第52話 クマちゃんお絵描きセットを手に入れる

「何やってんだお前……」


 クマちゃんを探しに来たマスターが見たものは、新しく出来た巨大露天風呂、そして全身ずぶ濡れのリオと、濡れてほっそりしてしまった可愛いクマちゃんだった。

 マスターは残念なものを見るような顔でリオに言い、ほっそりとしたビシャビシャのクマちゃんを優しく抱き上げ、 


「あいつらの為に大きな風呂を造ってくれたのか……。ありがとうな」


とビシャビシャの可愛い丸い頭を撫でながら感謝を伝えた。 


「絵を描く道具のことを伝えに来たんだが――」


 マスターは愛しのクマちゃんに〈クレヨン絵の具〉の話をしようとしたが、ほっそりとしたクマちゃんと何故かずぶ濡れのリオを少しの間見つめ、


「……それよりも風呂に入ったほうがいいんじゃねぇか? そのままだと風邪引くだろ」


と提案する。

 そして付け足すように「こっちのデカい方でも、最初につくった方でもいいからな。――終わったら白いのを家に連れて来てくれ」と言い、リオにほっそりクマちゃんを預けると、大きな露天風呂の完成を凍える冒険者達に伝えるため戻っていった。

 因みに、愛しのクマちゃんが濡れてほっそりしていても抱っこをためらわないマスターの服は、当然ビショビショになった。


「クマちゃんどうする? ここで入る?」


 リオは珍しく自分の腕の中にいる、生暖かい濡れたクマちゃんに尋ねた。

 濡れている人間が自分だけだったから、マスターはルークではなく自分にクマちゃんを渡したのだろうが、なんとなく嬉しく感じてしまう。

 自分の服が濡れた理由については考えないようにした。あれは可愛いクマちゃんの思いやりであって、罠ではない。


 リオの腕の中のほっそりクマちゃんが、ほっそりしたお手々を広場のどこかへ向けた。


「――あっちってことは、最初につくった方?」


 肉球の示す先を見て、かすれた声でリオが言う。


「もしかするとクマちゃんはあちらの、最初に造った方の露天風呂にも、この美しい、光るお花のシャワーを取り付けたいのではない?」


 美しいものが好きなウィルは、美しく光る青い花へ向けていた視線をリオの腕の中のほっそりクマちゃんに移し、尋ねた。

 すると、心なしか小顔に見えるクマちゃんが深く頷く。


「行くか」


 色気のある低い声が端的に、ここからの移動を指示した。

 ルークはクマちゃんの作業中に彼が持っていた魔石が入った袋をさりげなくリオに渡し、滑らかな動作でクマちゃんを奪う。

 かすれた声が小さく「あ……クマちゃん……」と呟いた。


 ルークは意地悪でクマちゃんをリオから奪ったわけではなく、ただ魔法で作った暖かい空気でもこもこを包もうと思っただけだ。

 しかし、ふわりとした暖かな空気がクマちゃんとリオを包んでも、リオは若干不満げに、ルークの腕の中の可愛いほっそりクマちゃんを見つめていた。

 当然その不満は誰にも届かず、一人と一匹を先頭に、続けて、シャラ、と音を鳴らし、彼らは巨大露天風呂からやや小さいほうの露天風呂へと移動していった。

 

 

 クマちゃん達が大きな広場から出ると、マスターが声を掛けたらしい寒さに震える冒険者達がこちらへ向かってきていた。


「さむい……」 

「頑張れ後少しだ……」 

「俺はもうだめだ、気にせず置いていってくれ……」

「わかった……」

「そこは『置いていくわけないだろ!』って言うところだろ!」

「かまってちゃんかよ」

「元気じゃねぇかてめぇ」

「お前ら風呂行く必要ねぇだろ……」

「元気なやつらは仕事行けよ……」


 皆元気そうだ。体の丈夫な冒険者達が寒さで弱ることはないのだろう。

 クマちゃんに気付いた冒険者達がすれ違いざま声を掛けてくる。


「クマちゃんありがと……」

「まじ助かる……」

「クマちゃんなんか細くね?」

「小顔……ではなかった」

「シュッとしてる」


 クマちゃんはルークの腕の中で頷いた。うむ。皆が喜んでいる。



 小さい方の露天風呂にはすぐに到着した。

 ウィルが、丁度風呂から上がるところだった冒険者達に、


「ねぇ君たち。今からこちらのお風呂は少し工事をすることになったから、次に入る予定だった人達には『新しく出来た大きな露天風呂へ行くように』と伝えてくれる?」


と言う。

 冒険者達は着替えを済ませ「わかりましたー!」「つーか大きい露天風呂まで出来たんだ。クマちゃんすげぇ」「了解ですウィルさん。クマちゃんありがとー!」と口々にウィルとクマちゃんに声を掛け楽しそうに出ていった。


 良かった。すっかり元気になったようだ。クマちゃんは再び、うむ、と頷き、早速作業を開始する。

 皆のお手伝いのおかげで、真っ白なタイルと、青く光るお花のシャワーはすぐに完成した。


 するとガサ、と葉の擦れる音が聞こえる。

 杖を持ったままクマちゃんがそちらを見ると、そこにはクマちゃんの素敵なスポンサー、クライヴが立っていた。


「……何か作っていたのか」


 吹雪の男クライヴが、クマちゃんの邪魔をしないようにと出ていこうとするので、素早く駆け寄り、肉球のついた手で彼の細身のズボンを、くい、と引いた。



 

 現在四人と一匹は新しい設備、お花のシャワーで体を洗っている。

 

 リオはルークに洗われているクマちゃんを見て思った。

 あの獣はまた高級石鹸で洗われている。ルークは絶対にもこもこを甘やかしすぎである、と。



 ふんわりといい香りの泡で優しく洗って貰っているクマちゃんは考えていた。

 午前中に働いて汗を流し、いい香りの泡に包まれお風呂に入る。うむ、これも又良いものである。

 草の色が移ってしまったお手々の先は念入りに洗って貰わなければ。

 クマちゃんはいつでも可愛いが、きっと真っ白な時が一番可愛い。



「こちらのシャワーにも温泉と同じ効果があるようだね。癒やしと浄化の力を感じるよ」


 魔力に敏感なウィルが、頭上から雨のように降り注ぐ湯を片方の手のひらに受けながら言う。


「ああ」


 クマちゃんを大きな手で泡々もこもこにしているルークが相槌を打つ。


「そのようだな」


 魔力に敏感でクマちゃん愛好家のクライヴも、素晴らしい効果を持ち、見た目も美しいお花のシャワーを気に入ったようだ。



 皆でホカホカになり湖の家に向かう。

 家の中ではマスターが仕事をしていた。ギルドの職員が運んできたらしい木で作られたテーブルと、その上に先程は無かった書類が積まれている。


「ん? ――お前も戻ってきたか。森の様子はどうだ」


 顔を上げる前に気付いたらしいマスターが、書類からクライヴへ視線を移し尋ねる。

 マスターは、多少冷気でやられた冒険者達がいたとしても、最後まで森で戦ってくれていた彼に苦情を言ったりはしなかった。

 しかし、今後は防寒用のアイテムについても考える必要があるだろう。


「いつもよりモンスターが奥に固まっていたが、奴らが目的を持って動いているようには思えない。――この癒やしの力がある湖から距離を取っている可能性はあるが」

 

 体は温まっても口調は冷たいままのクライヴが、マスターの質問に答えを返す。


「それより、白いのが作った灰色の回復薬のお陰で討伐が楽になった。――礼を言う」


 森の様子よりもクマちゃんへのお礼が重要らしいクライヴが、可愛いもこもこの方を向き感謝を伝えた。つぶらな瞳のクマちゃんが、ルークの腕の中で頷いている。

 クライヴはその回復薬で森が冷え切ってしまったことには気付いていない。彼は自分の魔力で体が冷えることがない為仕方がないのかもしれない。


 森よりクマちゃんに夢中なクライヴを見て、一瞬何か言いたげな顔をしたマスターだったが、


「……白いの。お前が欲しがってた、クレヨンと絵の具が届いたから渡しておく。それと、ギルド職員が色鉛筆も買ってきたらしい。好きなのを使え」


人のことを言えないことに気付いたのか、すぐに諦め、お風呂上がりでふわっふわなクマちゃんに〈クレヨン絵の具色鉛筆〉を渡そうとして、ルークに預けた。

 クマちゃんが持つには、紙で出来た袋は大きかったようだ。

 ふわっふわクマちゃんは大喜びでふんふんしている。早く袋の中が見たいのだろう。



 ルークがクマちゃんを抱いたまま座って袋の中を見せてくれた。

 新しい物を見るとすぐに使いたくなってしまう、待てないタイプのクマちゃんが、すぐにお絵描きの用意を始める。

 クレヨンを取り出そうとして気付く。ちゃんとスケッチブックも入っている。

 皆が寒がっていた様子を思い出し、描くものを決める。

 ――あたたかいものがいいだろう。



 皆は、興奮して鼻をふんふんさせながらスケッチブックに絵を描き始めた愛らしいクマちゃんを、愛でるように見ていた。

 マスターはもう書類から目を離している。


「なんだろあれ。水色の楕円? と白いリボン? 白に白で描いたら見えなくね?」


 リオは難しい問題を解いているような顔で、クマちゃんが描いている物が何か当てようとしている。


「色合いが明るくて優しい感じがするね。可愛らしくてとてもクマちゃんらしいと思うよ」


 ウィルは何を描いているのかという話題にはふれずに、色合いの話だけしている。


「そうだな」


 ルークはクマちゃんが何を描いているのか分かっているが、可愛いもこもこが何を描いていても可愛いので褒めることを優先している。


「素晴らしい……」


 全く素晴らしくなさそうな、クマちゃんのスケッチブックを八つ裂きにしそうな顔のクライヴは、クレヨンを持つ肉球を見ている。


「……完成すりゃわかんだろ」


 ルークが分かっていそうだが、自分で答えないとクマちゃんが傷つくおそれがあるため聞けないマスター。

 あのつぶらな瞳が、もしかして分からないの? というように見つめてきたらと思うと、絶対に他の人間に頼るわけにはいかない。


 皆の心の内など知らない、洗ったばかりの可愛いもこもこのお手々を、クレヨンで複雑な色合いに染めあげているクマちゃんは、つぶらな瞳をきりりとさせ、真剣に絵を描き進めるのだった。

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