第28話 料理研究家クマちゃんの刺激的な研究

 現在クマちゃんは――。



 三人は森での調査を切り上げ、街への道を歩いていた。

『俺ちょっと行くとこあるから――』ひとり離れたリオが、俊足を活かし街へと駆け込む。


 可愛くて美味しいと評判のお菓子屋さんに突撃し、素早く人気のそれを買い――リオは僅か数分で、酒場内に出来たばかりの〈クマちゃんのお店〉ドア前へ辿り着いた。

 


 本当に〈きらいなにおいを嗅いだときの猫の――〉で自分を見るのを止めて欲しい彼が、誠心誠意謝り続けるわけでなく選んだ手段は〝賄賂〟。

 ブツに関する情報はギルドの女性冒険者や甘いもの好きの職員達から得た。

 今回の獲物は、


〝全五名中二名から評判のお菓子屋さん〟


の店内、最速購入に最高の、店員の横にあった商品である。


 急いで手に取ったわりにはなかなか良いものなのではないだろうか。

 食べてもいないくせに自信ありげで自分で作ったわけでもないのに妙に偉そうな金髪は、もこもこが喜ぶところを想像し、ふっと笑みを零した。


 もこもこがこれを気に入りもこもこしてくれるといいのだが。

 全力疾走で乱れた少し癖のある金髪を、リオは邪魔くさそうにかき上げた。


 早くクマちゃんに。思った彼は手を伸ばしかけ――

 今の音はなんだ。

 ドアの向こう。

 何かが倒れ、硬いものが転がる。


 まさか――。

 心臓がひやりとする。

 瞬時にドアにふれた。

 開くのが遅い。普段通りのはずの、チリン、と涼し気な音まで、彼の不安を煽る。

 

「クマちゃん! 大丈夫?!」


 声を上げ飛び込み、リオの目が捉える。


 床にうつ伏せのクマちゃん。側に転がるマグカップ。


 衝撃を受けた彼の手から、賄賂が落ちる。

 気付きもせず急ぎ駆けつけ、揺らさないよう注意しながら、震える手でゆっくりと抱き起こした。


 クマちゃんのサングラスにヒビが入っている。

 口元に、灰色の液体。

 床に広がる同色のそれ。


 台の上に、調理途中の物体が見えた。

 食べると――いや食べなくても、もしかしたら見るだけで、いっそ存在するだけでお手数でご迷惑な、縞柄青ピンク。

 不揃いに切り刻まれ、滴る液体。

 広がる灰色――。



「……完全にやっちゃってんじゃん!!」


 

 もこもこエマージェンシー。これは事故現場だ。

 ガイシャは白くてもこもこしている。

 


 いつもより少しだけ遅く、ルーク達は白い店に到着した。


 その頃にはリオに介抱されていたクマちゃんも、無事に目を覚ましていた。

 ヒビの入ったサングラスは、彼が介抱するときに外してある。

 

「クマちゃんヤバいもんに手出しすぎでしょ」


 口から灰色の液体が出ているもこもこを見た瞬間、リオは思った。

『死んでる』

 あのとき、彼は本当に戦慄していた。


 クマちゃんはやってしまったのだと。

 

「灰色はヤバいって。建物とかの色じゃん」


 建物は食えない。皆知っている。

 ルークに抱っこされ撫でられているクマちゃんを見ながら、リオは続けた。


「クマちゃん鼻水でてるよ。それに何で舌もちょっと出てんの」


「舌は、出ているというより、仕舞え無いのではない?」


 ルークと共に店に到着したウィルは、危険な目に遭い弱ってしまったクマちゃんを心配し、様子を見ていた。

 彼らが話しているあいだも、もこもこの口から少しだけはみ出ている愛らしい舌。

 おそらく痺れているのだろう。


 無表情な男は二人の話を聞きながら、クマちゃんの鼻水を柔らかい布で拭っている。

 彼はもこもこをあやすように撫でると、長い脚を動かし調理台へと近付いた。


「リーダー。それあんま近づかない方がいいって。クマちゃんみたいになるって」


〝クマちゃんのお店毒物事件〟の第一発見者になってしまったリオが、ルークに警告する。

 ――開業日が決まる前に取り壊しが決まりそうな『クマちゃんのお店』


 だが彼の『クマちゃんみたいになるって』は何事にも動じない男には効かない。

 クマちゃんみたいになる脅しなど意に介さぬ男の前には、乱雑に切り刻まれた青、ピンク、灰色。


 ルークは自然な動作でクマがやったりやられたりした残骸に手を伸ばし、躊躇なく口に運んだ。


「死んだ」


「死ぬか。……毒じゃねぇが、こいつには刺激が強ぇな」

 

 色気のある低い声はいつもとまるで変わりなく、これが毒であったとしても彼には関係なさそうだ。

 彼はさも当然という体で、建物色の欠片をリオへ放り投げた。


「あぶなっ!! リーダー普通の顔でやばいもん投げつけてくんのマジやめて」


 反射で受け取ってしまった普通にやばいもん。

「心臓痛い……」リオが嫌そうな顔で眺める。

 灰色だ。これは酒場の近所の壁の色だ。自分にはわかる。


「食ってみろ」


「何いってんの? 馬鹿じゃないの? リーダーは知らないだろうけど普通の人間が毒食ったらクマちゃんみたいになるから」


 本当にあの良い声が紡ぐ言葉には碌な物がない。

 リオにも口から灰色の汁を出して倒れろというのか。

 そんなのは御免である。

 もし仮にそうなったとしても、どうせ飯の時間になれば鼻を垂らし舌を出す自分を床に倒したまま置いていくに違いないのだ。


「リーダー。毒ではないのだよね? 刺激が強いというのはどういう意味?」


 イカレた派手男が涼やかな声で尋ねると、彼の前にも灰色の欠片が飛んできた。

 フワリとそれを掴み、装飾品がシャラ、と美しい音を奏でる。


「うーん、不思議だね」

 

 ウィルは怒ることもなく手の中を見つめ、ゆるりと長いまつ毛を伏せた。

 口元へ綺麗な所作で問題のブツを運ぶ。


「イカれてる……」小さく呟くかすれ声が聞こえたが、それを気にする細やかな神経の持ち主などここにはいない。


「……僕は平気だけれど、確かにこれはクマちゃんには刺激が強いと思うよ」


 南国の派手な鳥は刺激物もいけるらしい。

 話し方や声は繊細そうなウィル。

 彼は優雅な雰囲気を裏切り、森の街の人間の中でも上位の図太さを持っていた。


「えぇ……何か俺も食う流れじゃんこれ……」


 仲間内で一人だけ危険を冒さない、というのはなんとなくもやもやする。

 冒険者としてそれは如何なものか。


 口に入れたくないが、仕方がない。

 やるしかない。やれ。いまだ。いや遠慮します。

 腕がそこに行くのを拒否しているが、遠慮する体に無理やり言うことを聞かせ、近所の壁を『近所の――』と口に入れた。


「ぁぁぁ……」


 近所の壁を近所の壁でこすったような音が響いた。


 痛い、痛すぎる。この汗が噴き出るような痛みは辛さなのだろう。

 だがこんなに痛いのならそれはもう怪我である。

 そして異常に酸味が強い。つらい。

 ――刺激が強すぎる――。


 そこまで考えた所でハッとした。

『クマちゃんには刺激が強い』というウィルの言葉を思い出したのだ。


 怪我人は心の中で近所の壁を殴った。

 このイカレ野郎、俺にも刺激が強い。

 涙と鼻水が出る。舌が痛い。


 結局クマちゃんみたいになったのはリオだけだったが、近所の壁は毒ではないようだ。

 ただの毒に近いものだ。



「ぁぁぁ……」


 クマちゃんは不思議な音を奏でるリオを見た。

 空気を揺らす遊びだろうか。『ラハハー』と歌っているのかもしれない。


 クマちゃんも心の中で仲良く『ラハハー』と歌いながら考えた。

 最近リオにつけられている言いがかりのことを。


 クマちゃんは鼻水も垂れていないし、舌だって出していない。

 でも、リオは何度も『その顔マジでやめて』と変なことを言う。

 心の広い大人なクマちゃんは髪を切られてもすぐに許してあげたのに。


 ルークがクマちゃんの小さな鼻を柔らかい布で優しくふわふわしている。

 そのあいだにリオとのあれこれを『ラハハー』と考えていたクマちゃんは、ふと思い出した。

 先程は研究の途中で急に寝てしまったようだが、改良した野菜ジュースが何種類か出来たのだった。


 少しずつ綺麗な木の実を入れる量を変えたそれは、なかなかいい感じに出来たような気がする。

 当店イチオシ商品としてマスターの所に持っていこう。


 

 何処かへ行きたがっている。

 ルークはすぐに気が付き、ポフ、とクマちゃんを床に降ろす。

 彼の視線の先で、もこもこがヨチヨチと棚へ近付いた。

 瓶をリュックに仕舞っているようだ。


 作業を終えたもこもこは、ヨチ、と少しだけ歩き、両手の肉球を彼へ伸ばした。


 優しくもこもこを抱き上げたルークは、クマちゃんの鼻水をそっと拭い『ラハハー』の横を通り抜けた。

 彼らのあとをゆったりと追う青髪が、急ぐようすもなく店を出る。



 話題に出ない『ラハハー』を残し、酒場を横切った二人と一匹。

 それぞれ仕事の報告をすべく、彼らは立入禁止区画の奥へと進んでいった。

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