第27話 様式美

 現在クマちゃんは若返ったオリヴァーの畑の使って無さそうな部分を借りて果樹を育てている。

 うむ。なかなかいい感じである。



 畑の隅をウロウロし、どんどん薄汚くなる元白い獣をぼーっと眺めているうちに、


『森から出てきた野生動物が畑を荒らすのと変わらないのではないか』


『これがクマと畑の関係――』女性冒険者は農業の難しさを悟った。

 このまま害獣に成り果てたクマちゃんを放っておくわけにはいかない。


 彼女はクマ被害に遭った畑に背を向け、助けを呼びに走った。



『汚れても良い布を持って急いで畑に来てほしい』


 最高にわけが分からない――。

 おかしな要請を受けたマスターは〈クマちゃんクイズ〉によって大幅に遅れている仕事をまたしても中断することとなった。

 捨ててもいい布を数枚、小脇に抱える


 彼はポケットへ空いた手を入れ、面倒そうに顔を顰め目的地へと向かった。



 疲れ切ったマスターが現場で目にしたのは、畑の上でうごめく、茶と白のまだらの見覚えのある形の生き物と、ギルドの大事な畑に生えた、一目見ただけで本能が警告を発する〝木〟。

 自分のそれが『逃げろ』と言っているのを感じたが、――悲しいことに――この巨大な施設の管理者である彼は、この問題を見なかったことにすることは出来ない。


 眉間に皺を寄せ、汚れた獣が徘徊する畑に足を踏み入れる。

 近付くと、木を禍々しく感じる原因が判った。

 逃げだしたくなる何かの正体は、青とピンク色の縞柄の(毒だな。なんつー色してんだ……)木の実だった。


「……その、畑の上の茶色のは元は白かったか?」


 まだら獣と木。どちらから解決しようかと悩むまでもなく、問題を起こす原因から取り除くことになった。

   

 雨の日に泥遊びをした犬に牛乳を掛けたような、大変なことになってしまった生き物。

 近づきたくない気持ちを抑え、捨てても良い布で包もうと手を伸ばす。

 すると、いつもなら抱っこが大好きな猫の様にすぐに大人しくなるはずのクマちゃんが、何故か、この、いつもより更にクソ忙しい今日に限って、両手の肉球をこちらに向け、抱っこ拒否の姿勢を見せてくる。


 マスターは、二つ並んだ肉球を見ながら思う。


(帰って風呂入って寝てぇ)


 しかし、この泥牛乳クマちゃんを置いて立ち去るわけにもいかない。

 マスターはまだ遊びたい猫のように畑をウロウロし続けるクマちゃんを、少し観察することにした。

 彼は牛乳と土の混ざった匂いを嗅ぎながら考える。


 本当に、こんな事をしている場合ではない。


「……まさか、あれが欲しいのか?」


 誰も近づけない穢れを身にまとうクマちゃんが、良くない見た目の木を、先の丸い爪でカリカリしている。

 黒いつぶらな瞳が見ている先には(あの色はただの毒じゃねぇ……。人もクマも一瞬だ――)木の実。


(ここで死ぬのだけは勘弁してくれ)


 マスターは片目を――物凄く嫌そうに――顰めた。


 そして牛乳と混ざった土の上に倒れる悲劇的な自分を想像すると――

 足場の安定しない畑で予備動作もなく跳躍し、太めの枝を片手で掴み、しなりを上手く利用し――まるで重さを感じさせない身のこなしで――トン、とその上に乗った。


 それは見るものに、彼が熟練の冒険者であることを感じさせる動きだった。


 すぐ側でそれを目にした女性冒険者たちは思った。

 

(え? 動き軽やかすぎない? なんか私より強そうなんだけど。酒場のマスターって強くないとダメなの?)


(……マスター、かっこいい。……そういえば、マスターがお酒作ってるの、みたことない……)  

 

 どれだけギルドのために会議や書類仕事や仕事の采配クマの赤ちゃんの世話その他諸々で忙しくしていても、やはり、皆が彼をギルドのマスターだと思うことはなさそうだ。


「触りたくねぇな……」


 どんなに嫌でもこの(触っただけでも指の一本、いや十本……いや腕の……)木の実を、あの穢れた存在に渡さなければ、目的を達成できない。


 欲しいものを得るまで納得しない『それはとても良い箱ですね。それをわたしに下さい。さぁ早く。ニャーニャーニャー』しつこい猫のようなクマちゃんは、抱っこ拒否の姿勢を崩さないだろう。

 それにこの――わざわいの象徴のような――木を切り倒してしまえば、あのクソガキだけでなく自分まで〈きらいなにおいを嗅いだときの猫の顔〉を向けられてしまう。


 仕方なく(死――)木の実を数個採ったマスターは、意外と便利な捨ててもいい布にそれを包むと、軽い身のこなしで畑へ下り立った。


「これで良いか?」


 口のまわりのもふもふを膨らませた穢れた存在が、抱っこをねだるようにピンクの肉球のついた両手をマスターへ伸ばしてくる。

 どんなに穢れていても、やはり可愛いクマちゃんのお願いを拒否することは不可能だった。


「おまえ……どうやったらこんなに汚くなれるんだ……」


 とても可愛い穢れた存在を、便利すぎる捨ててもいい布で包み、いつものように優しく抱き上げる。

 ――つぶらな瞳で愛らしく見上げてくるクマちゃんを撫でてやりたい。

 だが、残念ながら死の実を包んだ布と捨ててもいい布で手が塞がっていた。


 精神力と時間を滝のような勢いで奪われているマスター。

 これから更に『とても可愛いが泥牛乳のにおいがするクマちゃん』を綺麗にするという非常に時間も手間もかかり心が摩耗し呼吸器も侵す重大な任務が待っている。


 酒場に混沌を持ち込むわけにはいかない。

 露見すればこれを抱いた自分ごとやられるに違いない。

 キレた料理人が箒をもって穢れと魂を祓いにくるだろう。


 可愛さに負け雇ってしまった白いもこもこアルバイト。

 マスターの仕事は今日も増え続ける。


◇ 

 

 カピカピに固まった泥牛乳を洗ってもらい、いつものように真っ白なふわふわに戻った可愛いクマちゃん。

 非常に長い時間が掛かったその作業は、マスターのかすかに残っていた元気を失わせた。


 汚れの落ちたもこもこを白い店に置き、立ち去ろうとするマスター。

 黒いズボンを掴む、ピンク色の肉球のついた可愛いふわふわの手。


 何故か鍋の前へ向かうクマちゃん。

 静止の声を上げるマスター。


 見覚えのあるマグカップ。

 ――おいやめろ――。

 漂う湯気。


 

 無事マスターに、さらに甘くなった改良版〈甘くておいしい牛乳〉を飲ませたクマちゃん。

 元気いっぱいになった彼は、自分は何があっても疲れたりしないからもう心配しなくていい、ともこもこに伝え去っていった。


 美しい木の実をたくさん手に入れることに成功したクマちゃんは、ひとつ頷き、スッとかっこいいサングラスを掛ける。

 かっこよくなった可愛いクマちゃん。

 ――どことなく満足そうな表情だ。


 もこもこはおもちゃのようなナイフを握り、小さな鼻にキュ、と力をこめた。

 自分にぴったりな大きさのそれを肉球でキュ、キュ、と確かめている。

 

 そして、料理人が動き出す。

 真剣な表情で台所に立つもこもこは危うい手付きで食材を刻み、クマちゃん特製、素材にこだわる野菜ジュースの研究を開始した。

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