第53話 クマちゃんのあたたかい絵

 新米画家クマちゃんは、手に入れたばかりのスケッチブックにほとばしる情熱を注ぎ込んでいた。

 明るい色合いの十六色のクレヨンを使い、一生懸命〝あたたかいもの〟を表現する。



 これでは足りない。もっと、もっとあたたかさを表現しなくては――。



 キリリとした瞳のクマちゃんは、先程ルークに洗って貰ったばかりの、クマちゃん自慢の真っ白で可愛いふわふわの被毛がクレヨンで汚れても、気付きもせずに肉球のついたお手々を大胆に動かしていた。



「クマちゃんすげぇ集中してるじゃん。口の周りもふっとしてね? あと床にはみ出してんのめっちゃ気になるんだけど」


 リオはまだクマちゃんの描いているものが何なのかわからない。話をしている最中も真剣に考えているのだが、絵よりも絵を描いているもこもこが気になってしまい思考がまとまらない。


「そうだね、とても可愛らしいね。……クマちゃんの絵は大胆なところも魅力のひとつだと思うよ」


 一見上品な男ウィルは、たとえ、クマちゃんが急にスケッチブックの上で丸くなって寝てしまっても『そういう芸術なのではない?』と言ってしまうほど大雑把だ。――美しいものが好きなウィルは真っ白で可愛いクマちゃんにも大分評価が甘い。


「……あのクレヨン。あいつの体に影響は」


 ルークはクマちゃんの可愛いお手々に付着したクレヨンの原材料が気になっている。たまに肉球をぺろぺろしているクマちゃんが、真っ白で無くなった手に気付いた時、舐めてしまわないか心配だ。


「ん? ――ああ、そうか。それは確かに心配だな……。だが、今中断させるのは可哀想だろ。あれが描き終わったら手を洗ってやれ。その間に、俺がギルド職員に聞いてくる」


 ルークに聞かれ、すぐに彼の言いたいことに思い当たったマスターが答える。あのギルド職員はあれをどこで買ってきたのか。赤ちゃん用品の店だといいが。

 

「…………」


 ルークとマスターの会話を聞いていたクライヴは心配から、さらに険しい顔になってしまっている。

 おそらく、この顔を外の冒険者が見たら、魔物化したのではないかと騒ぎ出すだろう。



 皆がそれぞれ話したり心配したりしている間に、クマちゃんが深くゆっくりと頷く。

 完成したのだろうか。

 それで完成なのだとしても正解者はルーク一人だけだろう。

 しかし、クマちゃんはスケッチブックのページを一枚めくり、黄色で円形を描き始めた。

 なんと新米画家クマちゃんの作品は一枚には納まらない大作だった。


「やべぇ二枚目いってんじゃん。最初の絵わかんなかったのに……いや、今描いてんのもわかんねぇけど……」


 大作の予感に動揺するリオ。

 何もわからないまま二枚目に入ってしまった。


 ――リオが再び口を開こうとした時、クマちゃんが、そっとクレヨンを置き、また頷いた。

 そしてリュックから杖を取り出し、スケッチブックを引きずってどこかへ行こうとする。


 それを見ていたルークが、当然のようにクマちゃんの手からスケッチブックを抜き取り、杖を持つ可愛いもこもこを抱き上げドアへ向かう。

 

「え。何? どういうこと? 絵は? どこいくの?」


 何が起こっているのか全くわかっていないリオが、クマちゃんとスケッチブックを持ったまま外へ行こうとするルークに尋ねる。

 リオも完成したクマちゃんの絵が見たい。何が描いてあるか分からなくたって、クマちゃんの最初の作品を見ないまま仕事に行くわけにはいかない。


「外だ」


 色気のある低い声が、あたりまえだろ、とでも言うように返し、ルークは可愛いクマちゃんと共に外へ消えた。


「えぇ……スケッチブック置いてってよ……」


 何故スケッチブックまで持っていってしまうのか。かすれた声で文句をいいつつ、リオは彼らを追いかけた。


「クマちゃんには外で何かやりたいことがあるのだろうね」


 独り言のように呟いたウィルは装飾品を、シャラ、と鳴らして立ち上がり、彼らの後に続きドアを開ける。


「マスター達も行くでしょう?」


 ウィルはドアを開けたまま少しだけ振り返ると、すでに立ち上がっていた彼らに声を掛け、三人でクマちゃん達を探しに外へでた。



 ルークは家を出てすぐのところに立っていた。一応皆を待っていてくれたらしい。

 風に吹かれる銀の髪は、キラキラと輝いている。切れ長の目の、日に透かした若葉のような色の瞳が、チラリと彼らに向けられた。

 服さえ黒くなければ、湖面に揺れる光を背景に立つ彼は精霊王か何かのようだ。

 

「クマちゃん何やんの?」


 広げて敷かれたふわふわな布の上に、もこもこの可愛いクマちゃんが杖を持って座り、その前にスケッチブックが開いた状態で置かれている。

 もこもこクマちゃんはリオ達に背を向け、最初に描いた方の絵を見ているようだ。


「クマちゃんが杖を持っているなら、魔石も使うのではない?」


 リオの斜め後ろ、少し離れて立っていたウィルが透き通った声で彼に言う。

 それが入った袋を持っているのがリオだからだ。


「……まさかリーダー俺達を待ってたわけじゃなくて俺が魔石持ってくるの待ってただけなんじゃ……」


 リオはうっすらとそんな事を考え、呟いてしまったが、いや、そんなはずはない。

 きっと待っていてくれたのだ。と、彼は自分の心に優しい方の考えを尊重することにした。

   


 ルークがリオから受け取った、雪色のリボンで口を閉じられたクマちゃんの魔石袋は、杖を持つもこもこの前に広げられているスケッチブックの横にそっと置かれた。


「なんかお供物みたいになってるんだけど」


 高級なふわふわの布の上に並べられた幼い子供が描いたような絵と、繊細なリボンで飾られた魔石が詰まった袋、真っ白な杖をもつ真っ白なクマのぬいぐるみ。

 すべてが湖へのお供え物のようだ。――その場合受け取りに来た精霊王がルークだろうか。



 リオがそんな失礼なことを考えているとは知らず、クマちゃんはとても真剣だった。湖の前で日向ぼっこをしているのではなく、真剣に悩み、考えていたのだ。

 今からすることは、あの白い本には載っていなかったことだ。

 成功するかもわからない。素材となるものがこれしかない状態で実現できるだろうか。

 しかし、寒さに震える皆をこのままにしてはおけない。


 自分の横に杖を置いたクマちゃんは、もこもこの手で雪色のリボンをほどき、袋から魔石を取り出す。それは、カチャ、カチャ、と音を立てスケッチブックの上に積み上げられていく。



「一体何を作るつもりなのだろう……。あの量の魔石を一度に使うことは、大きな魔道具であってもあまりないと思うのだけれど……」


 今までに無い量の魔石を使おうとしているクマちゃんに、ウィルが驚いたように呟く。


 マスターは腕を組み、片方の手で顎髭をさわりつつクマちゃんを見守っていた。

 問題があるならルークが止めているはずだ。可愛いもこもこに危険はないだろう。それさえわかっていれば、心配する必要はない。


 クマちゃんが作るものは人間の自分には計れないものだと考えているクライヴは、ただ静かにクマちゃんの不思議な魔法が発動するときを待っている。

 あの可愛らしく心優しい生き物の望みを叶えられるなら、クライヴは何度でも魔石を取ってくるだろう。



 準備を整えたクマちゃんは、もこもこの両手で杖を持ち立ち上がる。


 クマちゃんは小さな黒い湿った鼻にキュッと力をいれ、願いを込めて杖を振った。

 


 湖の周りに次々と白い花が咲いていく。花には淡く光りが宿り、そこから輝く幻影のような蝶がふわりと飛び立った。



 湖畔は暖かな空気で満たされ、奇跡のような光景を目にした人々の歓声が上がる。

 先程まで寒さで震えていたはずの冒険者達は、湖や湖畔のあちこちで瞬く光の蝶に驚喜し、目の前をそれが横切る度、夢見心地でそれにふれた。



「……なにこれ……」


 急に暖かくなった空気と、ふわり、ふわりと舞う光の蝶。絨毯が敷かれるように咲いていった白い花。

 いつもはうるさく騒ぐリオが、驚きで静かになった。


「…………」


 ウィルは何も話さず、ただこの美しい光景を目に焼き付けるように見つめていた。

 美しいものが大好きな彼は、しばらくこの場所から離れることはないだろう。

 ――このままだと仕事に行かないかもしれない。


 マスターは可愛らしく愛おしいクマちゃんが起こした美しい奇跡に、色々な意味で感動していた。

 初めにここに魚を釣りに来た時は、美しいが、何も無い湖で一人と一匹だけだったのだ。小さな魚すらまともに釣れなかった。

 それからたった一日で、酒場で暮らす仲間たちが笑顔を浮かべ、皆で奇跡の光景に歓声を上げている。


 クマちゃんが起こした奇跡に心から感動したクライヴは、目を細め小さく呟いた。


「――素晴らしい」


 しかし、今の彼の顔は、誰が見ても悪巧みしている悪役の表情だった。

 遠くで「ヒィ」と風が吹いた。


 ルークは愛らしいもこもこが起こした奇跡に感動しつつも、早く抱き上げて撫でたい衝動をこらえていた。

 しかしまだ抱き上げるわけにはいかない。

 可愛らしいもこもこのクマちゃんが、もう一枚、スケッチブックのページを開き、魔石を積み上げているからだ。



 クマちゃんは、自分の願いが叶い、皆が喜んでいるのを見て安心していた。ちゃんと空気も暖かくなった。クマちゃんのリボンのような形のあの蝶々にふれれば、もう少しポカポカするはずだ。

 先程の方法が使えるなら、もう一つのつくりたいものも出来るだろうか。

 元になる素材というのがクマちゃんの描いた絵でいいのか分からなかったが、クマちゃんのつくりたいものを形にするには、拾ったり買ったりしたものでは足りない。

 今回つくったものは、はっきりとした形のあるアイテムではなかったから、成功するかとても不安だった。

 


 もうひとつのものは、もっとたくさんの魔石がいるだろう。

 きっと皆の役にたつはずだ。

 もしかしたら、敵だって倒せるかもしれない。


 クマちゃんは、うむ、とひとつ頷き、袋のなかの魔石をまとめてスケッチブックに載せた。



「え? なんかクマちゃんやべーことしようとしてない? 全部は良くないんじゃないの?」


 リオが感動し、美しい光景を見ている間にクマちゃんがなにやら不審な行動をとっていたようだ。

 今度は一体何をつくろうというのか。止めなくていいのだろうか。



 集中したクマちゃんのもこもこの耳には、風のささやきは届かない。

 今後何があっても皆を凍えさせたりしない――。

 口元にキュッと力を入れ、もふりと膨らませたクマちゃんは、願いを込めて杖を振った。



 空に大きな、黄色い球体が浮かんでいる。

 その黄色い球体は空に浮かんでいても地上を暖かく照らす。


 まさかあれは、太陽――と思ったリオの耳に球体から、

 

「ニャー」


という声が聞こえてきた。 

 

「いや、意味わかんねーんだけど」


 よく見ると、黄色い球体には猫のような顔と前足がついており、口が少し開いたときに「ニャー」と聞こえるようだ。

 

「……いや、まじで意味わかん」「ニャー」「ねーんだけど」


 地上を暖かく照らす猫顔の太陽は、ふよふよと上空を漂い、ニャーと鳴きながら森へと進んでいく。

 あの猫顔の太陽は、これから冷え切った森を暖めるという重大なお仕事があるのだ。


「あのとても可愛らしい太陽――太陽と言うには小さいと思うけれど。あの猫のような太陽はもしかすると、森を暖めようとしているのではない?」


 ウィルが、可愛らしい声で鳴きながら森へ進んでいる、猫顔の太陽を見て分析するように言う。

 離れて分かったが、球体の上には耳がついており、それをパタパタと動かすと移動できるらしい。しかし、耳が丸い。もしやあれは猫ではなく、クマ――。



 皆が猫顔のクマ太陽の製作者クマちゃんに視線を向けると、もこもこは、深く頷いた。

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