第40話 クマちゃん初めてのお泊り
現在クマちゃんは、大好きな彼と一緒に素敵な景色を眺めている。
うむ。風がとても強い。
クマちゃんはハッとした。大変だ! お鼻がかさかさになってしまう!
◇
見張り台への移動中。
マスターとクライヴは真面目な話をしながら、ルークに抱えられたクマちゃん達の先を歩いている。
「なんかいきなりすげーもん建てちゃったねクマちゃん」
かすれ気味の声の男はそう言って、癖のある金髪を雑にかき上げた。
話し方と相まって、その様子は彼を少しだけチャラく見せていた。
走ったせいで暑いらしく、襟元を緩め、風を送っている。
「本当に。でも、絶妙な配置なのではない?」ウィルは足を止めぬまま、湖へ視線をやった。
「街から遠すぎず、野営に適した広い空間も水場もある。景色もいい。……そういえばこの場所で大型のモンスターと戦った事はないのだけれど、『水が苦手』という理由ではないのだろうし――もしかするとクマちゃんだけに解る何かがあるのかもしれないね」
男は透き通った声で、『もこもこ全知説』を唱えた。
派手で麗しい男が歩くたび、装飾品がシャラシャラ――と綺麗な音を立て、まるで彼自身が美しい楽器のようだ。
南国の鳥を思わせる容姿の彼は暑さに強いのか、服を乱す様子はない。
「ああ。いい場所だ」
低く色気のある声が、クマちゃんを褒める。
秀麗で無表情な男はもこもこを抱えてからずっと、頭や顎下を撫で、甘やかすように優しくくすぐっていた。
普段であれば別々に過ごしている時間帯に、突然森の中に現れた、愛らしいもこもこ。
彼がふれると、安心したように丸い額を擦り付けてくる。
己の愛情のすべてをそそぐ存在が、じっと彼を見上げている。
つぶらで愛らしいその瞳を、彼も自然と見つめ返していた。
◇
高身長でスラリと長い手足、いつもと変わらぬ着こなしの、軍や騎士を思い起こさせる黒い服。
クマちゃんはいつも通り、格好いい彼に抱っこされていた。
うむ、朝と同じ温かさである。とても安心する。
皆に褒められたクマちゃんは、喜びを表すように彼の手に甘えた。
ルークの手をピンク色の肉球で捕まえ、猫のような湿ったお鼻で、ふんふんしながら彼の瞳を見つめる。
切れ長で格好いいルークの瞳は、まるで森をそのまま映したかのようだ。
暗い場所では暗い森の色。日差しに当たると、光に透ける鮮やかな葉の色になる。
いつもは洞窟の入り口のような、穴から光が射すだけの暗い室内と、朝でも薄暗い酒場とクマちゃんのお店、あまり明るくないマスターのお部屋でしか、彼の瞳を見ることはない。
明るいうちにお出かけしたのは、クマちゃんのお洋服を買ってもらった時ぐらいだろうか。
クマちゃんはルークの瞳が何色でも、彼に見つめられるだけでとても嬉しい。
でも、いつもと違う彼の姿をみるのも少し不思議でわくわくした。
森の色の綺麗な瞳を見上げてふんふんしていたら、いつもは表情が変わらない彼が、少しだけ目を細めてくれた。
わかりにくくても、彼がクマちゃんに笑ってくれたことが嬉しくて、うっかり彼の長い指をカジカジしてしまった。
すぐに、ごめんなちゃい、という気持ちを込めてペロペロする。
逃げていった大きな手が『気にするな』というように、もこもこのほっぺを包む。
甘えたくなってスリスリすると、親指でそっと撫でてくれた。
「クマちゃんめっちゃ御機嫌じゃん。リーダー愛されてんね」
リオが楽しそうに目を細める。
同じことを繰り返しているだけの森での討伐に、少々飽きていたのかもしれない。
もこもこが問題を起こすと被害に遭う確率が高いが、一緒にいるほうが楽しいし嬉しい。彼もそう思っていた。
「そうだね。いつもよりもっと愛らしくみえるよ」
派手な男は涼やかな声でそう言うと、ふ、と綺麗に笑った。
彼らの後方を歩く冒険者達は、誰も真面目な話をしていなかった。
「さっきはうっかり真剣に釣りしちまったぜ……」
「ああ、確かに全然釣れねーな。ここ」
「誰だよマスターの魚ちっせーとか言ったやつ」
「皆言ったんじゃね?」
「でけー男が二人で小さい魚一匹焼いてたから……」
「普通におもうよねぇ。直火にあの魚近づけたら消滅するんじゃないの? シュワーって」
「でもクライヴさんが真剣にあの小さい魚焼いてんの笑ったら、オレも一緒に焼かれんじゃねーかと思って笑えなかった……」
「わかる」
「確かに」
彼らに何を言われているか知らないマスターとクライヴは、見張り台の入り口で皆を待っていた。
隣にある家と同じ、濃い木の色をした扉の前。
酒場のマスターにしか見えない格好のギルドマスターが、片方の手を黒いズボンのポケットに入れて立っている。
リオは彼に尋ねた。
「マスターもうここ入った?」
「いや。白いのが欲しがってたのは魚だったからな。この見張り台も、登りたくて建てたわけじゃなく、ルークに気付いて欲しくてしたことだろ」
渋い声の男はそう答えると、さきほどのことを思い返し、猛省した。
もこもこは初めて自分で釣った魚を、『大好きなルーク』に見てもらいたかったに違いない。
あんなに純粋な生き物を騙すなんて、自分は何故あんなに非道なことをしてしまったのか。
こんなに一生懸命、自分達のために力を貸してくれているもこもこを騙すようなことなど、絶対にするべきではない。
――仕事が本当に大変な事になったら、騙すのではなく、納得してくれるまで説明すればいい。
マスターはそう決意した。
だがどんなにもこもこが深く頷いていても、人間と同じ感覚で理解しているとは言い切れない。
思い至らない彼はまだ、もこもこの生態に詳しくなかった。
そして、今彼の机の上がどうなっているのか――、ということも、想像出来ていなかった。
「皆集まったようだから、もう中に入ってしまってもいいのではない? クマちゃんとリーダーが先頭で良いと思うのだけれど」
ウィルはチラ――、と冒険者達を見た。
「じゃあお前らが先にいけ。俺とクライヴはあとに続く」
『白いのは仲間達と最初に登りたいだろう』マスターは片手をポケットに入れたまま、扉へ向かって顎をしゃくった。
「おっけー。じゃあリーダーよろしく」
リオが楽し気にルークを呼び、そちらを見る。
彼に撫でられているもこもこが、深く頷いている。
「ああ」
ルークは準備が整っているらしいもこもこをくすぐり、右手を伸ばすと、それに触れた。
木製の扉が静かに開いていく。
クマちゃんのお店と同じ仕様のようだが、チリンという音はしなかった。
呼び鈴は付いていないらしい。
内側へ足を踏み入れると、円形の床、筒を上に伸ばしたような白い空間が広がっている。
手前に丸いテーブルが一つと、椅子が四脚。壁際に三脚の椅子が並んでいる。
奥には、直径二・五メートル程度の円形の台がある。
その上に、魔法陣のような――よく見ると真ん中だけクマちゃんのような――模様が刻まれていた。
後ろから見ていたリオが、驚いたように言う。
「え? 階段ないんだけど。もしかしてアレに乗ってくかんじ?」
「そうみたいだね。それなら皆で一緒に行ってもいいのではない?」
彼よりも入り口に近い場所にいたウィルが答えると、マスターとクライヴも中へ入ってきた。
「思ってたより広いな」
一階の様子を観察しているマスターの後方で、氷の男が室内を睨み付けている。
クライヴは彼と目が合った者が凍りつくような、この部屋を憎んでいるかのような、すでに数人殺ってきたような表情で、壁や魔法陣を見ながら考えていた。
『小さい窓がクマの形になっている。魔法陣の真ん中にまで可愛いクマが――』
彼の表情から彼の胸中を読み取れる者はいない。
もこもこを抱えたルークが台の奥に立ち、リオやマスターもそれぞれ適当な位置に乗り込んだ。
「後三人くらいなら行けるだろ。お前たちも来い」
渋い声が冒険者達を呼ぶ。
「あ、じゃあ俺行くわ」
「じゃあぼくも」
「オレも……」
指名されたのは入り口から中を覗き込み、「あ、窓までクマちゃんじゃん」「だねぇ」「クライヴさん誰か殺るつもりなんじゃ……」と言っていた三人だった。
室内に居る者が全員乗ると、台の魔法陣が淡く光った。
――クマちゃんの文様も光っている――。
うっかりクライヴの方を見てしまった誰かの「ヒィ」という、喜びとは違う呼吸音が響く。
「うお。なんか勝手に動いたんだけど。クマちゃんの家って勝手に動く系多くない?」
ぼーっと台に乗っていたリオが、突然上昇を始めたそれに文句を言った。
『勝手に動く系の家』に住んだり住まなかったりしているもこもこは肉球をなめている。
「大きいものだとクマちゃんの力では動かせないのだから、仕方がないのではない?」
意外と色々考えている派手な男が、もこもこ建設の不思議な建築物を分析する。
「人も入れる造りなのは、クマちゃんが皆と一緒に行動しようと考えてくれているからだと思うのだけれど」
クマちゃん一人だけで使うものであれば、これほどの広さは必要はない。
上へ上へと進んでゆく魔法陣から見える、真っ白な塔の内側。
明らかにもこもこ用ではない巨大な建物に、彼はクマちゃんの優しさを感じて嬉しくなった。
◇
最上階に到着すると、そこは特大な円形の広場になっていた。
日に当たり眩く輝く、真っ白でだだっ広い床。
ほぼ中央に、東屋風の建物がある。
広場を囲う落下防止の柵は、扉や屋根と同じ、濃い色の木で出来ていた。
彼らが乗ってきた移動用の台は、中央からややずれた、東屋の手前に着いたようだ。
その場所は、地上から見上げた時の外観から想像しうる、ただの灯台のようなものとはまったく違っていた。
彼らの知るそれよりもずっと美しく、二十人以上が野営道具を持ち込んでものびのびと快適に過ごせそうな、ほとんど遮るもののない、ひらけた空間だった。
「なんというか、観光名所みてぇな建物だな」
高所の強い風に吹かれながら、マスターが遠い目をして言った。
危険な森の中に、観光客が大喜びしそうな呑気な展望デッキが出来たことに、違和感を覚えているらしい。
「いい場所だ」
クマちゃん何でも肯定派の良くない飼い主が、無駄に色気のある声でもこもこを褒める。『見張りに使えんだろ』と。
優しく撫でられ褒められたクマちゃんは、彼の手をもこもこのお手々で捕まえると、今度はカジカジせずに、長い人差し指をくわえ、喜びを表現した。
「なんて綺麗なところなのだろう。こんな風に森を眺めることが出来るなんて、とても嬉しいよ。本当にありがとうクマちゃん」
高い場所が似合う鳥のような男が、心からの感謝をもこもこに伝える。
ウィルはこの地に生まれた『もこもこ建設の吞気な展望デッキ』を誰よりも喜んでいた。
リオは皆が口々に話している間に、柵の方へスタスタと近付いた。
強く吹く風に癖のある金髪をあおられながら、
「すっげぇ」
と言ったきり黙っている。
冒険者達は感想を伝え合い、子供のように目を輝かせていた。
「ああ、まじですっげぇな。これは感動するわ」
「本当だねぇ。早く皆にも見せてあげたいねぇ」
「最初に突き落とされるのオレかも……」
ルークはもこもこを抱えたまま広場の端へと進み、果て無き緑で覆われた大地を見下ろした。
「すげぇな」
天に聳える不思議な建物。空に一番近場所。
最上階の真っ白な広場に立つ美麗な男に風が吹きつけ、強く靡いた銀の髪が、光を受けて白く染まる。
日に透かした若葉のように明るい色へと変わった瞳で、静かに森を眺める姿は、神々しささえ帯びて見えた。
大切なもこもこに危険がないようしっかりと抱き込み、一言だけ呟いた彼の声が、風に紛れクマちゃんのお耳に届いた。
微かに細められた切れ長の目が、わかりにくい彼の感動を伝えていた。
「これは……」
氷の男はルーク達から少しだけ離れた場所で足を止めた。
不機嫌そうな目つきをさらに細め、言葉を切る。
十メートルほど先で「ヒィ」と、悲鳴にも似た風の音が鳴った。
「あー。これは、……本当にすげぇな。こんな事がなきゃ、一生拝めねぇ景色だろう。――ありがとうな、白いの」
眼下に広がる広大な森を見下ろし、マスターがクマちゃんを称賛する。
もこもこの心に、彼の温かな感謝の気持ちが伝わってきた。
皆で眺める森は果てしなく、どこまでも美しい緑に覆われていて、自分達はとてつもなくちっぽけな存在なのだと痛感させられた。
彼らの心を震わせる、鮮やかな色。
この下に、危険な何かが潜んでいる――。知っているはずの事実さえ、曖昧に思えた。
◇
「こうやって見ると、本当に綺麗なだけなんだがなぁ……。目視できる範囲には、異常がまるで感じられねぇな」
腕組みをして視線を手すりの向こうへ投げていたマスターが、片手で顎鬚をさわり、真剣な声で言った。
「ああ」
色気のある声が、相槌を打つ。
ルークは切れ長の美しい瞳を細め、何かを考えているように見えた。
だが、無口な彼がそれを語って聞かせることはない。
「リーダー。俺今日ここ残ってみたいんだけど」
珍しく黙っていたリオが、護るべき森を目にして決めたことをルークに告げる。
「……そうするか」
ルークはマスターへ視線を流すと、間を開けて返事をした。
「とても素晴らしい提案だと思うよ。君はたまに素敵なことを言うね」
派手な男は美しい顔で微笑み、たまにしか素敵なことを言わないと彼のなかでは決まっている男を褒めた。
お気に入りの湖。愛らしいもこもこが作ってくれた可愛い家。
観光名所どころではない絶景が楽しめる、世界一高い展望台。
そんな場所で一晩過ごすことができるなら、ウィルにはそれを反対する理由がなかった。
「えぇ……。今なんかひどいことも言われた気がするんだけど……」
いつも素敵なことを言っているはずである。
えぇ……と心の中で証言するリオからの苦情は、美しい景色に夢中な男の装飾品に――シャラシャラ――とかき消された。
◇
もこもこ建設の展望デッキから異変の原因を見つけることはできなかった。
一同はマスターの「そろそろ下のやつらと交代するぞ」の一言で、地上へ降りることとなった。
「あ~、それじゃあ、俺は一旦戻って残りのやつらにここでの事を知らせる。本当に、白いのは残していっていいんだな?」
眉間に深すぎる皺を刻んだマスターが、心配でたまらないという風にもこもことルーク達を見回す。
「別に問題ねぇだろ」
何が起こっても問題と感じない男ルークが、マスターへ一言返した。
「大丈夫じゃね? 頑丈な建物もあるし、ここにいる奴ら皆残るんでしょ? 冒険者がこんだけいてクマちゃん一匹守れないってことはないと思うんだけど」
日中にクマちゃんが酒場で何をしているのかを知らないリオが、呑気に答える。
「僕も問題ないと思うのだけれど。マスターは一体何を心配しているの?」
クマちゃんに痛い目に合わされたことのないウィルが、『白い何かの何かを気にしているマスター』に尋ねた。
「……いや。お前らが良いならそれでいい。気にするな。じゃあ、魚は調理場に預けておくから、酒場に戻ったら取りに行けよ」
マスターこめかみを揉みながら何かを考え、――言うのをやめた。
可愛い肉球が問題を起こすと決まっているわけでもない。
彼はクマちゃん念願の魚を、冒険者の一人が持っていた大きめの袋に詰め、重さを感じさせぬ動作で肩に担いだ。
そうして怠そうに踵を返すと、机がどうなっているかも知らぬまま、一人ギルドへ戻って行った。
◇
初めての皆とのお泊りで大はしゃぎのクマちゃんは、大変興奮しながら考えていた。
大変だ。こんなにたくさんの人達を、お腹一杯にしてあげなければならないなんて、クマちゃん一人で出来るだろうか。
いや、弱音をはいている場合ではない。
大人気店の店長である自分がやらなければならないことだ。
まずは湖に残った皆の様子を見てこよう。
ルークの腕から下りようとすると、彼の大きな手が、優しく撫でてくれた。
「森には入るな」
そう言って、地面にクマちゃんをもふ……、と降ろす。
クマちゃんは彼の切れ長の目を見つめ、力強く、うむ、と頷いた。
大人気店の店長クマちゃん、初めての出張サービスである。
クマちゃんは皆のごはんを作るため、一生懸命むむむ、と考えた。
彼らのお腹をいっぱいにする大事なものを携えた、健気で優しいもこもこは、つぶらな瞳で前を見据え、ヨチヨチと行動を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます