第54話 クマちゃんとみんなの気持ち

「……ありがとうな」


 マスターは、皆を思って可愛い太陽をつくってくれたクマちゃんにたくさんお礼を言いたかったが、クライヴの前で〝森が冷え切っている件〟について触れるわけにもいかず、可愛いもこもこを抱っこして、ひたすら撫で続けることしか出来なかった。

 クライヴもまた、ギルドの為、街の皆の為、頑張ってくれているだけなのだ。ルーク達同様、前線で戦っている彼に、得意な属性以外の魔法で戦ってほしいなどと言うわけにはいかない。

 ――因みに、得意属性以外でも彼の魔法は何故か冷たい。


 移動が遅い猫顔なクマ太陽の、ニャーという声が聞こえるなか、


「もしかして、このめちゃくちゃ綺麗な蝶ってさわったらなんかあんの?」


ふわり、ふわり、と舞う幻影のような光の蝶が気になっているリオが言う。


 今度はルークに抱っこされ撫でられているもこもこのクマちゃんが、リオの言葉を聞き、肉球を上に向けた状態で近くを舞う蝶を指す。

 どうぞ、のポーズなのだろう。誰かの冷たく美しい「肉球……」という声がした。


「なにその肉球……かわいいんだけど」


 何故かちょっと悔しそうなリオが、ピンク色の肉球とクレヨンで複雑な色になった毛を見ながら言う。

 そして、クマちゃんのどうぞ、の案内に従い、リオは蝶にふれた。


 ――この時、自慢の真っ白な被毛が真っ白でなくなっていることに気が付いたクマちゃんが、もこもこの手をもふもふの口に寄せ、薄く小さな舌で、ペロ、としようとしたが、危険を察知したルークに阻止されていた。


「うわ、……なんかあったかい」


 リオが蝶にふれてすぐに、体の周りがふんわり暖かくなった。

 心地よすぎて、もうここでずっと寝ていたい。


「本当に……。美しいだけではなく、とても複雑な魔法が発動するようだね」


 気になっていたらしいウィルも、蝶にふれ、魔法を種類を当てようとするが、癒し以外の効果は人間の使う魔法と違いすぎて分析できない。

 体感でわかるものであれば、接触した人間の体の周りだけ、空気の温度が上がる、という普通の魔法に似たものだが、もしかすると対象の体温によって効果が変わるのかもしれない。

 つい、冷え切った状態でも試したいと思ってしまうが、そんなことで故意に体温を下げるなど、知識欲を満たしたい人間の欲深い行いだろう。

 せっかくのクマちゃんの優しい魔法を、そんなことに利用したくはない。

 この優しい魔法は、受け取る側も、ただ、暖かくなったよ、ありがとう、という優しい気持ちで受け取るほうが良い。

 心配げなクマちゃんが、寒い? 大丈夫? と聞いてくれているような、心が温まる魔法にふれながら、ウィルはそう思った。   


「……温かい」

  

 目の前を横切る蝶に黒い革の手袋に包まれた手でふれたクライヴが、静かに呟く。

 暖かさ、というより、やさしさにふれたような気がした。

 やはり、あの可愛らしく心優しい生き物がつくるものは自分には想像もつかない、効果もはっきりとわからないものだったが、これを見て、ふれることが出来た自分は幸せだ、とクライヴは思った。

 ――これ以上ここに居ると、離れがたくなってしまう。

 彼は、チラリ、とルークに撫でられている可愛いもこもこに視線をやると、いつも皆のために一生懸命な心優しき生き物に、再び贈り物をするため森へ戻っていった。


 すぐにクライヴの動きに気付いたルークは、クマちゃんの視線がそちらへ向くように抱えなおした。

 きっとこの愛らしい寂しがり屋なもこもこは、気付かぬ間に仲間がどこかへ行ったら心配するだろう。


  

 ルークに体の向きを変えられたクマちゃんは見てしまった。

 いつもクマちゃんに優しくしてくれる、氷のようなクライヴが森へ行ってしまった。

 とても寂しいが、お仕事があるのだろう。手を振って見送らなければ。

 肉球のついた手を振りながらクマちゃんは思った。

 きっとクマちゃんのつくった太陽が、森で戦う皆の助けになるはずだ。

 皆が頑張っている間に、クマちゃんも回復薬とおつまみをたくさん作らなければ。



 ルークは仕事へ行く前に、クマちゃんにお昼を食べさせることにした。

 普段、クマちゃんがお留守番の時は、マスターやギルド職員に頼んでいるが、〈クマちゃんのお店〉で物を作っているときは、受け取った食事を自分で食べているようだ。

 幼い、寂しがり屋のもこもこが、ひとりでもそもそと食べているのかと思うと胸が痛む。

 一緒にいるときは出来るだけ甘えさせてやりたい。


 こうして甘やかしと甘ったれが加速していくのだが、ルークはあのもこもこを甘やかす理由を人に説明してまわるような人間ではない。

 見たままを受け止めるリオが、〝クマちゃんがとても可愛いから甘やかしている〟と思ってしまうのは仕方がないのかもしれない。

 ――それに、ただ可愛いからという理由が間違っているわけでもない。

 ルークと一緒の時のクマちゃんは、リオといるときよりさらに幼く、寂しがり屋で甘えっこなのだから、彼にしてみれば甘やかす以外の選択肢はないのだが。


「え、リーダークマちゃんのご飯ってお昼まで特注なの?」


 クマちゃんの特別なお昼ご飯を初めて見たリオが、若干引き気味に言う。

 一枚のプレートに仕切りが付いている可愛らしいお皿は、絶対に酒場のものではない。小鳥やウサギや猫などの小さな生き物が絵付けされた可愛らしいお皿だ。


「とても可愛らしいね。そのお皿はギルド職員が用意してくれたもの?」


 初めて見た可愛らしいお皿を、微笑ましいというようにウィルがほめる。


「ああ」


 お留守番で寂しそうなクマちゃんの為に、マスターがギルド職員に頼み買ってきてもらった皿から、クマちゃんの口へ小さく切って茹でた薄味のお野菜を運び、ルークが答える。

 皆と一緒が好きなクマちゃんは、普段は冒険者達と同じ皿を使っているため、この幼児が喜びそうなお皿は、お留守番の時だけの秘密のお皿なのである。


「めっちゃもちゃもちゃいってる……」


 リオの目の前で、ルークの膝の上に座り、幼児のような恰好で、幼児用のお皿から、幼児用の味付けのご飯を食べさせてもらっているクマちゃんが、もちゃもちゃと口を動かしている。

 悔しいがかわいい。

 あの何も考えてなさそうな顔も、一切自分で動かす気のない肉球が付いた手足も。

 今日もクマちゃんに『自分で食べれるんだから、自分で食べなさい』と言えないリオだった――。



 マスターに抱っこされ、再び森へ仕事に行く皆を悲しく見送ったクマちゃん。


「またすぐ戻ってくる。それまで、家で待ってればいいだろ。――それとも、もっと散歩するか?」


 幻想的な蝶が舞う、白い花の絨毯が敷かれた湖畔を、クマちゃんを抱っこしてゆっくりと歩きながら、マスターが腕の中のもこもこに尋ねた。



 クマちゃんはマスターに撫でられながら思い出した。

 大変だ。お散歩をしている場合ではない。

 回復薬とおつまみをつくらなければ。


 クマちゃんはマスターの腕の中から、自分もお仕事をするのだ、という気持ちを込めてもこもこの手で家を指した。


「じゃあ戻るか」


 マスターは可愛らしいもこもこのクマちゃんを撫で、消えることのない美しい光景を眺めつつ、少しだけゆっくりと家に戻った。



 仕事をしているマスターの膝から下り、台所を探すクマちゃん。あそこが怪しい。第六感に従い、植物がある場所を探す。

 壁から直接生えた木に隠されている場所をくぐると、真っ白な壁と濃い木の色の大きなテーブル、複数の椅子が置かれた部屋がある。そこは台所と食事をとるところが一緒になったような場所だった。

 大きな台所のよこにある小さな台所がクマちゃん用だろう。

 あとはマスターに頼んで、食材をここに運んでもらうだけである。



 そしてまたマスターの仕事は中断される――。



「ニャー」


「あ。あれさっきクマちゃんが作ってくれた太陽じゃん」 


 リオは上空で鳴いている猫顔のクマ太陽を見て言った。

 森はすっかり暖かくなり、問題なく戦闘出来そうだ。


「少し距離があるのに、ここまで暖かさと癒しの力が届いているね。…………おや? 癒しの効果があるとモンスターが離れていくと氷の彼は言っていなかった?」

 

 話している途中で、湖での会話を思い出したウィルが、言葉を切って呟いた。


「ああ。言ってたな。――気配がねぇ」


 すでに気付いていたらしいルークが、結構重要なことをなんでもないことのように答えた。

 離れた場所の気配も探ってみたが、このあたりにはいないようだ。


「え。倒す敵いないじゃん。どうすんの? 帰る?」


 お花畑でもう一度蝶と戯れたいリオは、風呂に入って飯を食って今出てきたばかりなのに、また帰ると言う。


「僕もまた綺麗な場所に戻りたいけれど、氷の彼はおそらく魔石を取りに行ったのだろうから、僕たちも、少なくとも彼と同じくらいの数を取って帰りたいね」


 本当に、心底、あの美しい場所でクマちゃんと景色を愛でていたいが、そうするとクライヴが一人で魔石集めを続行するだろう。

 クマちゃんの仲間の自分たちが役目を放棄するわけにはいかない。

 各自彼よりも多く魔石を集め、ギルドへの納品分とクマちゃんへ渡す分、両方を確保する必要がある。クマちゃんのお小遣いの分も確保できれば尚よい。


「あー、そっか。確かに。じゃあ今日はもっと奥行ってみる?」


 リオも言われて気が付いた。

 あの蝶の奇跡と、今上空でニャーと鳴いている太陽をつくるのに一袋の魔石を使ったのだった。

 もちろん人間があの量の魔石を使ってもあんな奇跡は起こせないし、猫顔のクマ太陽などというとんでもないものは絶対につくれないが。


「そうだな」


 ルークの愛しいクマちゃんが幸せに暮らすために、この森を元の姿に戻す必要がある。

 今は大型モンスターを討伐することしか出来ないが、やれることが何もないよりは、よほどましだろう。


 こうして三人は猫顔なクマ太陽の縄張りよりも奥へ行くことを決めた。

 クマちゃんがつくったもののおかげで街と森の入り口はどんどん安全になるが、冒険者達は討伐のため、さらに奥へ進むこととなる。

 ルーク達は一時間後――正確には四十七分後――、また湖まで戻ることが出来るのだろうか――。

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