会えた。

 護ってくれてありがとうという気持ちで、黒い手袋にクマちゃんの鼻をくっつけてふんふんする。


 クライヴはクマちゃんをルークの腕の中にそっと戻してくれた。

 うむ、とてもぴったりとはまる。素晴らしい。

 ルークの大きな手で優しく撫でられながらクライヴを見ると、なんとなく、寂しそうにみえた。先程のクマちゃんと同じで、抱っこしてほしいのかもしれない。

 暇そうなリオはクライヴを抱っこ出来ないのだろうか。でも、クライヴは大きいから難しいような気もする。

 クマちゃんは小さくてクライヴを抱っこすることは出来ないから、かわりに手を握ってあげよう。


 クマちゃんはクライヴへ向け、ピンク色の肉球がついたもこもこの手を差し出した。


 

 クライヴがクマちゃんの肉球の付いた手を、厳しすぎる表情で優しく握っていると、


「無事だったみてぇだな。まぁ元々、敵の気配もないここで、そんなに心配することもないだろうが」


と渋い声が聞こえた。

 マスター、ウィル、冒険者達も合流できたようだ。


「それが今回君たちが急に転移した原因かい? ――ああ、古代のアイテムのようだね」


 結構長い距離を走ったはずのウィルは、いつもと変わらず、涼し気で透明感のある声でリオ達に声を掛けた。

 彼は見かけによらず体力も相当ある。普段は魔法で戦っているが、実は前衛でも戦えるウィルは、魔法を使っても使わなくても建物に穴を空けることができる。

 当然他の魔法使いはそんなことは出来ない。

 リオが時々ウィルを怖がっているのはそのせいでもあった。前衛で戦うときの彼は少し、過激な面が増す。

   

 

 遅れて到着した冒険者達は苔の上に転がっている。 


「無理……もう無理……」

「…………戦闘のがまし……」

「つらい……ぐふ……俺はもうだめだ……」

「……早すぎ、いや……もういっそ……置いて行ってくれたら……よかったのに……」

「わかる……」

「……ほんと……それ……」

「…………訓練なの? ……これ……特別訓練だった?」

「……お前……鼻息……うぜぇ……あっちいけ……」

「…………もっとかけてやろうか……」

「俺……もう……動けないから……ここで寝る……」

「オレ……も……」

「……馬鹿、苔、生えるぞ……」

「確かに……」


 移動中に苦しい目にあったらしい。彼らは弱っていた。


 

「あー。そうだな。それじゃここに目印を置いて、その靴はギルドで調べる。思った以上にこの洞窟はデカい。一日で調べられるような場所じゃねぇ」


 顔に暗い影が落ち、通路に転がる冒険者達を見たマスターが、ルーク達との会話の最後にそう言った。

 冒険者達を護衛につけ、ギルド職員の中で歴史や古代のアイテムに詳しい人間に洞窟内を調べさせる必要がある。

 戦闘が専門の冒険者達に調査は向いていないのだ。絶対に情報を見逃し、大事なアイテムをそうと気付かず壊すだろう。 

 靴をこの場から動かすことに抵抗がないわけではないが、ここへ調査する人間を連れてきても設備が整っていないこの場所では、出来ることが限られる。


「俺何も持ってきてねぇけど、魔石とかでもいい?」


 リオがルークへクマちゃんの杖を渡し、道具入れから魔石を二つ取り出し靴の横へ置いた。 



 クマちゃんは道に転がる冒険者達のうめき声を聞き、大変だ、と思った。

 皆が苦しんでいる。

 やはり、罠になにかされてしまったのだろう。

 リュックの中の元気になる飲み物は数が少ない。早く湖に戻り、治療をしなくては。


 クマちゃんはルークを見つめる。

 すぐに気が付いてくれたルークが、杖をクマちゃんに渡してくれた。


 黒い湿った小さな鼻にキュッと力を入れ、湖を思い浮かべクマちゃんは杖を振った。 



「あぶなっ。結構ぎりぎりだったんだけど」


 リオが泥だらけの靴を嫌そうに持ったのと、クマちゃんが杖を振ったのはほぼ同時だった。

 せっかくの重要かもしれないアイテムを洞窟に置いてくるところだった。


「うっかり忘れてきても洞窟は近いのだから問題ないのではない? ここからなら走れば一時間以内に先程いた場所まで行けると思うのだけれど」


 シャラ、と腕の装飾品を鳴らし、髪を軽く整えウィルが言う。

 彼の言う時間は、リオやウィルが走った時の速さを基にしたものであって、他の冒険者に『近くの洞窟からあれを二時間以内に持って帰ってきて』などと言えば、それはいじめでしかない。  

 

「ああ。あいつらのようすを見て連れ帰ってくれたのか。お前はほんとうに可愛くて優しいな」


 マスターは重要な靴がどうなったかよりも、可愛らしく心優しいもこもこが皆を想い、楽しんでいた冒険を中断し、湖へ連れ帰ってくれたことを褒めている。

 

「じゃあ俺はこれを奴らに渡してくる。お前らは休んでろ」


 クマちゃんに転移で運んでもらい、今度は花畑に転がっている冒険者達にマスターが声を掛ける。

 そして、ルークの腕の中のクマちゃんを優しく撫でながら「ん? 体温が戻ったか? クライヴが抱いてたからか」と言って安心したように笑い、リオから靴を受け取り展望台の方へ歩いて行った。

  

「なんかめっちゃ汚れたんだけど。風呂行かない?」


 泥だらけの靴のせいで汚れたリオは、自分が今日何度風呂に入っているのか忘れてしまったように言う。


「君がそれでいいのなら、構わないけれど」


 ウィルは人体は浄化しすぎてもよくないのではないか、と思ったが、クマちゃんの温泉の癒し効果でなんとかなるだろうと、それ以上何も言わなかった。


「ああ」


 可愛らしいもこもこの体温が元に戻ったことで安心したルークは、今ならば風呂へ行っても問題ないだろうと、いつものように抑揚の少ない色気のある声で一言返した。


 

 小さい方の露天風呂へ来た四人と一匹。


 クマちゃんはお花のシャワーの下で、ルークの大きな手に泡でもこもこされながら考えていた。

 うむ。皆で冒険した後のお風呂も大変素晴らしいものである。

 少し泥で汚れてしまったクマちゃんを、真っ白に戻してもらわねば。

 こちらをじっと見ているリオに視線を合わせ、うむ、と頷く。クライヴもこちらを見ているが、彼はクマちゃんの顔ではない所を見ている気がする。

 頷き返すリオを見て思う。

 リオは見た目が少し変わったような気がするが、問題ないのだろうか。

 なんとなく見覚えのある色だ。とても良い色である。



「そういえば君、その目は大丈夫なのかい?」

 

 頷きあっている一人と一匹を微笑ましく見守っていたウィルがリオに尋ねた。   

 

「え? 何が? どういう意味? すごい気になるんだけど」


 質問の内容に不安しか感じない。唐突に何を言い出すんだこの男は。

 リオは警戒している。


「問題ないみたいだね」


 何を言われているのか分からないのなら問題ないのだろうと、自己完結するウィル。


「ああ」


 一応は気にしていたらしいルークも、リオの返事を聞き安心したようだ。


「いやいやいやいや、ちょっとまって。目って何のこと?」


 本人が納得していないのに何故話は終わったという雰囲気なのか。

 気になってしょうがないリオは食い下がる。


「気が付いていなかったのか? しかし、違和感がないのなら気にする必要もないだろう」


 クライヴは他人事だからそう言っているわけではない。

 本気でそう思っている。自分が同じことになってもそう言うだろう。

  

 もこもこの泡が流されてほっそりとしたクマちゃんも頷いている。

 クマちゃん的にも問題ないらしい。


「えぇ……。なんか信用出来ないんだけど……」


 戦闘では信用出来るが、何故か他のことになると信用しにくい彼らが何度『問題ない』と言っても、安心出来ない。

 しかし、確かに目に違和感など無いし、何ならいつもよりも遠くまでよく見える気がするくらいだ。

 元々視力はいい方なのでよくわからないが。


 リオはもう一度クマちゃんを見た。

 濡れてほっそりしたクマちゃんが頷いている。

 彼は思う。奴が一番信用出来ない――。

 


 風呂から上がったリオは当然のように走って鏡のある場所へ移動しようとし、自室が暗いことを思い出したが、他に行く当てもなく洞窟のような部屋へ戻った。

 先程洞窟から帰ってきたばかりなのに、何故また洞窟のような部屋へ戻らなければならないのか。

 

 ドアを開け中へ入ったリオは、不思議に思った。

 いつもよりも明るい。

 凄く明るいというわけではないが、なんとなくそう感じた。  

 いや、それよりも鏡だ、と室内よりさらに暗いはずの洗面所の鏡の前へ行く。


 こちらも何故かいつもより明るいが、それどころではない。

 ルークではないが、今は部屋の明暗などどうでもいい。


「え。なにこれ」


 久しぶりに鏡を見たリオは驚いた。髪が妙にキラキラと輝いている。そちらも気になるが、それよりも気になるのは目だ。

 とても見覚えのある色だ。

 左目だけ青とピンクっぽい。右目は元々の琥珀のような色だが、左はどうした。

 そしてリオは思い出す。クマちゃん占いでカードを引いた後のことを――。

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