第63話 〝おめでたい〟を表現するクマちゃん
湖畔の家でクマちゃんに占いをしてもらったリオは、怪我をした冒険者に牛乳を飲ませ、回収した瓶と木の実を持ち、露天風呂へ向かった。
大雑把な冒険者が飲んだそれは底のほうに少し牛乳が残っていたが、リオも大雑把なため全く気にしていなかった。
リオは、ガサ、と入り口の葉を払い、輝く牛乳瓶と木の実を、露天風呂を囲む石の比較的平らなところへ置く。
それは、瓶の口に丸い木の実を乗せる、という良くない置き方だった。
既に傾いている瓶と木の実が『もうすぐ私たちは倒れますよ』と言っている。
リオは入り口付近へ適当に脱いだ服を放り、光るお花のシャワーで汗を流したあと、露天風呂に入ろうとして、
「あ、やべ」
先程石の上に置いた、息も絶え絶えな彼らを、軽く蹴とばした。
リオにとどめを刺された彼らが露天風呂の中へ『アッ……』と落ちる。
何故か一瞬輝きの増した露天風呂。
いつもは青っぽく光っている水面は、所々綺麗なピンク色になった。
不安定な場所に〈良くない置き方〉で怪しい物を置いたせいである。
「…………色やばい」
リオはピンクの水玉模様が出来た露天風呂を見て、やばいと思った。
いかがわしい見た目の風呂だ。
皆が楽しみにしている露天風呂になんてことを。
このまま放っておいたら、あのやばい木の実の本体、灰色の水玉も浮かんできてしまう。
長い手を伸ばし、水玉に浮かぶ輝く牛乳瓶を回収する。
しかし、色はついているが透明度の高い温泉の中に落としたはずの木の実が、何故か見当たらない。
とにかくピンク色の水玉をどうにかしようと周囲を見回すと、温泉が出ているクマちゃんのツボの横に、誰かが置いて行った木の桶がある。
「…………」
無言でそれを鷲掴み、手前のピンクを掬うが、色が消えない。水玉は減らなかった。
リオは考える。
この瓶に、良い感じに掬いたい水だけ掬う、便利な機能はついていないだろうか。
桶を持つ反対側の手に、輝く牛乳瓶を持ち、再度ピンクの水玉に挑んでいる時、ガサ、という音と微かな殺気を感じたが、それどころではないリオはそちらを向かなかった。
「……もういい……このまま入る……」
ピンク色の水を掬う作業を止め、リオはそのまま風呂に入ることにした。
減らない水玉に心が折れてしまった。
クマちゃん牛乳も、野菜ジュースも、効果は数時間で切れるのだから、この温泉に入って何かが強化されても特に問題はない。
木の実だけを食べたときの『ぁぁぁ……』という記憶のおかげで、体がこの風呂を拒否しているが、自分が確認しなかったせいで他に被害者が出たら困る。
「……痛くない」
意を決して入ったわりに、ピンクの水玉温泉はいつもと変わらず適温で、おかしな刺激もなかった。――変なのは色だけだったらしい。
警戒を解いたリオは、いつも通り光る花や、葉の隙間から見える美しい景色を眺め、露天風呂を堪能したのだった。
◇
「そういえば、上がる時ピンクが無くなってた……」
鏡の中のキラキラ輝く金髪と、見覚えのある色になってしまった左目を観察しながら、露天風呂でのあれこれを思い出していたリオが呟いた。
あの時もしかしたら、ピンク色の水玉だけでなく、青い水玉も浮かんでいたのだろうか。
元々の温泉が青く光っているせいで、そちらには気が付かなかった。
「やばい木の実の色……」
リオはぶつぶつ言っている。
青からピンクへと滑らかに色が変化している瞳は、珍しく美しいものだったが、残念ながらリオにとっては〝やばい木の実の色〟でしかなかった。
◇
酒場で夕食を食べる四人と一匹。
クライヴは隣のテーブル席の、可愛いクマちゃんが良く見える場所に一人で座っている。
遠慮しているわけではなく、習慣のようなものだ。
「もしかして鏡を見てきたの? 問題なかったでしょう?」
ウィルは、何故か難しい顔をしているリオに透き通った声で尋ねる。
美しいものが好きな彼は、リオの瞳の変化を見ても『美しくなってよかったね』という感想しか出てこない。
「いや、確かに問題はないんだけど……」
リオはウィルに答え、目を細めた。違和感がないか確かめているのだ。
「能力は」
低く色気のある、抑揚の少ない声がリオに尋ねる。
ルークはやさしい味付けの豆のポタージュを小さ目のスプーンで掬い、可愛らしいぬいぐるみのように膝の上に座るクマちゃんの、もこもこの口元へスッとそれを運んだ。
クマちゃんは、チャ、チャ、と口に入れたそれを味わっている。どうやらおいしいらしい。
ご馳走を食べているときの猫のような口の動きだ。
「能力……。違うかもだけど、暗いとこでも明るく見えるかもしれない」
リオは考えるようにルークに答えた。他の人がどう見えているのか分からないため、間違っているかもしれない。
どこかの暗闇でルークに『この部屋って何も見えないくらい暗い?』と聞いても『見えなくはねぇ』と言われるだろう。ウィルも『見えないほどではないのではない?』と言いそうだ。この二人とでは確かめられない。
リオが『暗いとこでも明るく見える』と言ったとき、クマちゃんの口がもふっとなった。
「なにその反応。なんか良いこと聞いたみたいな」
リオは警戒した。クマちゃんが喜んでいるということは、何かがクマちゃんの思惑通りになった、ということではないのか。
まさか、自分が不安定な場所に瓶を置き、それを蹴るところまで、すべてがクマちゃんの手のひら、もとい肉球の上で踊らされていたのでは――。
占い師クマちゃんは肉球の上で誰かを踊らせるような、悪質な占い師ではない。
クマちゃんが喜んだのは、リオが『明るく見える』と言ったからだ。
リオは、皆で初めてお出かけした日に、真っ暗な部屋の中で言った。
『俺も明るい部屋がいいんだけど……』と。
その時を思い出し、クマちゃんは喜んだ。木の実色の綺麗な目には凄い能力が付いたらしい。
加湿器を作った時は、リオに喜んで貰えなかった。次はもっと効果の高いものを作ってあげたいと思っていたのだ。
一つの部屋を明るくするよりも、どこでも明るく見えるほうが便利だろう。
とても良いことだ。うむ、とクマちゃんは深く頷いた。
ルークにもこもこのお口の周りをふわふわと優しく拭かれながら考える。
リオはまだ『やったー! 明るくなったよ!』と喜んでいない。きっと、はっきり効果が分かったわけではないからだろう。
しかし自分にはわかる。クマちゃんがリオの願いを叶えたいと思った時の気持ちが、あの占いに表れたのなら、あの目の能力は〈暗い場所でも明るく見える〉で正解だ。
他にも何かあるのかもしれないが、そっちはよくわからない。
今すぐクマちゃんが〝おめでとう正解です〟という気持ちを伝えたら、リオは『やったー! これでもう部屋が暗くないよ!』と大喜びするに違いない。
お上品にお食事を終えたクマちゃんは、ルークをつぶらな瞳で見つめ、うむ、と頷いた。
ルークがクマちゃんに開いたリュックを見せてくれる。
「何? 今度はなにすんの?」
リオはまた、警戒した声を出した。
クマちゃんがルークの膝の上に座ったまま、リュックからカスタネットを取り出し、ピンク色の肉球に乗せる。
ルークがスッとリュックを椅子の背もたれに引っ掛けた。お片付けも完了し、あとは皆でクマちゃんを見守るだけだ。
クマちゃんがリオの素敵な色の瞳を見つめ、カスタネットを叩き出す。
カチカチカチ、カチカチカチ、カチカチカチ、カチ、と三、三、三、一の拍子で鳴らし、
「クマちゃん」
と可愛らしい幼い子供のような声で言う。
そしてそれを繰り返し始めた。
カチカチカチ、カチカチカチ、カチカチカチ、カチ「クマちゃん」カチカチカチ、カチカチカチ、カチカチカチ、カチ「クマちゃん」
「いや全く意味わかんねーんだけど! なんで俺見てやるのそれ」
クマちゃんに見つめられているリオは、もこもこが自分に何を伝えたいのか考えようとするが、妙にリズミカルなそれと、可愛いクマちゃんの声に思考の邪魔をされる。
もこもこのお手々がカスタネットを叩く様子はとても可愛らしいが、とにかく意味がわからない。
「なんだかおめでたいような気持になるね。もしかして、リオの目に素晴らしい能力がついて良かったと伝えたいのではない?」
音楽を好むウィルにも聞いたことのない拍子だったが、クマちゃんが喜んでいるということは理解できた。
「よかったな」
ルークにはクマちゃんの言いたいことがわかるらしく、カチカチカチという音が鳴るなか、リオに祝いの言葉を伝える。
クライヴもクマちゃんを見ながら頷いている。
「えぇ…………」
納得がいかないが、肯定的ではない声を出したあと、ルークがくれたお祝いの言葉に一応「ありがとう……」と返す。
そしてリオは、クマちゃんのリズミカルなカスタネットと、可愛らしい「クマちゃん」という声を、もこもこと見つめ合ったまま、聞き続けたのだった――。
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